しもやま
2003年 01月 10日 12時 52分 19秒 URL:http://www006.upp.so-net.ne.jp/room104/ |
少し御無沙汰しましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
昭和38年の碓氷新線開通の際に入山緩勾配でなく、
中尾66.7パーミル案が再び採用されました背景には、
建設費の問題に加え、所要時間を短縮する課題があったことと思います。
信越本線がまだ幹線鉄道として重要だった時代では
高い建設費と長い工期をかけて入山経由で迂回路を作ったとして、
横川−軽井沢間の所要時間がアプト時代とあまり変わらなかったのでは
輸送力強化の意味あいが薄れてしまうところがありました。
新線の検討が始まった当時はまだ戦後の復興期と言えますし、
貨物輸送から旅客輸送への転換とか、長野に新幹線を通すとか考えなかった時代では
短工期で輸送量増強、輸送時間短縮を果たして押せ押せというのは
採るべき採択であったかもしれません。
着工当時の時代背景がそのまま継続されていたのなら、
後々の保守維持費用が高くともペイできたという見積もりがあったことと思います。
モータリゼーションが定着し、新幹線が開通した現在では
当時の見積もりも全く合わなくなってしまいますが。
碓氷新線工事の概要は、以下の昔の文献が元ネタになりますが、
文化むらファンクラブ会報などで伺い知ることができていることと思います。
:鉄道ピクトリアル 1960年7月号
さて、碓氷線関連の情報収集についてですが、
文化むらのファンクラブに入会していることが1つの方法として
挙げられます。
既に発行されてしまいましたが、これまで文化むらが発行してきた
ファンクラブ会報や添付文献などは、碓氷の歴史を知る上で重要な手がかりと
なることと思います。
また、文化むらにはファンの方々が寄贈された数多くの書籍やバックナンバーが
あります。私も2、3冊寄贈しましたが、碓氷線関連のバックナンバーは
今はほとんど揃っているようです。
車両清掃作業などに参加されていたら、ひょっとしてこれらのバックナンバーを
閲覧させていただいたり、
過去のファンクラブ会報を譲っていただける機会もあるかもしれません。
うーん
2003年 01月 09日 01時 42分 30秒 |
>Esslingen3900 様
特殊機関車で強引に山腹をつっきるというルートでなければ、確かにここまで注目はされなか
ったでしょうね。上越線との関係もありますし。
ちなみに当初の計画案にはケーブルなんてやつもあったようです。また入山ループの計画図を
見ると急カーブの連続で、長大トンネルを掘る予算も技術も無かったとはいえ、こんな線形で
は早々に大改良を余儀なくされたかも知れません。
アプト式旧線のルート選定で決定的だったのは、当時の政府と軍の意向だったようですね。
確かにアプト式を知るまでは、迂回ルートしかなかったわけです。しかし、特許をとった
ばかりでヨーロッパでもまだ「新鋭技術」の域を出なかったものにとびつかざるを得なかっ
たのは何故かです。少しでも低い建設予算と短工期で、当時すでに横川、軽井沢まできて
いた信越線を結ばなければならない「国策」的なものがあったのでしょうね。
その意味で、最短距離の現ルートが最初から本命だったと言えるのではないでしょうか。
その後の迂回線計画では、建設費の問題でことごとく挫折してしまったのはご指摘の事例にも
ある通りです。特に明治末期段階では、そのような財政的余力は皆無に近かったわけですね。
軍の方も、信越線での軍事物資輸送をそれほど重視はしなくなってきていましたし。
なお上信電鉄については、下仁田から小海線の中込駅まで延伸するという計画があったそう
です。
歴史的に見ると、碓氷線の迂回策的なものは、道路で実現されていったとも言えますよね。
入山ルートは国道18号バイパスで(部分的にですが)。妙義山の南回りルートも確か国道
の拡幅整備が行われたと思います。
(私見ですが、碓氷線の歴史を考えるときに、道路の問題もあわせ見ると面白いですよ)
Esslingen3900
2003年 01月 08日 21時 02分 39秒 |
横川ー軽井沢間が、(アプト旧線計画時あるいは粘着新線計画時に)入山ルート(同じ入山経由でも、当初はスイッチバック式やアプト式のルートも考えられていたようですね)で建設されていたら、鉄路が消えないですんだかもしれませんが、(逆に)ここまで沢山の人に注目される路線にはなっていないかもしれないでしょうね。皮肉な事ですが。
うーん様
・「最初から中尾アプト本命」とのお話ですが、当初(ドイツのハルツ山鉄道を知るまでは)鉄道庁は本気で入山ルートで行くつもりだったそうですが!?
・碓氷線を迂回する路線まで視野を広げると、明治41年(日露戦争後)にも鉄道院では、迂回線建設の調査隊を現地に派遣し数ヶ月に渡って測量したそうです。このルートは、磯部から妙義山の南を通って本宿へ、さらに矢川に沿って登り初鳥谷(はつとや)からトンネルで県境を越え、岩村田ー小諸へ抜けるルートだったそうです。結局は中尾アプトを電化する事で決着したそうですが。ただ、電化しても同区間がネックであることは変わらなかったので、長野県からは「信越線碓氷迂回鉄道速成を促す意見書」が、内務大臣後藤新平へ提出され、群馬県会も「碓氷迂回線建議案」を全会一致で可決したそうです。しかし建設費が巨額なため、その後は具体化される事がなかったそうです。その他にも上信電鉄を佐久まで延長する案や、秩父鉄道を延長する案なんてんもあったようですね。
うーん
2003年 01月 08日 17時 04分 03秒 |
碓氷線のルート選定は、アプト式旧線計画時と、粘着新線計画時、そして北陸新幹線と史上3度
検討されたことになりますね。
で、前者2件についてはいずれも複数のプランが出ていました。うち有力だったのは入山峠越え
の25パーミルループ線案と、66.7パーミル最短距離案(峠の山腹をほとんど直線で突っ
切るという、登山鉄道以外では通常はありえない線形)だったわけです。
結局、建設費と工期を最低限に抑えるために、二度に渡って66.7パーミル最短距離案が
採用されました。
要するに、碓氷線が緩勾配線になった可能性もある(その場合は入山線とでも呼称されたの
でしょうか)わけです。ただ、当時の検討経過の記録を読むと、いずれも政府ないし国鉄
首脳部は66.7パーミル最短距離案に最初から力点をおいて、その案を通すためにアリバイ
的に25パーミルループ線案等を出した印象があります。(検討の初期段階から、66.7
運転を安全に実施することが可能であると強調したりしている故)
当時の技術力や予算制限を考えると、たとえ仮定であったとしても現在の長野新幹線ルート
が採用されたとは考え難いものと思います。
「IF」的な話をするならば、入山峠25パーミルループ線の方がリアリティがあるのでは。
もし、このルートが採用されていれば、上越線の清水トンネル(現在の上り線の方)のよう
な感じになったでしょうね。そうなっていれば、北陸新幹線と引き換えに廃止されるような
ことがなかったかも知れません(ただし3セク化は必至でしょうし、単線化される可能性も)。
新潟県側信越線沿線住民
2003年 01月 08日 10時 47分 03秒 |
昨日、ふと思った事なんですが「もし碓氷新線を建設する時に66.7パーミルではなく、現在の長野新幹線みたいな大きく迂回した路線になっていたとしたら、どうなってたのかな?」と、「EF63に変わる、VVVFインバーター搭載&電力回生ブレーキ搭載の電気機関車(EH200に横軽等の超急勾配対策を施した、横軽スペシャル)または列車自体で自走できる車両、例えば489系は同時期にデビューした681系ベースの横軽対策車(689系?)や189系に変わる新・特急型電車がデビューしていたら廃線ってなかったのかな?と思うのですが、どう思います?
うーん
2003年 01月 07日 15時 16分 04秒 |
そもそもの需要の問題以外に、もう一つ。
整備新幹線で、競合する各交通手段に対してどれだけの競争力をもてるかも問題。
利点としては対首都圏や拠点都市間へ乗り換えなしで行けるということ、車内の移動が比較的
自由で、酒も飲める(笑)、というのは列車の利点ですけれども。しかし、これは新幹線に
限ったことではなく。(それに普通車の3列座席なんて、在来線よりも窮屈ですし、座席の
快適さの点からは最近の在来線特急車両や高速バスのリクライニングシートの方が上)
一方、運賃と到達時間の点では些かヤバイのではないかと思われます。現在の新幹線の運賃
体系では、航空機や高速バスにはもはや勝てませんよね。また自家用車でも、家族旅行とかで
あればたとえ高速使いまくりでも圧倒的に安くすみますしね(新幹線との差額でETCが買え
てしまう?笑)。
所要時間の点では、片道500キロ以上であれば航空機の方が圧倒的に有利です。空港までの
アクセス時間を差し引いてもオツリがきますよね、この距離以上であれば。
以上の要素による競争力の点で考えれば、東海道・山陽新幹線のみが合格で将来性もあると
思われます。
他線区、まして整備新幹線なんかは、競争力の点で極めて疑問です。競争相手がいなければ
高い新幹線運賃と中途半端な速達性と狭い普通車座席でも我慢して利用するでしょうけれど。
(八戸開業で好調なのは、このあたりの要素なのでは?)
整備新幹線については、並行在来線という重荷を切り捨てても、将来性があるとは考え難い。
政府が明確な総合交通体系施策の下、新幹線利用を強制的に促すような規制をやらないと、
整備新幹線網が斜陽化していく危険があると思います。
納税者には、整備新幹線の莫大な建設費+第3セクター鉄道の莫大な赤字+地方在来線鉄道網の
崩壊による不便=地方のさらなる過疎化+新幹線開通による大都市圏一極集中の加速&地場経
済の崩壊(長野市を見よ!)の4大負担の上に、将来、整備新幹線の維持という負担が追加され
るという危惧があります。これほどの負担とリスクに見合うメリットが整備新幹線にあるのか
どうか、冷静に判断すべきなんでしょうね。
うーん
2003年 01月 07日 10時 36分 50秒 |
整備新幹線についてのJR各社の本音は、とにもかくにも国鉄の二の舞だけは避けたいという
ことにつきるんでしょうね。国鉄の息の根を止めたのが上越・東北新幹線の建設でしたから。
東海道・山陽新幹線は輸送力が限界にきていた在来線の線増&高速化という目的で建設された
わけです。この2線以外の新幹線、まして整備新幹線については全く事情が異なります。
建設費全額を実質的に国と沿線自治体に負担してもらった上でさえ、利益が出るかどうか危うい
程度の輸送需要しかないわけで(要するに在来線特急で十分な程度の需要で安定してしまって
いる線区なのです)。特急を全廃してしまってローカル輸送需要しかなくなった並行在来線
(つまり累積赤字が膨らむだけの線区に転落)と新幹線の共存は、経営的判断からは不可能
なわけです。そういうわけで、整備新幹線の場合は、新幹線か並行在来線かで二択になって
しまう。
政府の方も、国鉄再建の精神から、JRに対して整備新幹線と並行在来線の両方を経営させる
わけにはいかないということです。JRが在来線を維持することが可能なのは、山形新幹線
方式のように新幹線と在来線を1本化するやり方しかないのですね。
整備新幹線と並行在来線を一緒にやれとするならば、それこそ国鉄分割民営化はいったい何
だったのかということにもなりかねません。
(もっとも、新幹線について言えば独立採算にはなっていません。独立採算にすれば東海道新
幹線の運賃を下げることができて航空機や高速バスに圧勝できるというのが、JR東海の見解
です。厳密にはトップが自著で述べていることですが)
私は決して並行在来線の3セク化あるいは廃止を是とするわけではないので念のため。
整備新幹線計画には端から無理があるのではないかというのが私の見解です。
ひろざ
2003年 01月 06日 23時 30分 52秒 |
新幹線と在来線の三セク化…極めてわかりやすく言うと…仮に兄弟がいるとしてあなたがお兄さんとしましょうか、今まで使っていたママチャリ型自転車の代りに21段変速の
マウンテンバイクを買ってもらう話があったとします。 あなたは2台の自転車に乗ることはできないので、どうしても「ママチャリ型自転車」は乗らなくなってしまうことになるわけですね。そこで次のことを考え出します。「弟にママチャリ型自転車をあげればいい! 弟がうまく気にいって乗ってくれれば、たまには僕も乗れるし気に入らなかったとしてもどうせ乗らないのだから捨てればいいや!」こういう理由をつけて、あなたはマウンテンバイクをGET! 残された「ママチャリ型自転車」はご両親に手伝ってもらってペンキを塗りなおしたりしてきれいに整備をして弟に渡しました…さて弟は気に入るでしょうか?? 多少語弊があるかもしれませんが、JRが会社である以上余計なお荷物は持ちたくないということなのです。 新幹線と平行している東海道・山陽・東北・上越の在来線も公共交通の「国鉄」であるが故に残存されたのであって仮にJR時代に新幹線が作られたとしたら、東海道は別として「せとうち鉄道」「みちのく鉄道」「えちご鉄道」となっていたかもしれないのです。 では三セクに未来はあるのかということになりますが、「お客を呼び込むこと」これに尽きます。 それの一環が碓氷線復活の模索なのです。 ですから碓氷線に走らせる車両は同区間を自走できる車両であるとか極力お金をかけずに運行する方法を検討することになるのです。
またもうひとつのアプローチは、新幹線のスキマを狙えないかということ。例えば八戸開業の東北新幹線にしても郡山から八戸に直通で行ける列車はないのです。必ず乗換が必要になる事実。信越線にしても安中、磯部、軽井沢、小諸、上田、戸倉など観光スポットへの足として新幹線だけで有効か? 必ずしもそうではない道が生まれてくるのです。多少時間はかかるが、在来線の団体専用列車(電車)で乗り換えなく観光地に行けることは魅力的なプランとして検討の余地があるように思えます。 例えば東北地区から東京ディズニーランドに行く583系使用の団臨などは健在なのですから。 そういう多方面の視点でないと碓氷線の復活どころか三セクは廃線の道を歩む結果となるでしょう。 そう乗らなくなった「ママチャリ型自転車」のように。
EF63
2003年 01月 06日 18時 46分 28秒 |
うーん様、そうですね。 ありがとうございました。
>こういう初歩的な事柄については
人に聞く前に、まずは自分で調べましょうね。
と行きたいんですが、近くに本屋なし、駅とおい、など、厳しいんです。インターネットもなかなか載っていないし・・・ 言い訳のようですが、事実です。というわけで、一番身近な ここで 質問してるわけです。迷惑かもしれませんが、皆さんが、優しく、すぐ、わかりやすく教えてくださるので、聞いてしまいます。
こう言う事も聞いていいと思いますよ。(僕は・・・)ここで皆さんと話し合うのも・・・
ということで、わかってください。お願いします。
でも、新幹線を作るからといって、3セク(経営分離)を前提条件としなくてもいいと思います。
うーん
2003年 01月 06日 18時 09分 08秒 |
>EF63様
客車列車ですが、八戸開業によるダイヤ改正で、夜行寝台特急を除き定期列車は消滅したので
はなかったでしょうか。ジョイフルトレイン使っての団体臨時やイベント運転等での非定期運
用が少数残ってはいますが。
客車列車全廃の件については、「情報入手」云々の段階ではなく、既に既成事実として目の
前にあるわけです。
この話は情報源がどこか等というような大袈裟なもんではなく、ダイヤ改正時の時刻表とか
鉄道雑誌とかに明記されている種類のものです。
客車列車(機関車牽引列車)の経営サイドからする問題については、鉄道雑誌でさんざん書か
れていることなので、ここでは省略。
***
九州新幹線については、鹿児島ルート、長崎ルートともに、並行在来線は第3セクター
化されるということで正式決定済です。第3セクターの経営が莫大な赤字予測というのも
公表されています。(いつものごとく県発表数値と民間試算とでは相当の開きがあります
けれども)
ちなみに、北陸新幹線に関係する並行在来線も第3セクター化が決定済。(ただし一部線区の
廃止問題については決着がついていないし、経営分離の対象在来線の範囲についてもJR西と
北陸の地元とで最終合意には至っていません。第3セクターの赤字経営問題についても曖昧
なまま、工事だけは急ピッチです。石動−金沢間は9割方完成、糸魚川−富山間もこの分だと
数年で完成しそうな勢いです)
というか、現在、進められている整備新幹線計画では、フル規格化の場合は、並行在来線を
JRから経営分離するということが国の認可の前提条件となっているわけです。
(この話、この掲示板でも何度も出てますよね?)
新年早々、なんか嫌味な書き方になってすいませんが、こういう初歩的な事柄については
人に聞く前に、まずは自分で調べましょうね。
EF63
2003年 01月 04日 22時 11分 17秒 |
JR九州が 鹿児島まで新幹線開業。あと1年半だそうです。トンネルウォーキングなどやったそうです。在来線、どうなるんでしょう??
EF63
2003年 01月 04日 12時 12分 28秒 |
ひろざ様、情報はどこで入手していますか?
JR東日本ホームページですか?
EF63
2003年 01月 04日 11時 58分 31秒 |
>客車の廃止は機関車にも影響することになりますから、碓氷線の機関車のあり方も再検討する必要がありますね。
そうですねえ。 どうしてJRは客車列車を廃止にするんでしょうか・・・?
客車列車が好きな方もいますよ。
>復活の際は同区間を自走できる車両が第一であり・・・
たまにはEF63を走行させるとか・・・
ひろざ
2003年 01月 03日 10時 11分 23秒 |
碓氷峠から貨物列車が廃止されたのは昭和59年ですがその理由が碓氷線特有の制約から起因していることを認識していただきたく思います。 つまり横軽対策による制限されている通過可能なトン数がそれです。現実当時の貨物列車は横川、軽井沢で碓氷線に制限されたトン数に合わせるため編成を分割し、かつ専用の車掌車(1両は文化村に残っていますね)を連結し峠を通過していました。 大変な労力&コスト&時間がかかる列車であったことはご理解いただけることでしょう。 結果、軽井沢以遠の信越沿線への貨物輸送は、制約の無い上越、中央線経由へ移っていったのです。 総合的に見ても碓氷線は「迂回線」としても不適当な要因が多く、復活の際は同区間を自走できる車両が第一であり、機関車牽引の列車は客車(旅客)に限定すべきでしょう。 またJR東日本は
客車列車を廃止する方向で進めているいわれ、最終的には北海道行きのブルトレだけになるとも囁かれています。客車の廃止は機関車にも影響することになりますから、碓氷線の機関車のあり方も再検討する必要がありますね。
碓氷放送局
2002年 12月 22日 11時 34分 46秒 |
放送事業においても整備新幹線と同じ手法がまかり通ろうとしている。
地上波デジタル放送が開始されると2011年に現行のテレビ放送は廃止され、
今のテレビ受像器には何も映らなくなってしまうそうである。
現在、家庭には、車載用や携帯用も含めれば5台前後のテレビがあると思われるが、
これら全てが使えなくなってしまう。
デジタル放送と抱き合わせでの地上波の停波は新しいデジタルテレビを買わせるための策略のように思える。
この構図は、整備新幹線を作って、在来線を廃止してしまう手法と全く同じではないか。
現行のアナログ放送で十分間に合っているものを、不要な出費を強いられる消費者はたまったものではない。
アナログ放送を打ち切り、使えるテレビを強制的にゴミにしてしまう手法には疑問を感じる。
この辺は、使える在来線を強制的に廃線にしてしまい、地域住民に不便と出費を強いる新幹線政策と全く同じ着想である。
庶民の懐具合など考えられない人たちが国の政を司っているのは不幸なことではないでしょうか。
Tetuoyaji
2002年 12月 15日 23時 52分 53秒 |
本日(’02年12/15)の読売新聞記事 「2002年 列島を行く」に並行在来線の記事
「しなの鉄道」の経営再建に取り組む詳細記事がありました。
「新幹線ありきのスキームが問題」の一言につきると思います。
しなの鉄道の社長殿に提言です。
来年廃車になる165系を買い取って「急行信州号」を定期運行で復活させて下さい。
軽井沢から長野に行くのに新幹線料金は高すぎます。
新幹線ほど速くなくても安く行ける選択肢が有れば自由競争の原理が働くのではないでしょうか。
鉄道物語作家ファン
2002年 12月 15日 18時 04分 20秒 |
「峠の鉄道物語」JTBが発売されました。碓氷と箱根の急勾配との闘い。すごいですね。碓氷峠の幕引き番の少年のエピソードは初めて知った。横川在住の高橋正さんから取材したそうです。高橋さんのお父さんはかつて幕引きをやっておられたとのこと。幕の引き方がとてもリアルでした。碓氷峠に眠っている文化を掘り起こした本だと思います。
Esslingen3900
2002年 12月 15日 03時 01分 01秒 |
tsuka改めEsslingen3900とさせて下さいまし。
少し前に盛り上がったLRT(又はLRV)での復活案、やっぱりこの案がもっとも現実味が有るように思えるのですが。
EF63
2002年 12月 11日 21時 58分 33秒 |
単車乗りのてっちゃん ,いい旅・信越線様、よろしく!!
トロッコの建設はあれっきり聞いてませんなあ・・・・・・・・
しなの鉄道は結構な赤字とテレビで社長が言っていましたが・・・・・・
「103億円」の債権を放棄?????
こりゃいけませんよ。
IGRいわて銀河鉄道さんはいいスタートを切ったようです。
「歴史ある東北本線を3セクにしてもいいんだろうか」とおっしゃっていた社長さん。
「歴史ある東北本線を3セクにしてもいいんだろうか」、これも大切ですが、赤字にならぬようがんばってください。応援してます。しなの鉄道さんもね!
単車乗りのてっちゃん
2002年 12月 09日 23時 13分 19秒 |
はじめまして、横軽の現状については色々と思う所はあったんですが、本日は鹿島鉄道存続運動のHPを見ていて、「長野県、しなの鉄道の債務を放棄」と言う項目があり、しなの鉄道の存続と言う観点から色々見ていてここにたどり着きました。横軽の復活についてはここで言われている様に、トロッコ(個人的には冬はストーブ)列車方式が一番有っていると思います。平日一般客が見込まれる様で有れば、そもそも廃線されなかった訳ですから、そこは軽井沢と言う一大ブランド観光地に頼るしかないでしょうね。そしてその運営は「しなの鉄道」に委託すると言うのはどうでしょう?また長野県は先に書いたHPの内容が事実なら「103億円」の債権を放棄する事となりますが、県民の血税から出たお金をただ放棄するだけではなく、長野県にお金が落ちるシステム作りの布石とする必要が有ります。そういった意味でもトロッコ列車の運行は一つの目玉になると思います。しかし、それだけでは不十分で、出来ればJR貨物に貨物列車の復活も打診するべきです。このHPの中でも「繋がっている事が大事」と言う様なことが書かれていましたが、まさにその通りで分断された貨物ルートの確保と言う観点からも、横軽の復活は必要で有り、環境重視型の社会に向けて鉄道輸送の復活の第一歩になると思います。とまあ色々言っては見ましたが、具体策が有るわけではなし、せいぜい田中康夫君にメールでも打ってみようかなぁ〜、って位の軽いのりですね。復活した横軽には勿論乗りたいですし、列車を見ながら単車でノンビリ走って見たいです。
いい旅・信越線.com
2002年 12月 06日 13時 51分 24秒 |
管理人さんはじめましてよろしくお願いします。信越線(横川ー軽井沢)間復活してほしいと思います。私は、26歳のとき青春18きっぷを使って横川駅へ行ったことがあります。横川駅ー軽井沢駅ゆきのバスに乗ろうとしたら、接続が無かったのであきらめて高崎駅まで行きました。鉄道文化村へ入ったことがありますが昔の(特急)あさま号、横川駅ー軽井沢駅まで活躍していた電気機関車が展示していたのを私は、びっくりしました。また青春18きっぷが入ったら横川駅まで行きます。(PS)一刻も早く横川駅ー軽井沢駅の復活を祈ります。
EF63
2002年 12月 04日 15時 22分 18秒 |
あらら
時永さん あれはなんだったんだろう。
レールもらいたいなんてここに書き込まれても困っちゃいます。
ってことと関係ないとで削除されたんですね
EF63
2002年 12月 02日 18時 50分 41秒 |
>自分のできることを無理のない範囲で長く続けていくこと、それがこの種のボランティア活動では一番大事なことでしょうね。
そうですね!これが一番大切だと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
鉄道文化村内にはEF63のヘッドマークが展示してあったようですが、
「さよなら碓氷峠号」 のヘッドマークは展示してありましたかねぇ・・・?
教えてください。
うーん
2002年 12月 02日 00時 09分 04秒 |
ボランティアの件ですが、碓氷峠鉄道文化むらファンクラブでは月一回の展示車両洗浄作業を3年前から続けていますよ。ご存知かと思いますけれども。189を塗装された方も、ファンクラブボランティア作業に参加されていたかと。
皆さんも、ファンクラブのボランティア作業に参加されてみられては?原則として毎月第三日曜日にやっているそうで、参加申し込みは碓氷峠鉄道文化むら公式ページでできますよ。
自分のできることを無理のない範囲で長く続けていくこと、それがこの種のボランティア活動では一番大事なことでしょうね。
EF63
2002年 12月 01日 19時 02分 39秒 |
>1名のボランティアの方が塗料の調達から最後の塗装までされたそうです。
すごいですねえ・・・ 見てきましたがあんなにきれいに塗るのは・・・
以前塗装の職業でも??
――――――――――――――――――――
とうとう東北本線廃線、IGRいわて銀河鉄道開業しましたね。
IGRいわて銀河鉄道の社長さんは
「歴史ある東北本線を3セクにしてしまっていいのか、今も悩んでいます。」
とおっしゃっていました。TVではしなの鉄道とIGRいわて銀河鉄道のことでやっていましたがIGRいわて銀河鉄道としなの鉄道の考え方が全然違います。
し な の 鉄 道 :今とっても赤字なんです。もっと儲けなくちゃ!!
IGRいわて銀河鉄道:「歴史ある東北本線を3セクにしてしまっていいのか、今も悩んでいます。」
ですもん!!長野県知事さんはしなの鉄道しなの鉄道。金がああだこうだ!!
経営危機なら「JRさんと手を組んで......」の一言も言いませんでした。
どうでしょう・・・
ひろざ
2002年 11月 30日 17時 07分 07秒 |
特急色に復元されたクハ189−506について、以前に紹介されていた記事によると復元
については、1名のボランティアの方が塗料の調達から最後の塗装までされたそうです。
現車は、特急シンボルマーク、JNRマークまで復元されていますがここまで配慮されたこの姿勢は、まさに頭が下がる思いです。 ボランティアにもいろいろな形態がありますが、今自分たちに出来ることは何かを考えないと単なる評論家になるだけです。
トラストトレインのように車体の再塗装や整備作業が出来る「土壌」が作られれば、この車両たちを大切にする愛好家の方々によるケアで横川駅のあさま編成も救われる感があります。 しかし忘れてはいけないのは、この車両たちが受けた盗難、破壊という「虐待」行為を行ったのも「鉄道マニア」…「鉄道愛好家」ということ。
常識的に考えて「鉄道愛好家」が信用されているか…???です。
他力本願でなく自助努力でやれることは何か…またそれを実行してこそが車両保存
活動の始まりになります。 それゆえ国鉄色復元の方には、頭が下がるのです。
EF63
2002年 11月 25日 20時 32分 07秒 |
そうですねェ・・・
>園内のクハを国鉄色にした以上、あの編成は「あさま」色のままにしておいてほしいところです。
僕もそうです。
>せめてヘッドマーク(何も入っていない)だけは何とかしてあげたいです。
本物を入れるとまた警備が必要になるのでしょうが、現状ではあまりにマヌケで可哀想です。
ステッカーでもカラーコピーでも、せめて内側から白紙でも…。
はいはいわかりますわかります。
>本物を入れるとまた警備が必要になるのでしょうが
まあ盗むバカなやつがいなければねえ・・・なに考えてんだかわかりません!!!!
めがね橋にも落書きがありました。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「重要文化財」」」」」」」」」」」」」」」」
なんだぞ!!
塗りなおすなんてことはできない(しないでください)んです。あれを塗りなおしたら全然時代を感じさせないただの 「はし」 になっちゃいます。
もうこれ以上碓氷峠関係のものに悪戯をしないでください
路線バス復活賛成
2002年 11月 24日 23時 48分 13秒 |
鉄道の話題ではありませんが、廃止されていた松井田−安中間の路線バスが復活するそうです。
群馬県内は、自家用車の普及が多いため公共交通は衰退し、松井田から高崎までの路線バスは、とっくの昔に廃線になっておりました。
この度、安中までの路線バスが復活することにより、高崎−安中間は、路線が存続しておりましたので、何とか乗り継いで高崎まで出ることが可能になるかと思います。
コスト的には、鉄道を使った方が安いと思いますが、今まで省みられなかった交通弱者への配慮が、高齢化社会の到来とともに少しは考慮されるようになり、交通手段の選択肢が増えることは喜ばしいことだと思います。
湘南準急
2002年 11月 24日 09時 22分 17秒 |
お久しぶりです。
>EF63様
現地に行かれたとは羨ましい。私は文化むら開園後半年くらいして行ったきりです…。
>EF63のメーカーのプレートがないんですが、やっぱり盗難ですよね。
私の記憶が確かなら、1枚盗まれたので対策として全部外したということだったような。
どちらにしても盗難があったことは確かですが。
>あさまの再塗装はないんでしょうか?
確かに、私が行った時点ですでに汚れたり錆びたりして寂しそうだったから、そろそろ手の入れ時のような気がします。
#個人的には、園内のクハを国鉄色にした以上、あの編成は「あさま」色のままにしておいてほしいところです。
しかし、なにぶんにも9両もありますので、再塗装は予算的に難しいのかもしれません。
#しかも丸山に展示してたときに何者かに荒らされたし…。
個人的には、せめてヘッドマーク(何も入っていない)だけは何とかしてあげたいです。
本物を入れるとまた警備が必要になるのでしょうが、現状ではあまりにマヌケで可哀想です。
ステッカーでもカラーコピーでも、せめて内側から白紙でも…。
EF63
2002年 11月 24日 09時 07分 32秒 |
いってきました。碓氷峠。「アプトの道」歩いて、「玉屋ドライブイン」で力餅味わって来ることはできませんでした。ざ、ざ、残念・・・・・・・
横川駅のEF63+あさまは見てきました。あさまの再塗装はないんでしょうか?ちょっと悲しいです。緑が薄い薄い緑になってましたよ。EF63のメーカーのプレートがないんですが、やっぱり盗難ですよね。ガスバーナーで焼ききられたドア、あれはひどいです。
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文化村内のEF63 18号機のシュミレーターのブレーキ弁はちゃんと動いてますね。
動かすとシューシュいいますね。調子に乗って空気を入れすぎたら何かが動いちゃいました。動態保存の63のように「ダダダダダダダダダダダダダダダダ」なんてねェ・・
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めがね橋はインターネットで見るよりかなりすごかったです。しか〜〜〜し
橋の下のみち(??)のところの橋の足(??)には落書きがありました。重要文化財に落書きするとはなんてやつだ!!!碓氷橋は思ったより急勾配でした。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
旧道を行くと熊の平がみえました。(あたりまえ??)線路を見るとなんとも言い表せない感じがしました。なんて表現したらいいかわかりません。インターネットで見たからますます悲しかったのかなあ・・・
まあとりあえず・・・
楽しかったです!
EF63
2002年 11月 22日 17時 30分 10秒 |
う〜ん様 ありがとうございます。たっぷりと楽しんできます。
残念ながら紅葉はおっしゃるとおり
終わっちゃいました・・・
>「アプトの道」歩いて、「玉屋ドライブイン」で力餅味わってきてください。(玉屋のおばさん
にいろいろと話聞いてみるといいかも)
はい 聞きたいんですが 時間が・・・
愛知県に住んでるんで・・・
うーん
2002年 11月 21日 23時 00分 33秒 |
>EF63様
碓氷行き、楽しんできてくださいね。紅葉はもう終わってるかも知れませんが。
これからの季節、現地は寒くて乾燥しているので、リップクリーム持参すると安心かも。
「アプトの道」歩いて、「玉屋ドライブイン」で力餅味わってきてください。(玉屋のおばさん
にいろいろと話聞いてみるといいかも)
EF63
2002年 11月 21日 17時 01分 23秒 |
いやあ
やっと
現地にいけます。
碓氷峠!!!!!!!
わくわくです。!!!!!!!!
ありんちょ
2002年 11月 14日 20時 18分 03秒 |
すみません。
169系ではなく、189系の間違いです。
まあ、どちらにしても、もう寿命?
ありんちょ
2002年 11月 13日 19時 01分 56秒 |
今度のあさま復活運転はいつやるのでしょうか?
ほんとに169系も寿命が近いですからね・・・。
・管理人様
下記に変な書き込みがありますが、この書き込みは宣伝ではないでしょうか?
だいたい碓氷峠に関係ないですし。
公共交通を考える一市民
2002年 11月 10日 18時 07分 38秒 |
この掲示板にも多くの地方ローカル線の問題が論議されていますが、2000年3月1日に施行され改正鉄道事業法は、地方交通の廃止の動きを加速していると言えます。この法律では事業者は地元の合意がなくても鉄路の廃止を行うことができます。一方、通信事業分野では、不採算エリアでの事業維持を目的としたユニバーサル基金の創設についても論議されていますし、電気事業の自由化の論議のなかでも、この問題が論議されています。これらの動きを比較しますと、鉄道には国民生活に不可欠な社会インフラと言った認識が低いのではないかと考えています。(宇沢弘文東大名誉教授は30年前に「車の社会的費用」でこの問題を既に提起されています。)
また、サンケイ新聞論説委員荻原征三郎氏は以下のように論じています。
『民間に任せたほうが効率経営が可能になることは事実であり、国鉄も民営化された結果、収支は大幅に改善された。しかしその裏ではローカル線の廃止も相次いだことも忘れてはならない。万人が民営化の恩恵を受けるとは限らない貴重な例ではないだろうか。税金をつぎこんでも維持すべき事業、民営化したほうが多くの国民にとってメリットが多い事業など、それぞれに条件が異なるのも当然のことだ。どうしたらユニバーサルサービスの水準を維持しながら効率の良い経営ができるか。この一点にたって評価をすべきである。にもかかわらず最近は「民営が善で官営は悪」とする画一的に決め付ける傾向が強すぎはしないか。規制緩和がもたらした影の部分にも十分な検証が必要だ。』
JR発足時と現在では経営環境が大きく変化してきたとは言え、莫大な国鉄資産を受け継いだ事業者は安直に鉄路を廃止すべきでないと思います。そして、その地域の交通をどう維持していくかを、利用者、行政、事業者が一体となって考えていかなくてはならないと考えています。先日の日経夕刊(11月8日)にJR西日本の井手会長が「故郷小浜」と題して「JR小浜線は来春やっと電化が完成することとなった。それでも(敦賀経由で最速でも二時間はかかる。ふるさとは遠きにありて思ふもの″とは言え、東京・京都間が二時間ちょっとの現在、余りに遠い。電化を契機に、JR西日本という地域交通の一翼を担う会社の責任者として、もう少し行き来し易(やす)いものにしたいと思ったりしている。」とコメントされている。すべてを事業者に求めることは困難としても、利用者が同様に持つこの井手会長の思いを、行政、事業者が一体となって共有する必要性を痛感しています。
EF63
2002年 11月 08日 20時 15分 22秒 |
Enter押しちゃいました。
う〜ん様。そうですね。なんかいつのまにか2件消えていました。う〜ん様は鋭いですね!!(すごい(゚.゚))僕もなんだろうと思いながら、ないも言えません(気づきません)でした。
湘南準急様 ありがとうございました。大変良く分かりました。
EF63
2002年 11月 08日 20時 13分 52秒 |
う〜ん様。そうですね。なんかいつのまにか2件消えていました。う〜ん様は鋭いですね!!(すごい(゚.゚))僕もなんだろうと思いながら、ないも言えません(気づきません)でした。
うーん
2002年 11月 07日 23時 28分 21秒 |
>管理人様
妙な投稿(妙なURL付)が2件あったようです。
投稿規程のうち下記に明らかに違反していると思われます。
・匿名性を利用した無責任な書き込み
・公序良俗、社会一般のモラルに反する書き込み
・その他営利目的での書き込み???
いかがでしょうか。
湘南準急
2002年 11月 07日 22時 54分 50秒 |
↓、わかりにくいので訂正します。
(誤)
・東京−八戸の距離はとても長い
・この区間の「はつかり」を残しても(つまり「白鳥」「つがる」を盛岡まで持ってきても)八戸以北に行くには乗り換え回数は変わらない
(正)
・この区間(盛岡−八戸)で青森方面ゆきの特急を残しても(つまり「白鳥」「つがる」を盛岡まで持ってきても)首都圏から八戸以北に行くには乗り換え回数は変わらない
・かといって「はつかり」(改正後は「白鳥」「つがる」ですが)を東京(上野)まで延長するにも東京・上野−八戸はあまりに長い
以上。ごめんなさい。
湘南準急
2002年 11月 07日 22時 37分 12秒 |
>EF63様
だいたい合ってます。
ただ、
・「(旧)あさま」「(旧)谷川」「草津」「踊り子」…いずれも新幹線で行けない駅を終着としており、しかも新幹線との最終接続駅(高崎・熱海)が東京に近いため、高崎・熱海で新幹線と乗り継いでも時間短縮のメリットはほとんどない。よって新幹線開業後も存続。
・「(旧)富士(東京発宇野ゆき)」「(旧)はくたか」「(旧・昼)鳥海」「(上野発着)はつかり」…存続していれば乗り換えなしのメリットはあっただろうが、新幹線の時間短縮効果が大きいため、新幹線との乗り継ぎとしたほうが便利であり、通し利用があまり想定できない。よって新幹線開業により新幹線並行区間は廃止。
・「あいづ」「つばさ」…中途半端な距離ゆえ両者の中間的な運命を辿ったと推定。新幹線のスピードアップとも関係があるかも?
・「東海」…大正解。全区間並行ではあるが、平塚や新蒲原などにこまめに停車して新幹線の「隙間」を埋める列車として有効だったのだから、いくら速達化しても停車駅を新幹線並みに減らしては意味がない(新幹線より速く走れるなら別だが、ありえない)。
以上をもとに「はつかり」盛岡−八戸間の存続可能性を考えると、
・東京−八戸の距離はとても長い
・この区間の「はつかり」を残しても(つまり「白鳥」「つがる」を盛岡まで持ってきても)八戸以北に行くには乗り換え回数は変わらない
・現行「はつかり」停車駅で新幹線の隙間となる一戸・三戸から盛岡・八戸以北への特急需要はあるとしても東海道本線ほどではない
という点からすると、無理そうですね。
#むしろ快速列車のほうが有効かもしれない。実際、3セクとなる区間に快速が設定されます。
新幹線が開業した場合、並行する昼行の優等列車が原則として消えるのは宿命です。
新型特急車が在来特急車を置きかえるのと同じだと思っていいでしょう。
しかし、繰り返しますが、問題は新幹線で代替しえない輸送をどうするかということです。
つまり、通勤通学などのローカル輸送と、貨物輸送です。
特に後者は忘れられがちですが、東北・北陸本線などでは重要です。
前者はまだ辛うじて意識に上っているらしいが、それでも軽視され気味ですね(この点は最近の投稿ですと「怒れ北陸人」様も御指摘の通り)。
この趣旨のことは、ここの掲示板でも度々出ていますよね。
なお、ついでに書きますと、個人的見解ですが
(新幹線の所要時間)×2+(6時間)>(寝台特急の所要時間)
であり、適切なダイヤを組むなら、寝台特急も実用性が生じます(説明を簡単にするため飛行機は除外)。
#その意味では「はくつる」は使えるんだけどなぁ。
もっとも、北海道行き寝台列車なんてのは「日本海1・4号」以外、実用というより「乗車自体が目的」という列車であるということもお忘れなく。
EF63
2002年 11月 07日 18時 40分 26秒 |
>
・東北新幹線ができた後、最近まで「あいづ」「つばさ」が走っていた。
・上越新幹線ができた後も「あさま」は長野行新幹線ができるまでは健在だったし、「草津」「谷川(現・水上」も上越新幹線に並行する区間を走っている。
いや あさま は別の方向経由ですから、しかも軽井沢行きますし・・・・
まあ踊り子が廃止にならなかったのは、新幹線以外の駅(観光場所)に停車するからじゃないですか?
>特急「東海」は苦戦ともいわれるが急行「東海」は意外に需要があったともいわれる。
特急と急行の停車駅の関係じゃないですか?
・上越新幹線ができた後も「あさま」は長野行新幹線ができるまでは健在だったし、「草津」「谷川(現・水上」も上越新幹線に並行する区間を走っている。
これも上越新幹線の停車駅と観光場所(あったっけ)乗降の多い駅に停まるからじゃないですか???
・新幹線は午前0時から6時まで運行しないのが原則である。
これだから寝台特急は苦難の経営にならないんですね。
湘南準急様解説ありがとうございました。これで正解(゚.゚)ですか?
湘南準急
2002年 11月 06日 23時 14分 30秒 |
>うーん様
北陸新幹線の件、フォローありがとうございます。
>管理人T様
私がホームページを持っていないので、折角のバナーを貼れないのが残念です。
#あの爽やかなカラーの車両は叡山電車がベースですね。本当に窓の大きな電車が走るなら嬉しいな。
>EF63様
考えるヒントだけ、あげましょう。
・東海道新幹線開業と同時に東京−京都以西の在来線特急・急行は夜行を除き全廃された。
・東海道新幹線ができたけど「踊り子」は結構本数がある。特急「東海」は苦戦ともいわれるが急行「東海」は意外に需要があったともいわれる。
・東北新幹線ができた後、最近まで「あいづ」「つばさ」が走っていた。
・上越新幹線ができた後も「あさま」は長野行新幹線ができるまでは健在だったし、「草津」「谷川(現・水上」も上越新幹線に並行する区間を走っている。
・新幹線は午前0時から6時まで運行しないのが原則である。
・「カシオペア」や「北斗星」は北海道行きの豪華寝台列車で、乗客も速度を気にしない(遅れたら喜ぶ!?)ものであり、新幹線での代用は不可能であるうえ、JRの看板列車としての性格もあわせもつ。
それよりローカル輸送、そして貨物輸送(末期の碓氷線にはありませんでしたが)のほうが深刻な問題です。
・↓参考資料の一例
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/zairaisen/index.html
EF63
2002年 11月 06日 18時 07分 35秒 |
新幹線「はやて」そろそろ運転開始ですね。それに伴い
「は つ か り」
さよならですね。
別に僕は新幹線に反対する訳ではありませんが、新幹線 新幹線ばっかり頭にあるのか、新幹線が開通したら在来線特急は廃止?? でもカシオペアは問題なく運転しています。寝台特急は夜中に走るから大丈夫なんですか? でも新幹線で途中まで行き乗りかえる人だっているとおもいます。だから線路自体を廃線にしなかったんだと思います。(カシオペアも通るし)
考えてみませんか?????????????????????????????
うーん
2002年 11月 02日 23時 59分 48秒 |
>管理人様
良い企画だと思います。現地で限定的な復活というか鉄路再利用計画があるようですが、どうも情報とか将来の展望が伝わってこないもどかしさを感じるわけですが、松井田町に対して鉄路復活の期待が広くあることを伝える意義があるのではないでしょうか。
松井田町ならびに碓氷峠交流記念財団が、このような声があることを認識して、より高き見識と積極的な情報公開&広報を発揮してくれることを望みます。
管理人T
2002年 11月 02日 00時 45分 17秒 URL:http://www.sam.hi-ho.ne.jp/~ef63/index.htm |
《碓氷峠関連のホームページを開設している管理人様へ》
碓氷線廃止5周年記念特別企画として、碓氷峠の鉄道関連のホームページが連携して
『碓氷線復活を望むバナー』を掲げて鉄路復活を希望する意思表示を行い、
復活の機運を盛り上げようという運びとなりました。
復活バナーは、主な碓氷峠関連サイトに掲げてありますのでクリックしてみてください。
リンクフリーですのでご賛同いただける方は、ご協力下さいますようお願い申し上げます。