MM 2002年 07月 25日 21時 59分 28秒

湘南準急さま

>66.7パーミル勾配のあった京都の路面電車…京阪電鉄(旧)京津線のことでしょうか?
>あそこは路面電車というには大柄な車両だったと記憶していますが…。

ご指摘の通りだと思います。
写真を見た限りでは、専用軌道でした。
あれを路面電車としたのは誤りでした。
いい加減な事を言って、申し訳ありません。
m(_ _)m





湘南準急 2002年 07月 25日 21時 26分 11秒

>MMさま
 66.7パーミル勾配のあった京都の路面電車…京阪電鉄(旧)京津線のことでしょうか?
 あそこは路面電車というには大柄な車両だったと記憶していますが…。
 もっとも、都電荒川線にも66.7パーミル勾配があるということをどこかで聞いたことが
あるので(飛鳥山あたりだっけな…)これが私の記憶違いでない限り、路面電車が66.7の
勾配を問題なくクリアできることに変わりはありません。

 あ、そうそう。
 岡山のmomoですけど、台車は「多くの使用事例がある軌間1000mm・1100mm
台車を設計変更し、新たに開発した1067mm低床台車」を使用しているそうです(「鉄道
ピクトリアル」2002年9月号)。
 欧州の路面電車のゲージは1435mmだと思い込んでいたのですが、1000mmがあり
それが「多くの使用実績」といえるほど普及しているとすると、シーメンス系でも対応できる
…かもしれません。
 …ということは、グリーンムーバー級車両の碓氷線乗り入れも可能かな?継続調査します。

MM 2002年 07月 25日 20時 51分 00秒

済みません、連続カキコです。

妄想なんですが、全国的にも珍しい連続急勾配区間なのですから、
在来線高速化のための新型車両を開発するための実験線として、
碓氷線を活用出来ないものでしょうか。
横川・軽井沢間をLRTで復活したとしても、複線の必要はないでしょうし、
軽井沢と熊ノ平の旧上り線を使えばいいと思うのですが・・・。

やっぱり難しいかな・・・。

MM 2002年 07月 25日 20時 27分 21秒

もし、新幹線が開通しなかったら、碓氷線はどうなったか考えてみました。

多分、高速バスに対抗するため、EF63抜きで峠を越えられる
スーパーあさま(E187系?)を導入し、全列車を置き換える。
EF63は4両くらいを残して廃車。
特急白山は廃止。急行能登は上越線経由に変更。
特急列車は、早朝とお昼と夕方の一部の列車を除き、横川駅を通過。
横川・軽井沢間の普通列車は廃止。
特例として、横川・軽井沢間に限り、特急券がなくても『あさま』に乗車可能とする。

多分、こんな感じになったと思いますね。


話は変わります。

1998年に販売された鉄道ジャーナルに載っていたのですが、
京都の路面電車にもかつて、66.7パーミルの区間があったそうです。
碓氷線のように連続8キロ以上の区間ではなかったと思いますが、
LRTでも66.7パーミルの区間を問題なく走破できるという証明になりますね。
ちなみに、バックナンバーを見つけられなかったので、詳しい事は書けません。
ご了承下さい。m(_ _)m

EF63 2002年 07月 25日 19時 16分 04秒

>群馬と長野の間には新幹線が走るほど交通量があることを忘れずにお願いしますよ v(~o~)

これは僕も賛成です。

清水是康 2002年 07月 25日 04時 16分 10秒

またまた少しだけ・・・
私はいつもこう考えているんです。自分が実際に住んでる地方に置き換えて、たとえばJR東海が、「丹那トンネルが老朽化し、保守費用で毎年6億からの赤字が出るから廃止します。熱海函南間は新幹線で行くかバスにしてください」と言ったとします。自分の住んでる地方に置き換えると問題の深刻さもヒシヒシと来ますね。住民感情としてはまず「テメーふざけたこと言ってんじゃねえよ」(少々言葉汚いですが)ですね。廃止の意志決定権が鉄道会社にあるなら飲むしか仕方ありませんけど、これはもう静岡県、神奈川県もが乗り出して当たり前のように三セクで走ることでしょう。間違っても函南町に全権譲与なんてことには・・・
間違ってそうなったとして、トンネルだから観光鉄道は出来ないけど、もしこれがトンネルでなくして山線になっていたら、函南町も観光鉄道と言い出すだろうか。(ちなみに熱海より先は3両編成なんてのが平気で走ってます)自町民もさることながら、熱海や三島、沼津の人たちに利用してもらってこその鉄道であって、だからこそ人の流れ=経済があり、自分の町も生業が立っていると考えはしないだろうか。そしてどんな形にしても函南町が「鉄道線をつなげる」と言い出したら、静岡県は傍観するのだろうか。
あり得ないよなーーそんなの。
こうして考えていくと碓氷線のおかれている立場、特に群馬県と長野県の冷淡さには驚くばかりですし、松井田が碓氷線をトロッコですとか観光鉄道として位置づけるのは、どうせ新幹線にはかなわないと自ら白旗を揚げて、新幹線に謙っているような印象さえ抱くし、「どうせ使わない線路なら唯我独尊、我田引水に使おうじゃないか」の領域に達しているようにも感じるのですが、実際のところはいかがなんでしょう。
それとも群馬長野県境は、静岡と神奈川の県境(実際には湯河原熱海間ですが)と全く違った事情があるのでしょうか。
松井田町批判のようになってしまいましたが、私はなぜ両県がこんなに冷徹なのか、松井田の真意は一体どこにあるのか、ここで議論しながらも、それらを把握しかねているということなのです。私に批判をくれても結構ですけど、群馬と長野の間には新幹線が走るほど交通量があることを忘れずにお願いしますよ v(~o~)

清水是康 2002年 07月 25日 02時 20分 57秒

ひろざさんの書き込みを読んで少しだけ・・・
碓氷線が軽井沢までの足だけ、とは、もはや東京長野間に直通在来を走らせられなくなった今、たとえ碓氷線が開通しても多くの乗り換えを強いられることから、長野方面にこれを利用して旅行する人はあまりないでしょうね。あまりないという言い方は適切でない、「一般的でない」と申し上げておきましょう。
私は神奈川に住んで、こちらは新幹線が開通してからすでに40年近い歳月が経っていますが、距離にしてそうですねー、200q以内なら在来でも新幹線と互角の勝負をしますよ。それを日頃目にして、肌でも感じていますよ。たとえば土日、東京を出る熱海行の快速アクティーは始発から満席。これは新幹線料金を払うくらいならグリーン車乗って、ビール片手にのんびり行く。つつがないこだま号よりも、みんなそんな時間を大切に使っているからだろうと思うんです。消費者が賢くなってるって言うんでしょうか。静岡行き東海が急行から特急に格上げされたときには「万事休すか」と思ったんですが、ドッコイどうして、特急になってからも乗車率はまずまずを堅持してます。
ですから高崎線快速にグリーン車でも併結するようになれば、東京高崎間の新幹線利用率はガクンと落ちるはずなんですよね。このへん東の民衆操作と言いますか、「選択肢をなくして新幹線に呼び込む」という意味で碓氷線同様、高崎線のグリーン車併結はいつまで待っても現れないだろうと考えています。
私がここで言いたいのは、「新幹線なんて、恐れるほどの乗り物じゃないよ」ってことです。
新幹線は速い。これは誰が見ても聞いてもウソじゃない。だけど新幹線がビジネスマンで一杯になれば、そこに居心地の悪い行楽客たちがオーバーフローして在来線に帰ってきます。以前に東海道は特別で上越・長野と一緒ではないとの意見もありました。けど、沿線住民の数こそ違えど、そこに住んでいるのは同じ「庶民」ですから、たとえば東海道の在来が15両で運転してるなら高崎線は8両とか、規模の違いこそあれども、民意の違いはないと考えます。そういう観点からして、新幹線の良さも悪さも知り尽くしたお客さんが帰ってきて「やっぱ普通の電車が一番落ち着くね」と言わはる(急に京都弁)ようになった時のために、横軽を風通し良くしておくのは大事なことだと思います。
松井田の町議さんが、大鉄や箱根登山を視察に行ったということですけれども、「信越線は腐っても本線、そんなもの見てどうする。東京駅に快速アクティーの混雑振りを見に来なさい」と言いたいですね。15両フルが満席のアレを見れば「我々もやれる」って気持ちになっただろうと思います。

うーん 2002年 07月 25日 01時 37分 00秒

OBボランティアのご老人(と言ったらご本人に叱られるかも、笑)は、休日に出ておられ
ることが基本だそうです。何人かおられるのですが、ED42の機関士経験とか、他線区で
の経験(蒸気やEF58など)も豊富な方たちばかりですから、聞けばいろいろと教えて
くれますよ。(ただし、多客期には、ファンで独占してしまわないよう気配りしましょう)
それと、EF63や「あぷとくん」の運転・整備をされている方たちは、JR系会社からの
出向なのですが、皆さん、元横川運転区のOBです。碓氷線関係のビデオや書籍の監修協力
に必ず名前が出てくる方、ビデオに登場された方など、横川運転区のエース級がせいぞろい
という感じです。この方たちには、気軽に話しを聞く場がなかなかありません(職務中に
いろいろと質問している鉄道ファンを見かけますが、仕事の邪魔だと思われるので遠慮すべき
でしょう)が。

うーん 2002年 07月 25日 01時 24分 16秒

案内放送、私も何度も聞きましたよ。もっとも、やってたのは「あさま」とか「白山」など
の優等列車だけだとは思います。普通列車では、「次の○○では機関車連結作業のため・・・」
しかやってなかったはずですけど。
優等列車と言っても、「能登」などの夜行列車では車内放送時間帯過ぎているのでダンマリ
でしたし、ガキの頃の記憶ですが急行時代の「白山」も「「次の○○では機関車連結・・・」
しか放送してなかったと思います。私の記憶が確かならば、「あさま」などでいろいろと親切
に放送し始めたのはJRになってから、しかも廃止決定前後あたりからではなかったかと。
後、大昔ですが、横軽間では食堂車営業休止とか、トイレを使ってくれるな的な放送もあった
かと(これはウロ憶えなので、ひょっとすると私の記憶違いかも知れません)。

そうそう、横川駅の3番4番ホームの高崎寄りに、職員手書きの碓氷峠列車説明ボードが
ありましたよね。あれ、廃止後は、あの付近の機器箱の蓋に流用されてたのですが、今は
どうなってるかな・・・。今となってはああいうのも記念物かも知れませんね。

復活列車での案内放送は、おしゃれかつしっかりとやって欲しいですね。清水様のご意見に
大賛成。ついでに言えば、碓氷峠鉄道文化むらの「あぷとくん」なんかでも車内放送やれば
いいのにねと思っているのは私だけでしょうか?

清水様、しもやま様、EF63運転体験もやってみられては。ちと料金が高いし、予約とる
のも相変わらず大変みたいですけど、一度はやってみる価値あると思いますよ。
(ワシも、体験しました。住んでいる場所が遠いので何度も通えないのが残念ですけど)

清水是康 2002年 07月 25日 00時 50分 26秒

えっ!?tsukaさん本当ですか。私も何度も乗っていたのですが、横川や軽井沢に着く前に「次の○○では機関車連結作業のため ○分間停車します」くらいの案内しか聞いたことなかったですよ。(もっと親切な車掌さんの電車に乗りゃよかったぁ〜)
それからたとえば横川を発車して、案内放送無しでも66.7区間に差しかかると床に倒れていたジュースの缶などが車内を転がりだして、独特のズンズン ズンズンという乗り心地と共に車内が異様な空気に包み込まれる・・・嗚呼なつかしひ・・・
案内放送では、「この路線は中山道をつたう鉄道線として明治26年に開業し・・・」などの言い回しの中にさりげなく”アプトの道”が散歩道として歩けることや、歩いた後に峠の湯でひとっ風呂浴びられることなどを盛り込んでおけばよいでしょう。こういうのはあくまで「さりげなく」ね。
前面展望では、軽井沢向きの席より、どちらかと言えば横川向きの座席の方が絶景でありましょう。登るときも降りるときも、「下を見る」のが怖いもの見たさで、マニアとして鉄車輪の粘着力などが頭に入っていれば恐怖心は尚更なはずです。こないだ友人と現地へ行ったとき、横川の方を振り返って、「400トンの列車をおんぶして、63の運転台からこれを見たら、さぞかし恐怖だったべなあ」なんてことを言い合っておりました。ヒントはそこから得たんです。
でもただ簡単に景色を見せる主旨からいえば新線は本当はつまらなくて、景観的には旧線の方が優れているでしょう。碓氷湖が見えるし、橋梁やトンネルポータルに至るまで趣がありますよね。迂回してるため運転上も勾配がなめらかだろうし。でも線路が無いもんね。

しもやまさん、私はあのシュミレータ、2回目にして6pという神業を達成しましたよ。窓から身を乗り出して、停止目標がもっとよく確認できればいいんだけどね。(1回目は停止位置がよくわからずオーバーランしました)文化むら展示車両群への香典のつもりで置いてきますが、1回千円はチト高いのう。

tsuka 2002年 07月 24日 22時 54分 08秒

「浅間山の案内」ですが、もちろん長野県内を走っている時の話です。念のため。

復活時の碓氷峠の説明や案内は必須ですね。悪天候時や夜間には映像を車内に流すとか。
また、旅客飛行機の離着陸時のように前方の生映像を映すのも楽しそうです。(私はそういうサービスの機に乗った事はありませんが)

tsuka 2002年 07月 24日 22時 04分 07秒

清水様
実は、在来「あさま」号では碓氷通過時には車内放送で「ここがJR最大の勾配66.7パーミル」である事の説明が行われていましたよ。「パーミル」の説明や、「補助機関車を必要とする事」、「列車の先頭と後部での高低差」etc を車掌さんが肉声で説明してくださっていました。いつもではありませんでしたが。(やけに詳しく説明してくれる時もあったような・・・)
軽井沢、あるいは横川到着前(碓氷峠進入前)で簡単な説明をして終わりの時もありましたが、この場合は長時間停車する言い訳の様にも聞こえました(笑)
また、天気が良く浅間山がみえる時にも、「進行方向左側(右側)をご覧下さい云々・・・」なんて時もありました。嗚呼なつかしひ・・・。
普通(115系)の時は確か説明は無かったですよね。(地元住民に説明するわけない!?)

ただの昔話ですいませんでした。

しもやま 2002年 07月 24日 21時 57分 18秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

各地のSL運転が現役当時の経験者と明日を担う新機関士の組み合わせで行われている
ように、碓氷線も当初のうちは63経験者と運転士の組み合わせで行われるのでは
ないかと想像しております。何より横軽は特殊区間ゆえ、復活後も安全点呼などは
語り継がれていくのではないでしょうか。

文化むらの63シミュレータを2回程やってみたことがあります。
というか、1回目はカミさんにやらせてみて、私は様子見(^^)。
1回目のときに、OBボランティアの御老人がカミさんに手取り足取り
御教示いただいたのですが、
この区間を良く知り尽くしてる人ならでのうんちく、やはりいろいろあるんですよね。
面白いので、シミュレータをやる時は御老人にお声がけするようにしてます。

話好きの御老人はいろいろ教えてくれますので、一度お試しあれ。

EF63 2002年 07月 24日 20時 57分 36秒

>レールを輝かせるだけなら、今すぐ私が紙ヤスリ持って参上します

では僕もお供します!!! なんてね

清水是康 2002年 07月 24日 19時 49分 32秒

レールを輝かせるだけなら、今すぐ私が紙ヤスリ持って参上します(笑 そーゆー問題じゃねえだろってか!)
うーんさんは、それにしてもお詳しい。驚愕、「碓氷線の鬼」ですね。改めて頭が下がります。

本題に戻すということで、またやらせてもらいますが、LRTは岡山のものをベースに中間車を入れてグリーンムーバーなみの輸送力を確保したいな。全長30mとして在来普通車の1.5両分ですが、LRTですとどうしても車体が細めになるので、実質的定員は1.5両分を下回ると思います。私のどんぶり勘定では約130名ほどを予定しております。そのうち前後運転台の後ろ、4列2段ほどを”伊豆急リゾート21”のようにヒナ段状に配して、この座席の近辺にだけ聞こえる案内放送、たとえば碓氷川橋梁上で「左に見えますのが明治26年開業のアプト線第三橋梁、通称めがね橋でございます」とか、「ただいま最急勾配66.7‰に入りました」とかを流すと良いかと思います。63の頃も、横川や軽井沢にはマニアでない”連結作業見物客”が降りてきて、その場にいらっしゃいました。だけど国鉄・JRの頃といえば、この横軽がどれだけ特別な区間であるかの説明は何もなく、そりゃもー無粋と思えるほどでしたよね。今度はアッピールですよ、アッピールっ!
ここから段々とオタクの道へ入ってゆきましょう。
マスコンハンドルはノッチ刻みが8つほどは欲しいです。右手がマスコン、力行と回生ブレーキは切り替えスイッチで変えるようにします(63と同じ)。上り列車が矢ヶ崎を通過するとき、「抑速ヨーシ!!」の喚呼もファンを魅了することでしょう。左手側には機関車の単弁のような形で直通ブレーキ。思うんですけども、回生ブレーキと空気ブレーキは併用するにしても、操作系はそれぞれ独立していた方が安心感があります。で、回生をかけながら単弁のように空気でも増し締めできるようにする。
空気ブレーキは電気系が故障したときに備えて、あえて電気指令式とはせず、昔ながらの直通ブレーキがよいでしょう。バカにされても結構です。電気系が故障したときは、この空気ブレーキに頼らざるを得ませんから、シューを踏面に押しつける式でなく、新幹線式の車輪ごとディスク・・・これならタイヤ弛緩の問題もありません。さらに安心をお求めならばベンチレーテッドにして強制通風式にすれば万全かと思われます。電気・空気が両方ともダウンしたときのために、手ブレーキを通常より操作しやすい位置に設置する。あとは空転・滑走検知自動ノッチ戻しくらいでしょうか。(電磁吸着ブレーキは標準装備とのことなので・・・)
このようなLRTをオーダーしまして、見積金額はハウマッチ? グリーンムーバーが3億4千万ですから、それ以上か。でも特別に斬新な技術導入というのも無いから、若干ではないかと思いますね。ここでは3億5千万としておきましょう。これを2編成買うと7億円。線路は下り本線を単線で使用するものとして、軽井沢方の給電設備(3000万くらいでしょうか)、横川・軽井沢・熊の平・峠の湯のホーム設置(ブロック積みの安価なもので十分)、熊の平の片渡り(列車交換のため 1つは既設されているので1つでOK)、峠の湯駅がスイッチバック式になるため側線、63保存線から数百メートル間 架線が撤去されている部分の復旧。などで3億円を見積もって初期投資合計10億!
伏線として@JRに快速アーバンや新特急のいくつかを横川行にしてもらうAアプトの道を熊の平まで整備するBビデオ販売 などです。
80億の借金が90億になっちゃうけど、元本回収の自信アリ!
※こんな話ならいくらでもしますが、あたしゃ何より実物のLRTが見てみたい。広島・岡山ツアーを企画するかな・・・)

EF63 2002年 07月 24日 19時 13分 28秒

>転轍機ロッドの部品が心ない人により持ち去られてしまった

こういうことが良くありますよね・・・・
ほんと、困りますね



しもやま 2002年 07月 24日 18時 45分 00秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

先月発行されました文化むらファンクラブ会報によると、
4月15日に横川−軽井沢間で例年のモーターカーによる
除草作業が行われたそうです。

線路の下が豪雨で洗われている箇所があったり、
転轍機ロッドの部品が心ない人により持ち去られてしまったといった
報告があります。

EF63 2002年 07月 24日 18時 09分 13秒

ありがとうございました。
やはり坂本付近まで運転されていたんですね。
他のホームページで廃線になったのに線路まで延びた草がつぶされていたのを見ました。
レールも少し輝いていたそうです。

さてさて本当に
>議論を本線に戻して、先に話を進めませんか
だね

うーん 2002年 07月 24日 16時 03分 56秒

「トロッコ運転は丸山までは問題がない訳ですね。」
昨秋の「鉄道の日」イベントでは丸山まで、今年4月のゴールデンウィーク中には動態保存
線区間で運転されました。両者とも、モーターカー+ヨ8000×1で全く同じ運転形態です。
ちなみに、牽引(推進)したのは碓氷線で実際に使われていた保線用モータカーで、66.7
パーミル区間も運転可能です(スペック上は25紬牽引で時速12キロ。現在の色は、昨年秋の
「鉄道の日」イベント前に塗り替えられたもの)。
まぁ、厳密には「トロッコ」ではないし「列車」でもないわけですが、碓氷峠鉄道文化むらの
新聞発表に準じて「トロッコ列車」と通称しておるわけですね(笑)。
これ以前もこの掲示板で何回か登場している話だとは思いますが、暑さで疲れてきたので
大サービス?(一々怒る気力も失せてきて)で書いてます(笑)。
このモーターカー、碓氷峠鉄道文化むらの職員が運転して軽井沢まで往復、線路への除草剤の
散布などを何回か行っています。写真も一部書籍で掲載されています。
また、ヨ8000を牽引(推進)しての試験運転で、坂本付近まで往復してもいますよ。丸山
から坂本付近まで、霧積橋梁手前から65パーミルが続いています。

丸山は、旧丸山変電所の復元工事が完了しましたので、周辺をどのように整備していくかを
いよいよ本格的に検討する時期ですね。

以上、余計な説明かも知れませんが(笑)。

お金ネックの件、その通りです。
再来年の区間復活では、レールバス形の小形DCが導入されるとのこと。
この話も、新聞記事の紹介はじめとして、この掲示板で何度も紹介された話。
(今のLRT導入議論は、そのあたりを受けて始まったことですよね、確か)
これも、さすがに詳しく書き直すのは勘弁していただいて、出汗(暑いよぉ!笑)大サービス
で書いておきます。

そろそろ、議論を本線に戻して、先に話を進めませんか?皆様。

EF63 2002年 07月 24日 15時 18分 08秒

丸山駅にアスレチックの公園を作るとか・・・
工夫すれば客はたくさん来るんですよね

EF63 2002年 07月 24日 15時 16分 23秒

3連続にてすみません。・・・・・・・・・

トロッコのことを思い出しました。
この前碓氷峠鉄道文化村で丸山までのトロッコ運転サービスがありました。(かなり前ですが・・)
トロッコ運転は丸山までは問題がない訳ですね。
前はディーゼル機関車が車掌車を牽引した訳ですから・・・・

やはり何でもお金がネックですね。
トロッコの客車、機関車も買う訳ですよね

EF63 2002年 07月 24日 15時 11分 41秒

う〜んさん

ご指摘
ありがとうございました。

EF63 2002年 07月 24日 15時 08分 48秒

>(展望車の事例を出すのに、なぜパノラマエクスプレスアルプスなどを電車を指摘されないの
か不思議には感じました。これもちゃんと碓氷峠を通過しています。これなら、軽井沢に向かう
下り列車でも「前方展望」を楽しめます。ただし、上り列車では前方にEF63がいますが)


パノラマエクスプレスを忘れてました。

本題と関係のないことですみませんでした。

うーん 2002年 07月 24日 14時 57分 17秒

下記投稿で誤記がありました。
残存EF62のうち52号機とあるのは間違い。54号機でした。
お詫びして訂正させていただきます。

うーん 2002年 07月 24日 14時 52分 29秒

清水様
復活列車で(それがどういう形態のものであれ)、前面展望の件、賛成です。
全面でもいいかも知れませんね。
ちなみに、碓氷線でEF63、EF62牽引の貨車改造イベント列車が走った記録もあります。
残念ながら写真見ただけで乗りそびれましたが。

うーん 2002年 07月 24日 14時 44分 32秒

ひろざ様のご意見に同感。
車窓の問題は、LRTやトロッコ列車や展望車などが走るという前提になれば、違ってくると
は思いますけれども。熊の平をもう一つの基地として「アプトの道」や中山道とネットワーク
を組むようなやり方もあるのかなと。というのは、軽井沢などへの足というだけで果たして
十分な利用客が望めるのかどうかです。列車に乗ることそのものにも魅力があるようなものを
考えていくのも重要かと思いますよ。

***

ひょっとすると揚げ足取りになるかも知れませんが・・・。

客車列車・貨物列車以外で、軽井沢寄りに機関車が(EF62であれEF63であれ)連結
されることはありませんでした。従って、下り列車(軽井沢に向かって峠を登る)の場合に
「邪魔っけな機関車」が前方展望を邪魔することはありません。もっとも、165・169・
115にしても、前方展望を考慮した先頭車構造にはなっていませんから、運転室のカーテン
が開いていても前方展望を多くの人が楽しむには難があったでしょうけど(笑)。
(ファン的にはEF63の顔見物が良かったなどという回想話は、オイトキます、笑)
スーパエキスプレスレインボーやサロンエキスプレス東京などは確かに両端が展望室になって
いましたが、客車なので下り列車では前方にEF62が連結されてました。したがって前方
展望は楽しみようがないわけで(笑)。ただし、上り列車の場合には「後方展望」は楽しめ
ましたよ。
(展望車の事例を出すのに、なぜパノラマエクスプレスアルプスなどを電車を指摘されないの
か不思議には感じました。これもちゃんと碓氷峠を通過しています。これなら、軽井沢に向かう
下り列車でも「前方展望」を楽しめます。ただし、上り列車では前方にEF63がいますが)

なお、オールM車については、在来線電車特急全盛時の当時でさえ経済的に不利という判断
で、検討だけで終わりました。

***

それと、
「過去には115系6両を押し上げたりしていた例もあります。80系も・・・・」
と書かれた人がいますが、これもやや揚げ足取りかも知れないことをば書けば、
非協調電車の場合、最大8両。115でも、クモニ+クモユをつないで7両編成の列車も
ありました。(碓氷線晩年の115の3両編成なんて、しかも昼間の閑散時間帯ではEF63
は力持て余していたはずですよ。計算上は、重連EF63のうち1両を動力カットしていて
も登ってしまえるわけで)
ちなみに、軽量客車ならば11両というのもありました。急行時代の「白山」ですね(厳密
には、両端にスハフ42が入っているのが末期の姿ですから、オール軽量客車ではないです)。
余計な知識をひけらかせば(笑)、EF63は単機から3重連までの運用も検討されていました。
新線初期には単機牽引の列車もありました。結局、重連での固定運用に落ち着いたのは、
安全対策ならびにコスト面の問題(編成変えや機関車運用の手間、電気使用量など)からだと
されています。

「碓氷峠を上るときならEF62などの電気機関車を連結せずに、EF63(今はないので他
の機関車?)だけで押し上げると言う案はどうでしょう。今EF63は12両のこっているん
だし。」
一応、真面目に回答させていただきますが。
まず、列車を押し上げるだけならばEF62無しでもOKです。編成は短縮化しなければなり
ませんし、前方監視の問題もありますけれども。これについては、軽井沢寄り客車先頭部に
簡易運転台を装備するなどの方法もあります(技術的には全く問題ありません。国内でも
導入事例はあります)。
残っているEF63ですが、14号機は痛みが激しいようですから対象とするのは難しい
でしょう。1号機も問題外かな(動態復元工事費用が相当かかるでしょう。外観は綺麗に
補修はされてますけれどね)。22号機も、私有物ですし、移動も不可能だと思われるの
で問題外。軽井沢の2号機もいかんともしがたいような(笑)。となれば残る対象は、
8両。さらに長野の1両は、所有権問題がどうもよくわからないので、どう考えるかわからん
状況。(もう1両はJR所有のはず)ですから、7両。
どれも比較的全検が新しかったものですから(だから廃車解体を免れたという側面も
ありますよね)、状態は最悪ではないですが、24号機と25号機を除いては整備もされない
まま(廃止時点で車体洗浄すらされないままです)長期に渡って野ざらしで、11号機と12
号機は痛みが結構激しいようですし、内部部品の一部が動態保存機のために再利用されている
とのことですから、ちと厳しい状態かも。10号機と18号機は事実上移動が不可能(碓氷峠
鉄道文化むら施設の大工事が必要になってしまいます、笑)
と考えてくると、現時点で現実問題として復活の障害が少ないのは長野の19号機と、碓氷峠
鉄道文化むらの動態保存機24号と25号の3両ということになります。しかし、いずれも
本線復帰となれば、全検あるいは補修が必須でしょう。工場までの回送費用も含め結構な費用
がかかるはずです。
ちなみにEF62は残念ながらさらに復帰困難です。残存機も少ない(3両)ですしね。
1号機はEF63−1と同様の理由。52号機は移動困難。3号機は状態悪し。念のため。
さて、機関車の整備がOKとなったとしましょう(今更、碓氷線通過のための新型機関車
開発製造なんて、申し訳ないですが議論する価値はないでしょう)。
問題は、碓氷線の1500V送電施設の復活とその電力確保(東京電力は無理ですよ。残さ
れた道はJRから買うか、発電所を自力で建設するかです)。EF63通過に耐えるための
線路等の整備(モーターカーやトロッコでは現状でもほぼ大丈夫なようですが、EF63復帰
となれば線路などの徹底した整備が必須となるでしょう)も相当の費用と時間がかかるはず
ですが、何よりも問題なのは電力確保のこと。莫大な費用がかかるでしょう。
(このあたりは、この掲示板でもこれまでさんざん議論されてきていますし、情報提供もされ
ています)

鉄道ファンとしての回顧とか「夢」の話も否定しませんけれども、廃線から5年が経過し、
いよいよ再来年には限定的にではあれ区間復活する現時点で、いまだにそういう話を真面目
に「案」として提案する人が絶えないのには、いささかウンザリです。今、そんな「案」に
現実性があるのかどうか、議論する価値があるのかどうか、ちょっと考えてみれば誰でもわ
かることだと思うのですが。判断するための情報は簡単に入手できますし、この掲示板でも
再々、いろいろな人が書いていることでもあります。にもかかわらず、こういう「案」が
繰り返し出てくるというのは、好意的に見ればファンの回顧の気持ちがそれだけ強烈だと
いうことでしょうが、客観的に見れば一種の妄想に囚われているとしか思えなくもなく。
EF63による列車牽引などは将来の夢としては否定しません(でも、碓氷線での運転や、
まして本線復帰などという類は、あり得ないことでしょう)。でも、今、考えるべきなの
は、どうすれば碓氷線全線開通が可能になり経営が維持できるかという現実的な案です。
(回顧とか空想を書きたいのなら、他にも良い掲示板がありますので、そちらへどうぞという
感じでしょうか、笑)

なんだかんだ言いながら、結局、今回もまともに反応してしまいましたが、議論をマトモな
本線に戻すべく、敢えて書きました。
カチンと来た人もいるでしょうが、反論があればちゃんとした日本語でお願いします(笑)。

***

最後に、碓氷峠大好き人間様
あなたにはちとがっかりです。tsuka様への無礼にもほどがあるのでは。

ひろざ 2002年 07月 24日 13時 00分 18秒

 久しぶりにこのサイトを拝見いたしました。 いまだに「碓氷線」は、EF63への回顧…なのかなあと思いました。事業の視点からすれば、かつての運転方式はNGであることを認識しなければいけませんよね。 採算がとれれば碓氷線を廃止することはないわけですから。 でも廃止になった事実から、復活を検討するという困難なテーマで議論しているわけですから、いまさらEF62、EF63、189系だ!ということは白紙にしないといけませんよね。碓氷線が粘着方式になったときに専用ELが必要になったのは、当時の旅客、貨物とも機関車牽引が中心であったためです。 今新たに碓氷線を事業として動かすためには、最終目標としては横川と軽井沢を結ぶ鉄道事業を中心とした各種観光事業を目指すことと思います。 当然営業車両は、できるだけメンテナンスフリーや補機を必要としない急勾配を自走できることが必要でしょう。但しJR線よりの団臨(と言っても、今や東日本は電車中心ですが…)、上越線の迂回ルート、災害時の救援として機関車の配置は必要かもしれません。 が、それはメインの輸送手段
ではないのですね。そういう意味では、LRTは、技術的に解決しなければならない問題はあるかも知れませんが、現実性を持ったアプローチですね。 トロッコで旧丸山信号所までの往復は成功してほしいとは思いますが、「車窓から観る」碓氷峠の景色は、
私は印象にはありません。下り線ですらトンネルだらけの印象です。沿線から見る碓氷線は、被写体として魅力的ではありますが「それだけ」の印象なのです。 現在の活用方法は、観光資源としての丸山付近の温泉施設への足、あとは軽井沢への足としてしか活用ができない感じですね。 それ故、しなの鉄道沿線自治体、信越線沿線自治体との
協議による更なる事業活用方法を審議しなければ、恐らく碓氷線復活は不可能でしょう。 それほど困難な道なのですよ。    

うーん 2002年 07月 24日 10時 03分 57秒

あのねぇ・・・。
もう疲れて何も言う気力なし。LRTなどでせっかく、現実性がある方向に議論が行き始めた
ところなのに・・・。

誰か指摘してやってください。ワシはもう疲れました。

EF63 2002年 07月 24日 08時 02分 32秒

すみません 【EF63】が抜けました。

【EF63】は過去には115系6両を押し上げたりしていた例もあります。80系も・・・・

EF63 2002年 07月 24日 07時 58分 36秒

>>あさまで通過した人は碓氷線の前面展望なんてきっと知らないはず。115だって前に邪魔っけな機関車が付いて、前面展望の楽しみはなかった。今度復活したら「碓氷線の全てを見せます」として両端の座席を前後進行方向に配置して、そこだけ指定席として少々割高にいただいてもいいんじゃないかな。事実、私も見てみたいっす。
列車が横川に着いて、前方を見渡すと見事に切り立った山々。「これからあの山に挑むんだな」って、気の引き締まる想いがしたものです。あの感動よもう一度!

これはいい考えですね〜。

これ関係して碓氷峠はスーパーエクスプレスレインボーが、臨時として通ったことがありましたよね。(サロンエクスプレス東京とか)あの列車は前が展望になっていましたよね。
過去には115系6両を押し上げたりしていた例もあります。80系も・・・・
碓氷峠を上るときならEF62などの電気機関車を連結せずに、EF63(今はないので他の機関車?)だけで押し上げると言う案はどうでしょう。今EF63は12両のこっているんだし。
う〜んさんがいったように
>廃止時点ですら、あなたが言う「いいところ」よりは、廃止止む無しとされる原因
となった「わるいところ」が圧倒的になっていたわけです。・・・・・・・

とありますが・・・

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 24日 07時 28分 45秒

>勝手に「去った人」にされてしまった・・・。

あはっ・・・・ すいません。。」

清水是康 2002年 07月 24日 03時 10分 45秒

うーんさんもtsukaさんも大人ですねーー エライッ! パチパチ

私も電気機関車マニアとして62・63の魅力は十分存じてるつもりですが、地元の方にとってみれば、「あれを理由に廃止されてしまった」とも受け取れなくはない。恨めしく思っている方もいるのでは? もっと早くに全M案などが実現できていれば良かったかも知れない。けどそれならそれで乗降客の少ない横川を、あさまは通過していったかも知れないんですよね。んーー、まさに痛し痒し・・
名実ともに急勾配が碓氷の急所だったわけですけど、これからは是非、その急所を売り物にしていきましょう。
というのは、あさまで通過した人は碓氷線の前面展望なんてきっと知らないはず。115だって前に邪魔っけな機関車が付いて、前面展望の楽しみはなかった。今度復活したら「碓氷線の全てを見せます」として両端の座席を前後進行方向に配置して、そこだけ指定席として少々割高にいただいてもいいんじゃないかな。事実、私も見てみたいっす。
列車が横川に着いて、前方を見渡すと見事に切り立った山々。「これからあの山に挑むんだな」って、気の引き締まる想いがしたものです。あの感動よもう一度!

京浜急行が横浜品川間で快速特急の120キロ運転してるの知ってます?
住宅街スレスレを走ったり、踏切も多数あるし、これが結構なスリルなんですよ。だから京急の快特はいつも運転席の後ろがバカに混んでる。マニアが集まってるんじゃなくて、若いカップルなどが陣取って「この電車すごいねー」なんてやってる。こうなってくれればしめたものです。

tsuka 2002年 07月 23日 22時 42分 24秒

勝手に「去った人」にされてしまった・・・。
あいた口が塞がらないし、納得できない点もありますが、とりあえず「自粛」は撤回します。

どうか皆様、これからもよろしくお願い致します。

うーん 2002年 07月 23日 21時 41分 53秒

碓氷峠大好き人間様
問題の投稿で仰りたかった主旨は理解しました。
でも、内容的にはどうかなというところがあります。
そういう機関車を作る(開発する)ことが、果たして現実的なのかどうか。
ここしばらくの議論の流れをもう一度、読み返してくださいね。

EF63とEF62の「いいところ」として、あなたが書いているのは、廃止前の時点での
技術的な話であって、現時点ではどうなのかについての検討が為されていませんね。
第一、廃止時点ですら、あなたが言う「いいところ」よりは、廃止止む無しとされる原因
となった「わるいところ」が圧倒的になっていたわけです。このあたりは、この掲示板の
過去の投稿記事をもう一度よく読んでください。

それと、単に信越本線全線(という言い方も現時点ではどこを指すのか難しいですが)を
走るだけならEF63でも可能。ご存知かどうか知りませんが、大宮工場での全般検査時
にはEF63は横川−大宮間を自走していたのですよ。

いずれにしても、意見を書かれる場合には、過去の投稿をよく読んで理解して、そして今何が
議論されているのかということを理解してから、実行された方がよいですよ。それがしっかり
していれば、多少日本語の文法がおかしくても、これほどまでにシカとされることはなかった
でしょう。(繰り返しますが、ここの掲示板はまだ優しい方ですよ。余所の掲示板であなた
のような投稿を繰り返せば、もっと手厳しい反応がかえってくるでしょう)

それともう一つ指摘しますが、他人の文章の引用は、引用箇所がはっきりとわかるように
括弧(「・・・」)でくくるとか、引用譜(>・・・・)を引用文の行左端に入れるとか
すべきかと思いますよ。あなたの文章がわかりにくい、大きな原因の一つです。要するに
どこからどこまでが他人の文章の引用で、どこからがあなたの意見なのかごちゃごちゃして
見えてしまう。こういう気配りというか作法というのは、学校でレポートを作成する際にも
非常に重要なことなので、この機会に是非、身に付けてくださいネ。

以上、老婆心ながら(意味は、辞書など使って自分で調べてください)。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 22日 22時 16分 30秒

この前の投稿を今見て、はっとしました。
<長い間お世話になりました。この掲示板から去ることにします。>
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ
気持ちの整理がつくまで、投稿をしばらく辞めたいと思います。
と書いたのに、去ることにしますなんて書いてありました。。
tsuka様が去ってしまいました。。この大間違いで……
大変申し訳ありませんでした。
碓氷峠大好き人間様
あなたの問題の投稿、私も後で拝見して、主旨がよく理解できませんでした。
ああいう批判を受けた場合、いろいろな反応があるとは思いますが、そこで再度あなた自身の
考え方なりを説明してみるというのも、あり得たのではないかな??
と書かれたう~ん様、はいその通りです。
まとめて言います。EF63のいいところは碓氷峠を登ぼれる。EF62のいいところは
碓氷峠以外のところも走れる(EF63の力を借りて碓氷峠を走れる)。その長所を混ぜ合わせて 信越本線、碓氷峠、EF63の力を借りずに、 信越本線全線を走れる機関車を作っては??と言いたかったんです。

分かっていただけたでしょうか?
わからなかったら、また言ってください。

では


またいつか
気持ちの整理がついたら………

うーん 2002年 07月 22日 14時 13分 14秒

坂本湖畔の産廃の件ですが、
私が問題視しているのは、「アプトの道」に面した斜面に放置されている部品群や鉄屑など
の方です。あの斜面は私有地ではないと思いますし。「アプトの道」沿いの問題ですしね。

旧道側の敷地内におかれている車やバイクなどについては、個人コレクションの範疇だと思い
ますし私有地内でもあるので、私はとやかく言うつもりは全くありません。まぁ、せっかくの
コレクションなのでちゃんと綺麗に整備して展示すればいいのになとは前から感じてはいま
すけれども(勿体ないですから)。でも観光客から見れば、ちと異様な光景でもあるので、
どうしていくかは町と所有者との話し合いに期待するしかないでしょう。

「地元のことなのでこれ以上部外者が・・・」ですけれども、それ言ってしまうと、この
掲示板で鉄路復活のことをワシらのような非町民がとやかく議論するのもアレですよね(笑)。

確かに、地元の微妙な問題ですから、ワシらとしては節度ある態度で取り上げるべき事柄だと
は思いますが、地元ではタブー的であることを敢えてワシらが指摘するというのも時には
必要なのではないでしょうか。

しもやま 2002年 07月 22日 11時 02分 28秒
URL:http://www07.u-page.so-net.ne.jp/xg7/ayuayu/

このところ私の方はバタバタしておりまして、
少しご無沙汰しますと随分進みますね。これまでの経過を読み返しておりました。

少し前にありましたLRT導入に伴うホームの高低差の件、
私も当初から気づいておりましたが、そのとき考えたのが、
momoは片側にしかドアがありませんので、高いホームの方はLRTの
ドアのない逆側に設けておき、国鉄型車両はLRTと逆の口から
乗り降りすれば解決かなと思っておりました。
或いは、既にホームが建設されてしまってる場合は、LRTの停止位置を
ホームより更に先に設け、そこを乗降口にすれば良いと。
つくづく低床式路面電車というものは融通がきくもので感心しますね。

坂本湖畔の産廃とあったのは、
うーん、私がちょっと知る範囲ではコメントしづらいのですが、
(私も乗り物何でもござれで、バイクもまた範疇)
地元の事なのでこれ以上部外者が言うのは控えたいと思います。
当人と直接お話されるのが一番良いのではないかと。

清水是康 2002年 07月 22日 03時 19分 35秒

EF63さん、n.odaさんはじめまして。
>たくさん人を呼びこむような書き込みをしましょう。
ご活躍に期待しております。
>もっともっと、大きな心を持って、みんなで助け合っていきましょうよ!
私もそう思ってまいりました。しかしあの文章をどんなに好意的に解釈しても、他の書き込みを読んでおらず、>一個人の独りよがりな復活論 としか思えませんでした。(私も以前うーんさんに正された思い出があります)でもそれが本当に碓氷のためだと本人が真剣に考えているのなら、宣言した上で退出との手段はいかがなものか。構想をもっと詳しく説明するなりがあってしかり、だと思います。碓氷やみんなの為だと真剣に思うのならね。
ネットだから、こうして情状に訴えかけて、それを汲んでくれる人も中にはいますけれど、会議室で面と向かい合っていたならどうだったろうかを考えてみてください。退席は反対派を喜ばすだけですぞ。

本題に戻りましょう
下の鉄道ジャーナル記事は、私が前に「松井田の人に読んでもらいたい」としてメールで希望者を募ったんですけれど、見事一通もなかったので、多少迷惑とは存じながら目の触れるところへ貼らせてもらいました。関係者でなくても身につまされるというか、少なからずのショックを受けられたのでは?とお察しします。
>「鉄道は斜陽産業なんだろうか」と問われて、「YES」という地域と「NO」という地域が存在するように思います。川島令三氏著「鉄道はクルマに勝てるか」(著者・著作名とも多少誤認してるかも知れませんので、もし購入される時にはご確認を!)という本を立ち読みしたことがありました。〜によると、近から中距離で渋滞もない場合、人は自家用車を快適と感じる、とのことでした。ですから北海道のような地域では存続運動とは全く逆の、住民が鉄道の存在価値に疑問をもつというようなケースも、北海道の友人から聞いております。一方、首都圏輸送のような場面で鉄道を廃し、全員が自動車で動き回るようなことになりますと、それだけで地域経済が行き詰まることでしょう。曰く重要な幹線と、首都圏の通勤通学輸送路線しか残らないのではないか。ということです。
しかるに金谷という中途半端な駅から、しかも盲腸線となっている大鉄がこれだけやれているのは大健闘であると考えています。翻って、横川の地も今となっては少しヘンピかも知れませんが、相手方に軽井沢・長野といった大観光地・大消費地を置いているのに、「様子見のトロッコ」とは実に勿体ない。消極的にすぎるような気がするのです。
また、年々求心力を失ってゆくSL列車を抱きかかえ、様々な営業努力と工夫。何故碓氷がこれをトレースせねばならないのか。こちらは痩せても枯れても本線であるのに、これには屈辱を感ぜずにはいられません。
ちなみに岡山のLRTmomoの場合で車両価格が2億3千万。これをそのまま、金利も考えずに20年償却としますと毎月95万8千円の計算になります。(車両代だけですからもちろん乗務員給与・ランニングコスト等は一切含まれていません)トロッコの予算は確か3億って言いましたっけね・・・ホントにいいんですか? ホントにやるんですか?
皆さんのご意見お待ち申し上げます

うーん 2002年 07月 21日 22時 30分 07秒

清水様
私もご紹介の記事読んで考え込んだくちです。
私は、知り合いの某鉄道会社社員から「鉄道は斜陽産業なんだろうか」と問われて、答えに窮
したことがあります。これも難しい問題ですね(鉄道ファンは、廃線イベントで盛り上がる割
には、こういう問題については奇妙な思考停止状態が多いような気がします)。

n.oda様
ご指摘ごもっともだと思います。
ただ、私個人の意見としては、この間の若干のギクシャクは、ファンというもののあり方に
変化が生じていて、そのギャップからくるものかなとは思います。
私達の世代では、インターネットなどという便利なものは全くなくて、わからないことはとに
かく自分で調べるしかありませんでした。人に教えてもらうとしても、ほとんどの場合は、
とっつきにくい趣味先輩か、鬼のように怖い雰囲気がある国鉄現場職員の方たちであって、
「何を、何のために、どの程度まで知りたいのか」を予め考えて質問しないと、とんでもなく
惨めな目にあったものです(笑)。
そういうワシら世代からすれば、雑誌でも飽きるほど掲載されたし、インターネットで検索す
れば選択に迷うほど出てくるような事柄について(しかも、この掲示板の過去ログで何回も
登場した事柄について)、こういう専門性というか目的意識の明確な掲示板で質問されると、
心底がっくりくるわけです。
「どこを調べればよいか」的な質問であれば喜んで教えたくなりますが、最初から「答えを教
えてください」となると(しかも議論の流れとは無関係な内容で)ちと疲れます。
私が知る範囲では、他の掲示板でこういう質問をされるとあっさり完全無視されてしまうのが
ほとんど(常連組は、安易に答えを教えてしまうと、さらに「教えて教えて」が増えていくの
を経験的に知ってますし、また質問者本人のためにもならないと老婆心も抱いてたりするので
すよ、多分)。
しかるに、この掲示板では何だかんだ言いながら答えを書いてしまう人(ワシですね、笑)
とか、厳しい表現ながらも諌めようとする人などいて、私に言わせれば極めてアットホームだ
と思うのですね(ちと口うるさいオヤジやアニキがいるぐらいでしょうか)。

「わからないことは恥ではない」・・・全く正しいと思います。私も大昔は、碓氷線の知識など
なく安物のカメラぶらさげて、ただうろうろと現地を徘徊している小学生にすぎませんでした。

しかし、「知る方法、調べる方法、考える方法」を知らないままのは、非常に不利なことです。
さらに言えば、結果としての知識だけをイージに求めるというのは、不幸なことです。
その人自身にとって。
この間のやりとりで、n.oda様が懸念されたような厳しい雰囲気が出てしまったのは、私も
含めて返信者が上記のような懸念を質問者に感じてしまったことによると思うのです。

うーん 2002年 07月 21日 21時 50分 27秒

有休明けであります(笑)。
碓氷峠の自然保護について、ちと考え込んでおりました。(仕事でばたばたしてたのもあり)
別に「居ない」というわけではなく(皆様のやりとりは、やや遅れぎみながらもちゃんと拝見
しておりました)、考え中だっただけであります(笑)。
自然保護問題については、結論がまだわかりません。究極の自然保護は、現地の一切の開発は
中止して、人の立入りも制限、人間の干渉は最低限に留めるというものでしょう(いわゆる
長野モデル?笑)。しかし・・・、それでは人間の利益が得られない。碓氷峠に観光客を集め
ることもできない・・・。熊の平の水源地にしても、もしその水源地を破壊することで多くの
観光客を集めることができて松井田町財政に寄与し、そして碓氷線全線復活維持に欠かせない
ということであればどうなるのか。
自然保護を選択するのか(もっとも水源地保全という問題意識は、自然保護そのものとは少し
異なるようにも思えます。住民による利用現状維持が最優先になっているからです)、観光開発
を選択するのか。難しい問題です。

もっとも、第3橋梁付近や坂本湖畔ロッジ風建物付近の産廃については徹底的に取り締まる
ことは、自然保護、観光開発双方の立場にとって必須ではあると思います。
町の目玉観光コースに家電ゴミとかがごろごろと捨てられている現状は、とんでもないこと
です。(坂本湖畔ロッジ風建物のオーナは松井田町民にして元国鉄関係者だと聞きましたが
一体何を考えているのか理解に苦しむところです。この件は、どうやら地元ではタブーな話題
なようですが、私は敢えて触れます。恐らくネットでは初告発かも、ちと大袈裟か、笑)

ちと脱線しました。

でも、観光開発と自然保護を対立して考える私の感性に問題があるのかも知れません。
自然を破壊して行う観光開発というもの、そろそろ人々は見放してきているかも知れないと
いう予感です。むしろ上手に自然を保護(上手云々にまだ私に思考の曖昧さが出ています、笑)
するほうが観光客を呼ぶことになるのではないかと。ここはもう少し考えさせてください。

いずれにしても自然を破壊するのは簡単ですが、自然を修復するのには長い年月と多くの手間
と莫大な金がかかるのは事実でしょうから、碓氷峠の開発にあたっては100年の計をもって
あたって欲しいとは思います。ただし、碓氷峠鉄道文化むらなどの現状を見ると、松井田町
には失礼ながらそのような見識や当事者能力が十分にあるとは思えません。ですから、民間の
知恵が必須なのだと思われます。

LRTのそもそもの問題意識は、エコロジー(省エネ&自然保護)と真の人間中心主義への復帰
(例えばバリアフリー)ではないかというのが個人的感想です。限定的な輸送力でOKという
ことであれば、恐らく技術的には実現可能なものと思われます。

***
以下、念のための指摘。

「横軽対策」、これは言い換えればEF63牽引対策なのです。66.7パーミル区間で
強力なEF63重連に推進あるいは牽引されて、長編成で限界的運転を行った際、空転や
万が一の急ブレーキなどでの安全対策が施されたという意味。(粘着新線での試験運転で
多くの車両をぶっ壊して得られた経験による対策です)
従って、EF63のような強力な機関車による長編成での高速運転をしないという話であれ
ば、廃止前までの「横軽対策」は不要もしくは相当様変わりするわけです。
ディーゼル機関車などでの運転で、わざわざ「横軽対策」の客車を充当しなければならない
必然性はありません。それどころか、わざわざ重い客車(旧客など)を充てるのは現実論と
しては非常に考え難い選択肢だと思われます。

それとEF62やEF63による復活というのは、指摘させていただいた通り、電力施設の
問題がありますし、なによりもまともに稼動可能な機関車は碓氷峠鉄道文化むらの動態保存
の2両を除いてはもはや存在していないという問題もあります。静態保存、もしくは留置状態
の機関車については少し前に紹介させていただきましたが、いずれも現役復帰には多大な困難
があるものと思われます。鉄道ファンとしての希望(夢?)については私も理解しますが、
真面目に復活を議論する際には、現時点ではEF62やEF63はたまたECオールM車云々
というのは現実性はゼロに近いと指摘せざるを得ません。
まぁ、今は碓氷峠鉄道文化むらなどにEF62やEF63をできうる限り良いコンディション
で保存することに努めていただき、遠い将来での1500V運転復活時に完全動態復元する
選択も可能なようにしていただくよう期待するしかないのではないでしょうか。
(鉄道ファンが動態復元費を出し合ってとかいう形態は当然必要になるでしょう)

短期的に何が可能なのか何を為すべきなのか、中長期的にはどうなのか、それをきちんと
踏まえながら議論するのが望ましいと思います。とにもかくにも再来年には区間復活する
段階に来ているわけですから。夢を現実にするのは、私達の力です。

***

tsuka様
この間のやりとり拝見しておりましたが、tsuka様が投稿自粛すべき理由は全くないと思います。
tsuka様は復活のためという旗幟鮮明にして積極的で有意義な投稿をされてきたと思います。
多少の行き違いよりは、そういう投稿の継続責任の方が大事だと思いますよ。

碓氷峠大好き人間様
あなたの問題の投稿、私も後で拝見して、主旨がよく理解できませんでした。
ああいう批判を受けた場合、いろいろな反応があるとは思いますが、そこで再度あなた自身の
考え方なりを説明してみるというのも、あり得たのではないかな?

n.oda 2002年 07月 21日 21時 46分 32秒

いつも、読ませて頂いています。突然の書き込みですみません。しかし、なんか、最近違和感を感じるので、読んでいる立場として、意見を書きます。
不愉快に感じる点もあると思いますが、ご容赦くださいな。
この掲示板は、みんな真剣に廃止されてしまった碓氷線の復活を願ってあの手この手を考え、意見交換をしているんですよね?
で、自分自身も廃止されてしまったいきさつや、復活の方法をこの掲示板で知ったり、学んだりしているんですよ。
そして、この掲示板の良さは老若男女問わずに書き込みや、読んだりすることができる利点があります。
ですから、書き込みに対して中傷などがない限りは、知識を持っているみなさんで協力して、復活の願いを叶える方向で協力をしないと、まとまる物もまとまらなくなってしまうのでしょうか。
私の文も不完全ですし、どれほどの事を社会に出る前に学んできたかは個人によって違うのですから、もっともっと、大きな心を持って、みんなで助け合っていきましょうよ!
掲示板に本気で思い入れを込めて書くから激論にもなるだろうけれど、原点は「碓氷線を復活させる」ですよね。
お互いに、他の人の意見にも耳を傾け、そして、わからないことは恥ではない事をみとめて上げてはいかがなものでしょうか?
で、ないと、一個人の独りよがりな復活論しか、発言できなくなってしまいますよ!
復活を本気で願うひとりとして、この掲示板が今後も多くの人の意見で盛り上がることを切に願っております。

PS 乱文にて突然失礼しました。

EF63 2002年 07月 21日 19時 05分 48秒

新人です。
これからよろしくお願いします。

ところで、現在は、よく見ているとtsukaさん、碓氷峠大好き人間さん、う〜んさんが今居ません。清水是康 さん ゆとり さん湘南準急さんしか居ません。
たくさん人を呼びこむような書き込みをしましょう。

tsuka 2002年 07月 21日 11時 05分 18秒

私の「檄」な文で、この掲示板を去る方が出てしまった点について反省しております。
また、その方に最後まで解って貰えなかった事に空しさも感じております。(いちいち反応して)ムキになって書き込むんじゃなかった・・・。「けじめ」という程の事でもないかと思うのですが、しばらくの間、書き込みを自粛します。
私の書き込みに不快感を持たれた他の皆様にも、お詫びします。すいませんでした。

tsuka 2002年 07月 21日 08時 19分 09秒

大井川、苦労してるんですね。(鉄道ファンだけ相手にしていてはダメって事ですね)

今、碓氷線を復活するとなると、
1.地域の公共交通機関 
2.観光鉄道 
3・軽井沢に対するパークライド輸送機関
等の形態が考えられるかと思います。
まだ大井川に比べると、地域的条件(山間駅で行き止まりではない)は恵まれてはいると思いますが、動く鉄道博物館という訳にはいかないですよね。

私としては1.と2.だけの性格を持った碓氷線の復活は、長期的には苦戦を強いられてしまうのではないかと心配しております。ベストは1〜3全てを満たす形での復活かと。
いずれにしても、課題はありますがLRTでの復活、イケルのではないでしょうか。

部分復活予定のトロッコ列車、永くやっていくには色々工夫していかないと大変そうですね。観光鉄道そのものですから。

清水是康 2002年 07月 21日 01時 45分 19秒

場所とらないようにギュウギュウ詰めにします。読みづらいと思うけど、観光鉄道というものをもう一度みつめ直したらいかがでしょうか。

鉄道ジャーナル記事 2001年2月号24〜25ページより抜粋

(同乗ルポ部分省略)
 さて、このように観光客に大人気のSL列車であり、SLあっての大井川鉄道なのだが、それを経営するサイドから話を聞くと、楽しさとは裏腹の観光鉄道の現実がある。
「鉄道会社として健全なら、SLの運転など一刻も早くやめたいですよ」と、いきなり三歩退くような言葉で口火をきったのは、大井川鉄道専務取締役の清水武さんである。
「正常な鉄道経営とは地域の足を基盤に、経営が成り立たなくてはいけない。そうでない鉄道は残念だが輸送機関として期待されていないわけですから、私企業としてはやめていいというのが最近の大勢のようです。国鉄改革のさいも、輸送密度2,000人以下は特定地方交通線として鉄道輸送をやめるべき…と線が引かれましたよね、大井川鉄道の現在の輸送密度は1,557人で、減少傾向はとまりません。しかし、こうした考えだけで大井川中流域の生活が守れるのか心配です」
 SL運転当初、1976年(昭51)の総利用者数は237万5,000人で、このうちSL列車乗車人員は5万2,000人だった。輸送密度は3,000人を上回っていた。対して1989年(平1)には総人員が137万9,000人、うちSL乗車人員は18万8,000人となった。たしかにSL乗車人員は3倍以上になっているものの、総人員ではそっくり100万人が減っている。その後、2年は長島ダム建設にともなう井川線のアプト区間開業の人気により142万7,000〜8,000人となったが、その後はまた減り続けている。ことに1997年以後の落ち込みは大きく、1998年は総人員が103万2,000人、SL乗車人員は1996年に24万2,000人に達したものの、これも以後減って20万4,000人となった。これにはバブル崩壊も大きかった。
「高い運賃を設定し、観光客に起点から終点まで乗っていただくことで延べ人キロや収入の減少を抑えていますが、それでも日々減っていく沿線旅客はカバーしきれません。大井川鉄道は何のために存在する鉄道か…と考えると、収入の5割近くを沿線外からの観光客に依存するというのは一般の地域鉄道として異常な状態です。SL列車なしで現在の収入が維持できるとしたら機関車に3人、客車内に3人、補機に1人と人手のかけるような列車は許されないわけで人手を減らして運行できれば、運賃も下げられますし、株主にも還元することができるでしょう」
「現在は徹底的な合理化をしたうえに社員の賃金をカットしてまで鉄道を維持しています。民間企業に、“公共の使命”の名のもとにそこまで要求することは、はたして正しいことですか。世界中で過疎地の公共輸送を独立採算としている国はありません。姉妹提携を結んでいるスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道も私鉄ですが、この鉄道がなくなったら観光客などだれも訪れず、町がなくなると判断して地元が大いに出資している、実質的に第三セクターです。また、日本に習って民営化したといわれるイギリスですが、ローカル線は民営化後の事業者がいくらの補助があるなら運営を請け負いましょう…という方式で決定されています。大井川鉄道のSL列車自体が大きな要素となって、沿線に運び込んでいる観光客の数は相当でしょう。ですから第三セクター化なども含めて、地域全体の問題にしていただけることを願っています」
「このまま輸送密度が1,000人を割れば、地域にとって不要な鉄道と判断されたも同然で、鉄道事業からすみやかに退出すべきということにもなるでしょう。大井川鉄道はSLを動かすことや、保存を目的として存在するのではありません。鉄道を残す手段をSLに頼っているということです」
 清水さんの口調はざっくばらんだが、内容は重い。勘違いしてはいけないのは、決して鉄道をなくしたがっているのではないということで、核心は私企業の手に余るローカル鉄道をいかなる方法で維持するか、またその是非を広く一般に問うていることなのである。
 さて、その一方で現在の大井川鉄道を支えるまでとなっているSL列車自体の営業展開も、近年は変化している。運転開始から1993年までは機関車の増備で運転本数を増やし、ターンテーブル設置、夜間運転、撮影会、重連、三重連運転など、いわばSLファンにとっても正統的なイベントが多く、それによりSL列車旅客数の増加も維持できていた。しかし各地にSL列車が増えると伸びがなくなり、オーソドックスにノスタルジーに訴えるだけでは限界になったという。
 そこで、今後の旅客になりうる子供たちに訴えかける長期展開として、テレビ番組とリンクさせて1995〜97年の夏休みに千頭駅で「トーマスフェスティバル」を実施した。ほんとうは大井川鉄道のSLをトーマスやパーシーに変身させて本線運転をしたかったのだが、機関車の構造と、なによりパテント問題が大きく立ち塞がり、結局はパテント保有会社やイベント会社の協力を仰ぎ、駅構内で移動遊園地式の催事とすることに落ち着いた。それでも予想以上に好評で、期間中のSL列車の乗客数は、前年を大きく上回ったという。
 1998年からは、よりインパクトの強い本線運転を実現するため、キャラクターを「アンパンマン」に登場するSLマンに替えて展開している。パテントについては、もとより番組が日本のアニメであり、テレビ会社、原作者のやなせたかし氏ともに協力を得られたことで解決している。C11 227をオレンジと緑に塗り正面に顔、サイドに腕などを取り付けた。テレビ・新聞や週刊誌にも取り上げられた結果、同年夏の乗客数は記録的となり、通年運転の定期SL列車を上回る乗車実績となった。もちろん予想したとおり、正統派SLファンからはきびしい非難の声も浴びた。その気持ちはよくわかる。だが、子供たちがSLを見る目は、決して現役時代を彷彿とさせる“くろがねの馬”ではなく、“トーマス”や“アンパンマン”とこそ重なるのだという。
 そもそも大井川鉄道のSL列車は、それ自体が同社最大のイベント列車であり、車内の様子は乗って見たとおり。じっくりとSLの音に耳を傾けたい人、ニス塗りの室内や白熱灯の点るデッキなど昔を思い出し、静かに郷愁の旅を味わいたい人は、おそらく10人中10人が眉をひそめるに違いない。しかし、鉄道営業を続けるためのSL列車という位置づけからすると、注目されるイベントを繰り返してゆく以外にない。そこまでしても、現実の旅客は減っているのである。
 加えて…、SLの機関士を務める乗務員の若返りは図ることができた。3Kにもかかわらず、この仕事を選んだ若い社員に対して労をねぎらう言葉も聞いた。だが、課題として、車齢60〜70年にもなる老朽車両の根本的な整備、維持、修繕の問題は、ますますきびしい。しかし、SLの点検・補修はなんとしても実施せざるをえず、その技術を維持することと、その費用の捻出は並大抵ではない。また、一般論として10両程度を保有するだけの電車や気動車の検修施設を各社ごとに用意しなくてはならないことも、ローカル私鉄の存在をよりきびしいものにする一因だろう。
 苦境を物語るように、以前の大井川鉄道は2000年10月1日に子会社を含めた組織改廃を行い、大井川鐵道となった。「今回の特集は何ですか」と聞かれ、私は咄嗟に「おもしろ列車です」と答えた。それに対して清水さんはいう。「おもしろ列車を走らせなければならない鉄道ほどきびしいのです。いつも同じ列車で、趣味としてつまらない会社ほど、安定した経営ができている証拠なのですよ」と…
 大井川鐵道のSL本線運転は、2001年に25周年を迎える。

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 20日 18時 33分 19秒

碓氷峠大好き人間さん
何回も読み返されたのですね。それは失礼しました。ごめんなさい。
しかし、鉄道用語等ならいざ知らず、このような場で日本語の文法の間違いや誤記を他人に教えてもらおうと言う事自体、遠慮したほうがいいと思いますよ。しかも「おかしいところがありましたら」あるいは、「どこが・・・」とおっしゃっていると言う事は、ご自分では「おかしくないじゃん」と思われている様子。
あなたには、かないません。負けました!もう何も言いません。意見してすいませんでした。
(どうしても気になるようでしたら、身の周りの親しい方に聞いてみたらいかがでしょうか)

でもあれは全然意味わかんないよねー

なんていわれては・・・・・・・・・・

碓氷峠大好き人間 2002年 07月 20日 18時 31分 44秒

この掲示板から去ることにします。
長い間お世話になりました。

問題なども起こしてしまいました。

皆さんにいやな思いをさせてすみませんでした。・・・・・・・・

清水是康 2002年 07月 20日 02時 43分 02秒

tsukaさんブチ切れっすか、まあまあ。でもあれは全然意味わかんないよねー

湘南準急さんご指摘の「別に高架でなくても」は確かですが、ただ既存の敷地を使うということになりますと、線路と枕木、バラスト等を撤去してからガイドウエイの工事に入らなければならず、ガイドウェイがモノレールなどより安価とは申しましても、1メートル当たりの工事費×11200倍(11.2km)ですから、仮にメートル単価を10万円と、かなり安く見積もっても11億2千万。プラス当面の車両代ですから、LRTの方がコスト的に優れているように思います。

DLでPCを押し上げる案は、DD51のように抑速装置の付いていないものでは、登った後、降りてくるのが不可能になりますので、既存のディーセル機の中ではDF200など、最新の電気式(液体式でもエンジンブレーキのかかるもの)を投入するかしないと無理でしょう。細かいことを言うと、液体式の抑速では各軸にかかるトルク調整が不可能ですので、電気仕掛けの方が多少分がよろしいかと・・・そんな感じです。

ゆとり 2002年 07月 19日 23時 35分 02秒

ガイドウエイバスの解説ありがとうございました。

鉄道ファンとしては、本意ではありませんが、実用性と利便性、投資リスクの点では、
ガイドウエイバスも碓氷峠復活の有力候補かもしれません。
碓氷峠には上り線と下り線がありますので、
例えば、軽井沢町や西○グループにガイドウエイバスでパークアンドライドを、
旧信越本線の上り線を使ってやってもらい、松井田町が通行料収入を得る。

松井田町と群馬県が、景色が良い方の旧信越本線下り線を使って観光鉄道をやる。
観光鉄道は、ディーゼルカーのトロッコでは、トンネルがあるので、排ガスの点で無理でしょう。
代案として、ディーゼル機関車で横軽対策の旧客2両を押し上げるのが、
コストと収容人員、安全性の点でベストかと思います。
軽井沢側先頭客車にコントロール席をもうけて推進運転できるようにすればワンマン運転も可能でしょう。

比較的重量のあるディーゼル機関車で66.7‰を登れるモノはありますかね?

tsuka 2002年 07月 19日 20時 48分 24秒

全く碓氷と関係ない書き込みですいません。

碓氷峠大好き人間さん
何回も読み返されたのですね。それは失礼しました。ごめんなさい。
しかし、鉄道用語等ならいざ知らず、このような場で日本語の文法の間違いや誤記を他人に教えてもらおうと言う事自体、遠慮したほうがいいと思いますよ。しかも「おかしいところがありましたら」あるいは、「どこが・・・」とおっしゃっていると言う事は、ご自分では「おかしくないじゃん」と思われている様子。
あなたには、かないません。負けました!もう何も言いません。意見してすいませんでした。
(どうしても気になるようでしたら、身の周りの親しい方に聞いてみたらいかがでしょうか)

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