「明るくなるまでこの恋を」
撮影現場ルポ
10月16日 クランク・イン
20:00 大阪・九条の映画館シネ・ヌーヴォにスタッフ集合
20:30 キャスト集合 テレビ、新聞などマスコミ各社が殺到し
現場はスタッフ、役者、エキストラ、映画館の客、・・・と
いっきに入り交ざり、大パニック状態に陥る。
21:30 最終回レイトショーの上映がはねて、撮影準備開始
映画館の客席は流動パラフィンの煙におおわれる。
22:30 「明るくなるまでこの恋を」 撮影開始
脚本の26シーン・すべて同一の場所でロケーション
映画館の客席で物語は展開する。
26:00 この夜はじめての休憩がはいる。
ロビーで炊出しのカレーがふるまわれる。
撮影のスピードが思いのほか遅い。
製作部は、明朝10:30の映画上映の中止
という事態を想定し始める。
27:00
突然照明の配線がショートし3分位の間炎が立ち火花が散る。
みんな、なすすべもなく呆然とするが,大事故にいたらずに
製作部一同ホッと胸をなでおろす。
27:45
午前3時45分、出番を全て終了した
マイミ役(17歳)の大島由香里さん↓
お疲れ様でした。
34:30(午前10:30)
ヒロイン夏子役の桂あやめさんあがり、予想どおり朝一番の上映が中止される。
尻に火がついたかんじの大森組スタッフ撮影のスピードが、ようやく加速される。
10月17日 正午 クランクアップ
とりあえず、徹夜明けのお昼にもかかわらずビールで乾杯、
撮影・演出部は休む間もなく京都に戻りタイトル撮影をする。
10月19日
東映京撮でラッシュ試写。撮影のリテイクはなかったが、
台詞の録音直しがはいる。
10月21日 音楽録音
前夜、大森監督から電話があり、
急遽、映画の音楽録音がきまる。
桃谷のBEA HOUSEというライブハウスにて、
「酒と泪と男と女」の河島英五さんがピアノで弾き語る。
午前中は電話で音響ミキサー探しにおわれる。
アメリカ村、サンホールでPAをする内川氏が
自転車で駆けつけてくれた。午後2時より録音開始。
大森監督自身による作詞 「映画館へ行こう」
♪「映画館の座席には白い翼がはえている」ノー天気な明るい曲を、
河島さんがポール・マッカート−ニーばりに熱唱。
ギター、とびいりの女性コーラスもはいり、抜群の映画主題歌に仕上がる。
10月25日 13:00より
京都・大映通り、いのべシネサウンドにてMA(音のダビング)
中央、赤い服の方がミキサーの浜口さん。
映画の尺数は、21分55秒に仕上がる。
劇中、上映される映画の音は、
大森監督自身の作品「エマージェンシー・コール」を使用。
23:00終了。
終電車1歩手前で監督と帰途につく。
10月28日13:00より
大阪のイマジカ試写室で初号試写。ほとんどの役者さんと大阪スタッフが来る。
約22分の作品。3:00より宝塚のシネ・ピピアで完成披露の試写会をするため
製作の高岡はフィルムを持って、すぐに宝塚に向かう。
大森監督は、5:00よりNHKの千客万来に生出演のためNHKに向かう。
10月29日 シネ・ピピア<大森スペシャル>
3:20より大森監督と高岡のトークショー。
途中に「明るくなるまでこの恋を」の上映を含めて
約1時間30分のトーク。立ち見がでるほどの
大盛況でした。
大森監督の25年前の自主映画「暗くなるまで待てない」
の頃の映画仲間が訪れ、同窓会のようになる。
11月4日 製作費 97万円
「明るくなるまで」の製作費決算終わる。100万円映画をみごとクリア。
しめて97万円でした。