ようやく暖かくなってきた。
3月になっている。
2がたくさん並んだ猫の日も、あっという間に過ぎてしまった。
<時>には、ものすごいエンジンが積んであるんだろうな。
そのくせブレーキはない。
厭もいいもないし、こっちも負けていられないか。

ずっとあった大きな建物が、見事に壊されて何にもなくなったり、
新しい道ができたり、家やマンションがどばどば増えたり、
ご近所の風景もかなり変わってきた。
浦島太郎子としては、ときどき、どこにいるのかわからなくなる。
思い出というより記憶、それしか持っていられないのだ、そして、
それすら書き換えられているのかもしれない。
あやふや、不安定、だからこその大事な1日、一瞬、なのかな。

まだまだマスクや感染注意必須の日々だけれど、
春は、新しいこと、きらきらすること、のびやかでいられること、
出会えるすべてを期待してしまう。
ぼんやりとただ歩いているつもりでも、何か色々に目がいっている。
ちょうどいいか。

まだやっていけそうだなと、ぜひやっていこうよと、自分で自分に
さらさらと魔法をかけよう。

透析にいった母を待ちながら、父とおやつを食べたり、テレビを観て
なんだかんだと話したりするのが、楽しくてかわいらしくおもしろい。
私としては、先のことはあんまり考えないようにしている。
考えなくても、来なくていいですよと願っても、来るものだもの。
両親の子供に徹するひととき、なんてことのないひととき、
時が少しだけスピードを落としてくれている気がする。



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