うーん 2002年 07月 13日 00時 10分 32秒

清水様
JRに対するお怒り、ごもっともです。ただ、整備新幹線に関して言えばJRが中心になって
推進したのではなく、政府与党・関係自治体や一部企業が拘り続けて、JRが結局は抵抗でき
ず(まぁ本気で抵抗する意志も力もなかったでしょうけれども)という図式ではないでしょうか。在来線経営分離を義務付けたのは、JR側が強く希望したということもありますが、
当時の大蔵省と運輸省との間でのかけひきもあったのでしょうね。当時の大蔵省は一時期、
整備新幹線に関して強硬に反対していましたから。

JRそのものの問題としては、やはりその出自・・・分割民営化の是非問題に行き着いてし
まうのかも知れません。

うーん 2002年 07月 13日 00時 01分 11秒

切符の件ですが、碓氷峠ゾーン全体の施設利用料コミコミ(もちろん鉄道含む)で
一定の期間内なら利用し放題とかいう方式もあり得るのでは?名づけて、usuiパス。
もちろん鉄道関係には興味なし組向けに、鉄道関係利用券なしの安いパスも発行するわけ。
ハイキング目的組には、駐車場料金+JRバスチケット+峠の湯利用セットとか。

こういうのは中途半端なものでは逆に割高感とか、強制感が出て駄目だと思うのです。
碓氷ゾーンの全施設利用がフリーになるぐらいのものでないとね。
さすれば人間不思議なもので、多分、意地でも鉄道に乗ると思う(笑)。

でそうするうちに時間間隔&金銭感覚が麻痺してきて、深夜まで現地うろうろした挙句、
グッズだの食事だので結構無駄遣いしてしまうという、TDL商法はいかが?(爆)
まぁ、碓氷の素材でそこまでお客に魔法をかけることが可能かどうかですけど。

しもやま 2002年 07月 12日 22時 53分 26秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

それから、前に「榛名山のロープウエイみたいな感じ」と書いたのですが、
良く考えてみると、熊ノ平からの帰りはほとんど空状態になりますね。
(往復切符という手が通用しない)
うーん難しい(-o-; 。

しもやま 2002年 07月 12日 22時 46分 00秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

なるほど。今のウチは文化むらと峠の湯だけの往復ですので
どちらかの入場料とペアというのは納得がいきますが、
熊ノ平までの開通となった時点でそうはいきませんね。
前のお話のあったように、熊ノ平から見晴台に至る道が復活した
暁には、中高年世代のハイキング目的の方は
文化むらに立ち寄ろうと考えたりしないでしょうね。

しかし、横川から坂本の区間が現在、文化むらとのセットで賄う状況で、
今度は坂本から熊ノ平までの資金をどうペイするか、
この区間だけ運賃値上げというのもいやですからね。
何か良い策はないものでしょうか。

清水是康 2002年 07月 12日 21時 22分 09秒

MMさん、それが連続にならないんですよー ハッハッ
>それで得られる収入は、碓氷線復活のための基金になっているはずですから。
トロッコの切符だけを単体で売ったのでは基金にならないのですか?
私は、そうやって両方とも敬遠されてしまうことを一番に懸念しています。
鉄道マニアはまあいいでしょう、5千円でも買うかも知れません。
でも、鉄道マニアだけを集めてずっとやりくりしてゆける自信があるのか。
私は、もっと広く一般に利用してもらえるシステムを呼びかけたいです。
それには文化村とトロッコ列車を切り離して考えるのが妥当だと思いましたが。

MM 2002年 07月 12日 21時 11分 45秒

済みません、連続カキコです。

清水是康様
>私は、トロッコの切符を文化村と抱き合わせで売るのには反対です。
私は賛成です。それで得られる収入は、碓氷線復活のための基金になっているはずですから。
本当にそう思いたいです。
そうでないなら、反対しますけど。(^^;

清水是康 2002年 07月 12日 21時 06分 43秒

もう怒ってません、ご安心ください。

新幹線の解釈についてです。
新幹線の運賃計算って平行在来の営業キロを使いますよね。たとえば東京から新大阪まで、新幹線の線路は515qしかないのに、乗客は552q分運賃を支払うわけです。何故かを調べると、国鉄時代、新幹線というのは在来線の増強、つまり、東海道新幹線が開通したのは、「東海道線の複々線化が完成した」という解釈だったらしいです。東北・上越もそうです。
ところが、平行在来がなくなってしまった長野新幹線の場合は、「複々線化」などと申し開けるわけがありませんよね。だから長野新幹線の運賃計算には運転キロがそのまま使われてます。長野新幹線の料金計算に しなの鉄道やJRバスのキロ程が使われていたならば「詐欺だ!」と、騒がれてしまいますもんね。
でも、私は思いますけど、東海道線の複々線分とは言っても、東海道線も今や東・東海・西に分かれているのですよ。違う会社がやってるんだから独自の料金体系があってしかり。さもなくば独禁法に触れるとか・・・どうなんでしょうね。

MM 2002年 07月 12日 21時 05分 19秒

JR東日本になら、私も文句?があります。
三連休パスなるトクトク切符。
おとな24000円で、中高生8000円って、差をつけすぎじゃない。

何時の日か、碓氷線が復活したら、通学する生徒のために、
横川・軽井沢間、大人1200円、中高生400円という具合にしてしまうのかもしれませんねぇ。(^^;

清水是康 2002年 07月 12日 20時 47分 38秒

整備新幹線の話、私も参加させていただきます!
扇大臣曰く「短期では赤字でも、長期的に黒字の見通しが立つ」。毎年の赤字積み立てっても黒字にならないことは小学生でも分かる話。「バカはお前はーー」って言って、私はテレビを蹴飛ばしていましたよ。

うーんさん!
>ある意味、JRも整備新幹線の被害者かも知れませんよ。
私もそう思いたいのですが、ここんとこ、湘南新宿ライナーなる電車を走らせたり、親方日の丸であったJRが本気で民鉄を駆逐し始めた。「JRも民鉄になったんだから・・」と言えば競争原理が働いているように聞こえるかも知れないが、そうじゃない。JRの持っている武器はその昔、「官」から授かった先天性のものであり、それを堂々行使して民鉄いじめとは・・・かくいう東急や小田急の方にも、つけ込まれるスキがあったことは確かだけれど、「私たちだって同じ民営企業なんだ」と胸を張りたいなら何故、おっつけられる赤字新幹線を拒まないのだ?
JRなんて政府直営の、ただの鉄道運営会社だ。弱きをくじき強きに媚び、なんのビジョンも持ってない。

もー熱くなってしまいましたっ!止まりへん。
鉄道雑誌各誌は、そんなになった鉄道会社を何故批判しないのだ!来る日も来る日も運営会社からの享受ばかりで、あなた方はその鉄道会社から餌をもらうペットなのか? あなた方は鉄道を一体なんと心得ているのか! 鉄道を愛する気持ちがないなら、発刊など直ちに辞めてしまいなさい。おそらくは「批判的な記事を書くと取材に協力してもらえなくなる」と言うんでしょうが、私たちは、あなたたちのプライドまでをかなぐり捨てた、そんな記事が読みたいんじゃない。取材に協力してもらえなくなったら、「これこれこういう理由で取材に協力してもらえませんでした。ご了承下さい」とまでキチンと書け。事実を世間に伝えることがマスコミの存在価値でしょうによ。勘違いしていい気になるなよ!

あー すっきりした。
まずい部分があったら管理人さんの判断で削除してください。

MM 2002年 07月 12日 20時 35分 15秒

うーん様
オールM車による自力登坂が実現しなかったのは、
安全性ではなくコストパフォーマンスの問題だったんですね。
納得しました。

しなの鉄道など、輸送人員だけなら第三セクター鉄道の中でもトップ・クラスなんですが、
それでも赤字なのは、まだまだ無駄が多いという事なんですよね。
地元に住む人間としては、何とかして欲しいです。
なんか、県民税市民税は、ここ数年、年収は変わってないのに、
なぜか増える傾向にありますし。(T_T)

しかし、北陸新幹線を含む整備5線を建設した場合、
20年後、30年後にどういう評価をされるのでしょうか。

うーん 2002年 07月 12日 20時 19分 34秒

碓氷線いついて「廃止止む無し」と書いたのは、JRや自治体の経営上の判断がそうだと
いう意味ですので、誤解しないでくださいネ。

うーん 2002年 07月 12日 20時 13分 30秒

MM様
オールM車で自力登坂という計画は実際にありましたよ。1980年代に碓氷線の経営改善
施策の一つとして、赤字の大きな原因であったEF63を不要とする案としてです。
技術的には可能という判断だったそうですが(安全性もOK)、実現しなかった理由は、
コストパフォーマンスですね。碓氷線通過のためだけにわざわざオールMとする是非です。
もちろん経営危機が顕在化していた当時に、そういう贅沢が許されるわけもなく。
(碓氷線だけ経営改善しても、他で赤字が増えれば意味ないですしね)

確かに新幹線は便利ですが、経営上からは整備新幹線は結局は在来線の置換になってしまうと
いうことが問題で。本来は輸送目的が全く異なる在来線が何故新幹線の交換条件になるのか
ということですね。JRからすれば経営上やむをえない(東海道新幹線とは条件が異なるので、
赤字在来線と新幹線の両方を新たに抱え込むと第二の国鉄化するのは必至ですからね)。
でどうしても在来線維持するとなれば自治体が3セクで抱え込まざるを得ないわけですね。
碓氷線のようにどうしようもない場所(経営上もですが、それよりもEF63維持などで
の特殊性が問題。恐らくJRでないと運営は不可能だったでしょう)は廃止止む無し。

3セクで引き継いだ路線は元々赤字なのに、ドル箱の特急全廃になるわけですから、JR時代
以上の大赤字必至。しかも、いずれはJRに巨額の施設譲渡料を払わねばならない。
しかも、一方で新幹線建設費の半分を国と自治体が負担、新幹線の駅前整備はもち自治体
負担。この金、ゼーンブ、ワシ達が子々孫々に渡って負担しなければならないんですな(笑)。
で、こんな大きな犠牲払って見合うだけのメリットが、北陸新幹線にはたしてあるのかと
いうことですね。
また、都会−田舎間での交通手段が便利になると、逆に都会への集中が進行し田舎が寂れる
なんてのは、既に長野県内でも露呈している現象ですよね。

これが外国の話で、将来の負担や日常の不便や地域過疎化なんか全く心配することなく、
単に旅行者として乗るというだけのことならば、確かに「特急あさま」よりは「新幹線あさま」
の方が便利は便利ですけどね。
まぁ、こういう難しいことは中沖富山県知事とか偉い人達に任せておいて(将来の負担は子供
達の世代にお願いすることとして)、ワシらは新幹線の便利をかみ締めながら車中で釜飯食べ
ていればいいんでしょうけど(っと味わってる暇がないって、笑)。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 12日 20時 05分 18秒

赤字額は10億円を突破
こっれはすごい
でも碓氷峠を復活させれば利用者が・・・

その時だけかなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うーん 2002年 07月 12日 19時 45分 42秒

碓氷峠大好き人間様

碓氷線の赤字については、しもやま様が書かれた通りです。赤字額は10億円を突破。(松井田町広報誌による)。

MM 2002年 07月 12日 19時 32分 38秒

色々言われていますけど、新幹線ってやっぱり便利なんですよね。
特急あさま時代は、年に一回乗るか乗らないかだったんですが、
新幹線あさまは、2ヶ月に一回は利用してますし。

そういえば、しなの鉄道で使われている115系電車でも、
オールM(モーター)編成なら、EF63を抜きでも碓氷峠を越えられると聞いたんですが、
それが本当なら、なんで廃止にしてしまったんでしょうね。
やはり、安全性の問題だったのでしょうか・・・。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 12日 19時 28分 28秒

機関車の電気代や保守代でウン億円と大赤字になっちゃうんだよね。
わかってくれたかなあー(^ ^)。
しもやま様はいはいこんな点がありましたね〜
うっかり忘れていました・・・・・・

う〜ん様
長野新幹線も赤字と聞きましたが碓氷線はもっと赤字なんですかぁ・・・・・・・
1日1本でも2本でもいいから走ってほしいなぁ
>EF63をつないでやっと登り降りできるんだけどお、
機関車の電気代や保守代でウン億円と大赤字になっちゃうんだよ
そうだよねえ・・・・・
どうにかならんかなあ・・・・・・・・・
しもやまさん >えーーーとお、碓氷峠はあ、坂が急すぎるから
普通の電車は登り降りできなくて下に落っこちちゃうんですよ。
ご丁寧にありがとうございました。
でも分かっていました・・・・・
でもご丁寧にありがとうございました。もし間違っていたときのために正しいことが分かります。
これからもよろしくお願いします


うーん 2002年 07月 12日 19時 22分 45秒

しもやま様
タイミングがずれて私も書いてしまいました(笑)。

うーん 2002年 07月 12日 19時 17分 02秒

ぶっちゃけた話、同じ新幹線を名乗っていても、東海道・山陽と、それ以外は目的も性格も
効果も大きく異なるんではないでしょうか。まして、整備新幹線などは、東海道・山陽とは
全く別次元のシロモノかも知れませんよ(笑)。

東海道・山陽線は、既に存在していた人口過密な大都市間を結び、わが国最大の工業地帯を
通過しているわけで、その建設目的は在来線では限界にきていた輸送力を補完するのが
第一であったのでしょう。東海道・山陽新幹線は在来線の線増という扱いであって、新幹線
通したから在来線を廃止するなどという考え(贅沢?)は必要なかったものと思われます。
これら線区の場合、確かに新幹線によって在来線特急は不要となりましたが、人口集中が
さらに進んだため在来線の近郊輸送の需要は増え、貨物輸送の需要も維持されることと
なっており、一方で東海道・山陽新幹線の経営も好調に推移していますよね。
また、距離などの面で他交通機関に対抗できる好条件が揃っており、登場が高度成長期と
重なったのも重要な点でしょう。

しかるに、整備新幹線・・・北陸新幹線はどうでしょうか?
東海道新幹線の補完とかいう不自然で無茶な前提にたてば大都市間を結ぶと強弁できますが、
(まぁ、米原接続という形に政治的に誘導されつつあるので、この前提は崩壊寸前です
けれども。ちなみに米原から東海道への乗り入れはしないという話です。つまり米原止まり)
実質は、東京−富山、米原−金沢と、都会−田舎あるいは田舎−田舎を結ぶだけです(笑)。
(米原から東京まで差額と時間を余計かけて北陸新幹線乗るなんてのは、鉄道ファンだけで
しょうね、笑)
要するに並行在来線の輸送力が飽和に達する恐れが全く無い地域を通過するということですね。
(そもそも新幹線による高速大量輸送の需要そのものがあるのか?笑)
しかも並行在来線の経営は赤字ときている。
(では整備新幹線は黒字になるのか?建設費や駅周辺整備費用を国や自治体に負担させた上で
も果たしてどうなのか?笑)

整備新幹線認可の条件が並行在来線のJRからの経営分離ということになった点、路線廃止
については1年間の予告期間をおけば沿線の合意を得なくても可能になった点、
どうしてそのような政府決定が為されたのか考えるべきでしょう。
要するに整備新幹線と在来線の共存は、経営的に不可能に近いということをJRも政府も
言っているということなのです。
では在来線と引き換えに莫大な建設費をつぎこんで整備新幹線に拘る理由は何か・・・。
碓氷峠大好き人間様の言葉を借りれば、謎だ・・・・・・・・・・・。
中沖富山県知事が言うように、「国家的プロジェクト」すなわちわが国の将来の交通体系整備
と地方発展のためなのか・・・・・・・・。

いずれにしても、新幹線を考える時には、東海道・山陽と、それ以外(特に整備新幹線)とは
分けて考えるのが妥当かと思いますよ。

誤解のないように書いておきますが、私は在来線(碓氷線)廃止に賛成するわけでは全く
ありません。整備新幹線と在来線経営分離を交換条件とする政府決定を支持するわけでも
ありません。言いたいのは、整備新幹線そのものが最初から無茶なのではないのかという
ことです。

・・・・

復活した場合、間の時間も当然歴史に含めるべきでしょうね。
JRで廃止された後の休止期間も歴史ですから。またこの間も松井田町では線路の除草などを
続けていますし復活へ向けての努力もしてきているわけですしね。

しもやま 2002年 07月 12日 18時 54分 09秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

まあまあ、皆さんお疲れでしょうから、ここは私がお話しましょう。
(でも次回はまた、違う方がバトンタッチしてくださいね)

えーーーとお、碓氷峠はあ、坂が急すぎるから
普通の電車は登り降りできなくて下に落っこちちゃうんですよ。
EF63をつないでやっと登り降りできるんだけどお、
機関車の電気代や保守代でウン億円と大赤字になっちゃうんだよね。
わかってくれたかなあー(^ ^)。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 12日 17時 59分 41秒

まあちょっと話しが違う気もしますが、現在東海道・山陽新幹線があります。が、が、が、
東海道線などの路線は今も運行しています。それといっしょで信越本線碓氷峠も運行してもいいのでは?
そうすれば新幹線で高崎あたりから急ぐ、直行(横川などに用事がない人)の人には便利。
高崎から横川、軽井沢に用事がある人は、あさま、か、普通列車を利用すればいい。

まあ僕の勝手な想像ですが・・・
でも、もし復活したら 104年の歴史の後はどうなる
1年からか、104年から5年ほどあいて105,106年と説明するか・・・
謎だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うーん 2002年 07月 12日 14時 59分 41秒

そうそう、先日、関係自治体トップらがフル規格での北陸新幹線全線着工を政府・与党に陳情
しに行ったそうですが、その場で中沖富山県知事は「整備新幹線は国家プロジェクトであるか
ら、国として最優先で取り組んで欲しい」と述べ、自民党首脳は理解を示したそうですよ。
(この件は、地元紙で読みました)

うーん 2002年 07月 12日 14時 52分 26秒

清水様
「アプトの道」の件、了解です(というか、必ず歩けというように理解した人いないと思い
ますよ。ウォーキングマニア?以外は、笑)
町として一番望ましい方向に自然と誘導するような工夫が必要でしょうね。
私見では、大きなポイントとなるのが、車・食べ物・土産物・混雑との関係かなと思います。
これらの利用方法と料金での工夫で、自然と鉄道利用&アプトの道&碓氷峠鉄道文化むら入場&
地元での無駄遣い(爆)を、お客が喜んで実行してしまうようなもの。
このあたり、TDLはまことに上手ですよね(ちとアザトイかなースレスレのところもあり
ますが、笑)。

整備新幹線による在来線存続問題ですが、要するに実質上の再国有化への道ではないかと
私は思います。整備新幹線の建設費の半分は国・自治体負担、3セク化在来線の経営も
自治体が中心(挙句、経営破綻すれば「しなの鉄道」のように線路施設を自治体が買い取って
運行を3セク会社にさせるという「上下分離」もやむなしとなるわけで)。
結局は、全部、ワシらの税金で贖う(国も自治体もほとんど借金で整備新幹線事業やるわけで
すから、その返済は国民・住民負担になります。敢えて乱暴な表現しますが)ことを意味して
ます。まぁ、再国有化というよりは、国民負担共有化とでも表現すべきでしょうけれども。
国鉄の分割民営化が一体何のためだったの?という疑問は当然出てきてしまいますね。
ただこの問題は、資本主義の原理とはちょっと異なるような気がします。まともな資本主義、
営利企業であれば、こんな事業を果たしてやるかどうか。ある意味、JRも整備新幹線の
被害者かも知れませんよ。

「整備新幹線+第3セクタでは、地方都市盛衰の二極分化が進み、かえって中央集権的になるんでは? 」
卓見だと思います。私も全く同感。自治体統合も下手すると、この流れに拍車かけるだけの
結果になるかも知れませんね。

清水是康 2002年 07月 12日 06時 25分 11秒

間違いのないよう確認しておきましょう。
私が「アプトの道を熊の平まで」と言ってるのは、来た人に必ず歩いてもらおうということではありませんで、上から下っても良し、下から登るも良し、あるいは電車をスポットで降りるも良し。ということです。マーケットを支配しようとせず、マーケット自身に選ばせるのが肝要と心得ております。言い換えますと、私は、トロッコの切符を文化村と抱き合わせで売るのには反対です。トロッコに乗るには文化村に入場しないといけない。これはマーケットを支配しようとする行為ではありませんか。マーケットは、自身が嫌ったところには絶対にお金を落とさない、実に気まぐれなものなのです。経済学者みたいなことを言ってしまいましたが、本日はこれにて。

清水是康 2002年 07月 12日 04時 11分 52秒

皆さんのお話を聞いていると、上下双方向とも、それなりの人の流れはあったみたいですね。(厳冬期に遠足はないでしょうけどね)サンランドのキャディーさんが言ってた安中の学校というのは、そんな背景があったんですか・・・ふーーん(現在スクールバスが軽井沢まで走ってるということは無いのでしょうか?)。ところで、部分開業か全線開通かという話、この場合は完全に「大は小を兼ねる」ということでよろしいんじゃないでしょうか。

名鉄の800系という連接でなくて単車になりますが、600/1500Vという複電圧方式を採っている電車があります。これなら平坦線の速度が遅いながらも小諸発安中行が実現できるはずなのですが、2軸ボギー×2のうち、内側2軸という変則的な動輪配置のため、勾配にはすこぶる弱そうです。

盛岡八戸間の3セク化も秒読み段階に入ってきました。時刻表の地図がまた手術の跡(私鉄線の記号)だらけになってしまいますね。私にはこの流れ、明治時代のように感ぜられてなりません。いわゆる官鉄と民鉄の時代ですね。そうこうしている内に、貨物を含めた総合的な交通体系が破壊されて、再度国が買収に乗り出し、新しい国鉄が誕生しないかな・・・って期待しております。国は「地方の時代」とかなんとか言ってますが、整備新幹線+第3セクタでは、地方都市盛衰の二極分化が進み、かえって中央集権的になるんでは? 赤字といっても銀行の不良債権に比べれば微々たるもんだから、全国的な交通ビジョンをもって国がやらなければ、資本主義の原理だけでは地方が虫食い状態になってしまうな。と感じております。

しもやま 2002年 07月 12日 01時 33分 09秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

長野の山が好きな群馬県住民様、
こんにちは。同じ位のタイミングでカキコでしたね。

そうですね。私も一昔前の321列車を始め、廃止前の長野行き鈍行まで
思えば席に座れたためしはありませんでした。

しもやま 2002年 07月 12日 01時 26分 13秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

前にカキコしました99年の実績では、35人のうち32人がバス利用者で、
3人が新幹線通学でした。

ところで、この掲示板のルール上、データの出所を明確化した方が
良いのでしょうか。
一応、元の元をたどりますと、信越線裁判の公式文書ということになります。

ではおやすみなさい。

長野の山が好きな群馬県住民 2002年 07月 12日 01時 20分 21秒

>しもやま様

>信越線があった当時の利用者は
>主に軽井沢側の住人に集中していたのではないでしょうか。

そうとも限りません。
長野方面に通学、通勤する人は、ご指摘のとおり殆ど居なかったと思いますが、長野行きの各停に乗る行楽客は多かったですよ。
週末の夜や、休日の朝には、山道具やハイキングの格好をした人が大勢乗ってましたよ。
また、昔の話ですが、群馬県内の幼稚園、小学校低学年の遠足、旅行の行き先は、峠を越えて小諸の懐古園が圧倒的に多かったですね。
小生も、幼稚園と小学校3年で2回も行きました。しかも1回目はアプトで・・・。

小諸なる古城のほとりも、今は寂れているでしょうねえ。




うーん 2002年 07月 11日 23時 04分 14秒

tsuka様
私の持っている本(浅間山から碓氷周辺のハイキングガイドみたいな本)にも似たようなこと
が書いてありました。
私が旧中山道を歩いてみたのは15年ちょい前の晩秋で、一部歩き難い場所はありましたが
一応無事下りることができました。(坂本宿を俯瞰する有名?な展望、今でも憶えてます)
晩秋だったので草ぼうぼうということはなかったですけど、熊の平へ下りる道はわかりません
でした(ろくに下調べもせずに歩いたせいでしょうね、笑)。

しもやま様
とすると安中のN学園はエリート校なんですね。その手のことには余り興味がなくて、今まで
知りませんでした(笑)。軽井沢から意外に多くの子供が通っているのも驚きました。
それらの子供の通学手段を調べてみなければなりませんね。松井田町の広報誌にそういう調査
が載っていたかも・・・。バックナンバーを調べてみます。

しもやま 2002年 07月 11日 21時 55分 26秒

すみません。03年の春卒業ですから、勝負は2003年度ですよね(合ってる?)。

しもやま 2002年 07月 11日 21時 51分 46秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

無事仲直りできて何よりです。

ところで、N学園のホームページに生徒の地域別状況一覧が載っておりました。
Q&Aのページです。これによると、2000年度の長野県からの通学者は
37名、2名増えているではないですか!

これはあくまで根拠のない私の推測と解釈して下さい。
N学園は、実は関西で有名なD志社大学の系列で、キリスト教系の学校なのです。
御存知の通り、軽井沢はもともと宣教師が開拓した経緯もあり、
住人の中にはクリスチャンがそこそこいるのではないのでしょうか。
熱心な信者なら、自分の子供をキリスト系の学校に入れたいというのは
ごく自然な発想。小諸地域に適当な学校がないのなら、峠を越えてまで
通うこともあるのではないのでしょうか。しかもD志社大へ推薦入学できる
可能性もあるわけで・・・。

N学園は中高一貫の6年制ですので、廃止前の97年当時に入学した生徒が
卒業するのは03年の春。次の2004年度の地域別状況が全て廃止後に
通い始めた生徒ということになります。

それにしても、2000年度の情報しかないとは、早く更新して欲しいものです。
最悪、来年度になったら朝の軽井沢駅で制服着ている生徒の数を数えるなんて
手もありますが・・・(^ ^)。

それでは。

tsuka 2002年 07月 11日 21時 51分 42秒

熊の平から軽井沢(見晴台)までの道ですが、熊の平が駅だった頃は佐久地方の小学校の遠足に使われていた人気コースだった様ですね。軽井沢駅から熊野神社、見晴台から紅葉の碓氷を楽しみながら下って、熊の平駅から列車に乗って帰ったとか。でも私の持っている資料では、「この道は今では草に覆われてしまっている」と、まるで廃道の様な記述ですが・・・。(その前に熊の平自体が今は立ち入り禁止ですけど)将来、横軽復活の際には、この道も復活して欲しいものです。

うーん 2002年 07月 11日 21時 09分 35秒

清水様
ウォーキング競争ですかぁ?ワシは完璧に負けますね(笑)。体力に応じてハンディつけま
せんか?釜飯を背負って、途中で食べて、かつ空容器も運ぶとか。力餅の早食いタイム付き
とか(爆)。あるいは、下りの競争なんてどです。ノーブレーキで人間チキンレース(爆)。

うーん 2002年 07月 11日 21時 05分 59秒

碓氷峠大好き人間様
いえ、こちらこそすこしセッカチすぎたかも知れません。
ちょっとすれ違いがあったということで、この件は解決といたしましょう。
これからもよろしくお願いします。

そうそう、組み合わせの件で謎めいたこと書きましたが、例えば2号機が単回で軽井沢まで
登ってそのまま軽井沢駅で留置され旧軽井沢駅舎記念館に保存されることになったとか、
23号機が調子の悪いまま検修庫内で事実上の休車状態になっていたため出番が無かったとか、
最終日中にペアが入替わったのがあるとか、いう話です。ちとマニアックな話ですけれども。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 11日 20時 49分 58秒

清水是康 様う〜ん様




うーんさんの言うとおりです。まずは自分で調べることです。漢字も文章も、僕はそうやって覚えましたよ。中学3年生のとき、読める漢字が同級生より圧倒的に多かった。なのに何故今こんななのか・・・(ホットケー!)
それにしても、最終日の組み合わせを知ってどうするの? どこかに静態保存されているかも知れないし、文化村で動いているのがそうかも知れないけど、そこへ行ったって、それ以上もそれ以下もないのですよ。それより、これから碓氷にどうやって鉄道を走らせるか。を考えようよ。
僕は車両や施設関係の技術が好きで、大好きさん分からないことがあればメールででもお答えしますよ。自分にも分からないことがあるから、その時は私の総力を結集してお調べしますけども、鉄道の神様みたいな大先輩に、「最後の63の組み合わせは?」って聞けないからね。よろしく頼みますよ! そんな知識より、バカの一つ覚えでも踏面勾配 知ってる方が奥が深いんだ! そういうマニアになろうぜ。

--------------------------------------------------------------------------------




最終日ダイヤの掲載サイト、まだ生きていました。
yahooで、 碓氷峠 最終日 のキーワードで検索すれば上位に出てきます。
(知り合いの方のサイトではないので、直接URLを記載するのは控えさせていただきます)




碓氷峠大好き人間さん
前回はご不快な点をお与えしたようで、お詫びの意味をこめてと言ってはなんですが(笑)。
(ここは、何人かの方のご忠告にも従って年長者が折れることにいたしましょう)

最終日のコンビについてはここで細かく書くのはどうかなとも(量的にも多いので)
思うので、「Rail Magazine」171号の特集記事を見てください。この号は、鉄道雑誌専門
店や古書店で入手できると思います。
あと、この件の情報を記載しているサイトもあったはずなので、碓氷峠あたりをキーワードに
検索してみてください。


これほど教えてくれたのに見落とすと言う最低なことを犯してしまいました。
だからう〜ん様からシツコイと言われたんですね
大変すみませんでした
反省しています

本当にすみません 無礼者ですがこれからもよろしくお願いします

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 11日 20時 32分 15秒

言い訳になってしまいました。すみません

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 11日 20時 31分 19秒

う〜ん様 長い間返事をしなくてすみません
反省しています
)(にしても碓氷峠大好き人間様からは反応なしですね。
また無視されちゃったのかなぁ。最近の若者、怒らせると怖いですからねぇ・・・爆)
夜しか見れないんで・・・
皆さんの投稿も最近多くなったみたいだし 長い間返事がこないと思われるかもしれませんが
毎晩見ております。本当にすみません。
調べる資料が本屋になく、ホームページを見落としてしまいう〜ん様にご迷惑をお掛けしてしまったことを 本当に悪く感じています。
本 当 に す み ま せ ん。
EF63のコンビの方 大切に利用させていただきます。ありがとうございました。

清水是康 2002年 07月 11日 19時 55分 47秒

じゃあ今度アプトの道でウォーキング競争しましょうか? 私は現役ゴルファーだし、こないだ栃木の山で山菜摘んでる友達をトンネル2つ分もぶっちぎりましたので、皆さんがそのような状況なら、私の優勝は間違いないでしょう。ハッハッハッ←勝ち誇ってる

しもやま 2002年 07月 11日 18時 45分 04秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

自分から問いかけて何ですが、前に軽井沢から安中のN学園に通う生徒数の話が
某サイトにあったのを思い出しました。すみませんでした。
それによると、1999年度には35名おりました。廃止後の話です。

うーん 2002年 07月 11日 18時 44分 40秒

あっそうそう、峠で釜飯食べるというコンセプト、これはお薦めできません。
なんせ、釜飯の容器が重い!!!特に食べた後の容器の重さはまた格別。
もちろん捨てるわけにはいかない(そういえば廃止間近の頃、熊の平をはじめとする撮影
スポットには釜飯容器とかが大量に捨てられていましたなぁ)ので、軽井沢まで(というか
家まで)持ってかえるわけで(ワシの家には、空き容器が大量にあります。家族からは
釜飯食べても容器は必ず現地で処分してくるようにと厳命されております、笑)。

うーん 2002年 07月 11日 18時 40分 31秒

>旧道を横川から軽井沢まで歩かれると、とてつもない時間がかかることでしょうね(^^)。

もう20年ぐらい前の話なので記憶が曖昧なところもあるのですが、午前中遅めに横川出て、
途中要所要所で休憩(峠で力餅と釜飯食べるというコンセプトでしたので、笑)はさんで
軽井沢ついたのは日没近かったと思います。
まぁ、寄り道など一切せずに単に歩くだけなら4時間ぐらいというところではないでしょうか。
で、旧道の下り(軽井沢→横川)はまだ踏破したことないのですが、多分下りの方がきつい
かも知れませんね。ウォーキング参加した時も、第3橋梁から横川への帰路の方がきつく感じ
ましたから。人間には発電ブレーキという便利なものがありませんしね(笑)。
(冗談ネタですが、車で碓氷峠を下りてくる時、ギアーをローに入れて「発電ブレーキ!」
なんて点呼してませんか?みなさま)

うーん 2002年 07月 11日 18時 24分 12秒

しもやま様
2面性のご指摘、興味深く感じました。段階的復活論の場合、段階に応じて2面性の出方
が異なるかも知れませんね。

軽井沢から高崎方面への通勤通学の件ですが、これについては確たる統計をまだ入手できてい
ないので、正確なことは言えないのですが、相当部分が新幹線利用に切り換えたらしいという
ことは現地で聞きました。バスはダイヤが不安定で通勤通学には使いづらいそうで、多少高く
ても(というのが軽井沢の高所得者階層の感覚みたいですね、笑)新幹線の方がいいとか。
私が聞いた相手が悪かったかも知れないので、ひょっとすると少数意見かも知れないです。
(新幹線経由で安中方面へ行くのに、あの駅(爆)使うかぁ?っていうのはありますからねぇ。)

しもやま 2002年 07月 11日 17時 57分 32秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

お疲れ様です。
旧道を横川から軽井沢まで歩かれると、とてつもない時間がかかることでしょうね(^^)。

ということで、碓氷峠の鉄道構想には2面性があると考えております。
1つは観光鉄道で、要は榛名山のロープウエイみたいに
観光客が気楽に登れるようなイメージなんです。横川からダーッと行けるような。

それからもうひとつは、この掲示板の趣旨のような軽井沢への交通手段です。
ですので、観光鉄道(鈍行?)と交通鉄道(急行?)を織り交ぜるなどという
選択肢も考えられると思います。

ところで、信越線時代の定期の利用者数の話が前にあったのですが、
パーク&ライドの話は置いておき、信越線があった当時の利用者は
主に軽井沢側の住人に集中していたのではないでしょうか。
高崎方面への通勤や、安中のN学園への通学とか、
そのために朝と夜に軽井沢のホームライナーが運転しておりました。
それから、軽井沢の人達は土日の買い物に高崎まで来ていたと思います。
ですので、鉄道がなくなって不便になった、というのは軽井沢側の住人に
伺うべきではないでしょうか。松井田町の住人で碓氷線を定期で利用する人は
少ないと思います。地元利用者は高崎の街へ出るのが目的なのです。
信越線が廃止されてもうすぐ5年になりますので、当時の調査とまた事情が変わって
いるのかもしれません。
今でもわざわざバスと電車を利用して学校に通うひとなんているのでしょうか。

うーん 2002年 07月 11日 15時 23分 37秒

ついでに(笑)。
学生時代に、旧道18号を横川から軽井沢まで一度歩いたことがあります。
社会人になってから、旧中山道を軽井沢から横川まで歩きました。
あの頃は若かったので、確かにシンドイけれどもなんとか歩き通せましたが
今はどうだろうなぁ・・・(笑)。途中でへばって、猿の餌食になるかも(爆)。
にしても、現地でたまにみかける練習中の競輪選手、尊敬しますぅ。旧道18号を
自転車で登っていきますからねぇ。
ワシあたりは、車運転していても疲れるのに(線路探してキョロキョロよそ見していて首が
疲れる?爆)。
脱線ネタでスイマセン。

うーん 2002年 07月 11日 14時 18分 12秒

しもやま様
「アプトの道」の件、やはりそう思われますぅ?(笑)
実は、私も何回か歩いたのですが、翌週足がパンパンになって往生しました。
運動不足の中年オヤヂなので、これまではその件には敢えて触れませんでした(やせ我慢、笑)。
きっと皆、楽々と歩いているんだろうなぁ。シンドイと愚痴ると馬鹿にされるよなぁってね。

一番しんどかったのは、碓氷峠鉄道文化むら主催のウォーキング。私が参加した会は
参加者のほとんどが安中あたりの歩こう会みたいなところのメンバーで、平均年齢60歳
ぐらいなんですが、トレッキングシューズに杖もろもろの完全装備。で歩くのが早い早い。
恐らくアプト時代のSL以上以上の速度でツッタカツッタカと歩く歩く(笑)。坂本あたり
でこの老人パワー集団と、ワシのような運動不足組との間で1キロ近く(つまりワシらが
丸山あたりをヘロヘロ歩いている頃には先頭集団は「くつろぎの郷」からアプトの道入り口
に入ってさらにペースアップしている(ラックモータ快調!笑)という按配で。
この会は国鉄OBの説明があったのですが、老人パワー軍団は最初から歩くことが目的らし
く、説明もろくに聞かずに先へ先へという状況でした。
帰りはさらに凄まじく、老人パワー軍団のペースについていくのにほとんど小走りの世界で
(「安政の遠足」の予行演習かと思ったほど、笑)、碓氷峠鉄道文化むらに帰り着いた時は
足が痙攣しているアリサマ。帰りの車のアクセル踏み込むのも辛くなってと。
まぁ、お恥ずかしいこと限りなく(笑)。

にしてもウォーキングが毎回盛況なのは、歩くことが楽しい人が多いということなのでしょう
かね。確かに新緑か紅葉シーズン、晴天時には凄く爽快な気分で歩けますが(2号トンネル出た
あたりまでは・・・その後はだんだん景色を見る余裕がなくなってくる、笑)。

ということで、自分の運動不足を棚に上げるつもりないですけれども、
熊の平を接点にして、観光鉄道と「アプトの道」を組み合わせたコースは大賛成です。
軽井沢方面へは熊の平から旧中山道へ登って熊野神社へ抜けることもできますし。

しもやま 2002年 07月 11日 12時 38分 42秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

こんにちは。

「アプトの道」、実際に歩き通したことございます?
松井田町主催のウォーキングに一度参加したことがあるのですが、
丸山からめがね橋の区間は、緩いながらも上り坂が延々と続いているので
実際は歩くのがすごくつらいのです。
年寄りや子供連れでは、もう一度歩こうとは思いません。
それから、めがね橋を登った後、同じ道を降りるのでは芸がないので
帰りは川沿いの遊歩道を歩くのですが、こちらも小さな子供を
抱えては歩くのが困難な状況にあります。

私の希望は、熊の平までは観光鉄道に乗って線路からめがね橋を眺め、
熊の平に到着したら石碑や母子像を拝見した後、アプトの道を降りて
めがね橋から坂本まで戻るというコースです。

アプトの道は今のところ、団体旅行のハイキングコースなどに組まれていることと
思いますが、今のままではそう何回も行きたがる状況にはないでしょう。

うーん 2002年 07月 11日 10時 09分 41秒

清水様
終夜運転、お疲れ様です(笑)。

私って、優しいですかぁ?(笑)(にしても碓氷峠大好き人間様からは反応なしですね。
また無視されちゃったのかなぁ。最近の若者、怒らせると怖いですからねぇ・・・爆)

段階的開通か、一気に全線開通か、の問題ですが、いずれにせよ一番肝心なのは全線開通まで
の戦略と確固たる事業計画かと思います。一気全線開通にしてもやり方は各種ありそうです。
結論を急がず、各案、比較検討してみるのがよいかと思います。ヨーロッパでの事例も参考
になるかも知れませんよ。

それとアプト式旧線ですが、第3橋梁(めがね橋)から先、熊の平までちゃんと残っています。
ただし、第10トンネル熊の平側出口が新線建設時の排出土などで1mほど埋まってます。
また、最長の第6トンネル(1792m)の内壁にクラックがあって危険な状態らしいです。
「アプトの道」は熊の平まで開通させるという計画だそうですが、今のところ第6トンネル
の補修問題などがあって実現時期は未定とのことですよ。
アプト式旧線遺構の現状については、松井田町教育委員会が資料を発売していますので
(碓氷峠鉄道文化むら売店で売っています。通販OKだったかも)是非、ご一読を。
ただし、「アプトの道」区間以外は見学不可(立入禁止)です。

丸山変電所の復元工事は完了です。後は儀式だけですね(笑)。
内部公開などについては未定とのこと。ただし、補強工事のやり方見る限りでは、内部公開
はあまり意識していないかも(笑)。貴重なタイル床など、当時の造作を復元してくれれば
価値があるでしょうけど。

清水是康 2002年 07月 11日 04時 43分 18秒

眠れなくなりましたので、もう一席!
軽井沢まで開通させた電車を、仮に「碓氷電鉄」の名のることにしましょう。多くはないかもしれませんが、碓氷の観光客ではない、”通行客”が通るようになります。現アプトの道は、めがね橋の先のトンネルが埋められているのか、あれでは不十分です。あのトンネルが開通できるなら開通させて熊の平まで歩けるようにしましょう。トンネルが長いようですから、散策者に退屈なようでしたら文化村資料館をトンネルの中に移設して、碓氷線の歴史を見ながら歩けるようにすればベストだと思います。そこへ軽井沢への観光客が、帰りに碓氷鉄道を利用したとします。電車は坂を降りてきて熊の平に停車します。車内で「ねーねー、アプトの道ってこれ、下まで歩けるようになってんだよ。今度来て見ようよ」って声が聞ければしめたもの。電車は熊の平を発車し、次に峠の湯に停車します。そこでは「ねーねー、途中に温泉もあるんだよ」って声が聞ければしめたもの。丸山変電所なんかレストランでもなんでもいいですけど、車内で「見て見て、お洒落なレストランがあるよ」と声が聞ければ、またまたしめたもの。トロッコ列車走らせて、大宣伝ぶちかますのも否定はしません。けれど、その宣伝にかかる費用を鉄路として上に伸ばせば、このような通行客=次なる碓氷のお客様はほとんど無限です。軌道に乗った人工衛星ように、あとは勝手にまわってゆくでしょう。
話を変えて、青梅鉄道公園って行ったことありますか? 主にSLなわけですが、現在40歳の私が物心ついた頃には、周囲からSLは消えていて、私の世代ではきっと、SLにノスタルジーを感じる者は少ないと思います。「もう一度行こう」っては思わないんですよね。いくら「ドラフト音がたまらない」云々と言われても、私には63のブロア音の方がずっとノスタルジーなんですよ。ということは、もう少し世代が進めば文化村の展示物も「子供たちには興味の対象外」になるということなんです。その子がいくら鉄道マニアだとしても!
そうした環境の中、いま町が進めようとしている施策は、向こう10年くらいはいいとしても、はたして無限軌道に乗れるのだろうか。私には非常に強い危惧の念があります。

清水是康 2002年 07月 11日 01時 40分 57秒

うーんさん優しいですね・・・

MMさん 観光鉄道として徐々にやると、完成に至るまでトータルではどれほどの予算がかかるんだろうって、私としては空恐ろしいものを感じます。「とりあえず熊の平まで」とは言っても、熊の平は何も無い所です。魅力ある売店とありますが、それだけで一体何ヶ月もつことか・・・ リピーターを呼び込めなければ金銭的に行き詰まり、中間とん挫してしまう可能性の方が強いのではないかと考えてしまうのです。
私が急進派、「軽井沢まで走らなければ意味がない」としているのは、どんなボロ電車でも軽井沢まで走れば、地図上の線路がつながります。地図に載るんです。もちろん時刻表にもです。松井田が口酸っぱくして「遊びに来てください」と、どんな費用をかけて宣伝するよりも価値あることだと思いますよ。もちろん開通しても「峠の湯」などのPRは鉄道と一緒にやっていけばいい。だけどそれ以外の客がたくさん「通過してくれること」が本来の碓氷峠の位置であったし、その方が収入面での現実性があり、実現も簡単だ。と思うのです。

ゆとりさん 横軽区間は63の重連が付いて、無動力の列車は8両に制限されていました。単純計算ですが、単機では4両押し上げることが出来ると言えます。通常型客車を2両押し上げるには、EFならぬEC63(イメージ上の機関車と考えてください)という機関車が必要になります。モーターカーではとてもとても・・・って思うのですが。(客車の動態保存には一興ですが、置いとく場所もないし・・・)やはり従来型の列車で上がってゆくのは困難と考えるべきでは? そうして着眼点を変えたのがLRT案なわけですが、ダメですかあ?

これを申し上げると話が終わっちゃう気がしていたのですが(笑)私から皆さんへ
鉄道が自動車や他交通機関にもつ優位性とは、鉄のレールと車輪の摩擦係数の低さからなる省エネ(少エネ)性です。自動車と同じ速度にまで加速して惰行に入ったとき、どちらが長い距離を走るか・・・は、鉄の車輪を履いて、鉄のレールの上を走っているから、ですよ。そしてその摩擦係数の無さがゆえに滑走に苦しみ、空転と闘ってきたわけですけども、横軽区間をして、「惰行している時間がまったくない」状況というのは、鉄道の弱点ばかりを集めた区間とも言えるのです。ですからもし、もう一つの優位性である「大量輸送」の肩書きが外されたとき、鉄道の使命というのには疑問符がついてしまうのです。ひどい話、「エコロジーならトロリーバスでもいいじゃん」となってしまうのです。しかし廃線跡を歩いてみると、とにかく立派な施設が残されています。「これを放置してトロリーバスも無いもんだ」とは誰もが思うことでしょう。私が言い出したLRTというのは、施設をそのまま使うトロリーバスだと考えてくだされば分かり易いことと思います。色々な話が出て楽しいっていうのがありますから、他のも大いに話し合いたいですけどね。

うーん 2002年 07月 11日 01時 06分 52秒

ゆとり様
出来る限り低コスト化をはかるというのは重要なことですね。同感です。

ちなみに、横軽対策車というのは、強力なEF63で長編成列車を推進・牽引した際の
衝撃力対策などが施されたものです。小型機関車で1〜2両程度を推進・牽引する場合
には、横軽対策車でなくてもOKだと思います。
ただし、TMC500Aの能力(66.7で25トン牽引)だと、客車2両は無理ですね。

まぁどうせ導入するのであれば、横軽対策車で碓氷線通過実績のある車の方が嬉しいよう
な気はしますが(笑)。

ゆとり 2002年 07月 10日 23時 32分 03秒

トロッコ列車並の観光列車、失敗しても損害が少なくて済むように、もっと安く上げる方法を考えたら如何ですかね。
例えば、渡瀬渓谷鉄道のように、廃車になったJRのジョイフルトレインの展望車の2両編成をモーターカーTMC500A(DB20)で押し上げるとか。
横軽対策された客車も続々と廃車になってますので、ただ同然で入手できるのでは・・。
ジョイフルトレインも、皆芋虫みたいな電車になっちまったので、客車の動態保存は価値が出ますよ。


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