大病後の友人に、あせらないでゆっくり療養してね、などと言いながら、
私はなにをあせっているのだろうと、ふと我に返るときがある。
あわててもあせっても、ジブンのチカラを出しきれないのにねぇ。
いかに落ち着いて色々なことにあたるか、それがいつもの課題である。
年齢をいくら重ねても、三つ子の魂百までだから、油断はできない。
できる限りのゆとりを心に持たせて、なんとか一日ずつやっている。

父の煮物はとてもおいしい。
家事一切やったことのなかった父が、今では、料理も洗濯も母の世話もすっかりこなしてくれている。
すっかり弱った母とのふたり暮らしだから、動ける方がやるしかないのだが、
やるとなったら色々工夫しながらやりたくなる父だから、なんとかなっている。
本当にありがたいことだ。
がんばっている反動の愚痴その他もろもろは、私がすべて引き受けている(笑)。
それくらいなんのその、父も病気持ちなので、私の内心はいつもびくびくである。
びくびくだけれど、びくびくなまま、やれるだけがんばりたい。

最近は、事前に調べてから買い物したりするのがつまらなくなってしまった。
失敗しないようにと思うと、どうしても調べが必要になるんだけれど、
衝動買いじゃなくて、ジブンの直感で気に入るものを買いたいなぁと思う。
ジブンの好みや直感が、にぶっていく弱っていくのが厭なのだ。
過情報の弊害か、便利じゃなくて、とらわれて、不自由になっている気がする。
だから、できるだけ店に行って、どうしてもこれじゃなくちゃだめ以外は、
そのときあったものの中から決めたり、やめたりしている。
無駄な抵抗?をばんばんしながら、ジブンの日々をやっていく。




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