2003夏 飯田線鉄旅

神奈川への出張があるので、そのあと飯田線の秘境駅めぐりをする。
前回の山田線岩泉線めぐりで余った18きっぷがあるのでそれを使う。


神奈川で仕事を終え、東海道本線を乗り継いで豊橋で飯田線に乗り換え。
 
千代駅、金野駅で下車して駅ノートに絵描いた

 
金野駅で4時間ほど過ごして、田本駅で下車。ここを今夜の宿とする。

 
大自然の中のドアのない待合室で、電気が自動消灯しないので虫が凄い。
小さな虫ならいいけど、見慣れない薄緑の巨大なガが飛び回ってて気持ち悪い。
寒ければシュラフをガバッと着込めばいいけど、パンツとランニングシャツだけでも汗が出るのに無理。
寝られないんじゃーとキレて、ホウキを振り回して潰してしまった。ごめんよ、追い払うだけのつもりだったのに。


頑張って寝ようと目をつぶってると、ブロロロ ブォォォンとバイクの排気音が聞こえてまさかこんな山奥に!?と見回したら
大きな甲殻虫の羽音だった。(よく見たらクワガタだった)


翌朝。虫の襲撃が絶えずほとんど寝られなかった。
ウトウトしかけたと思ったら虫が手足にピトッとくっついて飛び起きて・・・の繰り返し。
電気が自動消灯したらマシになるだろうと期待してたが、朝までずーっと点いてやんの。と思ったら6時に消えた。
10時の電車まで時間があるので駅ノートに絵描いた

 
為栗駅、中井侍駅で下車

 
16時過ぎ、小和田駅で下車。バイクでは来られない駅なので(駅に通じる車道がない)今回が初訪問。
駅におじいさんがいた。お話すると、獣道を20分ほど歩いたところに一軒だけ家があって、生活物資は川の対岸からロープウェイで運んでるそう。すごい。
周辺を探索して駅ノートに絵描いた

 
待合室のベンチにシュラフを敷いて22時に就寝。ここは扉があり締め切りできる。今夜は快適に寝られそうだ。


5時に起床。静かで快適な一晩だった。
昨日から雨が降り続いてるけど、運休ってことはないよな? (←5:15に駅ノートに書いた実際の文章。死亡フラグだ!)

(以下、駅ノートにリアルタイムで書いた内容から転記)
6:48に来るはずの上諏訪行きの始発が来ない。もう定刻から20分すぎてるんだが。
乗るのは豊橋行きだから直接関係はないんだが、もしかしたら雨で運休になってるのかと不安になってくる。
アナウンスもないし、PHSは電波が無いし、公衆電話はテレカ専用だが持ってない。外部への連絡手段がない。
飲み物も食べ物も昨日で尽きてしまったんだが、どうしよう・・・


7:12の豊橋行も来ない。遭難確定。
非常時ってことで、駅構内のボックスにある業務用の鉄道電話で豊川駅に電話したけど、FAXにつながって誰も出ない。
この駅に閉じ込められて餓死する運命なのか?誰か助けてー

7:40にやっとアナウンスが流れた。
「雨のため、新城-平岡間で運転を中止しております。復旧は未定です」とだけ。
状況は何も改善してないが、電車が来ない理由が分かっただけでも良しとするか。
とりあえず喉が渇いた。何か飲みたい。

12:15 あ〜どうしよー

12:25 是非も無し、鉄道電話は外部には架けられないようなので、怒られるのを覚悟の上で豊橋車掌区に架けた。
誰かがすぐ電話をとってくれたので事情を説明すると、「線路が土砂崩れで埋まって運休してる」とのこと。
こりゃあ数時間待って復旧するもんじゃないぞ!数日待たないとダメなんでないの?
(当時はスマホもナビも持ってないので)手元にある14万分の1のツーリングマップルでは駅からの脱出ルートがわからない。
長雨で地盤が緩んでる状況で獣道をさまようのは怖すぎるので、「線路を歩いて駅を脱出していいですか?」と聞くと「何とも言えない」と。
これは黙認と認識した。
それではこれから線路を歩いて大嵐駅まで行きます。たぶん大嵐近くに村役場があるからバスが出てるだろう。たぶん。


12:45、雨の下、荷物を背負ってホームから線路に降り出発。小和田駅を出てすぐにトンネル入り。


現役の線路の上を歩くなんて初めてで、しかも逃げ場のない長大トンネル。運休で電車は来ないとわかってても不安になる。
もし電車が来たら、すぐにトンネル端に寄って地面に伏せて…と頭の中で演習しながら歩く。
何度も後ろを振り返り、入口の明かりがだんだん遠くなって不安が強くなる。


出入口とも光が見えなくなり、真っ暗になった。LEDの懐中電灯を持ってきてるが光が弱く、足元しか見えない。
デジカメでフラッシュを炊いて写真とったほうが周囲の状況がよくわかる。足元は水びたし。


水音が聞こえるのでフラッシュ炊いて写真を撮りカメラの液晶を見てびっくり。水がトンネルの壁から勢いよく噴き出してる。
大丈夫なのかこれ。


ようやくトンネルの出口が見えてきた。


短い鉄橋を経てすぐ次のトンネルに。


また入口の明かりが遠くなり、心細くなる…


次のトンネルを出てからの鉄橋は、大雨で増水して轟轟と流れる天竜川の濁流の上を渡る。怖いよー。落ちたら即溺死だ。


またトンネルに入って次の出口からは、しっかりした地面の上で安心して歩けたが、しばらくするとまたトンネル。


次のトンネルは出口が大きい。歩いていくと駅のホームが見えてきた。無事についた。


愛しい大嵐駅ちゃん。駅前に車がとまってて人がいる場所だ。
「人里に還って来たぞ、これで何とかなる」とホッとした。


大嵐駅から北に向かう林道も崩れた土砂が散らばってた。

バス停を探して駅前の道を歩いてると富山村役場(現在の豊根村役場富山支所)の入口に人がいたので声をかけて事情を説明してバスを聞いたら、
富山村から外に通じるバスはなく、飯田線が止まると陸の孤島状態みたい。
ここもPHSは通じなかったが役場の電話を使わせてくれて、家族に連絡をとれた。
運の良いことに、大嵐から120Kmくらい南の渥美町に父親の実家(じいちゃんち)があってちょうど父が帰省してたので車で迎えに来てくれと頼んだが、
「大嵐駅は佐久間から先の県道が狭すぎて無理だ、一つ先の水窪駅なら行けるからそこまで来られないか」とのこと。

※大嵐駅と水窪駅の位置関係。
隣駅だが間には山脈が横たわり横断する車道はなく、飯田線は連続5kmの大原トンネルで山脈下をくぐる。
南(豊橋)から来ると、水窪駅は広い国道152号線(オレンジ色)で来られるが、大嵐駅は佐久間で分岐し天竜川にそって蛇行する狭い県道1号線(緑色)でないと来られない。
今いる村役場は大嵐駅の左にある赤い丸。


これからさっきより遥かに長いトンネルを歩かないといけないなと覚悟した。
役場の人にどうなったと聞かれて話すと、15kmほど南の東栄まで行く人がいるから乗せてもらったら、と頼んでくれた。
父に電話すると東栄駅なら2時間半くらいで行けるからそこで待ってろと。

東栄への車が出発するまで役場の宿直室で休ませてもらってるところ。
旅のたびに誰かの世話になってて、申し訳ない。
東栄駅前で礼を言って降り、しばらく待ってると父と叔父が車で来て拾ってくれた。助かった。


飯田線から先は余裕のある日程を組んでたこともあり、そのまま渥美のじいちゃんちまで行き一泊。
翌日の豊橋は前日までの雨が嘘のようにいい天気だった。
東海道本線を乗り継いで東京まで行き、大学時代の友人達と遊んで羽田から沖縄に帰った。

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