二上山
河内と大和の境に位置する雄嶽と雌嶽の霊峰・あめのふたかみ
大坂の上町台地からは生駒と葛城の山脈の切れ間に見える。
少年の頃から、この山を遠望してきたに違いない折口信夫は、
青年期には足しげくこの山の向う側、大和への旅を繰り返す。

昭和13年、折口は52歳のとき、箱根の山荘で「死者の書」の執筆にかかった。
日本の文学史上、不世出の小説は以下のような戦慄的な書き出しから始まる。
「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、
さらに冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来る
のを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。
ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来
る。」
反逆の咎で刑死して百余年後、二上山に眠る滋賀津彦(※1)は目覚めた。
藤原南家の郎女・中将姫は、春の日の彼岸の中日の夕刻、
二上山の男嶽と女嶽との間に、「荘厳な人の俤」を見る。
私の女主人公藤原郎女の、幾度か見た二上山上の幻影は、
古人相共に見、又僧都一人の、之を具像せしめた古代の幻想であつた。
さうして又、仏教以前から、我々祖先の間に持ち伝へられた日の光の凝り
成して、更にはなばなと輝き出た姿であつたのどと、とも謂はれるのである。
「山越しの阿弥陀像の画因」
藤原郎女は翌年の春分の日、突如奈良の都の家を出奔し、
二上山の麓、当麻寺の前身・万法蔵院の庵室に篭る・・・

「万法蔵院は、実に寂として居た。
山風は物忘れした様に、
鎮まって居た。
夕闇はそろそろ、
かぶさつて来て居るのに、
山裾のひらけた処を占めた寺庭は、
白砂が、昼の明かりに輝いてゐた。
こヽからよく見える二上(フタガミ)の頂は、
広く、赤々と夕映えてゐる。」
(「死者の書」より)
あたたかく 暮れゆかんとす 二上の
山の尾ひたに くだりつヽ見ゆ
註1 大津皇子 686年持統天皇のとき、謀反の疑で刑死された皇子。
磐余の池のほとりで処刑されたのち、屍は葛城二上山に移し葬られた。
伊勢の斎宮にいた姉・大来皇女は都にもどり哀傷(かなし)み、歌った。
「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見ゆ」
(万葉集 巻二)