自分の身体のように感じている溺愛車から、
卒業することにした。
車から、<そろそろお別れです・・・>とサインがあったのだ。
多少の不具合よりもはるかに愛情がまさっているから、
走行距離25万8千キロを超えていようとも、
次の車検はおそらくだめだろうと心のどこかで思っていようとも、
いつどのタイミングでふんぎるのか、ずっと決められなかった。
それが、その日、すんなりと、流れに乗ることができた。
とても素直なおだやかな気持ちで別れを受け入れることができた。
ああ、そうか、卒業なんだなぁと思えた。

おなじ車の友人には、淋しくなるから言わないまま降りようと思っていた。
けれど、部品やら装備やらで使えるものは形見分けしたいから、やっぱり連絡した。
彼は、とにかくびっくりして、なにかあったのかと心配してくれた。
逢うまで信じられなかったみたい。
先に車を降りていった知り合いたちは、私の車にいろいろ残してくれた。
私はそれがうれしくて、いつも乗るたびにひとりじゃないような気がしていた。
先日、友人の秘密基地で、部品を付け替えたり、たっぷり車話をしたりで、
楽しくてあっという間の時間を過ごした。
最後に写真をたくさん撮ってもらって、本当にありがたかった。
(自分ではもう想いが強すぎて撮れなかったのだ・・・)

帰り道、夕焼けの秋空が本当に美しくて美しくて、走りながら、
思い残すことはないなぁと気持ちが透きとおっていった。
たかが車、たかがおなじ車に惚れた者同士である。
そんなささやかなふれあいだからこそ、心にしみるのか・・・。
物理的に溺愛車が無くなろうと、私の気持ちに変わりはない。
これからもずっとずっと、死ぬまで、
世界一美しく世界一愛おしく感じているのは、溺愛車だけである。




前のページへ
TOPページへ