うーん 2004年 09月 21日 18時 40分 11秒

>のの様
全長約11キロのうちの約3キロですから、距離だけからすればガリだけでなく、鉄火巻きぐらいはつまめるかと(笑)。
松井田町は全区間復活の希望を捨ててはいませんから、とりあえずの第一歩として応援いたしましょう!来春の「トロッコ」が大きく成功すれば残り区間の復活とか、「アプトの道」延伸とかの実現可能性が強まると思います。

のの 2004年 09月 20日 22時 22分 15秒

うーんさん、

ありがとうございます。

なんか、御寿司屋さんに入ってガリだけ食べて帰ってきちゃうような感じなんですね。。

碓氷峠シェルパー63 2004年 09月 19日 15時 25分 11秒

私は、高校を卒業した翌年の9月28日に上野発軽井沢行きのさよなら碓氷峠号に乗りました。これは、私に取って最初で最後の碓氷峠の旅となりました。あの日のef63や、あさまや、ef62などの汽笛や、釜飯売りの掛け声は、今でも聞こえて来る気がします。しかし、去年よこかわに行った時は、もうそんなにぎやかな風景は、どこにもなく、静まり返った町になっていました。早くあの時のにぎやかさと、あの汽笛が聞こえる碓氷峠に戻って欲しいです。さよなら碓氷峠号に乗った日の帰りは、いに知れぬ寂しさを感じました。また、去年行った時は、密かに眠る63と、あさまを見ましたが、いつこの機関車と、列車は、息を吹き返してくれるのかと思いました。早く、碓氷峠が蘇ってくれる事を心よりお祈りいたします。

うーん 2004年 09月 13日 22時 21分 26秒

>のの様
おおざっぱに言って2.8キロメートルぐらいでしょうか。文化むらから、アプト式旧線跡(現在の「アプトの道」旧線区間)への分岐点までです。旧丸山変電所前までの約2キロメートルは25パーミル勾配、霧積橋梁あたりから先は65パーミルです。
設置される駅は3ヶ所。トロッコ用に短いホームが設置されます(一部はほぼ完成済)。
詳しいことは、この掲示板を運営するサイトで以前より紹介されていますのでご一読を。

のの 2004年 09月 12日 22時 37分 11秒

うーんさん、

結局、トロッコで走れる距離ってどれくらいなんでしょう?

うーん 2004年 09月 09日 19時 05分 34秒

下記訂正。上り線ではなく下り線でした。
・・・我ながらお恥ずかしいウッカリミスで失礼いたしました。

うーん 2004年 09月 09日 13時 51分 34秒

>ヤッパリ63様
あの工事は、来春に上り線を使って開始される「トロッコ列車」運転に備えてのものです。県道踏み切りがあると運転認可をとるのが非常に難しいため立体交差化しているわけ。
「トロッコ列車」を牽引するのは横川運転区時代からある保線用モータカー、運転区間は文化むら(EF63運転線の出発点横にホームができています)−丸山変電所前−坂本(峠の湯の裏手、「アプトの道」の旧線分岐点)までです。
EF63の体験運転区間の延長は現時点では計画されていません。電力供給の問題、安全性の問題などから実現は困難と聞いています。

ヤッパリ63 2004年 09月 09日 00時 03分 34秒

鉄道文化村横の踏切の立体交差化の工事が始まったようですが、ロクサンの体験運転はどこまで延びるのでしょうか?






峠のサル 2004年 09月 05日 14時 52分 56秒

うーん様
ゴムタイヤの電車についての情報有り難うございます。
ゴムタイヤの車両も色々あることがわかりました。





うーん 2004年 09月 05日 11時 39分 13秒

>峠のサル様
地下鉄です。パリなどで、比較的最近建設された路線でゴムタイヤ駆動式の車両が導入されています。
日本では、札幌の地下鉄が同様の方式ですね(細かい技術的な差異はわかりませnが)。

動力分散式の電車でゴムタイヤ駆動を導入するのであれば、鉄の車輪&レールによる通常の粘着運転と比較すれば勾配には強いです。そのかわりタイヤの耐久性とか粉塵、エネルギー効率(走行抵抗)などでは不利な面が出てくるかと思いますが、技術的には既に実用段階に入っていて世界各国で導入実績があります。

レールは無いですが、トロリーバス(要するにタイヤで走るバス型の電車)で相当の急勾配を走行するものとしては立山黒部アルペンルートの一部区間などで長年の実績があります。

現在では、普通のバス(若干改造要)をガイドレール付専用レーンで走らせる方法も実現。また、DMV方式も試験段階に入っています。

峠のサル 2004年 09月 04日 23時 05分 20秒

松井田町の刊行物に掲載された町長さんの話で「急勾配でも安全に走れるゴムタイヤの電車がフランスで使われている」という記事がありました。
どのような電車かご存じの方が居りましたら教えて下さい。



碓氷をよく歩く人 2004年 08月 31日 16時 51分 28秒

快速碓氷号の情報ありがとうございます。これを見たらまた乗りたくなりました。
5月15日のときは高崎から横川まで乗りましたが、自由席はかなり混んでました。
11月13、14日はまたD51が走りますね。

鉄道愛こう会 2004年 08月 30日 11時 41分 02秒

信越線の次回の行楽列車は、9月18日、25日の快速碓氷号です。
上野発7時25分、大宮発7時52分、熊谷発8時29分、高崎着9時01分
高崎発9時02分、安中発9時12分、磯部発9時18分、横川着9時30分
上りは、横川発14時17分、上野着16時32分です。
一部指定席
ぜひどうぞ
詳しいことは、各駅まで。

とも 2004年 08月 18日 19時 49分 00秒

ただいまです。五泊六日の青森の旅最高でした!。鉄に関連するとこだと、五能線と平行して走って来ましたが最高の景色です。今別町の青函トンネル入り口公園でドラえもんの電車見てきました。そこに居た北海道の鉄の人にいろいろ教えてもらいました。そのあと、青函トンネル記念館に行きまして、海面下140mの坑道見学してきました。んで、青函連絡船の八甲田丸も見学して鉄道車両も詰める階も見たり、8つの1600PSのエンジンがある階も見てきました。普段見れない物ばかりで楽しかったです。
金木町の、いくぞうハウスでは、地元住民と一体化して、わかりずらかった吉幾三が居ました(笑!。その日は、いくぞうハウスの盆踊り大会だったようです。

碓氷線を知った今は、昔と違い、鉄道を見る楽しみが出てきましたよ!。

63効果ですね!


DMV推進員 2004年 08月 16日 00時 15分 14秒

ハンドルネーム「DMVファン」改め「DMV推進員」


軽井沢住民の皆さんへ

今年の夏場の交通渋滞はいかがでしょうか?
交通渋滞の解消にDMVの導入を検討してみてはいかがでしょうか。
信濃追分か御代田あたりに大駐車場を設けて、そこからDMVに乗り換えて、渋滞の無いしなの鉄道の線路上を走り、軽井沢駅の東側でモードチェンジ線から降りてショッピングセンターや旧軽の街へ直行するようなパークアンドライドが出来れば町中の交通渋滞もいくらか解消されるのではないでしょうか。

DMVの効果があるようでしたら、もう少し足を延ばして、DMVで峠を下って来ることも考えても良いかも知れませんね。

☆ DMVとはデュアル・モード・ビークル Dual Mode Vehicle の略
  JR北海道が開発中で約2年後に実用化予定
  下記URLのJR北海道のプレスリリース参照 http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2003/040128-2.pdf



紫苑運転区 2004年 08月 15日 17時 15分 12秒

すいません。下の「生井翼」は私です。ここではペンネームでした。これからは気をつけます。

生井翼 2004年 08月 15日 17時 13分 45秒

>うーん様
お答えありがとうございました。貴重な車輌と言えども他に行き場がないのでは仕方がないですね。だからと言っても野ざらしにしておくだけでは結局はいずれは鉄くず(言い方悪くてごめんなさい)になってしまうので、いっそのこと格納庫のような建物を建設してその中に車輌を展示するといった方法はとれないものでしょうか。(この格納庫はOVA戦闘妖精雪風を見ていて思いついたものです)確かに晴天下でのほうが見る人にとっては良いかもしれませんが、せめて非公開時ぐらいはビニールシートでも被せておいた方が良いのではないでしょうか。
素人考えですいません

ゴミ虫 2004年 08月 14日 23時 45分 46秒

横軽をミニ新幹線でやろうなんていうのはどう考えても無茶だと思うし
非現実的だと思う。
ただ、長野新幹線なんていう非常に性質の悪い糞官製粗大ゴミをつくる
莫大なお金があるのならば、この区間をEF63なしで走らせる環境くらいは
何個も何個も作れると思いますよ

うーん 2004年 08月 14日 15時 51分 48秒

>紫苑運転区様
文化むらの展示車両ですが、大部分は高崎機関区で保管されていたものかと思います。廃車後、スクラップにせず広大な機関区構内で長年に渡って留置され、機関区のイベントで展示されたりしていたもの。将来的には車両を集めた展示スペースを作ろう的な構想もあったと聞いたことがあります。
文化むらが計画された際に、それら車両を屋外展示するのは当初より盛り込まれていました。文化むらのプランでは、文化むら=碓氷峠の鉄道博物館ではなく、碓氷峠も含めた「鉄道テーマパーク」というもので、それで高崎機関区で留置されていた車両群の落ち着き先となったのでしょう。ちなみに車両群はJRからの無償貸与扱いだったかと記憶しています。
なお開園後に追加された車両も何両かあります。いずれも他に落ち着き先がなく、文化むらにきた按配です。余所で展示されていたものの、管理状態に問題があったためJRが引き上げて文化むらへ移したものもあります(某型蒸気機関車)。
屋外展示車両の大部分が碓氷峠と関係ない(横軽もしくは高崎−横川間を走行したことがない)というのは事実です。解体コストなんかよりも、車両を整備しなおして横川まで運んできて(蒸気機関車のみトレーラによる陸送でした)文化むら内へ搬入(結構な手間と危険があったようです。蒸気機関車は再組立ての手間もありました)するコストのほうが桁違いにかかったはず。
JRからすれば高崎機関区構内の整理ができるというメリット(最近は倉賀野へ廃車された機関車を移したため、機関区構内に廃車群は見当たらなくなりました)はあったのでしょうけれども、コスト面でどうだというのは関係ないと思いますよ。

確かに、あれだけの数の車両を半永久的に維持していくのは大変です。屋根でもつけない以上、年々車両が痛んでいくのは防ぎようがありません。蒸気機関車と比べて鉄板が薄く、屋根上廃線や窓など開口部が多い近代車両では、一度腐食が始まると加速度的に進むというのは常識でしょうし。
一方、貴重な碓氷峠関連車両の整備もしなければなりません。特に動態保存機の維持は大変です。
また展示ポイントの絞り方の問題で、鉄道テーマパーク的(青梅的とでも言いますか)なやり方よりは、碓氷峠なり峠と鉄道なりにテーマを絞って展示物を充実させるというやり方もあったとは思います。
現に、文化むら計画時点でそのような議論が鉄道系の掲示板でやりとりされたのも目にしています。

しかし、碓氷峠関連以外の車両の行き先があるわけでもなく(大宮に移転する交通博物館には十分なスペースがないですし。交通博物館の車両群と新幹線高架下で保管されている車両群でスペースは一杯でしょう)、せっかくある貴重な車両群を碓氷峠に関係あろうがなかろうがとにかく維持していくことを考えるしかないと思います。

紫苑運転区 2004年 08月 14日 00時 33分 43秒

 本当に申し訳ありませんでした。なにぶん碓氷峠の事を初めて知ったのが長野新幹線の開通と、横軽間の廃止、ロクサンの処遇などを知らせる朝のニュースを見たからで、それまで全く知りませんでした。そのときまだ小6ぐらいだったので、この廃止が五輪で設けたいというものでの廃止なのではと疑問を抱いたための暴言となってしまったと思います。
 (情報等殆ど持ち合わせていない状態で、碓氷峠が好きだという気持ち一つで学校からもアクセスしていたので、この先ももしかしたら皆さんには批判的なものととらわれる書き込みもしてしまうかもしれませんがその際はお手数でも指摘してください。)
 話は変わりますが、文化村に保存展示されている車輌の中には「何でこの車輌が横川に?」と言う車輌もあるのはなぜなのでしょうか?(キハ30ステンレスは横川と関係あるのかもしれませんが、セノハチのEF59や交流カマのEF80等)鉄道ファンから見れば(私も含め)貴重な車輌だとは思いますが、やはり文化むらは碓氷峠に関係ある車輌に絞って展示した方が良いのではと思ってしまうのです。(廃車にするのにコストがかかるとかいって文化むらに運ばれている訳ではないと思いますが)
 不愉快な文章でしたら遠慮なく削除して下さい。

うーん 2004年 08月 13日 23時 12分 48秒

>紫苑運転区様
ご理解いただけて大変嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。

紫苑運転区 2004年 08月 13日 22時 33分 29秒

>うーん様及び掲示板を閲覧している皆様へ
 「皆さんにお聞きしたいのですが、文化村での収益はどのように使われているんでしょうか?まさか全面的にJR何某に流れているとかは、ないですよね?」

 出所の不明な情報と、個人的な感情からこのような書き込みをしたことを反省し、今後このような類の書き込みを行わないように注意して行きます。上記の書き込みを謝罪の上撤回させていただきます。まことに申し訳ありませんでした。

うーん 2004年 08月 13日 10時 11分 11秒

>DMVファン様
フォローありがとうございます。

収益の使い道に対する割り切れない思い、文化むらの課題と思われる点についてのご指摘については全く同感です。具体的な提案なども、この掲示板でやっていければと思います。

DMVファン 2004年 08月 12日 00時 07分 35秒

>うーんさんのご意見
文化むらがさらに発展するための意見など、前向きの話がもっと増えてもいいのではないでしょうか。 ・・に異存は在りません。さらに熊ノ平や軽井沢に向かうための前向きの話も大いに歓迎したいですね。

>紫苑運転区さんのご質問にお答えします。
文化村での収益の使われかた;
平成15年度は、鉄道文化むらを含む碓氷峠交流記念財団より、松井田町に4500万円の寄付があり、一般会計予算の歳入として組み入れられています。
前年は、記憶では5000万円の寄付。
何れにしても、毎年、余剰になった収益から寄付という形で5000万円前後の大金を町に上納しているのは、文化むらファンから見るとちょっと割り切れないものがあります。

文化むらをざっと見渡しても、展示車両の整備、能力ある職員の雇用と育成、計画性のある新車両導入等々、入場者数を落とさない為の課題は山積。何に投資をすれば良いかを文化むら独自で考え実現できるシステムに改めないと後々困ったことになるかも知れません。


鉄道文化むら入場者数の推移
平成11年  295,005人
平成12年  185,420人
平成14年  189,234人
平成15年  180,903人

初年度は30万人近い人が入場しましたが、その後は上記のように18万人程度で推移しています。入場者数を落とさないためには、TDLのように常に新たな投資を行いリピーターを引きつける工夫が必要と思われます。

うーん 2004年 08月 11日 23時 59分 31秒

書き忘れ。
文化むら(正確には「峠の湯」等も運営する碓氷峠交流記念財団)の最終的な収益は、松井田町に寄付されているはずです。松井田町は、文化むら等の碓氷峠関連諸施設に莫大(累計で町年間予算に匹敵するはずです)な資本を投下してきており、一方で小さな地方自治体の例に違わず厳しい財政状況にあります。従って、財団の最終的な収益が町に還元されていること自体は理解できることかと思います。
収益分を車両整備や展示改善に優先的に使ったほうが良いのではないかという意見はあるでしょうけれども。私もそういう意見を持っていたことはありますが、町財政の厳しさを思えば迷いが出るところです。松井田町は碓氷峠だけのためにあるわけではないですしね。(人口比から言えば、坂本・横川は多数派ではありません。碓氷峠地区に予算が多く投下されていることに町内他地域からの異論も聞いたことがあります)

批判的なことを書くからには、やはり自分なりに情報を調べてからにすべきなのでしょうね。町と直接関係ない民間企業に収益が流れる的な話は、軽々しく書くべきではありません。「流れる」というのは常識的には贈収賄もろもろの違法あるいはアンモラルなスキャンダルを指す表現ですよね。下手すれば財団からの抗議をうけかねません。
誤解してもらっては困るのですが批判するなと言っているわけではありません。批判するからには、ルールと批判の裏づけが必要だと指摘しているのです。

いずれにしても、「未来を描く」ために、もう少し精緻な議論をしませんか。

うーん 2004年 08月 11日 23時 42分 00秒

>とも様
道中、事故のないよう気をつけていってきてくださいね。

>紫苑運転区様
町広報誌等によれば文化むらの収益については適正に処理されているはずです。そもそも収益って言っても、そんなに儲かっている数字ではありませんよ(笑)。
「JR何某に流れる」というのをどういう意味で書かれているかわからないですが、そのような事実は知りませんし、そのような噂も一切聞いたことがありません。
#紫苑運転区様が、そのような疑いがあるというなんらかの情報を持っておられるのならともかく、疑う根拠が全くないのに書かれたとすれば問題だと言わざるを得ません。単なる言葉の綾だとしても、内容があまりにも重大です。根拠がないのであれば、謝罪の上で撤回すべき表現だと思います。

とも 2004年 08月 11日 22時 35分 09秒

うーん様へ

明日からバイクで出掛けますので、返信が遅れます。ゴメンなさい。

錆で血の涙が出てる車両を、磨いても抜本的な温存対策には、なりません。せっかく、磨いてくれた人も車両も、かわいそうな気がします。なんとか屋根だけでも付けてあげたいですね。







紫苑運転区 2004年 08月 11日 21時 31分 44秒

 皆さんにお聞きしたいのですが、文化村での収益はどのように使われているんでしょうか?まさか全面的にJR何某に流れているとかは、ないですよね?

うーん 2004年 08月 11日 14時 48分 05秒

>DMVファン様
「過去ログなど精査しない人」は実際いるでしょうけれども、そういうのはこの種の議論系?掲示板に新たに参加する場合はまずいでしょう。強制はできませんけれども、一通りだけでも目を通してから発言なり質問なりして欲しいものです。
#ネットの弊害の一つなんでしょうけれども、どうにも安易に情報や知識を求める傾向が目につきますから。

「間に歳月を挟んで時々は原点を振り返ることも、未来を描くうえで有益なことではないでしょうか。」には異論ありません。ただ、それが「批判のための批判」とか、非建設的な方向へ議論をミスリードする材料にならないよう注意すべきだと思う訳です。
何のために「原点」なり「過去」を振り返るのか。それは「未来を描く」ためですから。
(純粋に知的好奇心というか懐古的な意味で振り返るのも否定はしませんが)



DMVファン 2004年 08月 11日 10時 59分 45秒

>上州風さん
7/18の書き込みの続編有り難うございました。
前回の書き込みだけですと、信越本線横川・軽井沢間は大赤字なので廃止されて当然という印象を世間に抱かれるおそれがあります。
今回の書き込みにより、年間5、6億円の大赤字になるのは、EF63で存続させた場合であって、(敢えてこの金額を前面に押し出して廃止に持ち込んだ謀略の感もありますが)他の方法、例えば小編成の登山電車スタイルや急勾配用のディーゼルで存続させておれば、少ない経費で出来たことが改めて明白になりました。

 廃線後7年の歳月が経過しようとしています。活字離れの世代も増えていることと思います。過去に識者たちに掲示板で議論し尽くされた話題であっても過去ログなど精査しない人は読んでいないでしょう。過去の蒸し返しは良くないとのご指摘もありますが、上記記事が掲載された地方季刊誌もホコリを被った過去のものではなく、今年の4月頃に発行された真新しいもののようですね。歳月を経たことにより、記事の中で新たな真実が語られることもあります。間に歳月を挟んで時々は原点を振り返ることも、未来を描くうえで有益なことではないでしょうか。

うーん 2004年 08月 11日 00時 15分 51秒

>とも様
「初心者にも再び訪れやすくする雰囲気作りも大切」は同感です。
ただ、理想と妄想(厳しい表現ですいません)とは峻別していかないと、議論が空転するばかりになる危険がつきまとうということは是非ご理解ください。現実の実態、復活案として可能性がありそうなものについては、過去ログをご覧いただければだいたいのところは出ています。
正直なところ、何が現実解で何が妄想なのかという問題についてさんざん議論してきましたので、同じことを繰り返すのは勘弁して欲しいというのが正直なところです。過去ログを読まれた上で、それについての質問や意見であればいくらでもお答えしますけれども・・・。

文化むらへの提言的なものについて。取り入れられたものも実際にあるかと思います。車両維持の困難さは、当事者である文化むらが一番よくわかっているはずです。鉄道OBが大勢働いているわけですし。しかし、車両補修などでの抜本的対策は予算等の限界で現時点では実現が難しいようです。
文化むらに対して「ここの掲示板で言ってるのに、今だに対応しない文化むらは、どうなってるんでしょうか??。」という反応は私は好みません。文化むらに対してはあくまでも応援のスタンスを崩すべきでないというのが私の考えだからです。確かに、町外者すなわち「(誰かさんが揶揄しまくっているところの)外野」にすぎないわけですから、是々非々でよろしいかと思います。べき論として明快な提言をすることも大事だと思います。ただ、それは徒に理想を対置して文化むらを声高に批判するようなものではあってはならないと思うのです。文化むらが置かれている現実を冷静に見つつ、応援のスタンスを堅持しつつ、辛抱強く意見発信していくのが望ましい姿勢ではないでしょうか。
もうひとつ。大事なのは碓氷ファンとして実際に汗も流すことでしょう。例えば、文化むらファンクラブに入り、車両洗浄ボランティアに参加すること。独りよがりな自称ボランティアでは困りますが、車両洗浄ボランティアは文化むらが長年に渡って主催してきているものです。こういうのに参加してみるのも大事だと思いますよ。

とも 2004年 08月 10日 23時 36分 19秒

うーん様へ


みんなの素直な理想も語り、これからの横軽の為のうーん様が言った現実の問題も両方の話題を取り上げたらどうですか?。自分のような初心者にも再び訪れやすくする雰囲気作りも大切だと思います。横軽を世間の多くの人に知ってもらえるように。

過去の掲示板を少しづつ読んでますが、文化むらに対する前向きな意見(屋根作りや、お座敷列車の案内板や車両の補修など)改善されてるんでしょうか??。
あのままじゃ、必ずお客は減ると、ここの掲示板で言ってるのに、今だに対応しない文化むらは、どうなってるんでしょうか??。
機械は、紫外線と雨で虫歯のようにひどくなりますよ。

うーん 2004年 08月 10日 09時 19分 06秒

整備新幹線計画そのものへの疑問、横軽廃止の理由への疑問、横軽がJR線として復活して欲しいという願望。・・・気持ちはわかります。廃線後7年が経過しようとしているのに、そういう気持ちを熱く語りたい人がいるのは、横軽の魅力の大きさを改めて示すものかと思います。

しかし、あまりにも現実から遊離した話はいかがなものかと思います。また、来春のトロッコ運転開始を控え、未来を見据えた前向きな話をもっとできないものかと思います。

整備新幹線計画や横軽廃止理由への疑問はそれとして重要な話題だとは思いますが、この掲示板でも過去十分に意見交換されてきており、今再びむしかえす必要があるのかどうか疑問を禁じ得ません。

トロッコ運転開始、線路敷地の保存問題(無断立入・建造物侵入問題も含め)、保存機の整備問題、文化むらがさらに発展するための意見など、前向きの話がもっと増えてもいいのではないでしょうか。

鉄道愛こう会 2004年 08月 09日 14時 54分 13秒

横川ー軽井沢間の廃線を歩くと今でもEF63と、持急や急行、快速、普通、貨物お座敷電車の汽笛が聞こえてきそうです。
自分でもなんで横川ー軽井沢が廃止に、なったのか疑問です
自分としてはまた、復活してもらいたいです
早く持急あさま、白山に乗りたいです。
今の状態じゃ、高崎ー横川は、横川線です
早く復活してもらいたいです。

上州風 2004年 08月 07日 23時 22分 18秒

7月18日の書き込みだけでは伝わらない部分もあるようなので補足します。

上毛新聞社発行の季刊誌「上州風No.18」の特集記事
「群馬の鉄道はどんな役割を果たしてきたか。どんな役割を果たせるか」
での碓氷峠交流記念財団の櫻井常務理事と高崎経済大学の大島教授の対談の続きを紹介します。


大島
櫻井さんは収支係数が2800だったといわれるが、あそこはEF63が2台で後押しするため
コストがかかっていた。
新幹線開通後の在来線は普通列車だけになるので、それを箱根登山鉄道のような急勾配専用電車
の方式に切り換えられたら、そんなにかからないのではなかったか。

櫻井
かなり改善できる。

大島
そうした方法で残そうという検討はなかったのだろうか。

櫻井
知事も第三セクターで残したいという希望があった。
でも、公共交通機関として残す場合はEF63でやらなければだめということで、計算すると
年間5、6億円赤字になるため断念。
急勾配用ディーゼルカーのようなものでやれば、経費はかなり少なくて済んだろう。







紫苑運転区 2004年 08月 07日 22時 12分 53秒

  連張りでゴメンナサイ
 下のほうで音のことが出ているのでちょいと参加。
 私は東北線に配備されたE231系(近郊型)の発車時の音が好きです。(電気機関車でなくてすいません)あのピィーンと言う音が好きなんです。解かりづらいかもしれませんが。
 ちなみに電気機関車ではロクヨン1000番台の起動音が好きです。写音集付属のCDで聞いただけですが。

紫苑運転区 2004年 08月 07日 22時 06分 49秒

  とりあえず仮開通
 どうも、皆さんおひさしぶりです。紫苑運転区です。とりあえず開通報告だけ。と思ったのですが、快速うさぎさんの意見に一言言わせて下さい。
>なんか自己中心的な気がするし、いったい北陸はいくら国の税金を
 貪り食って食い散らかした挙句既存のインフラをどぶに捨てるようなことを
 どこまですればおさまるのだろうか・・・・・
貪り食ってんのはせーじかでは?そのおっさん達が票集めと私腹を肥やすためにそういうことをしてるだけだと思うんですが。

快速うさぎ 2004年 08月 07日 02時 37分 38秒

本当に不快なのだが
なぜ北陸の人はそこまで新幹線を求めるのか?
小松空港といい、北陸自動車道といい、ほくほく線といい・・・
なんか自己中心的な気がするし、いったい北陸はいくら国の税金を
貪り食って食い散らかした挙句既存のインフラをどぶに捨てるようなことを
どこまですればおさまるのだろうか・・・・・
なんだか最近の「新幹線」が地域のステータスになっている感じがする
明らかにおかしいのでは。
ここはいいところだ、じゃあ新幹線作ろうじゃなくて
新幹線あるし、いいところよね、という状態になっている
まさしく本末転倒。いつまでも新幹線の夢にとりつかれてる
北陸の政治屋さんも早く夢から覚めるべきだ。幻想に
侵されている。新幹線ができればいい、という考えは改めるべきではないのだろうか

DMVファン 2004年 08月 06日 00時 17分 13秒

7月18日の上州風さんの書き込み
>碓氷線が廃線になった大きな理由とは

によると碓氷線は廃止されて当然というような誤解を与えるおそれあり。
まず素朴な疑問として、

>当時、碓氷線の横川−軽井沢間は100円稼ぐのに2800円かかっていた。
信越本線の特急が往来していた時期でも収支係数はそんなに悪かったのか?

>軽井沢−北高崎間の乗客は1日約280人なのに、
廃止前の峠を越える普通列車は実感として混んでいた。この人数は過小評価ではないか?
軽井沢−高崎間の乗客はなぜ計上されないのか?

>機関車は車検、交検、全検とたくさんあり、200人ぐらい要員をかかえ膨大な人件費がかかっていた。
EF63での存続は当然経費がかかりすぎる。もっと身軽な現実的な形態での鉄路存続は当時考えられなっかったのか?



とも 2004年 08月 03日 23時 37分 41秒

うーん様へ
今の機械は、騒音対策で機械らしい音が出なくなりました。電気機関車も古いほうが高負荷時のモーターのうなり音とかいいのかなと思いました。機械は負荷がかからないと本当のいい音が出ないですね〜〜。
今、図書館で「新幹線を作った男 島秀雄物語」を借りて来て読んでいます。
狭軌、標準軌で苦労したり、屋根が木で出来た電車が桜木町で燃えたり、今じゃ考えられない物語があったんですね。とても興味深く読んでいます。
63のことも少し出ていました。63の製作秘話も読んでみたいですね。
映像と音も見てみたいので、そのうちヤフオクでビデオ探そうと思ってます。

話は、かわりますが、横軽は、JRの電車の勾配走行試験のテストコースを兼ねて残すことは出来なかったんですかね?。
あと、碓氷線は世界の鉄道マニアから見て、興味を持って日本に乗りにくるほどの魅力は、あるのでしょうか?外国人のマニアで無くても、あの素晴らしい碓氷線に乗ることも日本の観光名所になることはなかったのかなと、思います。

この前、鉄道村に行った時、白人女性が念入りに施設を見てたのを見てそう思ったんですよ。

うーん 2004年 08月 01日 02時 40分 13秒

重箱の隅つつき虫の追記。

横川から霧積温泉へタクシーで向かった刑事達。霧積ダムの全景が写るのは良いのですが、次の瞬間に霧積ダム堰堤上を走行するタクシーのシーン(笑)。
その直後に旧道18号の第3橋梁付近カーブへワープ、次の瞬間に方向転換して第3橋梁へ降りていき・・・。

#どうせワープ満点の無茶苦茶ロケ@観光案内やるんなら、もっと徹底してやって欲しいもの(笑)。

うーん 2004年 08月 01日 02時 32分 51秒

>とも様
古い方が云々という話でなく、要するに中年以上世代の郷愁みたいなもんです(笑)。
若い世代にはそれなりの音の美学があるでしょうね。
・・・でも碓氷線現役時代の音は良かったですよ。CDなどで是非聴いてみてください。

>かずちん様
まったく同感です。
#横川駅旧4番の編成、いっそのこと大宮に移転する交通博物館へ・・・と思ったり。
 (ロクサン14号機の行く末も一緒に、なんてネ)

>皆様
TVドラマ「人間の証明」観てますか?先週、ついにドラマのキーとなる碓氷・霧積が登場しました。テロップによると松井田町がロケ協力したようです。
(最近のTVドラマとしては贅沢な配役をしてますけれども、松田優作が出演した映画と比較するとやはり弱いなー的な感想は否めません)
とりあえず重箱の隅(タクシー会社名や警察署名など、実在しないものを使わざるを得なかった点は除く)をつついてみますが(笑)。
1.横川駅に到着(1番線。駅前から文化むらが見える!)した後、刑事が霧積温泉にタクシーで向かうのですが、いつのまにか旧道18号線の第3橋梁付近のカーブまで登りつめていて、次の瞬間には向きが逆になり(熊ノ平付近でUターンしたか?)第3橋梁に軽井沢側から向かうシーンに。
2.その直後、土砂崩れで通行止め。やむなくタクシーを降りた刑事達は、地元女性の案内で霧積温泉へ抜ける山道(いかにもの愛称がついたえらく広い山道)へ。
3.その山道の途中、霧積渓谷を一望できる草原へ。
4.霧積温泉に辿りついた一行。地元女性曰く、今は一軒しか旅館が残っていないと。
5.霧積温泉を望むシーンに、「きりづみ館」が写る。次の瞬間に、「金湯館」が実名で登場。館内シーン。(でも旅館入り口のシーンについては「きりづみ館」のそれに見えなくもなく)
6.事件関係者の記憶を持つという老婆(坂本在住と地名明記)が殺され、刑事達は徒歩で霧積から坂本へ(土砂崩れで道路封鎖という設定なので)。殺人現場となった屋敷、あるシーンでは上信道を見下ろす場所(刎石山あたりか?)、別のシーンでは碓氷関所跡。

とまぁこんな調子です。火曜サスペンスならば、文化むらや、おぎの屋とかでわざとらしく道案内もろもろを撮影したでしょうから、それに比べれば抑制が効いていると言えなくもなく。限られたカットで第3橋梁を入れたいという苦心も理解できなくもなく。
でも、ファン的にはもう少しリアリティに拘って欲しかったような(笑)。

なお、横川からの戻りシーンは明らかに信越線の115であったのはヨロシイ(笑)。
刑事達が買い込んで車内に持ち込んだ駅弁、片や釜飯、片や玄米弁当らしい感じなのもヨロシイような(笑)。

しかし、碓氷線が廃止されたことで、せっかくのロケも見せ所が少ないというか・・・。



ヒロチャン (hirohasi2516yahoo.co.jp) 2004年 07月 31日 20時 41分 36秒

廃止になった理由がわからん。行政はなに考えているのか。秋、冬の碓氷峠地域の事普段使用してない、人が結論だすおかしいね、本数減らしても復活賛成がんばって

かずちん 2004年 07月 24日 12時 07分 29秒

ご無沙汰です
来春のトロッコ開業まで待ち遠しいですね。
二両編成だそうですね。横川の立体交差工事も進んでいますね。
それにしても、ロクサン11、12号機の荒れようには、寂しいものです・・・。189も・・・。

とも 2004年 07月 22日 23時 03分 42秒

うーん様へ

電車も古い方がいい音するんですね。
前に30kwモーターの口径6インチの水田揚水ポンプを始動したことあるんですが、
始動時のドゥウォ〜ンって音よかったですね。ロクサンと比べたら、ミニ四駆のモーターくらいなんでしょうけどね(笑。

エンジンも、古い方がいい音しますよ〜。

この暑い時期だと古い電気&ディーゼル機関車だとクーラーも無さそうだから、かなり暑そうですね。

Esslingen3900 2004年 07月 22日 02時 13分 03秒

連貼りすいません。

時間的に素直に考えれば、長野から横川までの復路乗務は、
上り「能登」になりそうだと考えます。
鉄路復活という点からは、少し外れたネタですが、
まあ碓氷関連の話題ですから、問題ないでしょう(笑)

Esslingen3900 2004年 07月 22日 01時 27分 35秒

下り急行能登における、横川運転区所属運転士の横川→長野間の本務機通し乗務、事実です。
でも、その様な乗務を行っていた期間及び、どういう乗務で横川まで戻っていたのか、
私も知りません。ご存知の方、教えていただけないでしょうか。

うーん 2004年 07月 22日 00時 41分 29秒

蛇足に蛇足ですが(笑)。

横軽間で運転士交代(オヂサン世代はつい機関士と書いてしまいます、笑)をしていたのはEF62だけです。電車運転士は交代していません(前方監視&信号点呼以外は何もせず、運転装置には手を触れませんから交代の必要無し)。

なおEF62の場合、信越線でのEF62定期運用が急行能登だけになった頃は、下り列車では横川運転区の運転士が長野まで運転していたと聞いたことがあります。(上り列車の場合は未確認)これについては記憶が曖昧です。

うーん 2004年 07月 22日 00時 30分 23秒

またまた蛇足ですが・・・(笑)。

EF63やEF62と似たような音は、EF64の0番台で聞くことができます。音質は異なりますが、勾配線用機関車の音の迫力は感得できるかと。
・・・最近の機関車にせよ電車にせよ、音がチトさびしいと感じるオヂサン世代です(笑)。てなこと書くと、蒸気全盛期を知る先輩諸氏から笑われそうですが。

うーん 2004年 07月 22日 00時 23分 41秒

>とも様
参考文献については、下記サイトの碓氷線概史ページで紹介されています。最新のものは掲載されていませんが、古書店などで入手可能なものはほぼ網羅されています。
http://www15.big.or.jp/~club667/

音の件。碓氷線の魅力のひとつです。EF63の独特の甲高いブロア音、力行時の盛大なモータ音(モータそのものは直流電気機関車の標準だったのですが、急勾配力行時のフルパワー音は大迫力でした)。EF62のブロア音はEF63よりも低音ながら、より騒々しいもので、モータもEF63と同形式ながら何故かより騒々しく聞こえたように思います。
夜中、旧道上で車を止めて休憩していると、碓氷峠を通過するEF63やEF62の音が響いてきて・・・。ブロア音、モータ音、そして物悲しい感じのホイッスルが山間に響いて・・・。この音を何度も聴いて記憶できたことは鉄道ファンとして幸せだったと思っています。
※鉄道弘済会から出版されていた音鉄?雑誌に碓氷線ものがあります。優秀な録音機材を使っているので、実際に聴いた印象よりは幾分誇張されている感もありますが、碓氷線の音の魅力を体験するには良い題材かと思います。

車の件ですが、碓氷バイパスを通過するバスやトラックも同様の注意をしています。碓氷バイパスの要所要所には暴走車を止めるための突っ込み線?(砂利を積み上げてある)が設置されています。

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