斎藤雅泰 さん (    ) 1999年 07月 01日 11時 37分 18秒

確認された情報ですが。

時刻表7月号で横川−軽井沢間土休日に1本増発がされように書いてありますが、
7/17からの運転だということです。
また、横川発は16:20分が正しいです。JTB大型の時刻表以外は16:00
時になっていますが。

斎藤雅泰 さん (   ) 1999年 06月 30日 18時 59分 34秒

斎藤です。お休み状態から復帰します。

ふるこし様 ありがとうございます。
ということは、その時期に関しては1日あたり約4000人の利用者だったということ
ですかね。1区間なのでそれを輸送密度とみてよい? ならば相当の輸送量ですが。

まあ、現在の夏の休日の実績を見たいものです。大体1時間ヘッドで運転されてい
るようですし。(それもジャスト発になっている)輸送密度が1000人クラスあ
れば非常によいことです。

とりあえず、書き込みしてきたのは、東北本線の新幹線並行区間のことがあったから
なのですが。この区間は線路を自治体で保有し、列車運転のための会社を樹立し、運営
だけはこの会社で行うとの記事があったからです。

しなの鉄道はこの手法にはのっとっていなかったですよね?

あと、横川−軽井沢間その方向としたほうがよいのではないでしょうか?どのような
営業形態をとるにせよ。

ふるこし さん (   ) 1999年 06月 29日 23時 33分 28秒

>斎藤様

 私が以前ここに書き込んだのですが、’97年10月〜’98年11月の間で12万人強
 の利用があったとのこと(「旅」の記事による)

 ピーク時のデータがないのでわかりませんが、月平均1万ぐらいのところから、
 想像はつきそうです。 

米谷裕 さん (   ) 1999年 06月 25日 12時 16分 40秒

こんにちは米谷と申します。
管理人様よろしくお願いします。
初めてのみなさんはじめまして。

内山さまへのレス>
幹線といっても新幹線開業前のままの形態ではちょっと無理も有りそうですね。
まずは単線で再開できればいいですね。
観光と地元の足、両立できることが理想だと思います。いかがでしょうか?
観光要素を加味すれば熊の平で交換、長時間停車可能な構造がいいですね。
秋の紅葉シーズン、紅葉狩りの客がここで乗降して楽しめるように。

自転車はあの坂、やっぱり怪我とかこわいですう(笑)
ただ、軽井沢で借りて横川の旧中仙道周辺の文化財を見てまわれるのは
いいですね。自転車1台200円ぐらいの手数料でいかが?

ではでは
ご存知のみなさんこちらでもよろしく。

斎藤雅泰 さん (   ) 1999年 06月 22日 13時 15分 28秒

知っている人がいたら教えてほしいのですが。。。

ピーク時の横川−軽井沢の現在の輸送人員を教えて頂けませんか
ということです。つまり夏の1日のバスの輸送人員あたりでよいと
思います。

齋藤雅泰 さん (   ) 1999年 06月 19日 22時 10分 06秒

ある新聞の記事に7月に松井田と軽井沢の町民の方々が鉄道復活についてなんらかの会合を
やるとあったらしいですが、どんなもんなんでしょう。
碓氷区間は意外に需要があるのでは?と思っています。今後は高崎側と小諸側の列車と1対1
に対応してもらいたい。すなわち電車と同本数。しかし、輸送量があっても運営費がかかるのが
ここの区間。それが故に、最初は保存鉄道であったとしても、最後は自走の電車としてもらいた
い。だから、平坦地では高速で、山岳では低速で力強く走れる、南海の電車のことを言ったので
すがね。。。

齋藤雅泰 さん (   ) 1999年 06月 19日 01時 52分 20秒

最新の時刻表(7月号)を見ると。。。

横川ー軽井沢間にて下り16時台、上り15時台の空白が
土日運転ながら埋められました!!これで、ほぼ1時間毎
が実現され、新幹線開業前の倍程度になりました。

さて、これを鉄道でやっていけるかというと別ですが。。。

内山寿明 さん (   ) 1999年 06月 16日 17時 17分 10秒

横軽復活についての語り合う場があったことを慶んでおります。
この場をお借りして、私が横軽復活について考えていたことがありましたので、是非話題にしてください。全くの素人ですので、批評・非難も気にせずお待ちしております。

1.鉄道の種類について
観光鉄道や保存鉄道ではなく、普通の鉄道として営業して欲しい。
この区間は幹線としての存在意義が大きいので、その価値を認めて欲しい。

2.運転区間
やはり、横川−軽井沢全線。ただし、保守費用節減の為、単線運転。
基本的には旧上り線を復活。というのも、この区間はトンネルが多い為、車窓を楽しむのはほぼ不可能である。逆に開き直って、バイパス機能を充実させて気象の影響を受けにくいトンネル区間が多い旧上り線を使用する。66.7パーミルがあるというのもちょっとした理由です。

3.駅について
横川、軽井沢はもちろんのこと列車交換用に熊ノ平を復活。
できたら、アプト旧線との分岐点に坂本駅を新設。(アプト線遊歩道と坂本宿観光用として)
ただし急勾配の為、スイッチバック駅を作る。ただこの場合分岐機の部分の勾配を緩和させる為に次のような路盤変更が必要か?
・横川より旧上り線で登ってきた線路を丸山で旧下り線の路盤へ移動。アプト線分岐あたりで、若干低い位置にある旧上り線の路盤へ緩勾配で移動。この位置にスイッチバックの分岐機を設置。続きは旧上り線で登っていく。こうなると丸山付近の「あさま」は移動せざるをえない。

なお、丸山に駅を設置したいとの意見も聞いたことがあるが、坂本の宿からは霧積川を挟んで1キロ近く歩かなければならないし、変電所跡の見学の為だけに設置するのは少し無駄と思うので、設置しない。

4.車両について
予算で問題の出る所ですが、私の意見としてはEF63のみを保有。
客車(電車)についてはJR東日本・しなの鉄道より借りる。もちろん車両使用料は支払う。
ところで、電車3両の場合、EF63は1両で押し上げることは不可能なのでしょうか?

もう一つ、自転車をそのまま乗せることのできる車両(サイクルトレイン)を保有する。
この場合、全駅とも自転車用スロープを設置。
観光シーズンのみの運用だが、碓井峠を電車で登って自転車で下るというのも面白いかも?
私自身、自転車をやっていますが、軽井沢駅から碓井峠までは標高差20mで素人でも登れます。
峠から、熊ノ平までは標高差270mの下り、坂本へはさらに標高差200m、横川へはさらに100mの下りとなります。ただ、国道18号線はカーブが184もあり、若干の交通量もあるので危険がないとはいえませんが。
ただ、このトレイン&サイクル計画を使えば車を横川に止めた後、自転車を持って軽井沢散策というのも可能になります。また、横川から熊の平まで利用した後、国道経由で碓氷橋の散策をして坂本・横川へ帰れば、登りのない快適なサイクリングが可能です。

と、長々と素人の意見を見てくださいましてありがとうございました。

斎藤雅泰 さん (   ) 1999年 06月 08日 20時 18分 05秒

モータカーがどうのこうのという話がありますが。。。
(私が言い出した??)
レールドクター(自走可能)がモータカー2機に推進されて、66.7パーミル
を登って行く写真がありました。たしかに一般人が乗らないからいいかなという
気がしましたが(それでもEF63じゃないんだ!!とも思った)97年の夏だっ
たと思います。

ふるこし さん (   ) 1999年 06月 08日 12時 55分 39秒

・横川−丸山間の運転
 これなら、一番無理なくできるのではないかと思います。
 トロッコ列車でも動かせればいいでしょうね。カマは63が一番良いのですが、
 とりあえずモーターカーでもいいでしょう。


しもやま さん (   ) 1999年 06月 07日 12時 29分 59秒

やや御無沙汰です。

>防護ネットってだめ?

いや、これ案外面白いのでは。
強度計算と衝突安全(乗客の安全と脱線防止)のバランスさえとれればいいわけで。
自動車のエアバッグが普及している現在ならシミュレーションや実現性の検討ができるのではないでしょうか。
東芝/川崎あたりで開発してくれないかな。あるいは大学で研究テーマに取り上げるとか。もし実現できれば電磁吸着ブレーキの代替手段になり得ますね。車両毎のメンテナンスコストが下がるわけだ。

そうかこんな手がありましたか・・・。

樫山 淳一 さん (  ) 1999年 06月 06日 08時 28分 12秒

はじめまして、碓氷峠復活の動きがあることを嬉しく思います。
僕にとって碓氷峠は思入れが人一倍強い場所です。なぜなら僕の実家は長野の佐久なので帰省や上京するたびにここを通りました。廃止されてからは何かぽっかりと心に穴があいた感じがします。僕も協力させて欲しいです。

丸茂喜高 さん (   ) 1999年 05月 31日 15時 19分 38秒
URL:http://www.tuat.ac.jp/~nagaimu/marumo/souken/

ご無沙汰しておりますが確実にROMしております.
横軽BBS「横軽談話」にて,丸山の63窃盗事件に対して,横川に編成を格納し状況に応じて
横川−丸山間の運転を提案しておりました.この件について,実現するまでには越えなければ
行けないハードルの高さは相当なものであると認識しておりますが,横軽復活の第一歩には
ならないかと思い投稿いたしました.今回の事件が「怪我の功名」というと不謹慎かもしれませんが
復活のきっかけにでもなればなと考えております.

斎藤雅泰 さん (   ) 1999年 05月 28日 01時 07分 34秒

内々にメールとかしていた内容なのですが、広く意見を頂きたくここに
公開します。かなり無茶苦茶で大風呂敷きな内容ですが、御寮者下さい。
(今まで書き込んでいたのは本内容の部分でした)
-----------------------------------------------------------------
今後の碓氷峠鉄道文化むらと信越本線横川−軽井沢について

この度、碓氷峠鉄道文化むらが営業開始致しましたが、それについて
私の思う妄想(?)をからめて、今後の展開と横川−軽井沢間の扱い
について述べます。

----------------------------------------------------------
(1)展示車両について

 国鉄JR系の車両だけならず、一般私鉄の廃車された車両(廃止された線
区と特に)を収集すべきである。そしてそれらの車両を展示のみならず、
動態保存として走行させる。

    動態保存区間は横川−丸山とする

本区間は勾配も緩く、一般的車両でも問題はない。丸山の旧発電所の整備
等含めて、松井田町の目玉とすべきである。また後述するが、本区間は鉄
道事業法による免許を取得し、一般鉄道路線であることがよい。
 展示車両については「特に」山岳系の車両を集めたい(機関車、電車問
わず)。(個人としては山岳ものではないが新潟交通の車両でもと。。)

(2)SLも考慮か?
 上記動態保存区間ではSLも走らせたらよいのでは?しなの鉄道部分、
小海線でSLを走らせようという計画がある。それと対抗とかリンクとい
うわけではないが、横川を基地としてしまう案もあると思われる。この場
合、峠はEF63の補機による回送となる。営業運転は困難かもしれないが。
(小海線沿線にはC56が5機存在する)
 運転は横川ー丸山となるが、丸山に転車台を用意し(わざわざ新製する
ことは真岡鐵道にあったこと)、高崎ー丸山で運転すればある程度の距離
となり、見世物とできる(横川にも転車台は必要と思う。両区間だけの往
復運転でも構わない。特に2機のSLが同時に走っているのが見えれば非
常によい。2機が同時に動く場所はどこにもないのだ)。
SLは各種タイプ集めるということある(梅小路のような:また、現存全機
種集めるとか)

 あと大井川鉄道の真似事となってしまうが、側線でSLを一般に運転し
てもらうという手もある。

(3)南海ズームカーの導入
南海の高野線用車両ズームカー(21000系、22000系(2200
系))は高野線特有の事情(大阪都市部を高速で走行し、高野山の50
パーミル区間を力強く走行する必要がある)により誕生した車両である。
現在では2000系(特急は30000系もしくは31000系)となり、
21000系は営業運転されておらず、22000系は2200系に改造
されてローカル運用についている。もはや21000系は大井川鉄道と
一畑電気鉄道で使用されているのみだが、2200系は本来の高野線で
も使用されている。一応50パーミルの性能ではあるが、66.7パーミ
ルでもなんとかなるかもしれないと思うので、2200系については購入
を検討すべきである(本来は21000系が望ましいのだが、中小私鉄か
らの購入はそちらの事情もあるので難しいのでは?、大井川鉄道から一時
的に使用する程度なら可能??)。
 また今後のことであるが、30000系(特急用)の老朽化に伴う排出
を考えて購入することも考えるべきである。

(4)碓氷峠区間
 EF63および、ED42等の機関車が自力で走行できるのがよい。(ED42とい
えども軽量では自力走行が可能では?)ここをトロッコ列車(?)で運行
するとかどうであろう。また、EF63では荷が重過ぎるのであれば、軌道
モータカーを推進元とした保守車両の走行が97年にあったのを参考にし
て、軌道モーターカー的なものによる推進でもよいのではないか?当初は
そのようでも、何年か後は(3)のような自力走行がよい。もし、しなの
鉄道が乗り入れてくるなら(その時点では新車も必要となろう)、その際
は上記のような南海2000系(VVVF車)のような車両を導入して直通す
ればよい。

(5)ラックレール(参考レベル:実現は一番困難なため)
 ラックレールについては、一応次の方式がある。
  リッゲンバッハ式
  アプト式
  シュトループ式
  ロッハー式
  フォンロール式(最近のもの)
  その他日本独自のものとして富士HERATシステム(以下に述べる)

 JTBの旅,1998年2月号を見ましたが、これに日本独自のラック「鉄
道」が掲載されている。厳密には鉄道かどうかとなるが、これは富士山麓
の砂防軌道で新しいスタイルの砂防軌道方式として開発されたものらしい。
きわめて簡単な軌道の採用、ラック式による急勾配の克服(30度まで登
攀可能:世界一の勾配である)とか利点が挙げられている。本来これは建
設省の管轄だが、運輸省と建設省が国土開発省に統合されることもあり、
これを碓氷に導入してもよいのではないか?現在いろいろな方が線路敷購
入後の走行車両について言われているが、坂を登れるか?が議論となる。
どうせなんらかの改造をしなければならないのであれば、歯車をつけても
よいであろう。アプト式となんら変わらないという人がいるかもしれない
がアプトより保守は簡易であろう。落ち葉、雪があっても、ラックが横向
きであるため、中に入らない。実際、開発者サイドでは落ち葉対策でそう
したと言ってる。
 また歯車を走行用としても用いるのか、単なる勾配用とするのかの議論
となるが、横川付近の踏み切り次第では走行用としたほうがよい。もとも
との富士の車両がそうなってるため。走行用であれば最初から最後までラッ
クレールがあるので、エントランスの問題が出ない。ただほかにもラック
レールを敷設する手段とか資金とかを考える必要はある。

(6)鉄道事業法に基づく営業
 碓氷峠の区間は鉄道事業法にのっとって営業してもらいたい。というの
も、保存鉄道とは言え、時刻表に載るのと載らないのは大きな違いがある
からである。また、今後のしなの鉄道との共同営業(??:もしくは乗り
入れ???)の際も問題が出ない。現状では町側が第1種鉄道事業免許を
取得し、他の存在(文化むらとか保存鉄道グループ)が第2種鉄道事業免
許をとってもられればよい。町側が第1種なのは、本格鉄道営業化を目指
すとそうならざるを得ない(大きな団体が営業免許がないと問題になりそ
だ。。)と思うからである。

(7)軽井沢などにも施設
 峠区間を多くの人に利用して頂くこと、また、展示車両の増大を考える
と軽井沢、丸山、熊ノ平といった場所にも分館が必要ではと考える。分館
同士の車両のやり取りはEF63の活躍となる。

(8)最後に
 以上のことは文化むら自体は展示場であると同時に、車両基地であると
いうことを意味する。これは大井川鉄道にも並ぶものである。また関東近
辺では真岡鐵道のような蒸気運転拡大政策をとり「金」をかける鉄道もあ
るのである。松井田町でも大きな目的を持って運営してもよいのではない
か?第一よほどのことをやらない限り飽きられてしまうと思う。規模拡大
は序々にやっていきたいが予算次第である(地域活性化で予算とれるかも)
が。大きければ大きいほど、分館が必須となる。まさしく軽井沢側の協力
が必要だ。でも新幹線から珍しい車体(特にSL)があるというので、人
気が出るかもしれない。

・その他 動態の保存鉄道化が望ましい区間
 旧美幸線(末端部5kmが軌道あり)
 南部縦貫鉄道(休止線)
 明延1円電車(運動開始との報告あり)
 他にも線路が残っている廃止路線に走らせてみる価値あり
 

齋藤 さん (   ) 1999年 05月 27日 00時 14分 15秒

防護ネットってだめ?

急勾配用保安手段として、沿線はトンネルが多いことから、非常時にネット
をトンネル出入口に落し(というか張って)車両が滑り落ちるのを防ぐ。
ってなのはだめかな。。。。。

齋藤 さん (   ) 1999年 05月 25日 21時 11分 57秒
URL:参考までに

参考情報

南海高野線 最大勾配50パーミル 連続勾配約10km 間に駅3つ(たしか)
信越本線 最大勾配66.7パーミル 連続勾配約10km 間に信号所1つ

上記より、南海のほうが勾配がゆるくかつレベルとなる停車個所(脱線ポイントとか
おける)が多い。
(保安設備の確立は重要です。一般人を乗せないのであれば問題ないでしょうが)

ふるこし さん (    ) 1999年 05月 24日 12時 37分 00秒

斉藤さんのご意見をお借りすれば、i)方式によるトロッコ列車運転が、一番実現性が高いように思います。
既存の施設を利用して、かつ費用負担を抑えるならこの方式ではないかと。
その場合でも、保安面が一番課題になると思います。

しもやま さん (    ) 1999年 05月 17日 18時 28分 30秒

どうも度々です。
度々の安全面での御確認ですが、碓氷峠の安全性の主眼は、峠を「降りる」ほうにあるんですよね。そういった意味で、あの延々と続く下り勾配で安全に乗客を降ろすには、発電ブレーキ、予備バッテリー、さらには万一の為の電磁吸着ブレーキまで備えたEF63を補機につなぐのが最も安心感があったわけですが・・・。
現行の路線の危険性を考慮しますと、例えばちょっと視点を変えまして車両のみならず路線にも工夫が必要なのかもしれません。例えば新しく待避線を設けるとか、はたまたスイッチバックの追加などはどうなのでしょう。

しもやま さん (    ) 1999年 05月 17日 17時 34分 00秒

先日、KDX125SR(私はオフロード好き)に乗って伊豆へツーリングに行ったのですが、その途中箱根を回りました際に箱根登山鉄道を目撃しました(恥ずかしながら私は箱根登山鉄道を拝見するのは初めてです)。
箱根湯本駅から旧型の電車が急勾配を登っていく様をみて「おおっ!」と思わず碓氷峠とダブりました。なるほど私にもようやく代替案のイメージがわかりました。
いずれ乗ってまたご提案等できればと思います。

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 05月 17日 15時 57分 15秒
URL:ない

こんにちは、齋藤です。以下の文はかなり駄文ですが、あくまでも
私のたわごとと思って許してください。(ちょっと長いかも。。)

--------------------------------------------------------
まず、旧信越本線のうち横川―軽井沢の区間を松井田
町が購入するという話があります。松井田町が線路敷
を購入した後としたうえでの以後の鉄道導入方法につ
いて示してみます。

a)軌道バスを走らす
b)EF63で運転
c)箱根登山鉄道から車両を導入
d)南海電気鉄道から車両を導入
e)ラック鉄道の導入
f)蒸気機関車の導入
h)リニア地下鉄方式の導入
i)軌道モータカーを機関車としての運転

まずa)からですが、これはレールを持つものの、案内軌道としてのみ
利用し、走行はタイヤで行う新交通システムみたいなものです。

b)は昔どおりの方法ですが、せいぜいトロッコの推進(牽引?)くら
いとしたほうが、そんなに費用はかからないでしょう。それでも重量
がある車両なので、それ相応のことが必要??(やはり運転費用は
相当かさむ??????)

c)は以前にも言われていたことで、80パーミルを登攀できる車両
をもって簡易に峠を走行するものです。難点はゲージが違うことで
す。昔も言われていたことですが、台車を変更することが容易かは
調べてみないと分かりません。

d)は南海のズームカーを導入するというものです。南海高野線は50
パーミルの勾配がありそれを30km/sで走行できるための車両を
保持しています。その車両が導入できれば使用するというものです。
ただし、南海自体は車両を保持していなさそうです。大井川鉄道に
21001系が配転されていますので、借りる程度ならできるかも
知れませんが。。(その他2200系が高野線用だった:これも余っ
ているか不明:しかし本当のねらい目はこうや用の30000系では
ないでしょうかね。。もう15年たった)

e)観光目的でラック鉄道とするものです。レールを新たに敷設するの
で資金はそれなりに必要でしょう。ラックの構造もアプトと限らず、
いろいろな方式で検討するとよいでしょう。

f)蒸気機関車を走行させるにはラック鉄道化するしかないと思います
が、観光資源にはなります。しかし、トンネル区間が長いので、煙の
問題がありますが。。。。

h)かねて話があったと思われる、リニア地下鉄方式です。レール間に
リアクションプレートを敷設し、それをリニアモータで走行する(どっ
ちかというと勾配補助)ものです。60パーミルくらいではまったく
問題がないらしいです。しかし、新たにプレートを敷くので資金がか
かります。

i)碓氷の区間ではEF63に牽引されたもの以外の列車はないと思われま
すが、実は存在します。それが、軌道モータカーを推進元とした保守
車両の走行だったのですが、あまり大きくない列車(トロッコ??)
程度であれば、この方式がもっとも資金がかからないのではないでしょ
うか??

 どのような方式をとるにせよ、路線敷の購入以降の話です。ここで、
購入後の話をしておきますと、次の方式がよいと個人的には思ってい
ます。

 1)路線敷購入後、松井田町が横川―軽井沢の第1種鉄道事業免許を
   取得する
 (ただし運休の扱い。大船のドリームランドHSSTのような。。)
 2)次に保存鉄道運営団体が第2種鉄道事業免許と取得する。

 ここで町側が第1種なのは、直営を含みに入れているからです。それ
ともしなの鉄道のほうがよいのでしょうか?しかし、しなの鉄道から見
てみると、高崎延長には2つの手順があると認識しておかなければなら
ないでしょう。
  1、66.7パーミルの勾配を昇降できる車両を導入し、横川経由
    で高崎にいく。
  2、可変軌間台車の車両を導入し、安中榛名経由で高崎にいく。
はっきりいって現有の技術ではかならずしも、横川を経由する必要がない
と判断されかねません(軽井沢より西ではどちらでもいいはず)。した
がって、峠部分は相当に付加価値がないといけないような気がします。

 とりあえず、現在では軌道モータカー重連によるトロッコ(?)推進
方式で一旗あげてみるのがよいと思います。その後で南海高野線系の車両
の導入、最後は南海の2000系(最新のズームカー:ステンレス、VVVF)
なみ(というより南海との技術協力によりそのもの)の導入を計って高崎
から長野までの運転としたいです。

管理人 1999年 05月 16日 23時 20分 53秒

横軽の復活は夢ではありますが、横軽が世間から忘れ去られないよう、あせらず、ゆっくりと語り合うのがこのページの主旨であります。
堅い話だけでは長続きしませんので、碓氷峠鉄道文化村や横軽周辺の鉄道や自然に関する話題、鉄道に関する技術的話題等々碓氷線や鉄道に少しは関係する内容であれば是非ご投稿下さい。
 少しでも碓氷峠に世間の関心を惹きつけておくことが出来れば、いつの日か、鉄路復活も夢ではないと思います。気長に楽しみながらやっていきましょう。

鉄文234号 さん (    ) 1999年 05月 16日 22時 30分 35秒

鉄道ダイヤ情報6月号に碓氷峠鉄道文化村の記事が5ページくらいあります。ざんげ岩
からと思われる見開きページの見事な写真もあります。
また、通巻200号特集として全国の鉄道ミュージアムと全国保存車両のカタログの特集
がありますので、保存車両に関心のある鉄道ファンの人にお奨めです。是非ご覧になってみて下さい。


さくら さん (    ) 1999年 05月 16日 17時 55分 06秒

管理人様へお詫び。投稿の決まりを守って書いたつもりなのですが、抵触してるおそれがあると思いますので、私の投稿を削除してください。電子メールが何かしらの不都合で届かないので、この場をお借りした次第です。5月16日15次39分17秒が、それです。

さくら さん (    ) 1999年 05月 16日 15時 39分 17秒

 私は技術好きなんですが、残念ながら、本職ではありません。
 さて、近年普及してきた保守が容易なVVVFによる電動機を用いれば、全車両を電動車とすることは大して不利にはならないので、補助機関車なしで動力的には電車の急勾配運転が可能です。ただ、急勾配での車両群の荷重は大きく、この安全確保は容易ではありません。でも、箱根登山鉄道や大井川鉄道の例がありますから、それなりの編成が考えられるでしょう。
 ところで、先月、鉄道文化むらを見てきまして、横川駅4・5番線(営業運転不可)との間にレールが道路・駐車場に潜んでいますが、休園日に回送できる程度でして、信越線と鉄道文化むらとは、ほぼ断ち切られています。これを見て、横軽がより遠くへいった気がしました。
 次に、廃線は廃線でも架線なんですが、あと何年間あのままにしておくと、腐蝕して切れて落っこちて来たりして、惨状が予想されます。電化区間の廃線はあまり例がないだけに、百年を超える歴史を汚さないためにも、架線の対策が望まれます。

Wally@世田谷 さん (    ) 1999年 05月 16日 02時 12分 03秒
URL:http://www.ivt.org/home/wally/yokokaru/

 この掲示板では初めまして・・・東京のイチ会社員です。
横軽復活を考える掲示板にめぐり合えたこと、光栄に思います。
上記URLは、一応碓氷峠廃止直前のコトをまとめた個人サイトなんですが、
ひょっとすると移転をするかもしれません。
(ivt.orgサーバ運用仲間で横軽集積サイトを構築するかもしれないので・・・)

 さて、本題なんですが、
現状で碓氷峠から遠方に散在する、私を含めた復活を求める人間が何をしなければならないのか、
それを考えていきたいと思うんです。復活に持ちこむ策はいろいろとあるようですが、
お金のない人間にできることがあるか、そこから切り出せたら・・・と考えています。

 やはり、鉄道文化むらに人を送りこむことが第一歩なのでしょうか?
今後ともどもよろしくお願いします。

YMOの大ファン さん (    ) 1999年 05月 09日 15時 16分 10秒

ぼくは本州の西端の下関市に住んでいてあまり関係無い!と言いつつも一昨年行っちゃいました。廃止1ヶ月前で、人も多くちょっとヤバカッタけど撮りまくりました。         では、本題に入りましょう。レールが全て残っているのならいっそのこと軽井沢まで客レでも何でも運転しちゃえばいいんです。ただ、客レは1本しか運転できませんけど。
バスごときに400円(だっけ)はらうのは勿体ない。地元の人がいっぱいいるのにJRはなにを考えとるんだ? 
 

7M4CVA さん (    ) 1999年 04月 22日 11時 37分 32秒
URL:http://www.hamers.co.jp/webshop

僕は、東海大学アマチュア無線研究会JL1ZAMの部長です。
神奈川県のHayamaから同県の湘南校舎へ通ってます。
お名前が個人コールで、430のHANDY機を使用してます。
大学へ入った2年前から始めました。
部員は3人で、男の子ばっかりです。
無線やっている方いましたら宜しく。
もっと昔から鉄道旅行が趣味で、碓氷峠何度か行きました。
高2の夏に青春18きっぷで行った時の思い出話があります。
日帰りの1人旅ばかりですが、
他の旅行者(特に女性)との出会いが課題です。
この時も、信越経由で新潟方面へ向かう
6人の美女が同じ列車(高崎線から)に。
僕って、大人っぽい美女に可愛がられるのが好み。
会話仲間に入ったが、頼んでほっぺた触ってもらったの。
手があったかくて、気持ち良かった。
今でも、この思い出は忘れないね。
二十歳になったけど、精神年齢はまだ半分もないから。
こんな人が部長で、問題だけど。
廃止されたしまったのは、残念である。
「特急あさま」はともかく、普通列車残しておくべきだったと思う。
うちから近い東海道本線は、新幹線並行してるけど
在来線の特急も沢山あるでしょう。急行格上げの「東海」だってあるし。
それに普通も運転本数多いから、
青春18では最低1回はいつもShizuoka方面に行ってます。
出会いの面では、一緒に記念写真撮ったり。
撮った写真は実験結果として本学の教員に見せるけど、親には内緒。
現在では、無線機必携です。交信相手も男ばっかりだけど、
旅行の楽しさを紹介するのに使えるから。
当研究会も、部員の都合で廃止が予定されています。
部長、副部長、会計の3役員が揃ってサークルとして成立。
会計の者が新聞奨学生で配達忙しく、役員任務に専念できないとか。
という事で、横軽同様にもうすぐ廃止に。無線活動は、個人でやるのみ。
非常通信ボランティア等やりますからね。他に鉄道研究会あるから、
そっちに入部するかな。名前合併して、「列車無線研究会」とか。
投稿者の皆様、当研究会廃止後の応援を宜しくお願い致します。
この前に行った、Yokohama市内の無線屋さんのPageにリンクします。
僕は、URLないんです。いつもリンクばかりする若造です。





ふるこし さん (    ) 1999年 04月 19日 10時 35分 28秒

まずは、管理者様。
先日はアドレス無し書き込みで失礼しました。それでも、掲示を残していただいて恐縮です。

さて、いよいよ文化むらも開園し、碓氷の歴史に新しいページが加わりました。
今後は文化むらの発展共々、碓氷をいかに残していくかついて、改めて考えていく必要があると思います。

そのなかで、横軽間の復活を含めて色々とアイディアを出していく必要があると思います。

幸い、文化むらの準公式HPにもこのような議論も可能な掲示板もあることですので、この
機会に活発に意見交換していきましょう。

では。

隠れ鉄オヤジ さん (    ) 1999年 04月 15日 23時 58分 17秒

信越線のSL運行の試運転が平日に行われております。松井田周辺では、早くもカメラマン達の「そこどけエー」騒ぎが始まっております。
当日は、相当の混雑が予想されますので、線路近くでの撮影より、少し離れて、RM誌170号「名峰へのプロローグ」にあるように、
松井田バイパスの上の方から、妙義山をバックに煙を曳くSLを望遠で狙うのがお奨めです。

管理人 1999年 04月 06日 18時 25分 36秒

eメールアドレスのない書き込みは原則として削除させていただきます。

隠れ鉄オヤジ さん (   ) 1999年 03月 22日 23時 46分 00秒

『碓氷峠鉄道文化村関連の臨時列車、SL、EL碓氷号のお知らせ。』

4月18日  EL&SL碓氷号 上野発7:57 横川着11:08
4月18日  EF55碓氷号  熊谷発7:40 横川着10:00

4月24日  SL碓氷号    高崎発9:20 横川着10:30
4月25日  SL碓氷号    高崎発9:20 横川着10:30

6月 6日  EF55碓氷号  熊谷発7:40 横川着10:00
6月13日  EF55碓氷号  熊谷発7:40 横川着10:00

撮影地ガイド
松井田町の碓氷川鉄橋付近の通過時間(予測);
4月18日  EL&SL碓氷号  10:50頃
4月18日  EF55碓氷号    9:40頃

4月24日  SL碓氷号     10:05頃
4月25日  SL碓氷号     10:05頃

6月 6日  EF55碓氷号    9:40頃
6月13日  EF55碓氷号    9:40頃

復活とは直接関係のない話題ですが、人々の関心が信越線に集まるのは良いことだと思います。

ふるこし さん 1999年 03月 15日 13時 19分 43秒

こんにちは。私もこちらではご無沙汰してます。

旅行雑誌「旅」の最新号の廃線跡巡り企画中、横軽が取り上げられてましたが、その文中で、
横軽間のJRバスの利用者数は、’97年10月〜’98年11月の間で約12万6千人に
だったとの記述がありました。単純に割り戻すと、しもやまさんの記事の試算ベースの一日
平均乗客数とほぼ近い数字になりました。

とりあえず、ご参考まで。

しもやま さん (    ) 1999年 03月 13日 16時 31分 08秒

こんにちは。少しご無沙汰です。碓氷峠鉄道文化むらオープンまであと一月程ですね。

さて、広報まついだ第465号で既に掲載されたことのある内容ですが、平成7年2月27日の群馬県議会で群馬県が横川−軽井沢間の代替鉄道事業の成立可能性調査結果を公表したのですが、当時の報告では碓氷峠の鉄道事業を始めるには初期資金に110億円必要で、運賃500円、乗客数一日平均350人としても年間4億円余りの赤字が生じるとのことでした。

本件につきましてその後群馬県企画部交通政策課の応対を試みたのですが、残念ながら上記報告書は横川・軽井沢代替輸送協議会の内部資料であり外部には一切公表しておりませんとの結論です。

私のようなパンピーにはどうもここから先は進めないようです。う−−−む(-o-)。

障子貴洋 さん 1999年 03月 09日 03時 24分 44秒

はじめまして、私1989年から碓氷に通い出した一人のファンです。
碓氷には四季を通じ本当に良く通いました。
さて、来る4月18日にロクサンが復活しますがやはり足を運ばなければと思います。
軽井沢までの完全復活じゃないとか、たいした事ないんだろとか、金取るんだろとか、
そんな理由で軽視しないでほしいです。ラストのあの人出、熱気は何だったのでしょう。
あの人の数が一致団結すればかなりの事が可能だと思います。
隠れ鉄オヤジさんの言っていることは大賛成です。幸い碓氷峠は釜飯のおかげもあり他の鉄道
に比べ鉄道に興味の無い一般の人々にも広く知れ渡っています。この事を考えても署名が
集まるのはそんなに難しい問題ではない、と考えるのは安易な考えでしょうか。
一般の人々に横川へ足を運んでもらうためにも、今一度私たちファンが熱くなることが必要
な気がします。私はバイトの休みな4月19日に行きたいと思いますので、それらしい人が
ウロウロしていたら声をかけてもらえると嬉しいです。

武宗皇帝(海山:ハイシャン) さん (    ) 1999年 02月 27日 23時 59分 48秒

松井田町が路線跡を買い取った後、どう列車を走らせるかという
話がありますが、現状以下のものが言われているようです。

1.箱根登山鉄道の中古
2.EF63

1にしても、ゲージが異なるため、車両の改造が必要うんぬんと
かで、いろいろ言われていたようです。2のほうは一部では人気
ですが、重量を考えると困難だといわれているようです。この区
間の勾配は世界からみるとゆるいほうですが、やはりかなりの勾
配とみえ、モータカーでEF63を押し上げたときもスリップした
とかいう話です。こういうわけで、どのようなものを走らせるか
はよく考えなければならないと思っています。

 私自身は、ラック鉄道がよいかと思っています。といっても、
昔あったアプト式ではなく、また、他に外国で使われている方式
でもない、日本で開発された方式を使ったらどうかと思っていま
す。これは富士山ろくで用いられている、富士HEARTシステ
ムというものです。ラックレールは特殊でリッゲンバッハ式の
ラックレールを横置きしたようなものです。開発者の言によると
横置きはカーブが切りやすいのと、枯葉が溜まらないとのことで
採用したそうです(旅 1998年2月号に出ています)。横置
きにするとポイントができなくなりますが、横スライドすること
で進路を切り替えます。ラックレールの構造もアプト式とかに比
べるとかなり簡便だと思います。動力についても、ここではラッ
クの歯車だけで動いています。そんなにパワーはいらない??
(そのかわり時速3Km)このシステム本当は超急勾配向けなん
ですが碓氷で使用してもよいと思います。皆さんはどう思われま
すか?

関連資料  旅 1998年2月号  JTB
      知られざる鉄道     JTB
      トワイライトゾーンマニュアル5 ネコパブリッシング

隠れ鉄オヤジ さん (    ) 1999年 02月 27日 09時 36分 45秒

『碓氷峠鉄道文化村に署名簿設置の提案』

4月18日にオープンする碓氷峠鉄道文化村に「碓氷峠に鉄道復活を求める」署名簿を設置したらよいかと思います。

鉄道文化村の入場者数は、松井田町議会だよりの記事によれば年間、約10万人を見込んでいるとのこと。

NPOで碓氷峠に保存鉄道の運行が一時的に出来たとしても、最終的に目指すものは鉄道事業としての復活です。そのためには数多くの署名を集めて、鉄道復活の要求がいかに多いかを世間に認識させ政治を動かすことが必要ではないでしょうか。政治を動かすためには票の数が示唆される署名集めも効果あるのではないでしょうか。

因みに、集まった署名数の例としては、
2月26日に前橋地裁で門前払いの判決が出た信越線裁判をやっていたグループの「横軽間の運行再開を求める」署名が98年末までで、約1万人分だそうです。
分野は違いますが、「諫早湾干拓事業見直し」では30万人以上の署名が集まりました。この数が、その後の、藤前干潟の保全を環境庁が判断するうえで何らかのかたちで効いたものと考えられます。

鉄道文化村とくつろぎの郷に署名簿を設置して来訪者に署名していただけば、3年計画ぐらいで諫早湾と同等以上の署名数が見込めるのではないでしょうか。
この案についてのご意見をお聞かせ下さい。

高崎住民 さん (   ) 1999年 02月 20日 11時 32分 51秒

横川では文化村のオープンに向けて、順調に工事が進んでいるとか。丸山の下り線に「あさま」が据えられたとのこと。思い出に浸るにはもってこいとは思いますが、「峠の交通問題」は何ら解決しないようです。隠れ鉄オヤジさんがおっしゃるように「環境問題」のさらなる顕在化によって鉄道が見直される日はそう遠くありません。ただ残念ながら、自動車王国・群馬県の行政、県民意識では、鉄道を重視することにならず、依然として「道路建設」が重要とされています。
ヨーロッパにおける路面電車の復活も、この流れにありますが、日本でヨーロッパ並みの意識に達するには20-30年は要するようです。
碓氷峠の廃線をこのような議論を始める契機と捉え、復活に向けた議論をしたいものです。碓氷峠の鉄路の必要性、これをどう考えるのか。真剣で、建設的な議論が必要と思っております。
明日から飛騨高山へ出かけますが、信越線が廃止されているので、越後湯沢経由を無理やり選ばされました。

隠れ鉄オヤジ さん (   ) 1999年 02月 16日 23時 11分 18秒

2月16日付け読売新聞「家庭と暮らし」面に、「路面電車カムバック」という記事がありました。以下に記事の一部を紹介。

 車に押されてほとんど姿を消した路面電車が、再び脚光を浴び始めた。交通渋滞や大気汚染を解決し、高齢者などにも乗りやすい点が、21世杷の移動手段にふさわしいと見直されている。地域の新しい交通手段にと、各地で誘致運動も盛んだ。
      中略
 路面電車が見直されてきた背景には、車中心の交通体系が生み出した、慢性的な渋滞
や大気汚染などへの反省がある。一橋大教授(環境政策論)寺西俊一氏の話「路面電
車も含めた交通体系の見直しは、環境問題が切実な今日では世界的な流れだと言える。」


・・・・碓氷峠の廃線も環境問題により見直される日が必ず来るものと信じます。

武宗皇帝(海山) さん (     ) 1999年 02月 09日 21時 20分 34秒

下の峠の猿 さん の書き込みを見て思ったのですが、群馬県の六合村では長野原線(現吾妻線)
の長野原−大子の廃止区間を長野原町分を含めて買い取っているらしいんです。長野原町に所
属する部分の管理が面倒との記述も??

峠の猿 さん (    ) 1999年 02月 09日 14時 52分 13秒

矢ケ崎の件、
自治体が地主になるだけで自治権や自治の境界が変わることはないと思いますが
どうでしょう?
松井田町が軽井沢町に(長野県に?)固定資産税払うのかなー?

ふるこし さん (    ) 1999年 02月 05日 17時 24分 50秒

こちらでは、お初になります。今後ともよろしくお願いします。

復活に関して、話題に上っていない話で心配な点。
電化路線とする場合、給電等電気関係(変電設備とか)って結構金がかかると思うのですが、
その辺コスト面で大丈夫なのでしょうか?知見がないのでよくわからないので、どなたかご教示
頂けると幸いです。

しもやま さん (     ) 1999年 02月 05日 12時 42分 59秒

矢ヶ崎の土地を松井田町が購入すると、矢ヶ崎の一部が群馬県になる???
この辺って実際どうなるんでしょうね^^;)。

しもやま さん (      ) 1999年 02月 04日 22時 59分 04秒

どうもカキコ遅くなりました。BBS開設おめでとうございます(^ . ^)/。
「碓氷線復活物語」のタイトルにはやはり引かれるのと、ここなら復活話題をもう一歩つっこんで話せるのかなって、本BBSの今後のご活躍に期待している次第です。
さて、復活にあたっては土地の購入もさることながら、営業運転を行うには次に路線免許が必要ですよね。おそらく運輸省との交渉となるのでしょうが、NPOとして路線免許を取得するのは地方自治体バックの3セクに比べ難しいのでしょうか。また急勾配碓氷峠の場合収支もさることながら安全面が懸念されまして、こないだ某ニュース番組でエアドゥの東京−札幌就航までの苦労話がありましたよね。安全性の確保と収支がポイントといったところでしょうか。
また、横川の郵便局の踏切ってネックかもしれませんね。碓氷峠鉄道文化むらの運転体験が構内にとどまったのは構内運転と路線免許の境目がここにあるのではと想像しているのですが。
今後このあたりを皆さんと話し合えれば幸いです。どうも長々と書きまして申し訳ございません。なんせ今までなかなか口に出せなかった話題なもんで・・・。
それでは今後とも宜しくお願いいたします。

speedover さん (     ) 1999年 02月 04日 16時 56分 20秒

横川軽井沢間の線路敷きを松井田町がJRから購入する件は、内定しています。JRがある程度の金額以上の財産を処分する場合、大蔵省の認可必要です。これが大変時間がかかります。最低でも6ヶ月はかかるそうです。このため、売買の約束はできていますが、大分先になるようです。間違いなく、購入するそうです。

丸茂喜高 さん (     ) 1999年 02月 03日 20時 24分 47秒
URL:http://www.tuat.ac.jp/~nagaimu/marumo/souken/

この度はBBSご開設誠におめでとうございます。
碓氷線復活に関して自分が寄与できるとは到底思えませんが峠の猿さんが仰られたように
1%でも可能性がある限り、復活に向けて頑張っていきましょう!!
今後の碓氷NPO情報ネットワークBBSのご発展をお祈り申し上げます。

隠れ鉄オヤジ さん (    ) 1999年 02月 03日 18時 43分 31秒

松井田町が線路敷地を購入する時期は、いつ頃になるのでしょうか。軽井沢町の矢ヶ崎あたりの線路も含めて松井田町が買い取るのでしょうか。ご存じの方、教えて下さい。また、軽井沢の人の見解もお聞かせ願いたいものです。


高崎住民 さん (    ) 1999年 02月 03日 15時 19分 11秒

「碓氷NPO情報ネットワーク」の開設、関係者の方々、ご苦労様でございます。
碓氷線廃線から1年と半年になろうとしていますが、横川駅周辺は大きな変貌を遂げつつあるようです。けれども、はずされたレールはまたつなげばおしまいですから、横川構内の工事はそう気にする必要はないことでしょう。
松井田町が廃線跡を完全に購入したら、「NPO」設立に向けた準備をしたいものですね。復活は可能と信じて、頑張りたいですね。隠れ鉄オヤジさんからの情報にある岡山県棚原町の「動態保存鉄道」は、碓氷線復活に示唆的です。
ツアーを組んで、見学に出かけますかね?


峠の猿 さん (    ) 1999年 02月 01日 12時 35分 41秒

BBS開設おめでとうございます。微力ながら情報提供やカキコでお役にたてれば
幸いです。片上鉄道のような例もあります、上松の森林鉄道もしかり
可能性は1%でもあればそこからスタートすればいいと思います。
がんばりましょう!!

隠れ鉄オヤジ さん (     ) 1999年 01月 30日 10時 37分 31秒

横軽談話で浦和区さんから情報のありました鉄道ピクトリアル3月号の保存鉄道の記事の一部を紹介します。

「柵原ふれあい鉱山公園」
・ボランティア組織による片上鉄道の車両の動態保存が実現・    笹田昌宏氏記事

 平成3年に廃止となった同和鉱業片上鉄道の車両が,鉄道愛好家のボランティアにより,旧吉ヶ原駅構内に開設された「柵原ふれあい鉱山公園」で展示運転されることになった。ディーゼル機関車1両,ディーゼルカー3両,客車3両,無蓋貨車1両の計8両が走行可
能となっており,静態で展示されている車掌車と無蓋貨車まで含めれば,計11両もの車両が集められている,これらの車両は,整備から実際の運転までのすべてを,鉄道愛好家らで組織された「片上鉄道保存会」が担当しており,一部の車両については,会が所有し,柵原町に永久貸与するはどにまでなっている。
 廃止から7年が経過した今日になって,これはどの規模の動態保存がボランティアによりスタートできたのは,廃止直後から車両にシート掛けを行い,月に1回はシートを外してエンジンを掛けるという地道な活動が続けられてきた結果なのである。
 展示走行では,旧吉ヶ原駅構内から柵原方の旧本線上まで走行し,一般客の乗車も可能となっているなど,非常に魅力的な形での動態保存が実現している。
     中略
 鉄道愛好家のボランティアにより,鉄道車両を自ら所有し,それを整備して自ら走らせるという動態保存のスタイルを,1067mm軌問という大形車両でここまでやり抜くケースがついに日本でも現れた。もちろん 今回のケースでは,車両や線路を所有する柵原町をはじめ,関係者の理解と協力が得られたことが,展示運転にまでこぎ着けたことの大きな要因ではあったが,その最大の推進力となったのは,やはり会員らの精力的な活動であっ
たことに間違いはない。今後とも,会員らは同和鉱業片上鉄道の車両たちの息吹を後世に伝えるべく,払下げられた資料の整理・保存なども含めた活動を展開してゆくとのことである.
 各地には,貴重な鉄道車両を守るべくそれぞれ活動しているボランティア組織があるが,それらの組織間での相互交流はまだまだ少ない状況にある.そこで,今後こうした相互交流をより活性化してゆく目的で,各組織間を結ぶ全国レベルのネットワークの形成を準備しているところである。各組織で,お互いに持てるものを持ち寄り,日本での鉄道愛好家による鉄道車両の保存活動を,さらに深度化させてゆきたいと願っている。
 後略

安売王 さん (     ) 1999年 01月 30日 00時 23分 46秒

BBS開設おめでとうございます。
自由に、是々非々の立場で、鉄路復活のための知恵を出し合っていきたいものです。
決して現状に迎合せず、なおかつ柔軟な姿勢で。
本日は、とりあえずご挨拶まで。

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