今まで生きてきて一等すきな珈琲店が、那須にある。
震災後、初めて行くことができた。
高速道路は、だいぶ修復されていたものの、
まだまだうねりや段差が残っていて、
被害の大きさをあらためて感じずにはいられなかった。
フレンチローストと重たいチーズケーキ、
いつものお気に入りを、透明な雰囲気といっしょにいただいた。
スタッフのお姉さんのぴかぴかの笑顔に、つられて笑った。
美味しくて、ほっとして、心からくつろげた。

最後にお逢いしたのはいつだったんだろう・・・。
すっかりご無沙汰してしまっていた方の、
訃報が届いた。
突然で、信じられないまま、ダンディな笑顔だけが浮かんできた。
誰でも、平等に、その時がくるのだ。
けれど、自分のことは棚に上げて生きている。
いや、忘れていないと生きていられないのか・・・。
あちらで、いつかまたお逢いできるその時まで、
その方のことを覚えていようと思った。

手は、その人そのものだと思う。
奇跡的に生還された方と握手をしたら()
今、生かされている力の、おすそ分けをいただいたようだった。
(
ありがとうございますっ♪)
生と死、表と裏、ほんの一瞬の分かれ目。
信じるも信じないも、
そういうところでジタバタしてるだけなのかもしれない。
今日も、あしたも、あさっても。
ひととき一緒に過ごして、楽しかったと感じていただけたら、
それだけでうれしい。
自分の存在を、全肯定された気がして、ただ、うれしい。

すきですきでたまらないものを、
時間をかけてあきらめていくその過程も、
すきになれるかもしれない、
そう想えるようになってきた。
カタチとして残したいと拘るから、執着するから、
苦しくなるんだろう。
モノじゃなくて、感じを残したいんだったら、
忘れないで覚えている、それしかないはず。
自分だけのだいすきなその感じを
ずっと覚えている、それしか、ない。
(
ん〜、でもまだまだ最後までは一緒にいます。笑)



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