清水是康
2002年 06月 23日 06時 09分 40秒 |
余談でお楽しみ下さい。
JR職員の友達に、「もしオレが盛岡八戸間の3セク鉄道会社の社長だったら、北斗星の通行料を1本50万円に設定するね。成田の着陸料よりは安いでしょ。」「もしオレが群馬県知事だったら、碓氷の廃線跡、あれはもう公共利用されていないんだから、ただちに宅地並み課税するね。君の会社は変電設備を持ち帰ったり、そういうイヤらしいことをするんだから。」って言ったら、笑いが引きつって固まってましたよ。
清水是康
2002年 06月 23日 04時 34分 30秒 |
20・21日で行ってきました、横川廃線跡。うーーん、あの距離を往復900円ですか、みんな乗るかなあ・・わざわざ歩きに来ている人もいるし、ちょっと厳しいような気もするけど、町が「自分たちでやる」というのなら仕方ないでしょう。私らが資金出すわけでもないし・・・
霧積温泉で聞いたら、信越線廃止前と後で、「宿泊者の増減はほとんどない」って言ってました。ということは、横川周辺の集客力は、文化村の登場によって廃止前よりアップしていると考えるべきで、これは観光開発。つまり守備的なイメージよりも攻撃的要素が強いな、と感じて帰ってきました。町の存続をかけて、とか、別に困ってやってるわけじゃなかったんですね。もうこれ以上私がとやかく言うこともありますまい。
翌日は早々に帰京して、JR職員の友達と飲んでました。「株を買ってくれー」って言われたから、「君の会社のやってることはおかしい。横暴にすぎる。横軽を元に戻せば買ってやる」と返しておきましたが、平社員が相手ではねえ・・・
Tetuoyaji
2002年 06月 21日 17時 22分 14秒 |
>広報まついだでも募集の告知が行われていたようです。
公報まついだの記事では選定委員の活動期間は7月〜10月となっておりました。
月1回の会合として、わずか4回の会議で集客の成否がかかる重要な案件の方向性が出せるものなのでしょうか。
あまりに短期間ということは、既に車両の殆どの仕様は、官主導で決まっていて、選定委員会は、色を選ぶくらいしか口出しできないのではないかと穿った見方もできます。
住民参加の立て前で人を集めて、蓋を開けてみると、官の敷いたレールの追認機関に過ぎないというケースが往々にして在ります。
本件については、そうならないように委員に選ばれた方々に頑張っていただきたいと思います。
しもやま ( )
2002年 06月 20日 15時 55分 59秒 URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/ |
こんにちは。
松井田町のトロッコ列車選定委員ですが、碓氷峠鉄道文化むらファンクラブ会員には
5/13日付けで募集の書簡が届いておりました。
広報まついだでも募集の告知が行われていたようです。
碓氷新線ですが、過去のファンンクラブ会報を紐解きますと、
モーターカーを利用した除草作業は行われている様子です。
(その際、新線跡のトンネルに立ち入っている人がいたという
あまりよろしくない報告もあるようですが。)
tsuka
2002年 06月 18日 21時 06分 23秒 |
とりあえず、部分復活めでたいですね。復活予定区間より先の(軽井沢までの)線路跡道床やトンネル、橋梁の最低限の保守はしていってもらいたいものです。いつの日にか、何らかの形で(鉄路に限らず)再利用できるように・・・。(今の状況では期待薄の様な気がしますが、悲観的すぎるかな!?)
これから
2002年 06月 14日 22時 35分 32秒 |
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020614-00000001-mai-l10
旧碓氷線にトロッコ列車 計画が進行−−松井田町、JRと交渉 /群馬
◇近く選定委設置−−04年4月の開通目指す
長野新幹線の開通に伴い廃止となったJR信越線横川―軽井沢駅間(通称碓氷線)の一部に、観光の目玉となる「トロッコ列車」を走らせる計画が、松井田町で進められている。同町は04年4月の開通を目指し、JR東日本と線路の譲渡交渉に入っているほか、近く町民らで組織する「トロッコ列車選定委員会」を設置、車両の外観などを検討する。運営の委託先は、「碓氷峠鉄道文化むら」を運営する財団法人「碓氷峠交流記念財団」の名が挙がっている。
同町などの構想によると、トロッコ列車は「碓氷峠鉄道文化むら」と、碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」間の約2キロの下り線に、2両編成120人乗りのエンジン車両を走らせる。運転はJRのOB職員が行い、同区間の両側にさくを設け運行する。
車両は冬場の運行に備え、屋根や窓はガラス張りにして見通しを良くし、1日に4〜6往復の予定。峠が急こう配のため、下りに使うブレーキはエンジン、空気、機械など4系統。往復料金は900円に設定し、同文化むら入場料とセット発売することで採算が取れ、黒字を見込めるという。
碓氷線の廃止(97年9月)前に県が第三セクター方式で鉄道の存続を検討したが、年間5億〜6億円の赤字が予想されて中止。その後、町は同線廃止の危機感から、横川地区の周辺整備事業で、観光客向けに「鉄道文化むら」を建設するなどして集客アップを図る一方、鉄路の活用法を探ってきた。
トロッコ列車の運行には、県道と交差する横川郵便局南側の踏切がネック。また県道を含んだままJRから譲渡を受けることができないため、県が線路の下に県道を通して立体化する方針。既に道路の測量調査を終え、今年度に民有地を買収し、来年度から道路工事に入る。
また、同選定委員会の委員は住民参加型を重視し、町広報誌で公募した町民5人と町職員5人、「鉄道文化むら」のファンクラブメンバー2人の計12人で構成。活動は7月からスタートし、10月ごろまでに峠のイメージにふさわしい車両の型や外観の色など検討する。【深谷徹夫】(毎日新聞)
碓氷峠大好き人間
2002年 06月 14日 21時 13分 57秒 |
やっぱり碓氷峠の復活は無理なのでしょうか。詳しいことを知っている方、最新情報らしきものを教えてください。現地に行きたいのですが行く機会が無くて・・・
碓氷峠大好き人間
2002年 06月 14日 21時 11分 15秒 |
碓氷線最後のEF63の組み合わせ、知ってる方教えてくれませんか?
とても知りたくて
tsuka
2002年 06月 10日 22時 14分 22秒 |
草津温泉等で宿泊、翌日に軽井沢を楽しむ人々(交通手段はクルマ)が多い点で、軽井沢町と草津町が協力するといった話があるのは知っています。(新聞で読みました)これを知って、「松井田町と軽井沢町は、横軽 については上手くいってないの?」と思って、先日書き込みしました。「軽井沢のクルマの渋滞緩和に横軽を利用」といった点について両町で検討された事はあるのでしょうか?両町の「温度差」が1番少ないテーマだと思うのですが。
清水是康
2002年 06月 10日 03時 39分 25秒 |
ウーンさん、レスありがとうございました。細かな情報が散りばめられており、とてもよくわかります。
私としては町を批判するというよりも、結果として出来上がったものが文化村園内鉄道の延長だったり、ナローに毛のはえたようなものでは、「碓氷線復活・・」というここの題名からしても、一体何人の人がうなづいてくれるのかな?って思っています。
それについて、もうそれが松井田町の決定事項であって、右にも左にも動かせないものなら、ここでみんなが議論しても始まらないことだと思うんです。
横川軽井沢間の3セク化試算では、どうやっても赤字で、だけど峠の湯までの観光鉄道なら黒字?っていうのにも、どうも疑問を抱いてしまうのです。もの珍しいうちは必ず客は来る、陳腐化してからどうするかということです。だから復活には本線機能の回復を掲げ、逆に新幹線の方を窮地に追い込むって試算が欲しかったのです。ご存じのように整備新幹線にまつわる廃止・3セク化が今後目白押しです。航空機と鉄道が闘った結果、地元の足にしわ寄せが来るのは厄介な話で、それには碓氷峠が全国に先駆けてお手本を示した方が良い。と思っているのですが、ウーンさんはこの件どうお考えですか?
情報収集については私も努力します。20日に1泊で現地を歩くことになっていますので、それは頑張ってきますが、1日2日ではどうしてもやりきれない部分が出ます。たとえば今回も役場までは廻りきらないでしょう。それはまた足を運べば良いことですが、各自がバラバラにそれをやるよりも、横軽関係の情報集積箱みたいなサイトは無いものでしょうか。
うーん
2002年 06月 09日 01時 14分 49秒 |
松井田町以外の自治体との連携ですが、とりわけ軽井沢がキーであるのは事実でしょう。
しかし、そこで理解しておくべきことが一つあります。
横軽廃止反対運動での松井田町と軽井沢町との温度差です。結論だけ言えば、政府による横軽
廃止決定以後も松井田町は陳情を継続しましたが、軽井沢をはじめ長野県側は(恐らく長野
オリンピックの準備もあったのでしょう)あっさりと廃止を受け入れてしまいました。
昔のことをいつまでも根にもつなと言われそうですが、横軽の大部分を町内に持つ松井田町側
からすれば・・・ということは残ると思います。
次に、鉄路復活の件。松井田町の内田町長と、軽井沢町の佐藤町長との会談で、鉄路復活の話題
が出て、地元紙に報道されたこともあります。しかし、その後、具体的な進展はありません。
松井田町は群馬県などと諮りながら鉄路復活の具体的準備を少しずつ進めています。
一方、長野県側は「しなの鉄道」の事実上経営破綻という事態で横軽復活どころの騒ぎではなく
(そのうえ数年後には長野以北に残る信越本線の3セク化が決定済です)、軽井沢町側も佐藤
町長の単発的な新聞談話以外には具体的な動きがないようです。最近の佐藤町長は、草軽復活
とか別の夢に興味を移したようにも見えます。
松井田町が軽井沢とうまく連携してという形は私も理想だとは思います。
しかし、軽井沢側の認識には松井田とは相当の差があるのが現実のようにも思います。
客観的にみて、松井田町に責を追求するのはいかがなものかと。
皆さん、現地の新聞報道や、町広報誌をもっと調査しませんか。それだけでもわかることが
多くあります。議論はそれからでも遅くないはずです。
管理人さんに提案ですが、重要情報が掲載されている町広報誌や新聞記事のナンバー・日付を
公表してはいかがでしょう。それがあれば、興味のある人は町図書館で調べることができます。
うーん
2002年 06月 09日 00時 48分 47秒 |
ここまでの議論を見ていて一つ気になったことが。
皆さん、復活の夢を語るのはいいのですが・・・。
群馬県や松井田町は、JRが横軽廃止を決定した後、3セクで横軽を維持できないか研究していま
す。そこでは各種調査、試算がなされており、結論だけ紹介すると維持のための初期費用が
100億円以上、新幹線開通後の横軽輸送需要予測の2倍の利用客が通年あったとして、料金
を2倍に値上げしても、年間4億円の赤字が発生するという試算になったそうです。試算の前提
は、小形電車による登山電車(製造後30年を経たEF63の維持、代替機新製は現実的ではない
という前提)。
その結果、横軽の鉄路存続について、群馬県が断念。松井田町もやむを得ず諦めたわけです。
このあたりの事情については、当時の松井田町広報誌で詳しく述べられているので、復活を
語ろうとする方は、まずご一読ください。
直流1500Vの問題ですが、廃止直後にJRが送電施設を全て撤去してしまっています。
上記試算での初期投資額の相当部分が電力関係施設の再建にある所以です。
JRから給電を受けられないとすれば、給電可能なのは東京電力ですが、東京電力は600V給電
しかできないそうです。(EF63動態保存が600V運転になったのと同じ事情)
町で発電所、変電所を建設するならば別ですけれども、そのための莫大な費用や許認可問題が
あります。
松井田町の情報発信・公開方法、民間の知恵の集め方などで改善の余地があるのは私も同感です
が、しかし、松井田町・群馬県は鉄路存続のために各種研究を続けてきて現在の形があるわけで
す。そういう経緯、実績を無視して、「独走」だとか「変な物」と言うのは好ましくないでしょう。
各種事情や情報については、松井田町広報誌バックナンバーを調べれば相当の部分がわかるはず
です。「有志」になろうという意気がある人は、まず自分で情報収集の努力をされてはいかがで
しょうか。鉄路存続についての地元でのこれまでの努力についてあまりにも無理解なままで
(さらにいえば電力施設などでの現地の状況についても無理解)、松井田町の「独走」批判
云々というような方向で復活論議が「暴走」すること。これは良くないと思います。
清水是康
2002年 06月 08日 06時 29分 17秒 |
tsukaさん、軽井沢には新幹線の駅があって停車する列車もほとんどですし、さほど不便がないとなれば文字通り、「軽い」かも知れませんね。碓氷線復活に期待して、応援してくれる人は多数いると思います。地元はwebなどを通じて、もう少し詳しい情報を流した方が良いのでは?
たとえばトロッコ列車なら町で全てやれる、とか、全線開通だとどういうところに問題があって、予算がいかほど足りないとか・・具体的な方策や数字もなしに、ただ復活復活とだけ騒いでいてもねえ・・
私が考えているのは単線で全線開通を目指し、ロクサンに回生装置を付加します。熊の平あたりに上下交換用の待避線をつくり、必ず横川と軽井沢から同時発車として、軽井沢から下る列車が作り出す電気を登る列車がその場で消費する、というものです。ケーブルカーのケーブルの理屈ですが、そうすれば変換ロス分の電気代だけで済みますよ。だけど直流1500Vの受給が難しいとの話もあるし、では何が理由で難しくなっているのか、詳細がわからないままなんです。
(交流2万なら受けられるのか、とか)
「松井田だけで細々とやるんだから放っておいてくれ」という話ならともかく、ここに集まってる人それぞれが知識の箱であり、鉄道技術・運営に未熟な町は、ちゃんと耳を傾けてきたか。町が率先してはいいけれど、独走して、どうも変な物が出来上がりそうで怖いです。有志全員を一堂に集めるか、若しくはもっと詳しい情報を!
鈴木晃 (ponsuzuki777@yahoo:co:jp)
2002年 06月 06日 21時 52分 14秒 |
こんにちは僕は、碓氷線がいつ廃止されたことは、今から2年前知りました僕は今から6年前にあさま号に乗ったときかされてびっくりしましたその時はまだあさまや白山、そよかぜとかも走ってたみたいですが、僕はまだ4歳でしたからその時のことはあまり覚えていません、だからぜんぜんあさまとかの写真などもありません、そしてついこないだ4月20、21と思い出のあさま号が運転される時刻表でみてすぐに横川に向かいましたその時は多くの鉄道ファンが来ていましたそのためうまく写真が取れませんでしたその帰り旧碓氷線横川ー軽井沢間をめがね橋まで歩いてきました、遠くに碓氷線新線の橋も見えました、橋や路線、トンネルなども残してるのなら復活すればいいなと思います、もう一度あさま、白山、EF63が走ってる時をみてみたいです。
tsuka
2002年 06月 02日 02時 21分 31秒 |
唐突ですが、軽井沢町と松井田町は上手くいっているのでしょうか?なんかお互いに、「そちらはそちらで頑張って下さい」といった感じに見えるのですが。
あの軽井沢の渋滞を考えた時、旧信越本線横川ー軽井沢間の軌道跡やトンネル、橋梁が遊んでいるのが非常にもったいないと思います。(パーク&ライドって、けっこう現実味があると思うんですが)
両町が協力しないと、横川ー軽井沢間は永久に繋がらないのでは?(皆さんご希望の廃止前状態での復活でも、観光路線での復活でも)
軽井沢町に上手く利用されてしまうのではなく、逆にあの賑わいを利用する意気込みでいったら
どうでしょー。(個人的には横軽を何らかの形態で復活、上信越道で来た人に松井田妙義ICで降りてもらい、交通手段をクルマから変えてもらうパーク&ライド方式がいいと思っています)
清水是康
2002年 05月 28日 11時 44分 48秒 |
地元で言ってる観光鉄道(のみ)というのには、ちょっと疑問を感じています。もちろん反対ではありませんが、以前鉄道ジャーナルに載ってた大井川鉄道の記事を読んでしまったからです。友達と大鉄に乗りに行ったときも、隣に乗ってたオバサンから「窓を閉めてくれ」と注文をつけられまして、せっかくのSL列車に乗って、「窓を閉める」とはどういうことか? 囲炉裏のある宿に泊まって、「囲炉裏は煙いからカセットコンロを持ってきてくれ」と注文をつけるようなもので、何もわかっちゃないんです。あれらは、バス旅行に付帯するオプションの一部として随行しているだけであって、鉄道の保存であるとか、歴史には全く関係のない連中だと言っていい。ちなみに何故バス旅行に行くのかというと、パッケージで1万円を切るなど、「安いから」というだけのもので、鉄道の存続を、このような連中に頼ってしまうのは実に不安です。横川でも、観光鉄道開業当初は賑わうでしょうが、大鉄の二の舞にはなって欲しくありません。貧相といっては頑張ってる大鉄に申し訳ないけど、信越線の横川軽井沢間は、千頭行とは根本から訳が違うのですよ。そうなってくると、やはり本線機能の回復を目指すべきで、それで採算ベースに乗るか否かをまず検討し、観光などはプラスアルファとして考えた方がよろしいんじゃないでしょうか。東海道線に新幹線と併走する在来特急が残っているのは幸いです。東海の利用者は、新幹線もあるけれど”わざわざ”東海を選んで乗っているわけです。それすなわち、新幹線ではカバーしきれない地域が存在するということです。小諸、松井田、安中といった地域は、東海道のそれよりももっと顕著にあらわれているでしょう。詳しくはマーケティングなどの調査を進めてみないとわかりませんが、私はこれで行けるのではないかと踏んでいます。来月金湯館に泊まって地元を歩き、独自に地元の声を集めてみようと思っています。
n.oda
2002年 05月 21日 22時 34分 40秒 |
皆様、初めまして。
自分も訳あって、年に10回程度、碓氷峠を自家用車や鉄道やバスを使って行き来する機会があるのですが、信越線を利用するにつけ、なんとか現状からの脱却をしてほしいと思うのは事実。(軽井沢の渋滞などは本当にウンザリします。特にバスを利用するときは、土日は時間通りに動かず・・・)
しかし、今、地方自治体で、一生懸命にこの碓氷峠を何とかしようとする人たちの熱意を感じずにはいられません。今は、我慢の時期ですが、いつかきっと復活してくれることに期待しつつ、応援しております。
2000系
2002年 05月 20日 12時 52分 45秒 |
昨日、約2年ぶりに横川を訪れました。今回はアプトの道を登り、初めてめがね橋の上を歩いてきました。帰り道は峠の湯で一風呂浴び、鉄道文化村を見学し、東京に戻りました。
昔は碓氷湖(現、坂本ダム)を望みながら行き来していたのですね。そして、めがね橋上方から横川側を見ると、すごい傾斜だなと思いました。
さて、観光列車運転についてですが、現予定では峠の湯まで運転されると思います。ただ、アプトの道のことを考えれば、めがね橋と熊の平にも駅を作って、熊の平まで運転できるようにするのがいいです。そこに軽井沢行きのバスを設定すれば、横川・軽井沢の双方から観光しやすくなると思います。
短絡的かもしれませんが、いい形での観光列車の運転ができることを待ち続けます。
清水是康 ( )
2002年 05月 19日 18時 05分 50秒 |
碓氷峠が無くなる時にはサンランドで63見ながらゴルフしてました。線路に入ってた人いたでしょう。63の激しい汽笛、下まで聞こえてましたよ。ここにはそういう人いないと思いますが、鉄道に迷惑かけて何が鉄道マニアか。と思ってました。さて、私はきのう初めて鉄道文化村へ行ってきて、久しぶりに横川の地を踏みました。(アレ以来です)そうして碓氷の関連HPを今まさに見ていたところで、復活などの声があがっているのは、誠に嬉しい限りであります。文化村の資料館にもありましたが、アプトの頃から勾配と闘ってきた鉄道を、トンネルの掘削技術で蔑ろにしてしまうのはちょっと違うんじゃないか。箱根・・というのも確かにありますが、こと信越線に関しては日本の大動脈であり、その大動脈をゆく旅の途中に横軽という名所が用意されていた。釜飯を含めて、鉄道マニアでなくとも心躍るシチュエーションだったのではないでしょうか。さらに63のシュミレータをやりながら、「この速度のどこが不服かな・・」とも思いました。新幹線が便利だという皆さんは、2時間半の旅が1時間になったことで、余った1時間半をどのように使っていらっしゃるのかしら・・・東京大阪のように、6時間が2時間半になったというのなら話はわかりますが、長野では距離が短すぎて、時間短縮に驚くほどのメリットがないでしょう。さらに、新幹線乗車率を気にするかのような本線の分断。東日本にも言いたいことは山ほどあります。(殴ってやりたいくらいです)私も、これから横川の町が軽井沢と結託して、横軽を観光資源、あるいはパークアンドライドの一端として復活を望みます。もちろんその暁には東京からの直通列車もアリアリですよね?まさか東日本さんが「ダメ」とは言わないでしょう・・
Klezワームにご注意
2002年 05月 14日 23時 39分 41秒 |
BBSに掲載されたアドレス宛にウイルスメールが送られて来るようですのでご注意下さい。
先週、立て続けにKlezワームのウイルスメールを2件受信しました。
1件は、ウイルス駆除ソフトを装う形式、
あと1件は、ゲームソフトを装う形式で、
添付ファイルなしで、メールをプレビューしただけで感染するタイプのワームです。
こちらでの被害はありませんでしたが、
添付ファイルもないのにデーター容量が150K前後あるメールにはご注意下さい。
7M4CVA
2002年 05月 12日 22時 00分 35秒 URL:http://www.aicohsha.co.jp/ |
復活して18きっぷ利用が可能になり、
18旅行ファンが復帰してほしいです。
碓氷峠大好き人間
2002年 05月 11日 18時 07分 05秒 |
いっぱい書き込もうよ
碓氷峠大好き人間
2002年 05月 11日 18時 03分 50秒 |
丸山まで復活させるなら、
登山鉄道通すなら、
復活させちゃったほうが・・・
観光鉄道による一部線路の復活ならさ・・・
お金がかかるかな・・ 今あるロクサン12両・・・107系は横軽対策してるみたいだし
信越本線横川・軽井沢間に列車が通っていたときに近い状態で復活させてほしいな
軽井沢観光客
2002年 05月 08日 23時 31分 26秒 URL:http://home.highway.ne.jp/sachiko/tsu/karuizaw/juutai.htm |
↑のURLにもあるように軽井沢の交通渋滞は全く困ったモノです。
碓氷でも御代田方面でも良いから早く対策を考えてもらいたいです。
管理人
2002年 05月 06日 22時 47分 35秒 URL:http://www.sam.hi-ho.ne.jp/~ef63/fukkatukousouhikaku.htm |
今野様
書き込みありがとうございます。
安中榛名駅周辺を生活の場とするのは、ご説明するまでもなく、ご覧になったとおりですのであまりお勧めできません。
大部分の新幹線が停車するのであれば、首都圏へのベッドタウンとしての可能性もいくらかは在ったかと思われますが、1日9本くらいしか停まらないのでは、周辺のゴルフ客以外に利用価値が殆どありません。
地元の安中の人も、東京へ行くときは、安中榛名駅など利用せずに、在来線でわざわざ高崎まで出て新幹線に乗っているのが実状です。
横川−軽井沢間の復活については、山形新幹線方式は理想形の一つではありますが、今となっては残念ながら変更不可能です。
現状は、上記URLにあるような状態で観光鉄道による一部線路の復活は見えて来ましたが、碓氷峠の完全復活については模索中です。
斉藤雅泰 ( )
2002年 05月 06日 22時 20分 18秒 |
どうもここに書き込むのは久しぶりなのですが。。。。
最近の状況を見てみますと観光鉄道方式で、丸山あたりまでの運転が考え
られているようです。
最終的には横川−軽井沢で運転をすべきなのですが、現在考えられている
ディーゼル運転ではとても無理でしょう。となると電気運転なのです
が、需要から想定される運転本数、急勾配といった特殊条件から判断する
と電気代がまかなえそうにありません。施設として電化設備を持つなら、
少ない運行本数では問題だと思います。
最近の新聞報道ではJR東にてハイブリッド方式のディーゼルカーを来年から
出すそうです。これだと、エンジンで発電してモータを回します。この方
式を使うと、急勾配の登坂も可能だと思います。また降りるときも一般的
ディーゼルカーではブレーキが不安ですが、新型ならバッテリーに回生さ
せることができますので、確実に止まれると思います。たしか電気運転時
代だと回生が保証できないので、発電ブレーキで熱にしていたのではない
ですか?むしろ、確実に負荷となってくれるバッテリーをもつハイブリッド
車のほうが、この峠区間ではメリットがあるのでは???
ハイブリッド車では軽油を使うので、まだ環境上問題ありと見ますが、いず
れは研究中の燃料電池になるでしょう。そうすれば環境にも影響は最小限
になります。
今野 貴光 ( )
2002年 05月 06日 13時 49分 39秒 |
埼玉県さいたま市在住の今野貴光(こんのたかみつ)と申します。
先月、母と2人で、安中榛名駅周辺に新しい住居を持つ可能性を探るために出かけました。まず、安中榛名駅に行き、窓口で駅前住宅地開発のちらしなどを入手しました。そして、磯部駅行きのバスに乗り、辺りを観察しましたが、むき出しの土が見えるばかりで、駅周辺の開発は、全く進んでいませんでした。しかも、駅から最も近い住宅地(秋間)までは、ずっと下りで、2kmほどありました。ここで、私たちは大いに失望することになりました。
磯部駅に着き、このあと、信越本線で横川駅に向かいました(さらにJRバスで軽井沢に行きました)が、車中で、母は、安中榛名駅建設とその周辺の開発計画の失敗、さらには長野新幹線の経路の選定の失敗について話し出し、在来線の近くを通したり、横川駅を通したりすれば良かったのではないかと話しました。さらに、横川−軽井沢間の復活はできないのかと話しました。
私は、碓氷峠の急勾配を避けて高速で走るために現在の経路になったのだろうと答えました。
すると母は、そんなに速く走る必要はないと言って、山形新幹線の急勾配について話しました(注:母は山形県天童市に長く暮らしていました)。
私は、横川−軽井沢間の復活は、民間基金の設立、沿線自治体からの財政支援、箱根登山鉄道から車両を購入、レールを3本敷くか、台車を交換して運転するのが現実的かなと答えました。
この会話のあと、長野新幹線の横川−軽井沢間のみ在来線規格で、それ以外を新幹線規格にすることも不可能ではなかったのかもしれないと考えました。
また、横川−軽井沢間復活についての、民間の基金については、全国の鉄道ファンや沿線企業(例えばおぎのや)からも出資が期待できると思います。
tsuka
2002年 05月 04日 09時 34分 39秒 |
鉄路じゃないですが、碓氷峠旧道のR18が土砂崩れの為に通行止めとなったままの様です。
碓氷バイパスが無料開放されたので、復旧に力が入っていないのでしょうか。このまま廃道なんてことにならなければいいのですが・・・。
アプト時代の中尾橋梁の映像をみると、橋梁の下をR18が二度くぐっています。その先にあるR18の中尾橋が今も残っています。木々や蔦で覆われてよくわかりませんが、以前その上立ったとき歴史を感じたのを覚えています。また、中尾橋梁からみて横川方のトンネル脇に今のR18がありますが、さらにその脇に(一段下がって)昔のR18が舗装もそのままに残っています。これも中尾橋梁の映像や写真に写っており、感じ入る物があります。(廃止後の碓氷新線を越えないとR18中尾橋に行けないのですが、当時は廃止後だから問題ないと思ってました。もう行かないつもりです)
この辺りは、アプト碓氷線ができる前の馬車鉄道時代の写真も残っており、その頃の中尾橋などが写っていたりして興味深いです。
続・ありがとう!峠の勇者たち
2002年 04月 26日 16時 01分 18秒 |
一番書きたかったことを書き忘れていました。長野、軽井沢などは新幹線の恩恵を受けていますが、横川は何の恩恵も受けていません!文化村が賑わっても、駅はそんなに賑わっていないはず。賑わうのは『あさま』復活のときぐらいでしょう。これじゃあ横川の人がかわいそうだ!鉄道の町としての誇りを取り戻すべく、横軽を復活させるべきです。
ありがとう!峠の勇者たち
2002年 04月 26日 15時 54分 14秒 |
4月21日、私は上野駅16番線で、古きよき昔を思い出していた…峠のかまめしを買い、63との連結を見に列車の最後部へ行き、カメラを構えたあの日…あれが、日本の鉄道の最高の姿で、日本の平和さを象徴していたのでは…(ちょっと言い過ぎ?)文化むらで、63たちに会いたい…そう思いながら、東京で暮らしている中学生の私。碓氷峠に63や189が帰ってくることを、丸山の撮影地が復活することを、『峠の釜飯』の立ち売りが復活することを、強く望みます。63が生き返るまでは、『快速 碓氷号』を189系で運転するとよいでしょう。
鉄道野郎!!
2002年 04月 19日 18時 21分 14秒 |
僕は、碓氷峠のEF63の勇士を見た事がありません、だから1日でも早くEF63やあさまの勇士の姿を見てみたいです、1日1往復でもいいからあさまを走らせて下さい。
しもやま ( )
2002年 04月 16日 12時 57分 37秒 URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/ |
今年も文化むらファンクラブの更新申請を行いました。
GWに旅行を計画しているのですが、宿を取るのが大変な一方で、
SL碓氷号、奥利根号は余裕で席が取れております。
この時期、本当は稼ぎどきなのでしょうが・・・。
大切なのは、一過性の感情にとらわれず
永年的に続けられるようにしていくことです。
是非SL運転も大切にしていきましょう。
信越線撮りテツ
2002年 04月 13日 18時 05分 01秒 |
特急あさまの復活は夢物語ですが、
レジャートレイン「懐かしの特急あさま号」が、
4/20、4/21の二日間、横川に来ます。
上野発 8:00 高崎発 10:10 横川着 10:38
詳細は、JR東日本 高崎支社のHPを見てください。
tsuka
2002年 04月 13日 02時 02分 39秒 |
年配の方など長時間の移動が無理な人達にとっては、新幹線ができた事により信州を訪れる事が身近になったのも事実だと思います。列車って色々な目的を持った人達が乗るんですよね。ビジネス客や、旅の途中の単なる移動手段としての客にとっては、在来線の碓氷峠は「やけに時間のかかる、しかも乗り心地が悪くなる区間(あさま号の時ね)」としてしか感じられなかったのです。(私も出張で在来線「あさま」を利用していた時には、正直に言って「この区間、どうにかならないかなあ」と思った事がありました。そのわりには、空気バネをパンクさせる時に、ホームの白線を車内の窓から注視して、車高が落ちるのを確認して楽しんでいたりもしましたが)
そして、そのような人達のほうがマジョリティだと私は思います。だから一般的に、各駅停車よりも準急、準急よりも急行、急行よりも特急、特急よりも新幹線と言う風に欲求がでて来た(来ている)わけです。長野新幹線は採算にあっていないようですが。
そのような人たちは、碓氷峠がもし廃止前の状態で復活して、直通長距離列車が運行されても利用しないと私は思うのです。そしてそれ以外(列車の旅をエンジョイできる)の人達だけをターゲットにした時、採算がとれるのかちょっと疑問です。で、関東から車で軽井沢を訪れる人をターゲットにしてパーク&ライドの一部に碓氷粘着新線跡を利用(舗装してバス専用道と言うのは案のひとつです)したらいいんじゃないかと考えて、ちょっと前に書き込みました。松井田で交通手段を変えてもらうことで、町にも経済効果が出るんじゃないかと。さらなる魅力ある町造りが必要ですが。
あさまくん
2002年 04月 12日 19時 56分 20秒 |
碓氷峠の鉄路、ぜったいふっかつしてほしい。特に特急あさま号は1日1往復だけでもいいから強く碓氷峠の復活を願っています。
藤村 建一郎
2002年 04月 12日 04時 16分 13秒 URL:www.riyosha.org/ |
皆様、おはようございます。藤村です。文字化けの箇所の内容は、いわゆる「EF63マニア」のような方々向けにも、また、鉄道の旅はやはり客車列車じゃなきゃ、という向きにも、行楽期に臨時客レというのもアリだと思うし、旧信越本線における貨物輸送もまた、アリじゃないかナという趣旨でした。文字化けの件、重ねてお詫び申し上げます。
実際、長野県のインフラとして、横軽は多大な貢献をしてきましたし、将来的にもその可能性は大きかったはずですよね。例えばしなの鉄道沿線で大規模な災害が起こったときに、ライフライン(和製英語なんですけどね)が国道18号と新幹線で、全てが迅速に復旧できるとは、僕にはとても思えないのです。長野県当局の危機管理の欠如ではないか、僕にはそう思えるんですよ。 それから、横軽廃止に対するJR東側の主だった見解として、機関車の付け替えだけのために、コストが輸送人員に対してかかりすぎるんだ、というお話を廃止前、機関区の方に伺いました.信越線の全列車がEF63を付けていたのだから、無理も無いことです。ちなみにこの付け替え作業、付けるのに約1万円、離すのにも一万円人件費だけでかかっていたそうで、最初から儲かる話ではなかったワケです。にもかかわらず、約半世紀以上、横軽が維持されてきたのは、まさに横軽が、インフラの根幹と位置付けられていたということに他ならないワケですよ。
(旅行者の視点から、分りきったことをあえていえば)旅には、様々な楽しみ方があります。僕も元来バイク少年でありまして、国道18号(旧道もバイパスも)かっ飛ばしてコケたり、これもイイ思い出なんですね。一方、JRの鈍行を乗り継いで、浮いたお金で釜飯弁当胚芽米弁当食べて、別所温泉大黒湯に浸かったり、高麗人参買いまくったり、スローな旅も、これまたイイんですよ。つまるところ、横軽の廃止は、人間生活の幸福追求権も狭められたことになってしまったと思うワケです。ですから、赤字幅が少なくなるか、カツカツなだけでも、横軽の存在意義は充分以上にあると僕は思います。このあたりの(地域経済への)コストパフォーマンスについて、お詳しい方Res.を頂けたら幸いです。
最後に長電や上田交通の、しなの鉄道乗り入れの件についてですが、歴史にあえて”If”をつけるならば、軽井沢発別所温泉行きや、湯田中温泉行きのロマンスカーがあったら、鉄道旅行の楽しみは更に広がっていたのではないかと思っていました。首都圏からJRを組み合わせたパッケージ切符なんかあれば、旅客も結構集まったと思います。木島線も活かされただろうし…大風呂敷を広げれば、八高線を全線電化すれば、池袋〜東飯能(短絡線計画復活)〜高崎〜軽井沢にE851牽引のパノラマ客レも、あったら絶対乗りますよ!でしょ?(これぞ西武軽井沢線…調子に乗りすぎたかナ)いずれにせよ、これからも皆さん、前向きな夢と現実的な討論を、熱くクールに、そしてユーモアも忘れずに、語っていきましょう!宜しくお願いします!
碓氷峠大好き人間
2002年 04月 11日 20時 41分 47秒 |
でも碓氷峠復活ならやっぱりロクサンがいいなあ・・・12両も残ってるんだし・・・普通列車、特急、今残ってる車両だけでも復活させてほしいですね・・・1日1本でも2本でもいいから
MM
2002年 04月 11日 18時 45分 33秒 |
碓氷峠にミニ新幹線を通す意味はなかったと思います。
山形・秋田新幹線は、時間短縮効果もさる事ながら、乗り換えなしで首都圏に直結してる事が一番効果が大きかったわけですから。
長野の場合は、元々、首都圏に乗り換えなしで行けたわけですし、新幹線がなかったら、EF63抜きで碓氷峠を越えられる特急車両を投入したでしょう。
仮に高崎長野間を標準規化したとしても、20分から30分程度の時間短縮効果しかなかったと思います。
train14 ( )
2002年 04月 11日 18時 18分 44秒 URL:http://www6.ocn.ne.jp/~train14/ |
藤村さん
その方式の問題点は特殊装備を持った特殊な車輛が大量に必要な点と思われます。
むしろ路線の方を115系やE127系がそのまま乗り入れられる方法を考えた方が
受け入れられる可能性が高いと思われます。
生井 翼
2002年 04月 11日 15時 32分 10秒 |
確かに碓氷峠もミニ新幹線方式で通そうと思わなかったのか不思議です。標準規の鉄道なら箱根登山鉄道のように80‰もの勾配を登ることができるのに66.7‰程度で廃止なんて馬鹿げてます。政治家はやはり金が欲しいのでしょうね。でも、オリンピックが終わったとたん超赤字らしいっすね。新幹線ぶっ通すより在来線の強化をして欲しいもんです。碓氷峠新幹線なんてのも見てみたかったです。Nゲージでやってみようかな。(基本的に長野新幹線は好きですけど・・・)
tsuka
2002年 04月 10日 23時 28分 15秒 |
藤村さんへ
楽しそうな案ですね。(そういえば昭和50年代に、補機なしで碓氷峠を通過できるスーパー電車計画なんてのもありましたね)でも、儲からないんじゃ・・・。あ、長野新幹線も儲かってないけど。
できてしまった以上、列車長距離客のほとんどが新幹線を利用しているし、もし藤村さんの案が実現しても状況は変わらないと思います、私は。(でもちょっと見てみたいかな?)
長野電鉄や上田交通と、しなの鉄道の乗り入れ件ですが、長野電鉄の長野駅での乗り入れは、電鉄長野駅が地下駅ですので不可能です。屋代駅では、国鉄時代に上野発着の急行が電鉄に乗り入れていた時期もありましたが(志賀高原のスキー客目当て)、今はありません。在来線の「あさま」は一部の列車が屋代駅に停車していたので、電鉄から乗り換えて「あさま」を利用していた人は乗り入れを希望しているかもしれませんね。でも私の知る範囲では、そういう利用者はあまりいませんでした。
上田交通は終点の上田駅で新幹線と(以前は在来「あさま」と)接続していますし、わざわざしなの鉄道と乗り入れ運転をする必要はないかと。ただし新幹線との接続が優先されていて、しなの鉄道との接続がイマイチなのは良くないと思います。(今では交通の上田駅は高架駅です)
地方の場合、乗り入れ運転というと、どうしても長距離列車との接続が目的となり、長野電鉄や上田交通の場合にはその需要や必要が無かった、という事ではないでしょうか。
なんか夢のない書き込みになってしまいました・・・。
管理人U
2002年 04月 10日 23時 27分 50秒 |
>藤村様
書き込みありがとうございます。
文字化けした部分につきましては、該当部分をメールでいただければメンテナンスいたします。
お手数をおかけしますが宜しくお願いいたします。
藤村 建一郎
2002年 04月 10日 08時 50分 43秒 URL:www.riyosha.org/ |
済みません、文字化けしてますね。でも首の凝りがひどくなってきたので、今回はこの辺で・・・書き込みの趣旨は判って頂けると思います・・・
藤村 建一郎 (申し訳ありませんが5月迄お待ちください。)
2002年 04月 10日 08時 40分 43秒 URL:http://www.riyosha.org/ |
皆様、初めまして。「全国鉄道利用者会議」の藤村と申します。ちょっとした、その場の思いつきなのですが、「碓氷線復活」のソリューションとして、どんな車両がいいかアイディアをひねってみました。
185系辺りを改造して、しなの鉄道に(軽)Tc+M'+Mc(横)三連のユニットを何本か投入し、長野〜前橋間を快速運転するというのは如何でしょうか(横軽間もしなの鉄道が運営)。このユニットは(パンタ無し)中間車のモーターをVVVF制御に、横川側の(霜取り対策二梃パンタ付き)Mcをリニア駆動(都営地下鉄大江戸線などの方式)にするという、いわばハイブリッド電車で、勿論、横軽間の軌間中央部にはリアクションプレートを敷きます。平坦部ではVVVF制御の中間車1Mで走ります。リアクションプレートは要らないでしょう。横軽間の急勾配ではMc車のリニアモーターの粘着性能がモノをいいます。M’車のモーターも遊ばせる手はありません。台車の空気バネの圧も抜かず、・・官薪勝廚鬚垢襯錺韻任后・灰好箸力辰呂劼箸泙困・い討・@⇒・静・砲楼汰干亮造如⊂茲蠖潅呂睥匹・・腟ぁ⊃肯咾覆票・慨超C紡个垢詆蕾戮睨悗斌気・・瀛・∩・良ヘ茲筺・坡擺セ領彁・匱嵶鷦屬留森圓皺椎修砲覆襪覆鼻・萓・嗣院・・B里砲箸辰討癲△靴覆療監察Γ複匆瀛・砲箸辰討癲・垢砲藁磴┐丕釘藤僑海剖・せ廚て・譴里△襯泪縫△諒・垢砲箸辰討睨・C里い・疎屬隼廚┐泙后」
一般的な旅行者にしても、在来線を通るとなれば妙高山の奇景や駅弁も楽しめますし、種車が185系なら、季節が良ければ窓を開け爽やかな風を受けることもできます。
これだけメリットがあるならば、長野新幹線(あえてこの名称を使います)やマイカー、バスから乗客をとりかえせるのではないかと夢想(の段階ですが)しています。しかしなにぶん僕は、車両の調達や、変電所・架線の再設置やリアクションプレートの敷設といった設備投資やその折衝、その後の保守も含めたランニングコスト、運賃・ダイヤの設定等に関しては全くド素人でありまして、その辺りでこの案を真剣に検討できない状態にあります。ただ、もうこの際、長野冬季オリンピックの後始末という意味でも、JR東日本、東京急行電鉄、西武鉄道や各社関連のゼネコンそして長野・群馬両県が沿線の活性化のため、一肌脱いでしなの鉄道に資本注入したらどうかという思いもあります。調整の難航は容易に想像できますが、最近はJR東、西武、東急ともさほど仲が悪いわけでもなさそうですし(今の時代ケンカしてたら共倒れ)、何とかなりそうなものですけどね!
長野電鉄や上田交通も、しなの鉄道に一部直通したら良かったと思うんですけど、今となっては後の祭り(=オリンピック)、どうしてみんなバラバラなのか、不思議で仕方ない。この件についてご存知の方のRes.をお願いして、この書き込みをとりあえず終わらせたいと思います。長い文章に付き合って頂き、皆様有り難うございました。(ホントに夜も眠れない!?=僕不眠症で実際通院しています)
代替輸送考えるべき ( )
2002年 04月 07日 21時 24分 59秒 URL:http://www.aicohsha.co.jp/ |
新幹線の信号や車両故障が多く、代替輸送として在来線があるべきです。
北海道の道路トンネル崩落事故でも、旧国道を復帰させた例ですから。
長野の山が好きな群馬県住民
2002年 04月 07日 15時 53分 05秒 |
「碓氷線復活のモデルケースが見えてきそうです。」
tsuka様のご意見のように、軽井沢へのパークアンドライドとしての位置づけが、採算のとれる事業としての(鉄路)復活の最も実現性のある方法だと思います。
軽井沢は四季を通して沢山の観光客で大変混雑しており、南側は慢性的な交通渋滞、北側の旧軽地区も駐車場が少なく車を置くのに苦労します。
碓氷峠を挟んで、パークアンドライドが出来れば、観光客にも軽井沢町にもメリットがあると思われます。
そのためには、松井田町の考えているようなトロッコ観光鉄道等という悠長なものとは、相反する要求になるかと思いますが、高速で峠を上り下りでき、そこそこの輸送能力のある交通機関でなければなりません。
後者の方が、地域住民の足としての(鉄路)復活の要求にも合致していると考えられます。
・地域住民の実利面から考えればtsuka様のご意見のように粘着運転線を走るバスのようなものであっても現状のバス輸送より遙かに良いわけですので鉄路に拘らなくても良いかもしれません。
・碓氷峠を鉄道のメッカと思う多くの鉄道ファンの心情としては、また、観光の呼び物の一つとするためには、ゴムタイヤのバスでなく、レールバスのような鉄道車両形態をイメージしたいところです。
・碓氷峠はトンネルも多いし、環境問題を考えれば、ディーゼルエンジンでなく、黒部のトロリーバスのような電気式か、先進的な燃料電池車の導入を考えていただきたいと思います。
以上のような、視点から碓氷峠復活を考えるとき、適した車両は、どのようなものが考えられるか、この辺のご意見をいろいろお聞きしたいと思います。
碓氷の鉄オヤジ
2002年 04月 06日 23時 04分 31秒 |
>碓氷峠の旧道R18の土砂崩れは復旧したのでしょうか。
国道18号の電光掲示板の表示では、まだ復旧していないようです。
工事に時間が掛かりすぎてるように思いますが、碓氷バイパスがあるので力を抜いてるような気がします。
つい先日は、碓氷バイパスも事故で上下線とも不通になりました。
この時は、高速道があったので助かりました。
鉄道も複数の並行路線が必要でしょう。
Nori ( )
2002年 04月 06日 21時 37分 56秒 |
鉄道文化村へ行って来ました。
横川駅の静態保存のEF63とあさまを見てきましたが、特にあさまの塗装の傷みはひどく、スクラップのようで見るに耐えない状況でした。
何処が展示して管理しているのか知りませんが、客寄せのモニュメントとして展示しているのであれば、再塗装くらいして整備しては如何なものでしょうか。