吉 野

明治36年16歳の折口少年は、河内から二上山を越え
当麻、吉野を経て葛城山越えで大阪へと徒歩で帰った。

昭和6年、10年と慶応義塾大学国文科の万葉旅行、
昭和17年金田一京助らと飛鳥、吉野、宇治へ旅行、
18年4月中旬には「吉野に花を観る 柳田国男来ず」
同年7月、吉野滞在中波多野郁太郎の死を聞き帰京
翌19年四国からの帰途に、当麻、吉野へよる・・・・・・

と、折口の年表にはたびたび吉野への旅が記されている。

↓ 蔵王堂より眺める秋の風景

蔵王堂



勝手神社

吉野山さくらさく日にもうで来て
かなしむ心人しらめやも


現在火事によって拝殿を焼失した勝手神社の境内に
昭和49年に完成した折口の歌碑が立っている。



桜歌壇

折口がよく泊まった宿については「勝手神社前の・・・」とあり、
そこには<桜花壇>という文芸の宿として有名な旅館が今もある。

桜歌壇
折口の名はここの宿帳にも記録されており、
昭和18年4月19日、柳田国男に宛てた手紙は、
この桜歌壇の封筒で出された。
折口は、その時奈良ホテルに滞在中であった柳田へ、
吉野の桜の開花情報を詳しく伝えるとともに、
最上の部屋を予約したと、来訪を切に願っている。
折口は彼と花見の連歌をまくことを楽しみにしていた。
しかし、ついに柳田は来なかった・・・。

桜歌壇は谷崎潤一郎ら文豪が好んで泊まったところでもある。
谷崎はここで名作「吉野葛」を着想したという。



BACK