さくら義 (     ) 2001年 02月 11日 14時 31分 19秒

3年以上たっても架線やレールが残っている姿は、感動的ですが悲痛でもあります。
廃線後の措置を考えると、例えば草軽電鉄は自分が走ってきたレールを剥ぎ取りながら、作業用車両が最期の運行をしたように、テレビで聞いたことがあります。
横軽のアプト線のラックレールは、溝のふたなどに再利用されました。アプト線はどのように消失していったのでしょうか。レールは放置されたのもあるのか、それともすべて撤去したのでしょうか。
話は粘着式の横軽に戻しまして、このまま放置しておくと、そのうち架線が腐蝕して切れて落ちてきて負傷する事態も危惧されます。もはや、散策に供する状況にないと思います。

横軽は動力集中列車(機関車)と動力分散列車(電車)が力を合わせて急坂に挑み、鉄道技術史上、偉大な業績を残しました。1997年9月30日の「あさま37号」の動力集中列車と動力分散列車との汽笛の合奏は、もう聞けません。
技術の伝統文化を継承して後世に伝えるために、関係諸氏の方々に横軽への寛大なるご配慮をお願いいたします。

鈴木貴志 (     ) 2001年 01月 30日 01時 18分 02秒

JTB出版事業局発行るるぶ情報版『大人の遠足』歴史・文学あるき関東版の〈近代化遺産を歩く〉というコーナーに、新旧廃線を歩くと題して、碓氷峠横川−軽井沢間が2ページに渡り、大きく掲載されています。廃線から3年が過ぎましたが、今尚峠の鉄路を訪れる人も実際には多いのではと思います。しかしspeedoverさんが以前からご指摘の通り、新線の線路は立ち入り禁止で、土地の所有もJR東日本のはずです。しかし有名観光雑誌に堂々と掲載されれば、鉄道ファン以外でも、今まで碓氷峠の存在すら知らなかった人でも、架線やレールがそのまま残る廃線を、一度は歩いてみたくなってしまうのではと思います。碓氷峠の鉄路を多くの人に伝えることは良い事と思いますが、松井田町などが一生懸命鉄路復活に向けて努力されているのに、その線路を沢山の人がいたずらに歩き、鉄路の痛みを早めてしまうのではと、心配です。それともいつのまにか、アプトの道と共に、新線線路跡までも一般開放されてしまったのでしょうか?

釜めしファン (    ) 2001年 01月 22日 07時 08分 28秒

ネットサーフィンをしていて、たまたまこのページを発見し投稿します。
いずれ行こうか、行こうかと考えてるうちに廃止になってしまった碓氷峠が非常に残念です。
どこかの町長さんかなぁ、観光列車として復活も考えているなんて言っていたのはねぇ。
私は大賛成ですよ。分割、民営化して民間企業となったJRは、旧国鉄時代と違って利益追求
という違った考えが必要になってるはずですよね? そうです、”もうけ”がなければ
倒産してしまいますものね。あの碓氷峠を愛する人々の数と鉄道文化村に来園されている
方々の多さを考えれば、新たな「観光」という観点で鉄道を走らせることでありとあらゆる
ことが活性化することに気が付くはずです。まして旧国鉄時代と違って最近はいろんな事業
に進出しているJRさん、民間企業としての利益追求としての考え方の方向がちょっとずれて
るような気がしないのでしょうか? 信楽高原鉄道のような同じ失敗を繰り返さないように
祈ってると同時に、”さすがJRだねぇ”と思わせてもらえる将来になることを期待します。

管理人 (    ) 2001年 01月 16日 23時 31分 45秒

毎度ご利用ありがとうございます。
文字化けした場合につきましては、一旦削除させていただきます。
再度、書き込んでみて下さい。
尚、メールアドレスの無い書き込みについては削除する場合がありますので
ご協力の程、宜しくお願いいたします。

元駅員 2001年 01月 15日 21時 33分 18秒

初めて書きます。自分は純粋に鉄路復活を望んでいます。(横軽以外にも)ただなぜ復活させるのか、どうしてここまでみんなが望むのか、考えていくことが大事ですね。地元の人間でないのでどうのこうの書くのは?だと思いつつ、、、気になったこと書きます。
1、政治的色がとっても強い
 県知事選挙前後の投稿を見ていると、悲しくなりました。自分自身政治についてはとても興味があります、しかし特定の候補者賛美しか見当たらない、違うでしょ!僕たちは鉄道の復活を祈っているのだから、どうしたら自分たちがもっと認知されるか、NPOがどのような団体で自分たちは何をしていけばよいか建設的に考えるべきでしょう。お願いですから変な私民、、、もとい市民運動団体にはならないでください。
 2、これはいいや、、
 影ながらですが、応援させてください、横軽復活遠くからですが待っています。
 

2001年 01月 14日 13時 52分 42秒

新年明けましておめでとうございます。21世紀になり、横川・軽井沢間の鉄路復活は、
どのようになるのでしょうか。廃止されて早3年。レールの状況、架線の状況は、果たして
どうなっているでしょう?軽井沢町は、草軽軽便鉄道の復活を図っているようですが、
横軽間はどうするのか、疑問です。広域行政云々と叫ばれるようになってきたこのご時世、
地元市町村(県境を越えて)の連携の下に、観光活性化のためにもぜひ、碓氷峠に鉄路を
復活させてほしいものです。田中知事にも、「現場主義」により、ぜひ視野に入れてほしいです。

2001年 01月 10日 15時 02分 54秒

山本 直樹改め瞬です。最近、政府がまたへんなことを言っています。なんとか彼らに碓氷峠廃止の苦しみをわかってもらう方法は、ないのでしょうか?政府のやりかたを見ていると本当に自分のことしか考えてないと思います。日本は彼らの私物ではなく私たち国民の財産であるというのに・・・。

taku (    ) 2001年 01月 07日 01時 00分 59秒

僕は高2ですが、言いたいことがあるので投稿させていただきます。
僕は一度だけ碓氷峠に父親につれていってもらい感銘を受けた記憶があります。
それが廃止され、しばらくがたちました。
当初はあそこは貨物も通れないところだから仕方ないかなとも思っていましたが、
最近そうでもないことにきづきました。
政府は北陸新幹線のためにただでさえ赤字な財政に予算をくむというのです。
しかもその理由が金沢には自民党の御用達があるからというだけのためだけです。
確かにそれはそれで便利になるかもしれませんが、北越急行は?などわけがわかりません
(あれだって国も押してるんだぞ!)
それはともかく100年以上の伝統を持つ碓氷峠は、
自民党の奴らが便利になるためだけのために捨てられてしまったのです。
そのことが非常に納得できません。
ぜひとも峠越え復活さして下さい。

TOSIYA (    ) 2000年 12月 29日 18時 12分 45秒

整備5線の建設がフルピッチで進められていますが、やはり国の我田引鉄の考えは納得できません。そんなに新幹線を作ることが、不景気脱出の糸口となるのでしょうか?何時までも、アメリカのニューデイール政策のパクリで、国が回復するとは、思いません。それよりも東海道 山陽
東北 上越以外の4線は、赤字は必死なのですから、100%フルの新幹線を作ること自体が間違っています。例え160kmでも、全部の幹線を改良していく方が、北陸 東北 鹿児島 北海道 長崎などの5線をフルにするよりも意味があると思います。それでも、客が増えるのであれば、徐々に標準軌狭軌4戦の線路として改良していき新線を使い旧線を走る新幹線を作っても意味があります。今すぐ日本国家は、意味のないフル新幹線計画を白紙に戻すべきである!!!


公共交通を考える一市民 (xxx@xxxx.ne.jp) 2000年 12月 25日 21時 41分 34秒

匿名希望ですがHPへの公表はOKです。メールアドレスは非公開でお願いします。

国家財政が危機的状況にある今、既存のインフラを如何に生かすかが、我々が次世代に背負う責務です。もう巨大なインフラを必要以上に造る時代は終わりました。整備新幹線に関する報道は多くなされていますが「北越急行の経営問題」「長野新幹線の教訓」(特に長野新幹線営業開始に伴う「横川・軽井沢」間廃止の問題)についての検証が浅いように思います。

 (1)北越急行の経営問題
 北陸新幹線完成時に、上越新幹線と北陸方面のバイパスとして高速走行規格で建設され、現在第3セクターのなかで優等生と言われている「北越急行」(ほくほく線)に重大な経営問題を発生させる。
 北越急行は北陸線と上越新幹線の特急需要と十日町の生活需要に支えられているが、北陸新幹線が完成した段階で「東京・富山」間の特急需要を失い建設費の償還に支障をを来すことが確実である。準国家プロジェクトとして完成し、狭軌とは言え160km/h運転が可能なこの路線を現状よりもさらにうまく活用する方策を検討すべきである。北陸新幹線建設は、比較的線路状態がよく在来線として高速化が可能な北陸線そのものの経営問題(JRからの分離)をかかえているが、この新しい路線(97年3月営業開始)にも同じ問題を投げかけている。「スーパー特急方式(狭軌での高速化)での北陸、越後湯沢間の高速化」と「今回の北陸新幹線構想」との比較検討を費用対効果と言った観点で徹底して行うべきである。上越新幹線にフリーゲージ車両を導入し、ほくほく線にそのまま乗り入れれば東京・富山間は3時間を切ることも可能である。(現状では最速3時間7分、JRから「北越急行」線への乗り入れは、線路状態があまりよくない上越線の一部(越後湯沢・六日町間)を利用しているが、上越新幹線の六日町付近に「北越急行」の分岐点を作れば更なる短縮が可能である。)在来の設備をいかにうまく生かすか、生活需要をどう支えていくかを前提に整備新幹線を再検討する必要がある。
 
(2)長野新幹線の教訓
 北陸新幹線は、当初、運輸省の方針は軽井沢までがフル規格で軽井沢より北陸方面はmini新幹線方式(山形新幹線方式)であったが、長野オリンピック開催の絡みによりフル規格となった経緯がある。羽田元首相(現民主党幹事長)の話によると、当時、政府首脳の「オリンピックの開催も決まったこともあるし、長野まではフル規格で作ろう」との一声で計画変更となったそうである。(ニュースステーション報道) しかし、この結果、横川・軽井沢間の廃止、篠ノ井・軽井沢間のJRからの切り離し(「しなの鉄道」の発足)に至るわけである。横川・軽井沢間は廃止検討時には、極めて需要が少なく路線バス1日5本程度で対応可能とされていたが、現在は1日10本のバスが運行されており多客時には積み残しと言った問題も発生し所要時間も倍増している。需要想定は設備を造るときは過大に、廃止されるときは過小になされると言ったところであろうか。結局は利用者のことやコストのことは顧みられない。また、しなの鉄道は長距離(特急)需要がなくなったため生活需要だけでは経営が成り立たないと言った問題が発生している。
 ところでフル規格化による効果であるが、軽井沢・長野間の所用時間短縮は30分を下回る。(現状所要時間:最速24分、標準34分、mini新幹線方式では平均速度をかなり控えめにの90km/hとしても所要時間50分となる。)30分が、東京・長野間の所要時間でどの程度意味を持つのか。もちろん、軽井沢・長野間のみの時間短縮効果でみればその効果は大きいが、高い特別料金(3580円)を払ってどれだけの一般生活需要があるかは疑問である。フル規格方式への変更により約8000億円近い追加投資が必要であったとも言われている。
 JR東日本や運輸省は、フル規格新幹線の完成により輸送量が飛躍的に増大し信越線時代より収支が改善したと主張しているが、建設費が極めて少なかったmini方式の山形新幹線や秋田新幹線でも旅客輸送が大幅に増大している。
 さらに、今回報道された政府方針によると、当初JRが着工に難色を示していた長野・上越間に加え、上越・富山間もすべてフル規格で建設されることになった。当初、長野・上越間をフル規格で着工する際に富山方面にフリーゲージ車両を投入すればよいとの運輸省主張にJRが押し切られたと報道されているが、今回の決定はまさに
「2階にあがったJRの梯子を外す」ようなものである。また、北陸線や北越急行の経営をどう維持していくかと言う問題や、貨物輸送も含めた日本海縦貫線や北陸線から枝分かれする各ローカル線の扱いも大きな問題となる。この地域は、新幹線や空港(能登空港)の整備には熱心ではあるが、「地域の足」を守っていくかと言うことについては無関心と言わざるを得ない。能登鉄道も空港事業の引き替えに穴水・輪島間が2001年3月末に廃止される予定である。

(3)平行在来線と「枝線」の経営
  
 北陸新幹線完成時には平行在来線と「枝線」が第三セクター化されると報道されているが、地元にとって大きな財政負担となる。平行在来線の赤字は富山県の試算で年間33億円、JR西日本の試算で260億とも言われている。特急と言うドル箱を失った現「北陸線」の経営は容易ではない。
 また、2000年3月の「与党協議会」では、北陸新幹線(長野〜南越)フル規格開業時に下記ローカル線がJR西日本から経営分離されることが論議された模様である。本件とは直接関係はないが、2001年3月にはダイヤの削減がなされると報道されている。
 
 (北陸線以外の3セク化候補)
  富山港線(富山〜岩瀬浜) 8.0km
高山本線(富山〜猪谷) 36.6km
大糸線(糸魚川〜南小谷)35.3km
  氷見線(高岡〜氷見) 16.5km

橋詰 太博 (    ) 2000年 12月 23日 21時 45分 25秒

最近、鉄道脇韻砲覆辰浸筺F探泙痢悗△気沺戮望茲辰討澆燭ぁェ

H−isobe (    ) 2000年 12月 22日 18時 15分 07秒

 始めまして!実はこのメールは職場からうっています。
 たまたま検索していて、このホームページを見させていただき、私なりに思ったことがありましたので,送らせていただきます。
 私の住む所には、東海道本線と東海道新幹線が仲良く隣にくっついたり,離れたりしながら走っています。新幹線は主要都市と都市同士をつなぐもの,東京で結婚式があるから,出張するからというときに使うもの、在来線は町と町,ちょっと隣町まで行ってきますといった地元の人たちの交通の足としての使い分けができています。これはどの地域の方でも同じではないかと思います。ところが今の国の新幹線の計画では、並行する在来線を良くて第3セクター,悪くて廃止の形ですすめています。これは完全に地元の足としての存在を無視していると思っています。また、鉄道網が分断されることにより、乗換回数が増えたり、時間が合わなくなったり、料金計算が複雑になったり,料金自体も高くなったり不便極まりないですよね。
 これは私の趣味としてですが、在来線で旅行していていると,ゆっくりと景色が見れますよね。碓氷峠のような木々に囲まれたところを通るときは特に楽しいです。廃止前に信越線で碓氷峠を越えましたが、「秋になれば,赤や黄色に変わった山々を見れるだろうな。峠の釜飯もよりうまくなるだろうな。ああ〜もったいない。」と思いながら,小諸まで乗り越していきました。
 地元の方の足として、安く旅行したいし、乗換を楽していきたい人のためのコースとして、ぜひぜひ横軽間は復活してほしいです。それにEF63はこの峠を越える姿がとても似合っているし、途切れた信越本線も名前どおりではなくてかっこ悪いですよね。
 あまりまとまりのない内容でお恥ずかしいのですが、応援させていただきます。
 
 

tetuoyaji (     ) 2000年 12月 20日 20時 31分 17秒

『懐かしの特急あさま号の情報』
峠を登らぬ「あさま号」が今週末に横川に来ます。

運転日 12/23(土)、24(日)
運転時間
下り;高崎発10:22→安中10:33→横川着10:52
登り;横川発15:00→安中15:29→高崎発15:42

ロンタロー (     ) 2000年 12月 14日 00時 19分 24秒

見過ごせぬフル規格の副作用(12月12日の読売新聞の社説より)


政府・与党の整備新幹線検討委員会が、北陸新幹線と九州新幹幹線を、
事実上、東海道新幹線並みのフル規格で建設することを決めた。
来年度は新潟県の上越・糸魚川など三区間で四年ぶりの新規着工に踏み切る。
 政府・与党はこれまで、整備新幹線の全線フル規格化に向け、次々に既成事実を積み重ねてきた。
今回の決定は、その総仕上げとも言える。
 整備新幹線の建設費は全体で七兆円以上とされる。
現行の財源調達方式を変えない限り、大半は国債と沿線自治体の拠出に頼らざるを得ない。
国と地方を合わせ六百四十兆円もの長期債務に、また一つ巨大な重しがのしかかるのだ。
 しかも、沿線自治体には開業後、並行在来線の稚持・運営負担が加わる。
支線の運営にも責任が生じるだろう。
 多くの沿線住民が、フル規格での新幹線早期建設を熱望してはいる。
しかし、国全体の視点に立ち、できることとできないことを選別するのは政治の責任だ。
政府・与党は決定を再考すべきだ。
 建設費を節約するため、運輸省は、在来線にもう一本レールを敷設して新幹線列車も走れるようにしたミニ新幹線と、
新幹線並みの路盤に在来線を走らせるスーパー特急方式を提案していた。
 このうち、ミニ新幹線は山形、秋田新幹線に採用され、予想以上の成功を収めている。
JRが引き続き在来線の運営に当たるため、自治体の負担も軽い。
 今回の決定の大きな問題点は、スーパー特急方式を取りやめ、フル規格にしたことだ。
この結果、新幹線列車の在来線乗り入れが極めて難しくなった。
 開業四年目に入った長野新幹線は、沿線の活性化に寄与しているが、新幹線から外れた都市を疲弊させてもいる。
既存の市街地から離れた新駅の多い北陸新幹線では、在来線の駅周辺の商店街が大きな打撃を受けるだろう。
 こうしたマイナス面を覚悟したうえでフル規格化を要求したのか、沿線住民はもう一度考えてほしい。
二年後には東北新幹線が青森県の八戸まで伸び、東北本線の運営は地元の第三セクターに移管される。
負担を巡り、国と岩手、青森県の折衝が厳しい局面を迎えている。北陸も構図は同じだ。

2000年 12月 09日 09時 58分 42秒

EF6326さんの意見を読み、同感です。安中榛名駅のできた背景をご存知ですか?あれは、はっきり言って、群馬の政治家の口利きでできた駅です。誰が口利きを頼んだか。もちろん、群馬県知事と地元市町長らです。小渕、中曽根、福田、これらの著名人がいたからこそ、30億円もの大金をつぎ込んで、1日当たり300名乗るか乗らないか、新幹線駅としては、必要無いであろう駅ができたのです。あんなものさえなければ、東京〜長野間はもっとスピードアップできたかもしれません。30億あれば、横川軽井沢間の維持に、たとえ、次の方策にめどがつく何年かの間だけでも、つぎ込んで、即廃止という方針だけは、JRとの協議の元に避けられたのでは、と思います。日本は、新しくて便利な物ができると、すぐに目先の利益に捕われて、長い歴史や、環境、先人の苦労を忘れていく。碓氷峠の鉄路は、その象徴とすら言えるのではないでしょうか。

燎原の火 (    ) 2000年 12月 02日 18時 01分 40秒

私案ながら述べさせて頂きます。

従来、松井田町から聞こえてきた話ではディーゼルによる
運転となっています。また、軽井沢町では電車を考えてい
るような話もありました。

最近では、軽井沢町で駅から三笠ホテルまで鉄道を敷設しよう
ということが出てきました。これは「路面電車」というよう
に書いてはありました。

私としては電車のほうがいいと思うのですが、一応、エコロ
ジカルのようなことは言えると思いますので。。

それはともかく、軽井沢町の動向がよく見えないこともあり
ますが、双方の鉄道計画を一体で考えているということもあ
りえます。私自身は一体化でいいと思います。

路線条件からいって、オンシーズンしか需要が期待できない
こともあり、「路面電車」の車両クラスであれば、碓氷側で
も適合すると考えます。勾配が気になりますが、京阪で66.7
パーミルの路線が過去にあったことから車両能力としては何
とかなるでしょう。(軽井沢町でも三笠から先に行こうとす
るならば急勾配が出るはずだ)



そもそも上記の計画は軽井沢−草津間の鉄道敷設を狙った長
期の計画みたいなのですが、ここで既に群馬県側が入ってい
ます。松井田町も当然群馬県だし、それと一体になってよい
のではないかと思っています。


もう一つ、個人的な見解ですが。運営面からJR関東社と競合
状態になることが懸念されます。JR側がどう見ているかも
わかりませんが、こちらとて、夏冬の落差が激しいことは承
知しているでしょう。その多客期間を別の鉄道会社にただ取
られるだけでは納得いかないかもしれません。しかし、通年
としてはおいしくない路線であるとも思えます。そこで、
あくまで私自身の言い分なのですが、通常のバス運転と鉄道
を一体化して経営できればいいと思います。つまり、鉄道を
JR関東が経営するか、バスを新会社が引き取るかになりま
すが。前者はなさそうな気がしますが、バスで手におえなさ
そうな部分を「鉄道」で運営するのだという形態です。

きらむたけし (     ) 2000年 11月 30日 19時 10分 08秒

峠の少年隧道番

碓氷の谷には
明治の隧道が今も息づいている
煉瓦組の馬蹄が萌葱の春を食べ
石組みのそれは浅葱の風を吸う

とおいとおい昔
穴蔵の入り口には
番兵が立っていた
隧道番の子どもたちだ
ドイツのエスリンゲンが
イギリスのピーコックが
ぴぃひょと汽笛を鳴らし
むくもくと大煙を吐いて
がりごりりと歯形軌条を
鋼鉄のツメで噛みながら
ゆろりゆろる上ってくる
少年の頬がぴりくと動く
伝令の弟は番屋に報せる
半纏に巻きゲートル姿で
父が手に唾吐いて現れる

煉瓦が機関車を呑み込むと
幕引きが隧道の帆布を引く
碓氷の谷を吹き渡る風が
白髪の頭を手こずらせる
兄が加わってロープを牽く
それでやっと口は閉まった
峡谷の風をさえぎった幕が
黒い魔塵の行く手をはばむ
峠越の汽車はもう噎せない
安堵の一息は機関士と乗客

煉瓦組の馬蹄が萌葱の春を食べ
石組みのそれは浅葱の風を吸う
アーチの頂上は
うっすらと煤煙で汚れている
軌条も失せた道床のわきに
淡い紅色の山ツツジが
ひっそりと花をつけている
隧道番の二人はなすこともない
したたり落ちる水音が鳴るばかり

EF6326 2000年 11月 27日 20時 26分 10秒

はじめまして。私は最近EF63の体験運転をはじめた者です。
横軽廃止以後あまり横川には足を運んでいませんでした。講習を受講するために訪れましたが、構内に留置されている189系やEF63のくたびれた姿を見て、これで良かったのだろうかと思いました。新幹線になって便利になった一方失うものも多かったのではないでしょうか。特に群馬県は碓氷線とひきかえに安中榛名という観光にも使えない駅(JRでは磯部温泉や伊香保温泉へのアクセスと宣伝しているが、実際には一部のゴルフ客の最寄り駅と化している。)を手に入れたが大きな損失であったと思う。どうも日本人は歴史あるものを平気で破壊する民族だと思う。愚痴みたいになってしまいましたが、これからは暇があったら投稿したいと思います。

neo (    ) 2000年 11月 25日 01時 56分 12秒

ローカル列車本数の減少ならびに無人駅化、北陸新幹線の建設予定地でも本格的に始まり
ました。枝線と呼ばれるローカル支線では、大幅に本数が減ってますし、多くの駅が
無人化されるようです。また、北陸線などでも無人駅が増えるようです。
(無人駅化に伴い、夜間に暴走族めいた若者達が集まって乗降客に狼藉を働いたりする
事件も発生し始めているようで、一種の社会問題にもなりはじめています)

燎原の火 (    ) 2000年 11月 21日 00時 20分 12秒

先日、時刻表12月号を入手しました。

これを見て気が付いたことは、横川−軽井沢間の運転が8往復に
なっていることでした。
かなり少なくなっています。最初の水準に戻ったようでもありま
す。これはどういうことなのでしょうか?

まあ、12月号なので冬の状況を反映したともいえますが。去年
の改正号では夏向けの臨時便(土休便自体も)も載っていない完
全平日ダイヤ表記であったことからすれば、今回も臨時便がない
状態であるともいえましょう。それにしても、かなりの便が臨時
(?)になったということなのでしょうか?

結局のところ、あまり乗客がいないくて、鉄道復帰ができそうも
ないということを懸念しております。夏と冬とのあまりに激しい
落差だよと言えばそれまでですが、夏の間ならそんなに問題ない
のでしょうかね。

neo (    ) 2000年 11月 10日 23時 43分 06秒

>山本様
その「悲劇」、今後数倍の規模で東北線や北陸線沿線で繰り返されようとしています。
日本国の財政は既に完璧に破綻というか破滅状態。信越線の数倍もの規模で、在来線
のネットワークが壊滅の危機にあります。これで良いのでしょうか。
とんでもない額の借金(つまりは国民の税金すなわち私達が払う金です)と公共交通
網の壊滅とひきかえにするだけの価値が、今の新幹線整備計画にあるのでしょうか?
たかだか1時間程度の時間短縮のひきかえにする犠牲としてはあまりにも馬鹿げている
と思うのは私だけでしょうか?
ちなみに富山県は、新幹線のために富山空港の整備計画を大幅に縮小しました。
一体、誰のための新幹線計画なのでしょう?

山本 直樹 (    ) 2000年 11月 08日 16時 28分 40秒

もう碓氷峠から鉄道が消えてからだいぶたちましたが最近雑誌で碓氷峠に再び鉄道を!というのを見て、ぜひ実現してほしい!あれから鉄道文化村にも行きましたが峠の釜飯を全部食べられませんでした。碓氷峠を通ったときは全部食べられたのに・・・。僕は廃止になる前の横川駅より風情がある駅はないと確信している。もう一度、あの生き生きとした横川駅が見たい。そして願わくば、JRは、在来線分離という悲劇をもうしないでほしい。長々となってしまいましたが、復活するまではかなりの時間がかかるはず。貧乏学生にできることは陰ながら見守るしかありませんが、復活の時をまっています。

joban-k (    ) 2000年 11月 01日 12時 00分 38秒

はじめまして。私は現在大学にて公共サービスを民間の資金で経営するというPFIという分野を研究しています。
そこで皆さんに1つ教えてほしい事があります。この碓氷線の保存構想に対する,収支関係のシュミレートの結果や、その他,どういう形の経営方式を取るのか等を詳しく教えてくれる方,またはそういうホームページが存在するのなら教えてください。ぜひ参考にしたいと思います。また、実際にそういう研究をされている方がいらっしゃいましたらお話してみたいので,よろしくお願いします。 

enrich (    ) 2000年 10月 24日 23時 01分 54秒

僕も田中康夫氏を応援していましたが、最高の結果です。吉村午良前県知事は長野オリンピックが全てで、あとはでたらめな県政をしてき、そのつけが田中康夫氏の当選という結果を招いたのです。
 しなの鉄道もよく交渉もせずに早期決着妥協のため、大赤字です。小海線がJR、篠ノ井・長野間もJRという奇妙な路線です。運輸省にすれば、何をいまさら横川・軽井沢ということでしょうが、県民代表=天下の長野県知事が田中康夫氏ではなにを主張するか不安でしょう。
 長野県民の利益として横軽復活を主張することは結構なことです。

ロンタロー (    ) 2000年 10月 22日 00時 12分 10秒

長野県知事選挙で、意外と言っては失礼ですが田中康夫さんが当選されました。
田中新知事により長野オリンピックの帳簿紛失事件の見直しがされるとのこと。
巨額の税金の使い道が、明白に出来ない何かが解明されることを期待します。
大いにやっていただきたいと思います。
ついでにオリンピックに便乗した新幹線優先のどさくさに紛れて廃止された
信越本線碓氷峠のことも見直していただきたいものです。
在来線が分断され関東への出口で不便を強いられている現状は、
長野県の人々にどのように認識されているのでしょうか。
群馬県の人々も以前は、在来線の各駅停車に乗って軽井沢や、小諸の懐古園、上田あたりまで
よく出かけておりました。
今となっては、わざわざ高い料金の新幹線や不便なバスに乗ってまで、長野方面へ出かける気は
無くなりました。おそらく小諸あたりは懐古園が閑古園になっているのではないでしょうか。
このように、地域社会の交流は確実に阻害されております。
新知事の手腕の見せ所の一つとして碓氷峠の問題にも目を向けていただきたいものです。

燎原の火 (    ) 2000年 10月 21日 11時 39分 04秒

以下に書くことはかなり特異なことなのですが、示させていただきます。

最近は保存鉄道とは別系統のことを考えていました。それは高速鉄道のことなので
すが、それにあたって横川−軽井沢の区間をただの保存鉄道としているだけでは非
常にもったいないということです。ここは全国でも例を見ない急勾配であるので、
実験的活動ができるのではないかと思っています。

私自身が考えている方式は鉄車輪リニアモータカーです。東京都交通局大江戸線で
用いられている、リニア地下鉄の方式です。これを一般鉄道に導入することを考え
ています。これのメリットは動力を回転式モータに頼らない、車両にモータがない
ということです。動く方式は、レールの間にあるリアクションプレートと車両の下
に設置されたコイルとの間の磁力的牽引によって動作します。従って通常あるよう
な、粘着運転でなく、車両が引っ張られる形で走行します。そのため、急勾配に強
いと言われています。その方式であれば、「実は急勾配区間であっても、高速で走
行できるのではないか?」とも思っています。さらに坂を下りるときでも、逆に引っ
張っている力と相殺させるようにして高速でありながら、一定の速度になるように
して下りていくことができるのではないか??と思っています。(プロでないので
よくわかりません)言ってみれば、急勾配を下るときも、一定速度が保てれば、ど
んなに速く走ってもいいわけです。リニア(鉄車輪であるが)ならブレーキ自体も
摩擦でなく磁力となるため、きっとそれができるに違いないと思っています。

であれば、あのような急勾配区間でも、新幹線的運転が可能なのかもしれないなど
と考えるようになりました。(つまりミニ新幹線でも実現できる?!?!?)

実のところ、急勾配区間で100km/sで走行できたらいいと思っています。
このようなことを実験して成功すれば、応用範囲が広がるであろう期待を持って書
いたのが本位ですし、実際、今までの各技術はそうであったようです。。そのこと
について意見を下されば幸いです。




neo (    ) 2000年 10月 16日 17時 24分 56秒

>よこいち様
新線への電力供給線は廃止後まもなくJRが全て撤去しているはずです。電力施設の建設や
電力供給の問題もあり、現時点では電化での鉄路復活は困難(実際問題不可能)かと思われます。
技術的な問題はわかりませんが、箱根登山鉄道の車両を碓氷に持ってくる場合、軌間が異なる
ので台車交換が必要であること、箱根登山鉄道の勾配よりは若干緩やかではありますがその代わり、
勾配連続区間が桁違いに長いことなどから、電力供給の問題(施設建設のための相当の巨費と
高額の電力使用料の負担)が解決するめどがあるとしても、技術的な課題が相当あるものと
予想します。
非電化での鉄路復活なども検討すべきなのかも知れませんね。

よこいち (    ) 2000年 10月 12日 22時 23分 13秒

はじめてカキコします。小田急の12月ダイヤ改正で、箱根登山線の小田原―箱根湯本の区間便の
小田急車運用が大幅に増えるようです。となると箱根登山車両に余剰が発生するかもしれません。
それを碓氷線用に譲り受けられれば面白い展開に成るのではと思います。

管理人 (    ) 2000年 10月 10日 20時 42分 33秒

意味不明で、メールアドレスの記入無き書き込みは削除させていただきます。
ここは、碓氷線およびそれに関連した鉄道に関する掲示板です、
書き込みされる時は他の掲示板と錯誤無きようお願いします。

7M4CVA (    ) 2000年 09月 25日 13時 01分 30秒
URL:http://bosei.cc.u-tokai.ac.jp/~7jmp2122/TRS/

僕も以前に部長として所有したアマチュア無線研究会JL1ZAMが、
昨年の5/17も持って廃止しました。この日を忘れません。

TOSIYA (    ) 2000年 09月 24日 00時 22分 28秒

碓氷峠が廃止してもう三年経とうとしています.早いもんですね・・・・ファンの多くは、碓氷峠と言うと「お前まだそんなん好きなんか!」と言われてしまいますが、やっぱり忘れられません。こんなことで神戸の人を取り上げるのは、なんですが、神戸の人が1・17を絶対忘れない用にするのと同じように僕達も9・30を絶対忘れてはいけないと思います.そしていつの日か碓氷の山に鉄路が復活する日を夢見て・・・・碓氷線廃線三周忌を前にして・・・

neo (    ) 2000年 09月 21日 11時 38分 24秒

SL碓氷号さんに追加。
碓氷峠鉄道文化むらの鉄道展示館に、EF63−18(もちろん本物)の運転台を使った
運転シミュレータがあります。横川から軽井沢までの下り線、時間はやや短縮されていますが、
ブレーキハンドルやマスコンや計器も実際に近い動きをします。画面はCGですが、運転
室窓の外側に映写されており実際の感じを良く把握しています。
(上り線はありませんし、連結解放もありません。横川発車から軽井沢到着までです)
料金は1回¥1000ですが、気軽にEF63の運転台でシミュレータ運転ができるという
価値はあると思います。ただし、規定外の操作をしたりするとゲームオーバになりますので
入口にある運転操作方法ビデオを見て、音声ガイドに従って運転したほうがよいでしょう。
日曜日には元EF63機関士・横川機関区OBの方達がボランティアで園内案内をして
いらっしゃいますので、運転方法をお聞きになられるのも良いでしょう。

せっかくのEF63−18の展示利用方法の是非としては複雑な思いもありますが・・・。

SL碓氷号 (    ) 2000年 09月 17日 23時 27分 31秒

すみません。下の書き込みに、メールアドレス書くのを忘れてました。
どうもすみません。

SL碓氷号 2000年 09月 17日 23時 25分 55秒

入内島さん、ゲームですけど、「汽車でGO!」の信越線「快速SL碓氷号」だと、
高崎から、軽井沢まで運転できるんですよ。
快速といっているけど、実は、鈍行です。
横川駅では、停止位置0mだと、EF63の連結作業が行えます。
D51-498が、牽引するんですけど、汽笛も、ドラフト音も、いいかげんで、はらがたちますよ。
デゴイチの、短笛はゆるせるけど・・・

PS自分も、横軽は乗った事がないので、ぜひ復活してもらいたいです。

入内島 進一 (    ) 2000年 09月 17日 01時 35分 18秒

横川〜軽井沢間は一度も乗ったことがないので是非とも復活させて下さい。
SL碓氷号も軽井沢まで運行できると良いですね。

鉄オヤジ (     ) 2000年 08月 20日 15時 27分 18秒

松井田町広報8月号から転載

国鉄OBとともに鉄道跡をたどる「確氷線を訪ねて」のお知らせ

 平成9年9月、惜しまれながら104年の歴史にピリオドを打った
碓氷峠の鉄道に、「めがね橋」に代表される鉄道遺構が残り、峠の自然
の中に静かに佇んでいます。また、煉瓦構造物を含むアプト式線の一部
は、わが国初の「近代化遺産」として、国の重要文化財にして尾されました。
 こうした鉄道遺産等を訪ね、先人たちの峠に挑んだ歴史に触れる
「碓氷線を訪ねて」に、皆様のご参加をお待ちしています。

日時/全5回 (内容は同じ)
@ 9月18日 (月)
A10月12日 (木)
B10月21日 (土)
C10月29日 (日)
D11月11日 (土)

集合/碓氷峠鉄道文化むらゲート前
行程/碓氷峠鉄道文化むら→招魂碑→丸山変電所→碓氷峠の森公園
→アプトの道 (ウォーキングトレイル)→碓氷湖→遊歩道→碓氷第三橋梁(めがね橋)
→くつろぎの郷→板本宿→鉄道文化むら (入園)
※行程は変更する場合があります。

募集人員/各回とも先着25名
参加費/1人500円 (保険料ほか)
持ち物/昼食・雨具など
服装/歩くのに適した服装、靴など
募集期間/10月27日(金)まで
※各回とも定員になり次第締め切り

問い合わせ・申し込み方法/
碓氷峠鉄道文化むら資料館2階の財団事務局に、直接または電話、Eメールでお申し込み下さい。
                 
TEL027・380・4163
http://www.interq.or.jp/japan/usuitoge
財団法人碓氷峠交流記念財団(松井田町横川407・16)

斉藤雅泰 (    ) 2000年 07月 21日 19時 40分 28秒

長らく沈黙状態でした。。

 少し前に箱根へ行ったのですが、そのことから、よくあることではありますが、
箱根との比較をおこなってみようと思います。
 箱根は関東近辺の観光地であるので、大勢の人が来ます。その点は軽井沢を近
くに要する横川でも同じような感もあります。
さて箱根には多くの乗り物が存在し、それらを使うことで一筆書き旅行ができ
ます。つまり、鉄道、ケーブルカー、ロープウウェイ、船、バスといろいろ乗り
継いでいくわけです。通常の場合は乗り継ぎはいやなものですが、箱根では、短
区間、どうせ座れないなどなどから、乗り継ぎは気分転換になってよいものです。
 また、コースが複数取れる(入り口はひとつではない)ため、何度行くにして
もマンネリを打破するよう工夫できます。
(箱根は6〜7月に行くと、登山鉄道わきのあじさいをみることができる)

 さて、横川地区はどうあっても軽井沢との共存が必要であると思います。しか
るに、上記のことを考えて、周辺地域を絡めた周遊ルートの一環として整備する
ものと考えます。周辺というのはいわゆる高崎から小諸までの間だけでなく、吾
妻川流域、草津等も含めて考えています。おりしも、上毛新聞を検索したところ、
旧草軽沿線でなんらかの軌道系交通機関を導入しようというニュースがあったの
を見ました。これは信濃毎日新聞でもあったと記憶しています。そんな話もあり
ますが、現状でも軽井沢と吾妻線側は結ばれており、吾妻線側から軽井沢へ入る
人も結構います(草津とか旅程に含んでいるみたいです。私自身、万座・鹿沢口
からバスで軽井沢へ向かったことはよくある)。

論としては、軽井沢へは新幹線で往復としてもらいたくはない、ということに
持っていけるか?ということなのですが、箱根より規模が大きいので、すぐには
難しいでしょう。しかし、軽井沢−万座・鹿沢口(長野原草津口)が鉄道で接続
されると幾分変わるかもしれないでしょうが。。。。

 個人的な見解を言わせてもらえば、草軽については従来の鉄道でないほうがい
いかもしれないと思っています。箱根のように複数の乗り物をおきたいので。。


 話は変わりますが、横川周辺への集客手段ということになりますと、まだ文化
むらだけでは不十分と見えました。丁度、家族連れから聞こえた言葉が、一日つ
ぶすにはちょっと云々でした。確かに1,2時間いればといいという所だとは思
います。これをなんとかしないと、横川が軽井沢の周辺観光地となるにはまだま
だとしか言えないでしょう。


 そして7/15の不通事故について一応言及します。たしかに迂回路がない状
態でした。不通になった区間とは関係ない、高崎以西でも運転不能になりました。
(この日、バスはどのような状況だったか教えてください)在来線であればその
ようなことはなかったでしょう。新幹線は高崎に折り返し設備を持ってません。
非常時の対応なぞできないのです。そのようにしてしまったから問題であるので
しょう。鉄道復帰時は、非常時の対策として、新幹線不通時に運転該当日でなく
ても運転が実施できるようにはなってほしいと思っています。


全体としてかなり「変」な文です。それをお許しください。

speedover (     ) 2000年 07月 12日 20時 27分 26秒

ポポロン様へ
 地元の人間です。碓氷峠に関心が集まることはうれしいのですが、困ったことがあります。
それは、廃線トレッキングと称して旧信越本線横川軽井沢間を歩く方がいることです。
横軽間は確かに現在電車は運行していません。しかし、復活の計画があります。
土地の所有者は、JR東日本です。旧線アプト線路敷きは松井田町です。
松井田町では「アプトの道」ウォーキングトレイルとして坂本くつろぎの郷から碓氷湖まで
開放し、遊歩道として歩けます。碓氷湖からめがね橋までは現在工事中です。この秋には
遊歩道が完成する予定です。
 この遊歩道以外の横軽間の線路敷きは、現在もJR東日本が管理しています。立入禁止です。
再び利用計画のある横軽間線路敷きに立ち入りしないようにお願い申しあげます。
立ち入りをすれば、人力とはいえ、線路敷きが痛みます。ご理解ご協力の程
宜しくお願い申しあげます。

ポポロン (     ) 2000年 07月 11日 17時 18分 54秒

はじめまして。ポポロンです。
よろしくお願いします。
碓井峠について調べていたら、このページを見つけいろいろ聞いてみたくてかいてみました。
この夏、大学のゼミの仲間と碓氷峠の廃線トレッキングをしようという話になり、レジュメを作ることになりました。
そのためなんでもいいので教えてもらえたらうれしいです。
廃線の載った地図や廃線の歴史、峠の釜飯のことなどについて探しています。
特に、廃線は最近の地図には載っていないので載っているものを知っている方がいましたら教えてください。
何か参考になりそうな本の題名や出版社などでも結構です。
よろしくお願いします。
(P.S もしも、この内容がこの掲示板の目的と違っていたら削除していただいてかまいません。

鉄オヤジ (     ) 2000年 07月 05日 01時 33分 38秒

7月3日付けの新聞に、碓氷郡選出の県議の県議会リポートが折り込まれていた。
その中の記事によれば、5月下旬に県議と軽井沢町長が意見交換の会談を行い
「観光列車構想を推進する」方向で合意。松井田、軽井沢の両町長の会談も3月に
実現しており、今後は事務レベルの協議を定期的に行っていくとのことである。
御代田町、小諸市も賛成しているとのこと。
松井田、軽井沢の町長、県議と役者がそろってまいりました。
7月の雨に濡れた線路は、輝きを取り戻しております。
今後の展開が楽しみです。

ロンタロー (     ) 2000年 07月 05日 00時 58分 27秒

下記の記事の中に市町村合併に関する記述があります。
特徴ある町村が合併で消えてゆくのはたいへん残念なことです。
安易な合併論に乗らない松井田町長の見識は立派です。

鉄道の話題からは、横道にそれますが、上野村のホームページから転載した記事を紹介します。


黒澤丈夫(くろさわ たけお)
大正2年上野村生まれ/昭和40年上野村長に就任、現在に至る/平成7年全国町村会長に就任、現在に至る

「市町村の大規模合併に反論する」

昨今、人口当たりの投資効果や都市的発想に捕われた考え方をする人達から、市町村を合併して、力の強い、
人口の多い自治体をつくれとの声が高いが、私は、この合併論には、憲法に謳う、自治の思想を無視する暴論として、
反論せざるを得ない。

以下その理由を述べると、
【1】 この合併を強行すれば、国土の約2分の1を占める山村や離島等に在住する国民は、自治に参加する立場を、
   大きく失うことになる。

   地方自治の主旨は、地域住民に身近な政治行政は、その地域の住民の意思に基づいて、自分達で執行させることに在るが、
   前記した人達の論拠に従って生まれる、新しい自治体は、市街地を中核とする市とならざるを得ず、その意思決定や執行は、
   多数決原理の下では、人口の多い市街地住民本位となり、人口の少ない山村や離島地域の住民の立場は軽視される結果を招く
   からである。

これは、論理による推論ではない。

   我々が過去の市町村合併や農協、森林組合等の合併を通じて体験した結果によるもので、合併した地域の方々が軽視されて、
   一般に衰亡が早いのである。
   合併を叫ぶ人は、投資効果を説くが、山村離島等の住民は、自治の権限を奪われて、投資を求める声すら小さくさせられるのであるから、
   自治そのものを失うのである。
   合併論を叫ぶ人には、主張する合併の結果、国土の広大な地域で、自治権を失う国民が出ることを、考えてもらいたいのである。

【2】 人口当たりの投資効果論や都市的発想による自治体合併論は、本来、国家の底辺社会の住民に、緊密に参加させる自治によって、
   きめ細かい政治行政をさせようとする、憲法に定める自治の思想と、相容れないところが多い。
   自治は、同一の自治社会に在住する人達が、連帯協力して実行するもので、地域住民相互の間に、同一自治体の住民であるとの連帯意識
   が在らねばならない。
   而してこの連帯意識は、同様な環境下に居て、相互に激しく交流する中から生まれるもので、単に名目上、同一自治体に居住するだけでは
   生まれにくく、比較的小さい地域社会の中に生まれるものである。
   遠く離れて住む、市街地と僻地の山村離島の住民に同じ連帯意識を持てと言っても一般には無理なのである。
   又地方自治は、住民が、己の属する自治体の政治行政の善悪に、利害を敏感に感じる範囲で行うべきもので、余り広大な地域や大人口下では、
   本来実行しにくいものなのである。
   このことは、つとに地方分権を主張された石橋湛山先生が、大正14年に社説の中で説いて居られる。参考にそれを記すと、
   『地方自治体にとって肝要な点は、その一体を成す比較的小なるにある。地域小にして、住民がその政治の善悪に利害を感ずること緊密に、
   従ってそこに住まっている者ならば、誰でも直ちにその政治の可否を判断することができ、同時にこれに関与し得る機会が多いから、
   地方自治体の政治は、真に住民自身が、自身のために、自身で行う政治たるを得る。』(石橋湛山評論集・岩波文庫)

ここに私が、前述した合併論を暴論だという論拠がある。
   自治体に属する住民の一部に、自治に関与出来ない様な自治体を創出する合併は、全く自治を忘れた暴論である。

【3】 大規模な自治体は、都道府県に於ける自治と大差なく、真に住民参加が出来る、国家の底辺を成す自治体とは成り得ない。
   住民が自治に関与出来る自治体には、前述してきたように、自ずから大きさに限度がある。従って、市町村数を大幅に少なくする様な合併論
   は、都道府県に国家の底辺の自治をせよと言うのと大同小異で、更に小さい自治体が、その中に必要となる。

【4】 投資効果は、人口当たりで求めるだけでは、解析不足だ。国家という概念の中には国土もあるのだから、国土面積当たりの投資効果論が在るべきである。
   国土なくして国民生活は在り得ないのに、人口だけを重視して国土を忘れた自治体論は、余りにも人に捕われて、人間生活を忘れた発想ではあるまいか。

【5】 市町村の合併には、絶対に国が強制するものではなく、市町村住民の意思に委すべきである。

speedover (     ) 2000年 07月 01日 23時 24分 18秒

日本経済新聞2000年6月29日付け首都圏経済・群馬から転載
「我がまち ここがポイント」松井田町
 峠の町、群馬県松井田町。急勾配の碓氷峠など古くからの交通の要衝として知られている。「めがね橋」、れんがづくりの変電所など名勝も多い。長野新幹線の開業に伴う信越線横川ー軽井沢間の廃線が暗い影を落としたが、鉄道を売り物にしたテーマパークの誕生で、町は再び活気を取り戻そうとしている。
 鉄道を売り物にした「碓氷峠鉄道文化むら」(愛称・碓氷峠ポッポタウン)がオープンしたのが、昨年4月。横川の釜飯(かまめし)などで有名な信越線・横川ー軽井沢間の廃止後、地盤沈下がささやかれていた中での開業だった。「(廃止は)残念なことではあるが、松井田町のアピール材料はやはり鉄道」(内田武夫町長)と町の大きな期待を背負っている。
 敷地面積約45,000平方b、総事業費は約20億円の大型プロジェクトで、主な施設は碓氷峠のジオラマや運転体験コーナーのある「鉄道資料館」、碓氷峠専用の機関車を展示する「鉄道展示館」など。屋外では蒸気機関車「あぷとくん」が園内を周遊する。最大の目玉は電気機関車の体験運転で、学科講習を受けた後、指導者とともに運転できる。構内数百bとはいえ、”ゲーム”では味わうことのできない本物を体験できるのはここだけだ。
 内田町長が「全国にはこんなに鉄道ファンが多いのかと驚いた」と語る通り、開業1年目で早くも予想の3倍にも上る約30万人が訪れた。現在、同町は鉄道文化むらを含めた横川駅周辺の整備事業に取り組んでいる。駅前再開発、宿場町復元、くつろぎの郷、ハイウェイオアシスなど大きく4周辺地域で計画が進められており、文化むらを起爆剤に集客の町への変身を進めている。狙いは隣の一大観光地、軽井沢からの入り込みだ。
 内田町長は「まちづくりの基本は、そこに住む人、訪れた人が楽しめること」と語る。観光資源を生かし、トロッコを利用した観光列車の運行なども夢に描いている。目指すは「関東のまほろば」という。
 一方で内田町長は「派手なことばかりでなく、地道な施策も町には不可欠」と強調する。特に力を入れているのが、介護認定漏れの受け皿整備で今秋にも小学校校舎や警察待機寮などを改修して高齢者向け多目的施設に活用する考えだ。
 介護問題を含め、財政、インフラ整備などの長中期的な課題は近隣自治体との連携だ。しかし、、「まず合併ありきとの議論には反対」(内田町長)で、町民のコンセンサスを得ながら、「手を結ぶべきところは結び、きめ細かく意見を吸い上げていきたい」と話している。

speedover (      ) 2000年 06月 11日 20時 55分 55秒

東京新聞群馬版2000年6月10日記事から
「信越線旧熊の平駅で殉難慰霊祭、土砂崩れ事故から50年」
 JR信越線横川ー軽井沢間にあった旧熊の平駅で1950年、国鉄職員や住民がのみ込まれ
死亡した土砂崩れ事故で、犠牲者を供養する「熊の平殉難慰霊祭」が9日、松井田町坂本の現
地で行われた。碓氷峠越えの鉄路は廃止されて3回目を迎えたが、参列した内田武夫町長は
「観光鉄道として鉄路再生を実現し、その列車で慰霊に訪れる人を迎えるのが夢」と犠牲者に
誓い、出席した関係者に「協力してほしい」と呼び掛けた。
 慰霊祭は、日本鉄道OB会坂本支部(武井五郎支部長)が毎年、事故があった9日に実施。
事故後50年に当たる今回は、小雨の中、地元の国鉄OBや町、JR横川駅関係者ら約25
人が出席して、しめやかに営まれた。
 事故は、50年前の6月9日早朝、前夜に発生した土砂崩れの復旧作業をしていたところ
を2度目の災害が襲い、国鉄職員や作業員、近くの国鉄官舎の住民が犠牲になり、死者50
人、重軽傷者24人を出す惨事となった。その際、官舎の下に押しつぶされながら、乳飲み
子を抱えて息絶えた若い母親の姿をモチーフに、当時に国鉄関係者約50万人の浄財で殉難
碑が建てられている。この日出席者は、旧熊の平駅構内にある殉難碑と位牌堂周辺の草刈り
を行って花を供えた後、一人ひとりが焼香した。
 武井支部長は、「当時を知るOBら関係者も高齢化しているが、できる限り慰霊を続け、
事故の悲惨さや教訓を後世に伝えたい」と話していた。

speedover (     ) 2000年 06月 08日 21時 33分 36秒

軽井沢町議会経済建設常任委員会が5月18日箱根登山鉄道事務所を訪問し、
翌19日強羅から小田原まで鉄道に乗車したそうです。佐藤雅義軽井沢町長が
同行したそうです。常任委員会は6人だそうです。
他の常任委員会は別の視察に出かけたようです。
松井田町議会全員が箱根、大井川を訪問したのは1993年(平成5年)1月でした。
下記の年を修正いたします。勘違いでした。

speedover (     ) 2000年 05月 20日 01時 05分 17秒

佐藤雅義軽井沢町長らが箱根登山鉄道を視察しました。5月17日前後だそうです。

松井田町議会は、1994年頃箱根登山と大井川鉄道を視察し、
「アプト式はコスト高でやめた方がよい」と大井川で言われました。

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