ツーリング7日目



この駅は待合スペースがプラバケット椅子。
この椅子じゃあ寝られないので、椅子の背後の隙間に銀マットしいて寝た。
(学生のときは同じ椅子の初田牛駅で「この凹凸がちょうど体にフィットするんだ」なんつって快適に寝たもんだが、弱くなったな。)


寝るときは「今日は暖かいくらいだから寝袋いらねーな」でそのまま寝たら、朝4時に寒くて目がさめた。
特に足先が冷たい。ここ、壁が背面だけで風が通るからなぁ。
だがバイクまで寝袋を取りに行けば目がさめるので取りにもいけず、ジャケットを足にかぶせてしのいだ。

6時の始発前に目覚めたが、ちょうど雨が降ってきたので出発準備をする気がせず、しばらく誰も乗客がこなかったので汽車の音でうとうとしつつ寝続けて、8時頃起きた。
片付けしてたらおじいさんが一人やってきて、バイクの沖縄ナンバーみて話しかけてきた。
方言がまじりだが大体のニュアンスはわかったので会話できた。「でかいバイクだなぁ、400万円くらいするのか」的な。
ほかに駅の話とか、沖縄の話とかして汽車に乗っていった。

天気予報は午後から晴れだったので雨がやむまで出る気がせず、11時ごろにやんだので出発。
地図でよさげな駅とめぼしをつけてた隣の石打ダム駅にいったら、こっちのほうが周りの民家が少なくてよかったな。(赤瀬は見える範囲には民家はないけど、坂をちょっと降りたら十数軒の集落がある)



生まれて初めての天草入り。

  

駅前のシックな食堂で魚の煮付け定食。家庭的で素朴な味付けでおいしかった。
うん、旅のときはこういうのがいいんだよ。

 

海沿いのパン屋に入ってパンと牛乳買って、少し走って堤防に座り海を見ながらおやつ。手作りイチゴジャムも買ったが、これは後で食べよう。



うーん・・・このあたりは沖縄本島中部の平安座あたりと雰囲気が似てて、ちっともトキメかないなぁ
シーサイドラインなんて沖縄でいっつも走ってるもん。
こりゃつまらん、と島の中を走る林道にチェンジ。狭くて曲がりくねってるけど、DL650なら問題無し。
 

山深さを感じながら、ときおり下界の展望も眺めて走って満足。



 

展望台で休憩。誰も通らないので雄大な眺めを見ながらごにょごにょ・・しようとしたら後ろから「こんにちはー」と声をかけられてドキィッ!!
自転車の二人組みがいつのまにか来てた。
ズボンを降ろしかけてたのには気づかれなかったようだ。やれやれ。



途中で寒くなったり暑くなったりで、防寒着(マイクロフリース上下)を着たり脱いだりしてたが、一度脱いでパッキングしたときに
ネットのフックをかけ忘れてたみたいで、次に着ようと思ったら無くなってたorz
いや、失ったのはまあいいんだ、ユニクロの安いやつだからまた買えばいい。(しかし昨日コインランドリーで洗ったばかりでなくすとはな・・)
走ってるうちの防寒も、モモヒキとエアテックジャケットがあるからそれを着ればいい。
問題は、今夜の寒さに耐えられるかだ。
おとついなんて防寒着総動員してシュラフかぶっても寒いくらいだったのに、今夜は凍死しないように暖かい場所を探さないといかんな。
よりによって最後の野宿でこんなことになるとは。

あともう一つショックだったのが、四国の道の駅で買ったホロホロクッキーというバターをたっぷりつかった高いクッキーを一口も食べないうちに一緒に無くしてしまったことだ。
おいしそうだから帰りのフェリーの中で食べようととってあったのに。こんなことになるんなら、おいしいものから先に食べとけばよかった。
それとついさっきパン屋で買ったばかりの、イチゴとキビ糖だけで作った手作りイチゴジャムも一緒に無くなった。牛乳とまぜて苺ミルクにしようと思ってたのに。
服よりも食い物を無くしたのがショックだ。

まったく、去年夏のヘルメット崖下落下事件といい、最近のツーリングは必ずなんか一つトラブルが起こるな。
(まあ、新車をいきなり崖から落としたり、ドブにタイヤをはまらせたりの事故がなかったのはよかった。心配してたので)




あ!宮古島の平良さん!(宮古島まもる君なんてちゃらちゃらした名前、俺は認めない)
なんで天草のこんなところに!?
造形だけでなくうつろな目つきまでそっくりだった。平良さんの親戚ですか?



山道をうねうね走ってたら時間がかかって、林道を走り終わるころに日が暮れた。


ひとけのない山頂の展望台からひとりっきりで日没をみて、暗くなった駐車場で 「さあ天草最南端の牛深からフェリーで九州本土に渡るか。出航時間はと」・・・事前にメモってきた紙を確認したら、18:30が最終だったorz
もう19時半だよ。
しまったー、PM8:30だと勘違いして思いこんでた。

今日は肥薩線の矢岳駅あたりで寝る予定だったのに、どうするよ。まずったなぁ
また来た道を戻って三角経由で九州本土に渡るか?いや、何時間もかかるぞ。無理だ。

仕方ない、今日は牛深あたりの展望台・休憩所で寝て、明日の朝一6:30の便で発とう。
今夜はまだ寝るには早いから、天草の大聖堂を見ていこう。(別にどっちでもいいと思い、フェリーに間にあったら見ずに去るつもりだった)



 

大江天主堂。大聖堂よりもそこから見た家々と山々の眺めのほうがよかった。




続いて崎津天主堂に。
 

集落の中のせまーい道をバイクで走り、門の前にバイクをとめたら、すぐ隣の家のおじさんが話かけてきた。昔バイクに乗ってたんだって。(右写真左のブレてる人)

大聖堂の写真をとりながらバイクの話とかキリスト教の話とか。
やはりこのあたりはキリスト教信者が多いんですか?と聞いたら、この集落の約半数はそうで、その人と奥さんもそうなんだって。

バイクもだいぶ詳しくて(第一声が「スズキの新型かい?」だったし)話がはずんで、30分くらい路上で立ち話をしてたら奥さんも出てきて3人で立ち話になって、しばらくしたら奥さんから「もう晩ごはんは食べたの?」と聞かれ。
まだ食べてなかったけど、なぜか反射的に「あ、はい、もう食べてきました」と答えてしまい(何故だ)、どうも食べてないといったら食べさせてくれるようだったので、反射的に遠慮してしまった。

それじゃあお茶でもどう?と言われ、家の居間でお茶とお菓子を頂きながら、バイクとか大聖堂の話とか地域の過疎の話とかを3人で話してたらいつの間にか1時間以上たってて、お話とお茶とお菓子、ありがとうございましたと礼をいって席をたった。

玄関前でお二人。ご馳走様でした。


過疎については去年の紀伊半島ツーリングでも気になってたので、実状を聞いて(お二人もここに住んでるのではなく、普段は熊本市内にいて、この亡くなった親の実家に月数回だけ戻ってきてて、この通りにある他の家も常に人が住んでるのは一軒もないそうだ)、10年後20年後に集落から人(信者)がいなくなれば、この大聖堂も教会として維持できるんだろうか、教会跡の単なる観光施設になるんじゃないか、という話じゃった。

こうやって地元の方と話していろいろ聞けるのは、楽しい。
お茶もお菓子もおいしかった。
初対面の赤の他人をもてなしてくれて、ありがたいこってす。
もし時間を勘違いせずフェリーに間に合ってたらこの出会いはなかったわけで、何がいいことにつながるか、わからんな。

出発するころにはもう23時。びっくり。そんなに時間たってたんか。




ご夫婦から、この集落には各個人が船に乗ったりするために持つ木のはしけがあると聞いて探したが、暗くてよくわからんかった。



 

牛深まで行って寝るとこ無かったら困るから、途中走りながら探してたら、道から少し入った森の中に ラブホテルの廃墟をみつけた。
旅をして嗅覚が鋭くなってるな。
道沿いにあった看板を見て 「あ、電気ついてないから先に廃墟があるんじゃないか」と気づいたのが勝因。

 

鍵のかかってないドアがあって客室内にまで入れてしまって、当然ベッドもあるので快適そうだったが、中に入ってて人に見られたら言い訳できないので、隅っこにある2m×2mほどの小さなコンクリートの資材置き場に落ち着いた。
今夜は防寒着がこれまでより少ないので、小さな部屋のほうが熱が逃げずに良いというのもある。


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