齋藤雅泰(旧道のファン) さん (     ) 1999年 08月 30日 09時 10分 22秒

 下に変な内容で長々と書いてしまいましたが、夏秋はこんなもんでしょうが、
春先や冬はひどい状況だと思います。冬はどうしようもないのかもしれません
が、春に何か乗客誘致できないか?ということを考えています。峠そのものの
魅力を作っていくことが必要かと思います(こういうと走り屋のようなことに
なってしまうような。。。)バスの輸送量をもっともっと拡大させることが必
要です!!なにかいいチエはないでしょうかね。。

齋藤雅泰(妙義に行きたい) さん (     ) 1999年 08月 29日 23時 53分 06秒

 8/29に私用により佐久へ行きましたので(というより佐久平駅を見るだけ)、
横川‐軽井沢間を2往復してしまいました。

 1回目 横川発7:40
     軽井沢発11:00

 2回目 横川発12:00(旧道経由)
     軽井沢発14:00(旧道経由)

 利用者についてですが、7:40は席が全て埋まり、補助席が2席つかわれました。
11:00は20人程度、12:00、14:00は共に補助席が全て埋まり、続行
が出ました。残った人の割合を見ると、軽井沢発(15人?)より横川発(20人?)
のほうが多かったです。横川発7:40は、都内から来ると上野は高崎線の始発にな
ります。この便で高崎で降りた人の多くが軽井沢まで向かったようです(その他、新
潟方面に抜けることもできる便でもある)。前に聞いたことがある話ですが、「横川
発は軽井沢発より乗客が多い。軽井沢発が混むのは午後の便である」ということがよ
くわかりました。それでも7:40のような便でもいっぱいになるということはどう
いうことなのでしょう??それも用務客とは見えませんでした(昔から1番の便は多
かったでしょうか?)。あと旧道経由は人気があるということもこれで判ります。そ
れでも横川発14:00では続行はでてなかったです(日曜の午後のためか)。

 旧道経由の便で思ったのですが、碓氷線がそろそろパンクしつつあるということで
す。現状は続行が1便しか用意できないようで(実際、軽井沢発14:00は続行し
ないでつめて運ぼうとしたところ、入りきらず急遽続行となった:客の苦情もあった)、
限界の状態です。バイパス経由ではバイパスと駅の間が込む、かと言って旧道経由は
道が狭くて通行に支障が出ます(迂回してきた車を渋滞させている状態)。今後どう
なるのでしょう?????

 あとめがねバスは1便3〜5人程度のようです。現状では4月に運行されていたよ
うなマイクロバスで運転したほうがよいような。。

 さて、まだ8月が終わってませんが今年の夏の輸送実績をご存知のかたはいらっしゃ
いませんか?去年はバスが3台続行して、それでも乗りきれなかったことがあるらし
いです。今年は1時間1本となったので単純に3台は出てないと思いますが。

 以下の文は上記と直接関係はありません。ただし、「パンク」うんぬんがあるので
書いてあります。パンクしては困りますが、パンクするほど需要があるならよい傾向
かと思います。文章としてはかなり無茶苦茶なものといえるでしょう。あまり参考に
はならないかもしれません。

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 連絡バスと鉄道

 ここでは、まったく違った観点から(すなわちバス中心で)議論を進めてみる。

 現状の横川‐軽井沢間の運転本数は、最大で下り14本、上り13本である。少な
い時は10往復くらいになりはするが。その他、熊ノ平行きは下り3本、上り4本で
ある。つまり横川発着が17本となっている。以前も示したとおり、これはJRバス
中でもかなりの本数(小諸支店では最大)である。それの意味するところは、必要時
は相当の利用がある(もしくは期待している)ということである。1997年10月
以前には考えられていなかったことではあった。

 私がダイヤに対して言うとなれば、土休運転の克服がある。平日の需要が見込めな
いため土休運転となっていようが、一般人の心情からすると常時運転のほうが気にな
らず定期的な足とすることができる。もちろん、需要は少ないのではあるが、ここで
バスの機動力を生かしたマイクロバスもしくはバンの運転を行い、便だけは確保する
ことを提案する。乗客を増やすためには、本数を拡大し待たずに乗れるシステムとす
ることも考えられたい。そのため一般鉄道には困難な小型車両基本の体制を組むので
ある。もちろんオフシーズンの対策である。

 松井田町、軽井沢町ともに横川‐軽井沢間の鉄道運転を狙っていることは、現地の
報道により判ることではある。しかし全国区の情報でなく、そのような話を知らない
人はファンの中でもほとんどと見える。これを全国の情報とするには、何かしら地元
の意思表明が必要だと考える。

 ここで信越本線全体を見てみると、横川‐軽井沢間だけが鉄道事業法の管理状態に
ない。それでも時刻表を見る限り、鉄道の扱いを受けている。本来このようなことは
奥羽本線の北山形‐新庄間といった運休線区(つまり工事および災害等の都合で列車
が運転できないような区間)でないとあり得ない。ところが、以前に1度だけこのよ
うな状態でないことがあった。実態はバス運転でありながら鉄道の扱いを受けていた
線が存在していたのである。

 それは、1987年に廃止になった北海道の士幌線である。士幌線のうち末端部の
糠平‐十勝三股間は1977年12月にマイクロバスの運転となった。しかし運休の
扱いで鉄道路線とされていた。この状態が約10年続いていたのである。時刻表には
バスで運転されると記述があったが、鉄道ダイヤで表記されていた。

 ここでは鉄道廃止後も、マイクロバス代行業者がそのままの形態で運転を続けてい
る。しかし国鉄代行から業者直轄になったため、どんどん本数は減る一方である(現
在1往復に過ぎない)。

 あまり例は良くないが、長期に渡り災害等の影響でない運休路線はある。通常の災
害時は運輸省に運休申請は出さず、暫定の扱いでバス代行を行う。しかし、なんらか
の問題があり長期にわたる場合は運休申請を出している。

 現状の運休路線(運休の申請が出ているもの)
  ・南部縦貫鉄道(野辺地‐七戸)
  ・ドリーム交通(大船‐ドリームランド)
  ・六甲麻耶鉄道麻耶ケーブル

 上記のことから以下のことを提案する。

   松井田町もしくはそれに準じる団体が横川‐軽井沢間の第1種もしくは
  第3種鉄道事業法を申請する。扱いは運休路線。

 資産を持つ団体であれば、第1種か第3種の鉄道事業法となる。運転のみを行う団
体が第2種である。元々保存鉄道化の意見で、インフラ部を自治体で持ち、運営をN
POで行うとのことがあったが、まさしくこの場合、自治体が第1種もしくは第3種、
NPOが第2種となるのである。(第3種のときは自前で列車運転はしない)

 当面第2種鉄道事業者が存在しなくても、インフラ部のみの事業者が現れても問題
はない。そこで、自治体で持つことで問題なければ、上記のことを考慮してほしい。

 これによりどうなるか?すなわち、横川‐軽井沢間も鉄道事業者となり、運輸省発
行の鉄道要覧に「鉄道」として載ることができる。もしくは一般的な地図に鉄道路線
として運休の注つきで書かれる(士幌線はそうだった)かもしれない。ここで、松井
田町は鉄道を導入する意思があることを国内に周知できることになる。

 現実には、JRバス関東との調整の上でJRバス関東に形式的に代行業者になって
もらうことが考えられる。現在の本数の多さからくると、いずれパンクすることも考
えられる。その時に鉄道の運休解除を行い、バスの手に余る部分のみ担当する。従っ
て通常期はバス任せでよい。

 ちなみに東北新幹線開通に伴う、東北本線の分離ではこのようなことが現実化しそ
うである。岩手県と青森県が第3種、新会社が第2種となることが推定される。

 本案は相当に形式的である。しかし法律的な裏付けはある、強力な手法である。

speedover さん (    ) 1999年 08月 29日 00時 51分 48秒

 8月20日午前10時40分頃、NHKラジオ第一放送に、
碓氷峠鉄道文化むら桜井正一常務理事が電話インタビューで登場し
ました。
 施設の展示内容説明のあと、蒸気機関車をいずれ搬入すること。
電気機関車の静態展示のこと。展示車両の運転席に入れる車両もある
こと。
9月以降は、EF63の体験運転講習会の募集を開始すること。
さらには将来は横川軽井沢間にもう一度列車を走らせたい夢もあると
公表しました。
 インターネットでは書き込まれていないので、ラジオだけですが、
報告します。多分全国放送です。反響があり、碓氷峠鉄道文化むらに
是非やるように激励の電話が何本か、かかってきたそうです。
 大変むずかしい事業ですが、お客様さえ確保できればできないか
町として検討を進めています。

speedover さん (    ) 1999年 08月 14日 23時 55分 43秒

上毛新聞8月14日記事から
タイトル「鉄道文化むら列車部品盗 共犯の男逮捕」
松井田町横川の碓氷峠鉄道文化むらでマニアに人気のある列車部品を盗んだとして、千葉市美
浜区幸町2丁目、団体職員、松沢和良容疑者(29)=盗みの疑いで送検済み=が逮捕された
事件に絡み、県警機動捜査隊と松井田署は13日、事件に関与したとして、盗みの疑いで、埼
玉県朝霞市宮戸3丁目、自動車販売修理業、中山幸一容疑者(29)を逮捕した。
調べによると、中山容疑者は松沢容疑者と共謀して5月3日夜、鉄道文化むらに侵入し、野
外に展示されていた特急「あさま号」のヘッドマークや電気機関車EF63のヘッドマークなど
3点(計約35万円相当)を盗んだ疑い。
調べに対し、中山容疑者は容疑を認めているという。二人は高校の同級生だったという。
鉄道文化むらからは同時期に数十点の列車部品が盗まれており、被害額は数百万円に上ると
されているが、同署で両容疑者の余罪などを追及している。

speedover さん (     ) 1999年 08月 14日 00時 40分 18秒

川尻潔様へ横軽のホームページを拝見いたしました。
JRバス関東の熊ノ平臨時便取材ご苦労様です。それにしても、J
Rバスの営業努力偉いですね。めがね橋に行きやすくなって良いこ
とです。車体の碓氷峠鉄道文化むら、めがね橋などの写真も立派で
すね。坂本にバス停の標識が並びました。
 碓氷峠鉄道文化むらも累計15万人を突破していることと思
われます。どんどん営業をかけて集客し、次の目標「横軽復活」が
できるように集客したいものです。
 松井田町としては9月議会にさらに横川坂本方面に設備投資をす
る予算を計画しています。行政も「鉄路の再利用」に前向きに取り
組む姿勢を強めています。私も住民世論を盛り上げるようにあちこ
ちで住民と話をしています。
 長野県側の期待通りにはいかないかもしれませんが、松井田町町
民としてはできる限り努力はしていきます。今後もご指導ご鞭撻の
ほど宜しくお願い申しあげます。



川尻 潔 さん (     ) 1999年 08月 12日 23時 09分 57秒
URL:http://member.nifty.ne.jp/kawajk63/


みなさん、こんにちは。
運行が始まった、横川〜熊ノ平のバスを見てきました。
問題の熊ノ平の先の折り返しですが、折り返し専用のスペースがカーブ標識
C=122にバス転向場として設けられています。
(横川C=1、熊ノ平信号所C=93)

また、バスには「めがねバス」と書かれ、アプト式の碓氷第三橋梁の絵も側
面に描かれていました。
このもようを「横軽のホームページ」に掲載しました。
http://member.nifty.ne.jp/kawajk63/
よろしかったら、ご覧下さい。


さくら さん (     ) 1999年 08月 12日 10時 10分 00秒

軌道自転車、なかなか面白そうですが、これで横軽を“営業運転”とするとなると大変そうです。
補助電動機とバッテリーを搭載して、軽井沢行きは熊ノ平でも充電しましょう。
横川行きは、補助電動機を発電機として用い、バッテリーを対象とした回生制動を行います。
途中、熊ノ平で行き違うときに、放電と同時に軽井沢行きに充電してあげます。
自転車といえども、急勾配軌道上を暴走したら恐ろしいですから、確実なブレーキが必要です。
線路を営業するために生き返らせるには、トンネルや橋梁についても点検して、安全を確認しなくてはならないですね。

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 08月 11日 13時 03分 23秒

 齋藤です。

 保存鉄道うんぬんの話があるのですが、以下のような話もあるのでとりあえず
書きます。北海道の事例です。これは現地ルポではありませんが参考とはなると
思います。

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美幸線のトロッコについて

 美幸線とは1985年9月15日に廃止された、北海道美深町を走っていた路線であ
る。日本一の赤字線として名をはせたこともある。美深から仁宇布まで21.2キロの
路線であった。

 この美幸線で去年(1998年)の夏から仁宇布側約5キロについて、車両が走るよ
うになった。旅と鉄道(99夏増刊)の記事を参照すると大体以下のようである。

 ・設立にあたっては11名の有志で構成されている。
 ・運転日はゴールデンウィークくらいから10月までの土日休(ただし8月は毎日
 運行)。
 ・車両は軌道自転車牽引の簡易客車(屋根はない)。
 ・乗車するためには大人500円、子供250円が必要。
 ・所要時間は約15分。
 ・仁宇布から乗車し、美深よりの高広の滝が終点。この間原生林をぬっていく。
 ・1998年の実績は1日あたり100人でフル稼働であった。

 大体上記のようなところである。横川‐軽井沢間で除草のため軌道自転車が走行した
という話を聞いている。坂の上下ともにとりあえず問題はなかったらしい。

 それであれば、美幸線を丸々適用するというわけではないが、同様の手法も考えたほ
うがよいのではないかと感じた。とりあえず車両が走行することで、線路が生きたもの
(錆が落ちるとか)になるのだ。軌道自転車の実績があるのだから問題はないだろう。
廃線の軌道自転車走行の例はここまで大掛かりではないが、他に福岡県にあるようであ
る。

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簡単ですが以上です。

speedover さん (     ) 1999年 08月 10日 22時 47分 46秒

今日(8月10日)午前7時半過ぎ、日本テレビで放送されましたEF63の体験運転は、
碓氷峠鉄道文化むら応援団のHP内施設案内で詳細、申し込み先を掲示してあります。
9月1日から正式受付です。返信用の封筒同封で問い合わせると募集要項と申込用紙を郵送
してくれます。講習料(授業料)が3万円。実際の運転費用が5000円です。
碓氷峠鉄道文化むらの不手際で仮予約を受け付けたためすでに200人くらい仮申し込みし
ています。実際に講習を受けられる日は、第1希望第2希望で選択するようです。
だいぶ先11月過ぎになりそうです。
電子メールアドレスを書きましょうね。

ひらやんま さん 1999年 08月 10日 18時 05分 25秒

今朝のニュースで見たのですが、一般人が、3万円程度払って講習を受けることにより
あのEF63を運転できる!ということが横川駅近くの≪鉄道文化村≫であるとの話!
実際に素人が運転している映像も出ました!9月から本格的に行われるとの事でした!
詳しい情報をお持ちの方は誰かいませんか?

ふるこし さん (     ) 1999年 08月 10日 15時 50分 33秒

・熊の平止まりのバスの折り返し場所について

 斎藤さんの記述から想像ですが、矢ヶ崎まで一旦登っているのではないかと思います。
 ちょうど矢ヶ崎のトンネル口の真上ぐらいに駐車スペース(土曜の夜ともなれば、「頭
 文字D」の如く走り屋さんが集まるみたいですが)がありますので、ここだと大型車でも
 余裕で回転できます。

 GWごろから熊の平行きは試行的に運転されていたみたいですので、いよいよ本格的に運行
 が始まったようですね。狙いはハイカー中心だと思いますが。

・観光鉄道等々
 私の考えとしては、文化むらの起爆剤としてこその観光鉄道という位置づけで考えてますので、
 入場者数の増加を待って、というのはどうかなぁっていう思いがあります。
 こればっかりは私の私感だけでもどうしようもない点ではありますが。 
 

speedover さん (    ) 1999年 08月 09日 22時 44分 58秒

齋藤雅泰様と内山寿明様から手厳しい、しかし当然と言えば当然な碓氷峠鉄道文化むらへの
感想ありがとうございます。ぜひ、碓氷峠鉄道文化むら応援団のHPにもアンケートをお送
り下さい。応援団HP管理者から鉄道文化むら事務局へアンケートは渡されるそうです。
 現在はそこそこ入場者はいますが、秋以降寒くなる頃は入場者は減ります。来年以降が正
念場です。展示内容を変える、車両を入れ替える、あらたなアトラクションを加えるなど
東京ディズニーランドのように予算はかけられないでしょうが、模様替えをしていかなけれ
ばならないでしょう。同時に入場者のこころをつかむような接客が求められています。大変
むずかしい要求ですが、施設を赤字にしないためと次に園内から坂本方面へ鉄道を延長する
ためにはこれらが必要です。きちんとした批判で碓氷峠鉄道文化むらを少しでも前進させた
いものです。

 ちなみに、第1に7月末までに完成した鉄道資料館の入口が階段だったものを一部車椅子
でも入れるようにスロープ化工事をしました。第2に7月20日から8月末まで夏休み中は
無休にしました。第3に鉄道展示館のEF63への階段を急なものから緩い鉄骨のもので一
方通行に変えました。これらは、入場者からの声を施設改良に反映させたものです。まだま
だ不十分ですが、改良の努力を続けなければなりません。
 碓氷峠の交通の歴史については松井田町教育委員会社会教育課で資料を持っているので話
をしてみます。66.7パーミルの体験勾配台などは以前から要求されているので伝えてあ
りますが、まだできていません。催促してみます。

 観光鉄道への期待が高いのですが、まず碓氷峠鉄道文化むらへの入場者がたくさん入らな
い限り、次の段階へ進めません。8月末までの入園者累計数を見てから次への議論となりま
す。通勤通学=生活路線の需要が少数のため、観光客通過客を増加させたいためです。
 

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 08月 09日 13時 04分 27秒

おわびします。

内山様の名前が一個所まちがっていました。どうもすみません。

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 08月 09日 13時 01分 34秒

内山殿の書き込みに関して熊の平行きのバスに関する質問がありました。
実際に行ってみた者として、知っている限りを示します。

熊の平の折り返し時間は10分である。この間で熊の平駅まで線路をつたって歩いたが、
戻ってきた時はバスはいなかった。数分遅れでバスが上から降りてきた。すなわち、5分
くらいのぼったところで折り返すと推察されます。旧道経由は1回のみなのでどんなところ
か記憶がないのでこれ以上はかけません。
小諸支店の方(運転手とは別人です。前のルポはこの人に対する質問でした。運転手さん
の邪魔はしてません)が言うには、熊の平駅整備のため有刺鉄線が切ってあるよというよう
なことでした。そのため5分でいけるところまで入り込んだのですが。ここで始めて66.7
パーミルを体感。

以下の文化むらの感想で相当厳しいことを言ってしまいました。となると、今後どうある
べきか?についても言及するようにしなければなりません。

内村殿の話では、鉄道開通前の言及がほとんどないようなことで書かれましたが、確かに
そう思います。鉄道開通前の馬車鉄道の経営の苦しみとか、江戸時代以前とかの話といった
峠全体の歴史を語るようにしてもいいわけです。江戸時代から東海道が主要であったのにも
関わらず、碓氷越えのある中仙道が好まれたということがあります。どうしてそうなのかと
いうように体感できる解説とかがあってもいいと思います。
(ちなみにそれは大井川越えが嫌われたからです。水かさが増えると川止めとか言って何日
も足止めを食らったそうです)

ふるこし さん (    ) 1999年 08月 09日 12時 27分 06秒

こんにちは。久々にこちらにカキコです。
横軽間バスは夏休みということもあって盛況のようですね。結構無理な部分もあるようですので、
事故が起きないことを祈っております。
JRバスの小諸支店は、白樺湖方面や高峰高原方面への輸送も担当しているので、この時期は大変でしょうね。
他所からの応援とかは頼めないのかなぁ。

文化むらですが、私の初回訪問時の印象と同じ感想を内山さん、斎藤さんがお持ちのようで、
このままだと先行きに不安なものをやはり感じます。
もっと魅力あるものにするには、観光とのリンクを考えたりするのも良いのかもしれません。

横軽間の復活について
私もいわゆる在来線としての復活は難しいかな、と思うのが正直なところです。
オフシーズン時の需要とか、在来線としての維持に対する負担等々、考えれば考えるほど問題は
大きく、それこそ地元への大きな負担になることが目に見えるように予想できます。

せめて嵯峨野のような既存設備転用による観光鉄道化といった手段を取り、文化むらその他
観光関連施設との連携を計っていくことがまず一番の方策のような気がします。

内山寿明 さん (     ) 1999年 08月 09日 04時 30分 53秒

私も8月4日に妻の目を盗んで鉄道文化むらと横軽連絡バスに乗車してきました。
鉄道文化むらへは妻と一緒に行って以来二度目なのですが、鉄道に興味のない妻に一緒に行こうとは言い出せなかった為、妻がいない数時間を使って見てきました。
私も少しばかり感想を書かせていただきます。厳しいかもしれませんが参考まで。
ただ、基本的な感想は斎藤氏とあまり差がないので前回と今回の比較という点も含めて書いてみます。なお、前回は4月27日、今回は8月4日に行ってます。

1.資料館 展示内容に特に変化は見られない。2階には大人が中心。1階は子供が中心。私個人としてはもう少し、展示物があってもいいかとは思うが、碓井峠の鉄道に関する主要なものは網羅されている。特別展示でもいいから次の内容があればと思う。
・鉄道開通前の中山道についてもっと詳しい資料。(鉄道のありがたさがわかるように)
・66.7パーミルが実感できる線路もしくは坂道。(急勾配を訴えるのに何故これがないのか?)
・動画資料(理解しやすいし、人も集まりやすいかと思います)
2.車両展示 屋外展示の機関車・客車の一部に入れるようになった。ただ、汚い。
ほかに、EF63などのある機関庫には線路の間が整備用に開いているが、雨が溜まって汚い上に、小さい子供が落ちそうで危ない。これは何とかしないと必ず転落事故が起こります。
3.その他 軌道自転車が手動トロッコに変わっていた。
相変わらず休憩場所・椅子・食料が少ない。鉄道文化むらの滞在時間は3時間が限界か?

その他のことを勘案してみても二度目の発見というものがほとんど見られなかった。
私が鉄道に興味がなかったら、間違いなくもう来ないでしょう!理由は斎藤氏と同じです。

横軽連絡バスについては以下の通りです。
8月4日(水)14:00 横川発旧道経由軽井沢行き 乗客28名
・しなの鉄道へ乗り継ぐ老夫婦、軽井沢に行く若い女性のグループがけっこういて、驚く。
・坂本宿を過ぎてからC=20(めがね橋直前)付近で運転手の携帯が鳴る。運転手は電話をしながら片手運転。これは洒落になっていません。今後やめていただきたい。
・旧道経由でありながら定刻に到着。不覚ながらバス酔いをしてしまった。

ところで、バスに乗って気が付いた事があります。どなたか教えてください。
1.熊の平駅に行く山道と旧道の分岐点に「旧熊の平駅方面」のような内容の新しい看板がありましたが、何故立っているのでしょうか?しかも1ヶ月も経ってないように見えました。
2.熊の平行きのバスはどこで折り返しているのですか?大型バスが折り返せる道ではないと思うのですが。

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 08月 08日 22時 11分 58秒

齋藤です。以下に碓氷峠鉄道文化むら訪問時の感想について示させていただきます。
相当に厳しいことを書いていますが、ご了承下さい。

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 碓氷峠鉄道文化むらの感想

 以下に碓氷峠鉄道文化むら訪問時の感想を示す。(8/7 午前中)

 最初に断っておくが時間の関係から乗り物には乗っていない。従って展示物を見た感
想となる。(ちょうど行った時間が大雨だったので、乗り物はちょっとね。の状態でも
あった)

 ・文化遺産的車両が存在し、よい教材となる。
 ・わかりやすい峠の歴史が展示され、多くの人にここのことを知ってもらえ、後世
 に伝えることができる。

 しかし、動態物はアトラクション的な存在しかないので(まだEF63実体験が
実施されていないせいもあるが)、目玉性に欠ける。それがないと、リピータが育
たない。実際何度も来てもらえるような施設は時期によって異なった展示物やアト
ラクションがあったりするものだ。(行ったことはないが)台北の故宮博物院では
(点数が多いため)全ての文物が展示できず、時期によって展示物を交換したりす
る(それどころか未公開文物の数のほうが多い)。それが何度でも行かなければと
いう気分にさせる。ここではそのようなことはない。まだここが何度来てもらえる
ようになるかは保証できない。

 私自身は写真を撮る人ではないし、また珍しい車両に乗りたがる人でもない。私はど
こかへ出かける人である。乗り潰し的人である。路線を対象にして乗ることはあるが、
特に車両を対象にしてはいない。そういうわけで、軽井沢行きや熊ノ平行きに乗った時
は非常に楽しい気分にはなった。残念ながら、現在の碓氷峠鉄道文化むらでは私にとっ
てはそういう気分にはならなかった。確かに博物的存在にも興味があるが、私とて2回
いったことのある展覧会とかいうものはない。1回だけである。そういう点からすると
一般的な人も1度くればいいやという思いになってしまうだろう。

 大抵のテーマパークはそういう1度だけでいいという態度を取られてしまい、先細り
になる。ここをどうするかで先行きが決まるといっていい。そうなると展示物を次々変
えていくというようなことは物点数から困難と言えるので、アトラクション的なものに
頼ることになる。となると現状では保存鉄道を考えるしかないのだろうか?これの採算
性の関門を乗り越えねばなるまい。

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以上、僭越ですが碓氷峠鉄道文化むら訪問時の感想について示させていただきました。

齋藤雅泰 さん (     ) 1999年 08月 08日 16時 47分 02秒

昨日のことでいくつか補足しておきます。

・熊ノ平行きでは私は14時台のに乗っています。私のほかもう1人いまして、めがね橋
で降りました。もちろん折り返しで乗りましたが。私は終点まで行きました。
・臨時のバスは赤いびゅうばすが使われてました。つまり純粋な観光バスです。清算の機械
ないのでおつりのないようにしてくれとか言われます。要注意!!
・本来のバス、臨時バス、熊ノ平行きと数種類のバスが運行され、運転手さんの運用がきちき
ちみたいです。ご苦労様です。。。

さくら さん (    ) 1999年 08月 08日 11時 07分 59秒

手元の資料によれば、熊ノ平駅の旅客営業は、1966年1月31日限りで終えました。
横軽の廃止により、永遠の眠りに就くかと思った「熊ノ平」ですが、
鉄路が息絶えた後に、バス停として息を吹き返すとは驚きました。

齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 08月 08日 08時 57分 04秒

碓氷峠鉄道文化むらについてのJRバス関東の対応ですが、これを基本に組み込んだ体制
にしているような気がします。この会社がからむということは長野県側からの客を引き込む
わけですが、軽井沢、小諸、上田でバス往復券+入場券の割引を売るようにしたそうです。
このようなことも西側からの誘致に繋がるのではないですか???
 また、熊ノ平への便では往復600円分で乗り降り自由のフリーパスが買えます。1日3
便しかないですが、利用する機会があればご利用下さい。バスは通常の路線バス形態です。
またその運用の都合で、15時台の軽井沢行きがこのバスで運転されているみたいです。
(昨日はそうでした)

speedover さん (    ) 1999年 08月 07日 23時 53分 30秒

齋藤雅泰様へ
JRバス関東のレポートご苦労様です。碓氷峠鉄道文化むらの感想も是非後日お聞かせ下さい。
坂本くつろぎの郷は、当初温泉ボーリングをしましたが、碓氷湖の手前ですね。失敗しました。
しかし、当初の計画通り坂本くつろぎの郷に入浴施設を2年計画で建設するそうです。今秋
着工、来年度完成オープンの予定でしょう。沸かし湯ではどうもものたりないので、サンラン
ドゴルフクラブから分湯を交渉中のようです。来月にははっきりするようです。

 さて、横軽復活論議が出ていますが、そっくり横軽が復活する条件は少ないと思います。
やはりJR東日本が整備新幹線=北陸新幹線=長野新幹線を経営するに当たって、並行在来線
の経営分離と一部区間廃止=横軽廃止を条件として周辺自治体に呑ませたわけです。小寺群馬
県知事と吉村長野県知事が了解したわけです。これをいまさら佐藤軽井沢町長が「復活したい」
と言い出しても政治の世界では通用する議論ではありません。地方分権とマスコミで言われて
も実際はまだ国、県、市町村の力関係は絶対上位優勢です。数年前も軽井沢町は横軽存続の予
算を付けようとして長野県に取り消されたことがあります。
 実際の旅客需要を冷静に分析し、採算の可能性のある範囲でしかできません。通勤通学の生
活路線需要は極めて少数です。大部分が観光客と通過客です。
 現在13万人と順調に集客をしている碓氷峠鉄道文化むらの入園者を横川から西への旅客
需要に結びつけられろと良いのですが、なかなか難しいことです。運輸省、JR東日本、
群馬県、長野県の旧四者協議会からは復活は過去の話です。相手にされません。
 新たな観光需要を作り、観光鉄道として鉄路の再利用という立場でいくべきではないで
しょうか。8月は、実際には官庁も休みの時期で議論は具体化しません。9月以降に新た
な材料を見つけていきたいものです。
 なお、レールを軽井沢駅構内で撤去していますが、それほど大問題ではありません。レ
ールの敷設工事を見学しましたが、割と簡単に敷設できます。専用のユンボの先にはさみ
を付けた重機ですぐに敷設できます。
 問題は技術的なことよりも政治的経済的な問題の方が重要です。

齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 08月 07日 23時 50分 19秒

うーーん。ずれてます。。。。 時刻は

横川→碓氷湖→めがね橋→熊の平
11:55 12:04  12:06   12:20
13:05 13:14  13:16   13:30
14:15 14:24  14:26   14:40

熊の平→めがね橋→碓氷湖→横川
  11:20  11:30   11:32  11:45
12:30  12:40   12:42  12:55
13:40  13:50   13:52  14:05
14:50  15:00   15:02  15:15

で、運賃は
  運賃 横川‐碓氷湖 200円
     横川‐めがね橋300円
     横川‐熊の平 300円

となっていました。

こんどは大丈夫かな。。。


齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 08月 07日 21時 24分 57秒

本日、鉄道文化むらに行ってきました。というのも横川は経由するだけ
だったので。文化むらについては特に感想を書きませんが、以下のことが
ありました。

 現地に行って気がついたことですが、本日(8/7)から横川‐熊の平間
のバスが運転開始されています。9/15までは毎日運転。その後12/12
までは土休運転となっています。

 停車場は横川→麻苧の滝→火の見下→坂本宿→くつろぎの郷→アプト1号
トンネル→中山道口→碓氷湖→めがね橋→熊の平 となっています。なにぶん
8/3に認可がおりたそうなのでどこの時刻表にも出ていません。

 時刻は

  横川 → 碓氷湖 → めがね橋 → 熊の平
  11:55 12:04 12:06 12:20
13:05 13:14 13:16 13:30
14:15 14:24 14:26 14:40

熊の平 → めがね橋 → 碓氷湖 → 横川
  11:20 11:30 11:32 11:45
12:30 12:40 12:42 12:55
13:40 13:50 13:52 14:05
14:50 15:00 15:02 15:15

となっていました。

 以下はこのバスの道中、JRバス関東の人と話したことからの情報です。

 ・横川‐軽井沢間は夏休み中、1日に800人の利用がある。日によって
 は1000人いくこともあるかもしれない(去年は1000人いった日が
 何日かあった)。

 ・冬場のように利用が少ない時は150人/日程度になるらしい。1便
 あたり10人いかないこともある。

 ・臨時便は9/15まで毎日運転する(時刻表に土日運転とある便)。大
 学の夏休みのため需要がある。去年8/31で終わりにしたらそれ以降も
 どんどん乗ってくるので慌てて延長した経緯がある。

 ・バス運行始めた時は、すぐに廃止になってしまうかとも噂していたらし
 い。しかし夏場を中心に相当の利用があってよかったとか。(ここで私は
 18きっぷや時刻表の掲載方法などが利用増を起こしているといった。確
 かにその通りのようなことを言われていた)

 ・本日(8/7)はバス1台では乗り残しが出ている。特に夏場では横川
 発10:00、11:00、12:00が多いとのこと。

 ・JRバス関東小諸支店ではこの夏場は運転手、バスともフル稼働のため、
 さらなる増発バスは1台しか用意できなかった。そのため完全な続行運転
 はできなく、時刻表にないダイヤで運転されている(11:00は続行だっ
 たが)。運用にまったく余裕がないとのこと。

  実際、11:00の横川発が軽井沢につくと即座に折り返し(増発は横
  川発だけとなっていた)て横川に向かう。この増発体制が14時台まで
  続いていた。そういうダイヤなしダイヤになっているので軽井沢から先
  へ行かれる方はご注意下さい。

 ・利用形態として、土曜は10:00、11:00、12:00といった
 午前中が混む。そして軽井沢へ行った人はしばしば日曜に帰るため、横川
 行きはそれほどではない。日曜は、日帰りの客と合わせ午後の便が混むが
 天気状況で混む時間帯が変わる。雨が降れば早い便が混むが天気が良けれ
 ば遅い便が混むとのこと。

  あと軽井沢での運転手さん同士の会話から判断すると。。。。
 
  軽井沢へは横川経由で来る人が多い。しかし帰りは新幹線を使う人が多
 いので行きほど混まないとか。。

 ・時刻表で旧道経由となっていない便がしばしば旧道経由となっている。
 碓氷バイパスの軽井沢出口側の渋滞のため。出口と軽井沢駅を結ぶ道は上
 信越道へのアプローチとなっているためここは渋滞する。現在、道路増設
 工事中で、それが完成すればなんとかなるだろうとのこと。

  旧道経由はバイパス経由同様、36分の行程となっているが、実際は時
 間がかかる。利用者が多いためハンドルがきりにくくなるらしい。

 ・去年の12月改正で横川、軽井沢発ともにジャストタイムが増えた(と
 いうよりほとんど)のは先に横川‐軽井沢間のダイヤを決め、JR、しな
 の鉄道側にこの便に合わせろとしたかららしい。どうしても合わない部分
 がジャストタイムでなくなっている。

 ・今年の12/4の改正でも変更が計画されている。夜間帯の便の時刻移
 動を考えているらしい。特に最終軽井沢発が20時台から19時台になる
 らしい。

 ・本日(8/7)からの熊の平行きは急に決まったため、時刻表にのるの
 は10月号になるらしい。のるのはバスページらしい。(つまり軽井沢行
 きと一緒に書かれるわけではない)

 ・途中停留所のくつろぎの郷では温泉が整備されるのは9月とのこと。
 (それまでは通過しようか とか言っていた)

 ・旧碓氷線のウォーキングコースは9月に一応オープンする。

--------------------------------------------------------------------
その他

 軽井沢側の旧上り線が駅から矢ケ崎変電所のあたりまで撤去されています。
下り線はそのまま。

 横川側で旧下り線が撤去され旧上り線がEF63の運転線となっているの
と対称になっています。たしか、ウォーキングコース部分も旧下り線です。
(旧上り線はそのままらしい)

 もしかしたら、熊の平でのポイント形態を見越してそうなっているのか??

 横川から熊の平まで上り線を走り、その先下り線に入ることができます。
またこの形態で列車交換もできます。

さくら さん (    ) 1999年 08月 07日 16時 57分 53秒

私の下の書き込みで、新幹線に並行する在来線の存亡の理由について述べていますが、
これは私の推定です。誤解を招くと、いけないので、追記させて頂きました。

さくら さん (     ) 1999年 08月 07日 11時 49分 02秒

他の新幹線に並行する在来線が生き残っているのに、横軽が廃線となった一因として、代替輸送として使いづらいことが挙げられます。
補助機関車が必要なばかりか、電車・客車も横軽仕様でなくてはならないんですから、これは面倒です。
さて、横軽と交代した長野新幹線ですが、かなり先のことになりますが、年を取り補修のため代替輸送を必要とする時が、きっと訪れるでしょう。
そこで、横軽復活には代替輸送を可能とし、このほうが予算を獲得する可能性が上がります。
ただ、具体的にどうするかは思案中です。

speedover さん (     ) 1999年 08月 05日 01時 55分 32秒

8月4日付け朝日新聞群馬版記事から
「列車ヘッドマーク展示電車から盗む、容疑者の男を逮捕」
 県警機動捜査隊と松井田署は3日、松井田町横川の鉄道展示施設「碓氷峠鉄道文化むら」に
展示中の列車部品を盗んだとして、千葉市美浜区幸町2丁目の団体職員松沢良和容疑者(29)
を盗みの疑いで逮捕した。
 調べによると、松沢容疑者は今年5月3日から5日の間に、碓氷峠鉄道文化むらに入り込み、
屋外に展示されている電車からヘッドマーク1巻(10万円相当)を盗んだ疑い。松沢容疑者
は容疑を認めているという。
 鉄道文化むらを運営する碓氷峠交流記念財団によると、ヘッドマークは特急あさまに使われ
ていた電車の先頭車両に内蔵されていた。巻物状で約60のマークを納めていることから、マ
ニアの間でも人気が高いという。
 鉄道文化むらは今年4月にオープン。5月の大型連休の間に、園内で展示している機関車や
列車から部品約30点が相次いで盗まれた。県警はこうした被害との関連についても調べる。

KS さん (     ) 1999年 08月 03日 00時 44分 51秒

>speedoverさん
「本当に興味がないとなかなか足を伸ばしてもらえないのが現状」という小樽交通記念館の
コメント、非常に重要な指摘かと思います。
施設の目的と特色・魅力さらに価値を、関係者自身が本当に理解し、長期的な視座にたって
その魅力と価値を維持、発展させながら、自信を持ってアピールしていくことが必要なので
しょう。
文化むらの入場者数が好調な件も、確かに有頂天にはなれないでしょうが、かと言って開業
人気として簡単に済ませてしまうべきではないと思います。碓氷の鉄道という素材の持つ魅力
がやはり大きい要素としてあるのではないでしょうか。
また、私見では、人々には鉄道好きの要素があり、また「近代への郷愁」みたいなものもあり、
そういうものに碓氷が良くマッチするとも思われます。
この種施設は、確かに独善的になっては問題外ですが、かと言って「観客に媚びる」ように
なっても逆効果かと思います。文化むらの価値と魅力がどこにあるのかをしっかりと見極め、
自信を持ってアピールし続けるのが肝要かと。格好良い言葉を使えば、
「大人の展示」
「哲学のある施設」
でしょうか。
鉄路復活に繋がり、またそれを支えるような「面開発」、さらに言えば、歴史と哲学に
裏打ちされた「立体開発」(私の思いつき造語です)が望まれるところです。
そういう意味では、現在工事中のアプト旧線の遊歩道化に関しても期待が大きいですね。
そこを歩く人々が、碓氷越えの歴史と、碓氷の豊かな自然を味わい、「碓氷=心の故郷」
とまで思えるような形での整備を期待します。

speedover さん (    ) 1999年 08月 02日 23時 12分 06秒

上毛新聞1999年8月1日1面から「企画力が勝負、発展の決め手はリピーターの確保」
「「従業員の対応もいいし、ジオラマも良かった。また、来たい」孫や妻らとともに訪れた
金子幸三さん=足利市=は満足の表情。長野県出身で信越線をよく利用したという北原清一
さん=東京都=も「廃止後どうなったかと思ってきたが、いい施設ができた。子どもも喜ん
でいた」と笑顔で答えた。
 文化むらを管理運営する碓氷峠交流記念財団によると、園内で人気を集めているのは、碓
氷峠の鉄道の歴史を再現したジオラマをはじめ、園内運行する英国製SLなど、土、日曜日
は、運行回数を増やすほどの盛況ぶり。
 しかし、関係者は「今は開業人気が続いているだけ。リピーターを確保し、経常的に客に
来てもらうことが大事」と冷静に現状を見つめる。鉄道ファンの今井博茂さん=東京都=も
「ファンやマニアは何回か来るだろうが、一般の人だったら、1、2回来ればそれでおしま
いだと思う。彼らをいかに引きつけるかが存続のカギ」と指摘する。
 町や碓氷峠交流記念財団はオープン前から、リーピーター確保を最重要課題の一つとし、
さまざまな計画や構想を打ち出した。園内では、夏休みに入って「ロクサン」と呼ばれてマ
ニアに親しまれてきた碓氷峠専用電気機関車EF63の体験運転の講習会が始まったほか、
本年度中には屋外展示車両が6両加わる。いずれも、当初から計画されていたもので、当面
の誘客効果を発揮しそうだ。
 また、行楽客が自分で組み立てて園内に保管し、好きな時に運転できるミニSLのキット
販売や、地元の祭りとのタイアップ、独自のイベントの開催も検討。営業担当を置いて、旅
行会社などと提携したPRや、軽井沢へのアプローチなどにも力を入れるようになった。
 それだけではない。文化むら周辺には、コテージを備えた「碓氷峠くつろぎの郷公園」や
、アプト式鉄道時代の廃線跡に整備する遊歩道「アプトの道」(8月中に一部開通予定)が
あるほか、国道18号沿いの文化むら駐車場やJR所有地などに「道の駅」整備を予定する
など一応の手はうっている。同財団の桜井正一常務理事は「それぞれを結びつけた面開発が
進めば、リーピーター確保につながる」と自信をみせる。
 こうした中、松井田町をはじめ、安中市、長野県の軽井沢町、小諸市などで「鉄路を観光
列車のような形で復活させたい」という気運が高まっているのも事実。現段階では、採算、
安全面など解決すべき課題は多いが、桜井常務理事は「観光列車が走れば、文化むらにとっ
て最大の目玉になる。線路が使いものにならなくなる前に、具体化してほしい」と実現を熱
望している。
 しかし、文化むらと同様施設が、開業後間もなくして苦戦を強いられていることも見逃せ
ない。北海道小樽市の小樽交通記念館。敷地面積約5.8ヘクタールにSL、客車、電気機
関車など35両の屋外展示や、米国製SLの園内運行、ジオラマや車両部品の展示などが整
備されており、文化むらと規模、内容がほとんど同じ。1996年4月にオープン、初年度
の入園者数は約20万人に上った。しかし、その後、97年度が約16万人。98年度が約
14万人と年々落ち込んでいる。同記念館によると、重要課題の一つは、やはりリーピータ
ーの確保。対策としては、学校や旅行会社などにPRを積極的に行っている。昨年はゴーカ
ートなどを設置し、子ども対策を講じている。しかし、現段階では新しい乗り物や展示車両
などを増やす計画はないという。同市に年間560万人訪れるという観光客を呼び込むこと
も課題とするが、同記念館の八田栄治営業チーフは「市内の宿泊施設にパンフレットを置い
ているが、安金短の旅行をする人が多い中、本当に興味がないとなかなか足を伸ばしてもら
えないのが現状」と苦しい胸の内を語っている。」

speedover さん (    ) 1999年 07月 29日 22時 58分 06秒

内山様へ
1,
 一つの課題としてわたらせ渓谷鉄道、しなの鉄道の第三セクター鉄道を参考にさせて戴くと
JRとの技術的な関係が不可欠です。車両整備、保線、乗換も含め、JRの協力無くして何もで
きません。しかし、JR東日本は、整備新幹線を押しつけられ、下手をすると経営を圧迫する事
もあります。在来線か新幹線かと迫られた時に地方が新幹線を選ぶ、在来線の経営分離を呑んで
きたわけです。松井田町は在来線の存続をあくまでも求めた珍しい自治体ですが。碓氷峠鉄道文
化むらを建設し、集客が成功すれば次のことも考えています。
 全国のみなさまには図々しい言い方ですが、JR幹部と争うわけにはいきませんから、JRの
神経を逆なでする「横軽復活」は勘弁して下さい。しかし、名より実。乗客があればトロッコ列
車か何か観光鉄道を運行できないか松井田町は研究をしています。全国の支援もありがたいので
すが、まず地元です。地元がもう一度鉄道を運行する雰囲気にならなければできません。次に具
体化したときに全国からの支援です。私は、地元松井田町民としてまずもう一度「鉄路の活用」
を求めたいと思います。
2,
大学の先生から「NPOで保存鉄道」の提案を受けていますが、まだ機が熟していません。NP
O事務局は地元がしなければならないと思います。JR東日本との関係を重視しながら慎重に進
めたいと思います。このため、内山氏のご提案は結構だと思いますが、もう少しお待ちいただき
たいと思います。
 なお、碓氷峠鉄道文化むらに友の会=ファンクラブがあります。年会費2000円です。入場
料の割引などです。碓氷峠鉄道文化むらは、資金は松井田町が支出し、財団を設立し、経営して
いますが、技術的には人的資源も含め、JR東日本の全面的な協力を受けています。このため、
JR東日本幹部の神経を逆なでするような「横軽復活」は主張できませんし、署名集めやカンパ
の集金もできません。この辺誤解なさる方がいらっしゃるのであえて申し上げます。もっと別の
方法を模索するべきでしょう。
3,
 また、最近長野県軽井沢町の方や労働組合で「横軽復活」を主張する方々がいらっしゃいまし
た。しかし、法律、技術、資金面も含め地元を抜きにいまさら簡単に声だけ出せば何とかなるほ
ど簡単な問題ではありません。
 私たちは、運輸省、JR東日本、群馬県、長野県の意見が一致できる方法を探さなければなり
ません。
4,
 前提は、碓氷峠鉄道文化むらの入園者が12万人を超えたと思いますが、さらに増えることで
す。そして何よりももしも運行すれば多数、数千人、1万人の乗客数を確保しないと経営できま
せん。各地の公共交通(電車、市電、バス)の存廃が問題になりますが、経営努力の問題もあり
ますが、何よりも乗客がいないことにはどうしようにもありません。横軽は通勤、通学の乗客は
極端に少ない数字です。代替バスの乗客は通過客と観光客です。生活路線としては鉄道を運行す
るには足りません。観光鉄道としての可能性だと思います。
 もう少し時間をかけながら、カンパを貯めながら、アイデアを出しながら粘り強く集客を考え
ませんか。

しもやま さん (     ) 1999年 07月 29日 21時 46分 26秒

「碓氷峠鉄道文化むらファンクラブ」その名の通りの会が財団運営の下実在しております。私は会員No.41です。
残念ながら現在のところ特に目立った活動は起きていないのは事実ですが。入会につきましては某応援団のHPを御参照下さい。

内山寿明 さん (    ) 1999年 07月 29日 03時 41分 43秒

横軽復活運動に寄付する「横軽振興基金」の様な物ってないのでしょうか?
欧米によくある博物館への寄付のような形にして、文化むらや復活した鉄道へ運転資金の一部として活用するというものです。トラストトレインのような形と言えるかもしれません。
「鉄道文化むらファンクラブ」のような名前で鉄道文化むらの財団法人が行ってもいいかと思いますが・・(若干、寄付に関する法律の壁もあるかと思いますが)
ファンクラブに入ったらシリアルナンバー入り会員証と回報が送付され、鉄道文化むら招待券や復活する鉄道の特別乗車券も贈られる。ただし、入会金は子供で2千円・大人で1万円以上、会費は1年間のみ有効。もちろん鉄道文化むら側も会員募集広告の掲載と会員特別イベントを企画。などなど
夢物語かもしれませんが、全国にいる横軽復活を望むファンから資金を集められると思います。
ただ、税金と違って安定収入の保証がありません。イベント如何にかかってます。
浦和レッズのサポーター収入のようにいったらいいのですが・・・

横軽FOREVER さん (    ) 1999年 07月 25日 01時 47分 16秒

前のメールは、文字化けしてたので再度送ります。横軽は、現在バスの利用が1日200−400人程と聞きました。これでは、鉄道として存続は、難しいのではないかと思います。やはり、鉄道村とリンクして、走らせるしか方法はないかもしれません。それでも、本格的な車両を使い、定期列車に近いダイヤで、走らせたいものです。コスト削減の為にも、ボランティアを募り、収入を上げる為にもJRからのジョイフルトレイン(EF63が、動体保存されていると聞いている)を走らせるといいと思う。許可の関係で、難しい面があるとは思いますが,色々なアイ筑アを出し合うことにより、きっつと実現されることを信じています。

横軽FOREVER さん (    ) 1999年 07月 25日 01時 43分 04秒

前のメールは、文字化けしてたので再度送ります。横軽は、現在バスの利用が1日200−400人程と聞きました。これでは、鉄道として存続は、難しいのではないかと思います。やはり、鉄道村とリンクして、走らせるしか方法はないかもしれません。それでも、本格的な車両を使い、定期列車に近いダイヤで、走らせたいものです。コスト削減の為にも、ボランティアを募り、収入を上げる為にもJRからのジョイフルトレイン(EF63が、動体保存されていると聞いている)を走らせるといいと思う。許可の関係で、難しい面があるとは思いますが,色々なアイ筑殴△鮟个傾腓Δ海箸砲茲蝓△C辰伴存修気譴襪海箸鮨・犬討い泙后」

speedover さん (    ) 1999年 07月 24日 23時 12分 47秒

1,地方債はどこの自治体もたくさん抱えています。問題は財政のバランスです。自治体
で悪い順から言えば、岡山県、神奈川県、東京都などが都道府県で財政破綻寸前です。概
してバブル期の法人税収の多い自治体が反動で財政難に落ち込んでいるところが目立ちま
す。松井田町は、公債費比率が12から、13程度。今後文化会館、鉄道文化むらなどもあ
り、平成14、15、16年頃は、20になります。これは税収の伸びいかんで変化します。

2,軽井沢町と松井田町が協力すると言っても過去を水に流すことは松井田町が決めること
です。廃止の時に努力していないと空理空論になりがちです。例えば、トロリーバスにせよ
とか、レールを外してバスを走らせろとか、ゴムタイヤの車輌にすれば勾配に耐えられると
か、いろいろな意見があります。いずれも意外と改造にコストがかかり、無理です。
 しかし、一番鉄路存続の可能性があったのは、1996年以前は第三セクターでした。一時
は小寺弘之群馬県知事も自ら第三セクターでと発言した時もありました。しかし、長野県庁
がフル規格新幹線に固執し、在来線の経営分離と横軽の廃止を認めたのでした。
 私は、わたらせ渓谷鉄道方式、第三セクター方式でしようと陳情に行きました。しかし、
群馬県、長野県、運輸省、軽井沢町も協力する考えはぜんぜんなかったです。
 一番重要なことは、運輸省、JR東日本、群馬県、長野県が一致できる条件です。軽井
沢町も長野県との意見を調整してから、事務レベルでまず進めるべきです。スタンドプレ
イでアドバルーンを上げても駄目です。もっと水面下で地道に進めてから、発表するべき
です。
3,松井田町役場は、各種のご意見、ご提言はきちんと審査、記録しているはずです。そ
の中から、取り入れられる政策は入れているはずです。
4,新聞記事にすることを自己目的化してはいけません。JR東日本は、長野新幹線をは
じめ、上越、東北、山形、秋田の各新幹線の業績を分析しています。整備新幹線は、政治
家や首長やゼネコンが望んで経済効率を無視してまでも建設しています。JR東日本には
負担が増えるばかりです。これで在来線経営分離を約束させたわけです。横軽復活はタブ
ーなのです。特にEF63の復活はできない状態です。鉄道趣味の方もこの点をご理解下
さい。松井田町民は、このさまざまな規制の中でなんとかもう一度碓氷峠に列車を走らせ
られないかと苦悩しているわけです。何とかできる方向で地元世論を高めることと全国か
らの利用者、観光客を集めることを今文化むらとしてしています。碓氷峠鉄道文化むらに
来ていただいて、横軽のバスにもお乗り下さい。
もう少し時間をかけて何とかできる方向をだすように努力していきます。

横軽FOREVER さん (    ) 1999年 07月 24日 22時 57分 24秒

横軽間は、現在バスの利用者が、200〜400人と聞きました。これでは、鉄道として、復活は、むずかしいと、思います。やはり、鉄道村と、リンクして、イベント的に走らせるしか、方法はないかと思います。それでも、出来るだけ、定期列車に近いものであることが、のぞまれます。ボランテ殴△髻∧腓蠖邑・颪鰺泙─△泙拭■釘藤僑海・・安諒歛犬気譴討い襪畔垢い燭里如△海譴鮖箸ぁ■複劼離献腑ぅ侫襯肇譽ぅ鵑髻∩・蕕擦襪函△・發靴蹐い隼廚い泙后E監擦砲垢譴弌⇒・兌圓倭・┐襪箸・發い泙后5・弔了・如△爐困・靴ぬ未・△△襪箸六廚い泙垢・△気泙兇泙淵▲ぅ妊△鮟个傾腓ぜ存修妨・・辰弔討い海Δ任蓮△△蠅泙擦鵑・ゥ

齋藤雅泰もしくは鋼鉄の皇帝 さん (    ) 1999年 07月 24日 00時 32分 45秒

私自身についての思いですが。。。。。

 少なくとも96年の初頭に路線存続断念の話が入った時、しまったと思いました。93年ころ
から第3セクタを目指すうんぬんの状態になってからは何もしていなかったのです。
 とはいえ96年の春以降、どうなるかはわからなかったのですが、通年営業ではなく季節営業
ではなんとかなるのではないかと思い、文章を作成し松井田町に送付していました。文才がなか
ったので、あまり短い周期では出せなかったです。もっとも、町側が読んでくれたかどうかは知
りませんがね。(90年当時に出した文章はたまたま町おこし案募集があって、それにかかった
ようではありますが:つまり読んでもらえたということ)

 そのような状況で、97年98年とまったく再度の鉄道化の話はまったく聞かれず、あせって
いたような状態でした。それが、年末以降保存鉄道化話がいろいろ出てくるようになって、我が
意を得たり と思っていたのです。
 まあ、口だけという状態にはなりたくないですがね。

しもやま さん (    ) 1999年 07月 23日 20時 19分 57秒

私の立場から発言するのはおこがましいと思いますが・・・。
松井田町がこれからも地方債を抱えていくのは正しい選択なのでしょうか、それとも今一度過去を清算し、JRに続き他の町の協力を仰ぐべきなのでしょうか。

郷土を愛し、郷土の発展を願い、郷土の益となるのは何かを知りたいです。

speedover さん (    ) 1999年 07月 22日 23時 39分 17秒

松井田町民として少し複雑な気持ちです。松井田町は、公式に廃止寸前まで鉄路存続運動を
議会も含めてしてきました。負けるのは承知でも地元としてできるだけ抵抗もしました。
7月10日の碓氷峠鉄道文化むらなどの見学会と7月24日の軽井沢の集会は、松井田町民
としては諸手をあげて歓迎とは言えません。
 なぜならば、1995年頃孤立無援の中で群馬県にも長野県にもJR東日本にも見捨てら
れた松井田町を、軽井沢町も長野オリンピックフィーバー、北陸新幹線フル規格万歳の中で
「廃止は当然」として連帯はできなかったのが歴史的事実です。
 いまさら、碓氷峠鉄道文化むらの入園者が10万人越え、横軽復活の声がわいているから
これに便乗では地元では通りません。松井田町は20億円を支出して文化むらを作ったので
す。地方債=借金も増えましたが、やりくりしました。
 私たちは地元民としてできるだけのことをして、その上で全国のみなさまに連帯を求めま
す。横軽の地上権も松井田町がすでに確保しています。軽井沢町は地方交付税不交付団体と
いう豊かな町です。町長が2月に交代していろいろ発言していますが、町長ならば、公式に
軽井沢と松井田は連携を探るべきです。
 今回の集会は、当初のシンポジウムに責任の持てない人々に引き回されることは困るとし
て招待された松井田町長は拒否しました。このため、急遽講演会に変更のはずです。NPO
は良いですが、責任ある継続した住民運動、行政の一貫性がなければ鉄路の利用は難しいと
思います。もっと、じっくり下から積み重ねて横軽の復活を主張するべきです。
 私は、8年間鉄路存続運動をしてきました。

斎藤雅泰 さん (    ) 1999年 07月 22日 13時 04分 43秒

隠れ鉄オヤジ さんが書かれていた内容で、

7/24に講演会が軽井沢中央公民館で開かれる

とかいう内容がありました。いろいろ確認したところ、入場制限はないらしいので、関心のある
方は行かれたらよろしいかと思います。時間は13:30からだそうです。

speedover さん (    ) 1999年 07月 20日 20時 44分 54秒

1,碓氷峠鉄道文化むらでの盗難事件については碓氷峠鉄道文化むら応援団のHPをご参照
下さい。
2,仮定の話です。運転期間は、季節運転。観光鉄道を想定しているようです。例えば嵯峨
野観光鉄道観光鉄道のようにです。
3,トロッコが観光目的には良いかと想定したようですが、ワンマン運転の許可が難しいよ
うなので、他の方法を考えているそうです。
4,電車が経費がかからないのですが、横川変電所を取り壊してしまったので電気代がかか
りすぎて問題です。それで、ディーゼルを考えたようです。
5,EF63は、老朽化と部品不足で現在の段階ではコストがかかり過ぎて無理のようです。
6,高崎小諸間直通運転が便利ですが、軽井沢以遠はしなの鉄道ですので無理のようです。
恐らく、横川軽井沢間のみの観光鉄道がJR東日本や運輸省と摩擦が起きにくいと考えるのが
順当です。
7,軌道自転車で作業として横軽を上り下りできたそうです。

田島 さん (    ) 1999年 07月 20日 15時 07分 30秒

鉄道文化むらで、部品が盗まれたことはご存じでしょうか?
どなたか、情報はないでしょうか・・・

齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 07月 19日 18時 25分 01秒

speedover殿

以下の書きこみを見ました。できれば詳細の実績をお教え下さい。

で、内容のほうなんですが、これは通年運転の話なのでしょうか?
それとも期間限定の話でしょうか?最終的には通年運転してもらい
たいのですが。

 現実解としては気動車より電車のほうにならざるを得ないのでは
ないでしょうか?勾配のことを考えると強力な発電ブレーキがいる
でしょうし。電気式のDCはやたらに複雑になるだろうし。。

 乗客数ですが、高崎から小諸までと見ると大体同程度の本数となっ
ていますので、この区間を一体で運営とするパターンも考えて見るの
もいるのではないでしょうか?直通すると乗客も増えると思いますの
で。

 あと別の話となりますが下にトロッコうんぬんの書きこみが
ありましたので、、、、

 廃線跡に軌道自転車を走らせることは数カ所で行われている
ようです。特に北海道美深町では1985年に廃止された美幸
線に13年の空白を経て去年から軌道自転車牽引の簡易トロッ
コ的(?)列車を走らせていますね。

 13年もの間を経て運行にこぎつけたことがすごいと思いま
す。

 でも、碓氷でやるには橋の部分が危険かな。。。。。
今あるような軌道自転車のタイプだとこのような場所は走って
いない。だからこそ、本格的鉄道を急ぎたいのですが。

 DLならDLで安全な策がとれればいいのです。ならば電気
式で強力な電気ブレーキが使えればいいなと思ったわけですが。

 EF63が使えれば技術上まったく問題がなくなるわけです
が、経費がかかるわけですので。経費がかかるということは、
運転日数を減らさなければなりません。

ここがうまくいけば、美幸線も鉄道事業法に基づいた本格保存
鉄道が導入できると思っています。ここでは小さなSLあたり
を走らせることを考えたいのですが。。。


speedover さん (    ) 1999年 07月 18日 22時 46分 30秒

横軽間の代替バスの一日平均乗車人数は、一昨年10月から昨年9月末まで平均297人くらい。
昨年10月から3月末まで前年よりやや上回る程度。そして4月以降、少し増加傾向。5月はか
なり増加して1日平均393人くらいです。
詳細のデータもあります。ご希望ならば後日公開します。
トロッコ列車でワンマン営業可能か碓氷峠鉄道文化むらが問い合わせしたところ、
不許可とのことです。後方が確認できないと危険という理由だそうです。
それで、気動車か、電車でのワンマン運転を基本に研究するようです。
一番の問題は乗客がどのくらいいるかです。現在のバスの乗客数では鉄道輸送する
必要性はないわけです。
しかし、復活させたいわけで悩みます。

齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 07月 18日 00時 11分 17秒

下にある内容の続きとして書いてあるものを投稿します。

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  信越本線 横川−軽井沢間について(続)

 現状出ている案、「ディーゼル機関車一両と五十人乗りの客車二
両を観光シーズンに限って運行する程度にとどめれば、立ち上げに
五億円、年間経費を五千万円ほどに抑えられる」と言われているも
のについてさらに検討を行う。

 前回以下の方式を提案した。

「運転方式として、ディーゼル機関車を横川側に配置し、軽井沢側
に客車を置く。また、先頭車両は制御客車(JR北海道のオクハテ
形式)とし、そこからディーゼル機関車を制御して運転する。よっ
て1人による運転が可能となる。また仮に機関車がEF63であっ
てもこのようにすればよい」

 ここで、ディーゼル機関車の能力について判断する。現状あるよ
うな機関車では66.7パーミルを登るのは問題であろう。となる
と新製となろう。

 上記の機関車にどのような性能が必要であるかだが、電気式の
DLの必要があるかもしれない。急勾配であるためブレーキ機関が
特殊であることが望ましい。とすると、発電ブレーキの使用できる
モータ駆動の機関車がよいと思うからである。

 この電気式DLはDF200にならった構造とし、元のEF63
に装備されていた急勾配システム(ブレーキ系統)を簡易化して装
備する。ほぼEF63と同等で架線のない区間でも走行できるよう
になると思う。また、それほど長大な車両を運転しないのなら、機
関車は比較的小型でもよいかとも思う。つまり動軸6つのF級でな
く4つのD級とかいうふうに。

 この機関車を常時横川側に配置するために、客車に機関車を遠隔
操作できる運転台を設置するのである。以前の無線連絡方式より簡
易で安全である。

speedover さん (    ) 1999年 07月 17日 20時 50分 19秒

横軽間の線路を最近、碓氷峠鉄道文化むら職員が除草剤を散布に行ってきました。
草がすごく生えているそうです。下手をすると木が生えてくることがあります。
軌道用自動自転車で行ってきたそうです。今後も除草をするそうです。
そして、できれば鉄路復活を。土地所有者はJRですが、
地上権は、松井田町が得ているそうです。

つっちー さん (    ) 1999年 07月 13日 14時 05分 58秒

現在沿線市町村が碓氷線の復活に向けてがんばっていますが、あの鉄路早くしないと使い物にならなくなってしまうのでは?トロッコでも手こぎでも何でもいいから早く走らせてほしいです。

隠れ鉄オヤジ さん (     ) 1999年 07月 11日 23時 19分 29秒

「信越線廃線跡軽井沢・横川間鉄路視察会」開かれるという記事がありましたので紹介します。

一昨年九月末に廃止された信越線横川・軽井沢駅間の鉄路の活用と保存策などを模索する「信越線廃線跡軽井沢・横川間鉄路視察会」 (「横軽鉄路を考える集い」主催)が7月10日、松井田町内で開かれた。
長野県内の自治体、議会関係者も含めた五十人が参加、視察後の懇談では、内田武夫松井田町長と長野県の佐藤雅義軽井沢町長が、鉄路の復活でエールを送り合う場面も見られた。
 「横軽鉄路を考える集い」は、国労高崎地本と安中市、松井田町の議員有志らで結成しており、民間と行政が一体となって、廃線区間を観光鉄道として保存しようと、活動を展開している。
 視察会は、長野県側の保存運動を盛り上げるのが目的で、長野県軽井沢町の佐藤町長、同町議、同県御代田町町議らも参加した。熊ノ平駅やメガネ橋、碓氷峠鉄道文化むらなどを視察した後、松井田町役場で、内田同町長や西野寿章高崎経大助教授らを交えて懇談した。                                      l
 懇談では、佐藤軽井沢町長が、「信越線横川・軽井沢区間には、新緑や紅葉など大きな観光資源がある。「何らかの形で復活させたい」と話し、内田松井田町長も、「廃止は、今でも残念に思っている。将来は観光トロッコ電車などを走らせるのが夢。県の協力を仰ぎ、これからJRにお願いしたい」などと応じた。
 「考える集い」では今月二十四日にも、軽井沢町中央公民舘で「横川−軽井沢間鉄路復活への道」をテーマに、記念講演会とパネルディスカッションを開く。
(7月11日付 読売新聞群馬版記事)

齋藤雅泰 さん (    ) 1999年 07月 02日 23時 13分 32秒

齋藤です。

ふるこし様へ、失礼しました。年を見間違えてました。
たしかに300人強だと思います。
しかし、問題は多客時の実績です。期間限定運転となるとそれで判断すると思います。

あと、新しい文章ができましたので皆さんで見てください。
(内容に問題ありかな)
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                          1999.7.1

  信越本線 横川−軽井沢間について

 今まで、保存鉄道方式による検討を行ってきたが、それと合わせ
恒久鉄道の方式についても考慮を入れる。

 現時点で出されている案に「ディーゼル機関車一両と五十人乗り
の客車二両を観光シーズンに限って運行する程度にとどめれば、立
ち上げに五億円、年間経費を五千万円ほどに抑えられる」というも
のがある。観光シーズンとは4月から10月あたりまでの休日に限っ
てということになるだろうか。

 さて、最近のダイヤであるが、平日10往復半、休日13往復半
程度となり、休日では大体1時間に1本である。これは高崎−横川
間、軽井沢−小諸間もこの程度であり、下りに限ってみるとデータ
イムの高崎発の列車のほとんどで長野までいけそうである(7月の
ダイヤで12:40,16:10で連絡できないくらい:なんとも便利になった
ものだ)。

 上記の保存鉄道であった場合、バスとのダイヤ調整となるが、臨
時便の部分を代替することになるのであろうか?その場合でも、1
時間に1本で臨時が出ている時間帯があるので、ディーゼル牽引で
も1時間1本可能状態でなければならない。そうなると全線走行が
25分以内に収まるとは思えないため、中間信号所が必要である。

運転方式として、ディーゼル機関車を横川側に配置し、軽井沢側
に客車を置く。また、先頭車両は制御客車(JR北海道のオクハテ
形式)とし、そこからディーゼル機関車を制御して運転する。よっ
て1人による運転が可能となる。また仮に機関車がEF63であっ
てもこのようにすればよい(この形態をプッシュプルといい、ヨー
ロッパでは普遍的だが、日本では大井川鉄道井川線とJR北海道の
仙網本線、富良野線、JR西日本の木次線のみである)。

 運営形態は、路線の保有と運営を別団体で行う上下分離策が好ま
しいと考える。運営団体がそこまで体力があるか不明のため。また
この場合、保有は自治体が好ましいのではないだろうか?(東北本
線の新幹線並行分離区間がそうなる予定)

 法律上、
  施設管理をする団体が第3種鉄道事業者となり、
  運転をする営業団体が第2種鉄道事業者となる。

(以下通常鉄道の話とする)

 現状では休日に限る状態ではあるものの、運転本数はかなりある
といえる。状況からして高崎−小諸が一体に見える。従って、本区
間を乗り換えなしで一本で運転できれば、横川−軽井沢間だけの成
績とはかなり変わってくるだろう。

 66.7パーミルとは言え、海外では通常の粘着運転のできるレ
ベルである(海外では90パーミルでも通常運転する)。従って、
本区間は自走できるものと考える。確かに、連続勾配でほとんどレ
ベル区間が存在しない。そのため特殊装備の機関車が必要であった。
特に非常時の装備として。また、前から言われていたが、新規電車
投入とした場合、箱根登山鉄道にならったせいか、平坦地で高速運
転できないとの記述があったようである。であれば、切替スイッチ
により平坦用、勾配用と切り替えればよい。これが南海の車両シス
テムである。

 上記のような車両にブレーキ機能を強化して、高崎−小諸間に専
用投入する。高崎−横川間がJRのままでも構わない。つまり、

 高崎−横川間 JR東日本
 横川−軽井沢間 関連自治体
 軽井沢−小諸間 しなの鉄道

の設備管理で、その上をしなの鉄道もしくは別企業体(第2種鉄道
事業者となる)で運転を行う。しなの鉄道であっても篠ノ井−長野
間で乗入れ状態であるため、問題はないと思う。直通すれば輸送密
度が上がると考えられ、経営も良くなるであろう。



ふるこし さん (     ) 1999年 07月 02日 21時 23分 46秒

さっきのカキコで重大なミスが。

日数思いっきり間違えてましたね。395日ですので、日割りすると303人/日になります。
失礼しました。

ふるこし さん (     ) 1999年 07月 02日 21時 21分 39秒

こんばんは。

斎藤さん、4000人/日ってちょっと多すぎません?

えっとですね、97年10月〜98年11月の1年強で、トータル12万人の利用者があり、
これを日割り(365+30=380日)にすると、約315人/日の計算になります。

で、だいたい1時間ヘッドで運転されているので、1日13往復と考えて、一運行あたり
12人ぐらいと出ました。

計算間違えているようなら、突っ込んでやってください(笑)。

いずれにしても、地方交通線レベルの実績ですので、まともに存続させようとすると
結構キツイのかなってところでしょうか。

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