う〜ん
2006年 03月 07日 00時 21分 07秒 |
>快速川越逝きさん
土産、地元企業の商品ならばまだいいんですが、全国各地の土産物を一手に作っている会社のものとかになるとさすがに・・・。(ご存知かと思いますが、観光地で売られている土産物って、結構その手の大手?あるいは某地域で大量生産されてたりしますんでね。具体的には書きませんが、北陸の某大手が北海道の土産物お菓子とかを作ってるなんていう話です。置物やキーホルダーの類もそういうパターンが多いようですよ)
幸にして地元には名品が結構ありますし、文化むらオリジナル商品も実績がありますから、良い土産物企画は複数考えることができると思います。
このあたり、もっとアイデアを出していくと良いかも知れません。新しいものばかりではなく、松井田町・横川で昔から売られている良い商品を土産物としてクロースアップするという方法もあります(むしろ、それが土産ものとして本来の姿でしょうね)。
名称は、旧来のまんま「熊ノ平変電区」でいいかも知れませんよ。本来の看板のレプリカをとりつけるなどして。そういうのも演出ですから。
ミュージアムという横文字は現地のイメージに合わないような気がしますし、博物館というほど大量の資料を展示できるスペースでもありませんし(広さならびに防犯上の観点など)、文化むら展示内容とのバランスもありますから。「記念館」というのも軽井沢に既にありますし。であれば下手に名称をつけるよりは、本来の名称をそのまま使うというのも方法の一つかと思います。
音については、文化むら展示物でも検討の価値があるのではないかと。展示車両の横に音があるだけでも随分とイメージが異なりますから。
他線区にはない音というのも碓氷線の魅力の一つでしたし。
何よりも比較的容易に実現できそうだというのがいいのではないかと。
快速川越逝き
2006年 03月 06日 19時 28分 34秒 |
う〜んさんありがとうございます
やはり下手に他の場所のような土産はダメなんですね
仮に、変電所を緩行利用するとしたら
名前は、「碓氷ミュージアム」「熊ノ平駅博物館」等がいいですかね?
スピーカーの案は音の演出としてかなりいいと思います
う〜ん
2006年 03月 06日 19時 19分 48秒 |
三重連ですいません。
熊ノ平変電区の観光利用ですが、内部に熊ノ平の歴史を物語る写真や資料を展示するというのは当然あり(中でも土砂災害の記録展示は不可欠でしょう)として、音響シアターみたいなものなんかあるといいなと。そこで、熊ノ平を通過する時の列車音各種、さらにアプト式旧線時代の列車交換時の音なんかを流すわけです。建物の外をあたかも列車が通過しているように音を流せば、鉄道ファンは「萌え」るでしょうし、一般観光客も感銘をうけると思うんですが(EF63にせよED42にせよ、他線区車両と比べると独特のサウンドですからね)。
廃線前にあのあたりを徘徊した人ならピーンときてくれるかなとも思うのですが、いかがでしょう。
#イベント的にやるとすればトンネル内部にスピーカを設置して列車音を流すなんてのも面白いかなと。一世紀ぶりに静けさを取り戻してノンビリしている野生動物には申し訳ないですが・・・。(と冗談めかしてしまうのが良いのか悪いのかという問題はもちろんあります。希少動物も含め環境保護最優先とすれば、熊ノ平の観光化はすべきではない。列車音を流すなんてもってのほかだというご意見もあるかと思いますから)
う〜ん
2006年 03月 06日 19時 04分 00秒 |
玉屋さんは現在も営業しています。アプト式・熊ノ平駅廃止後、現在の場所に移転。
詳しくは玉屋さんのホームページをご覧ください。
http://www6.wind.ne.jp/massa/tamaya/
う〜ん
2006年 03月 06日 18時 59分 22秒 |
>快速川越逝きさん
熊ノ平変電区ですが内部に入ったことはもちろんありません(私の記憶では、現在に至るまで内部が一般公開されたことはありません。廃線後も信号場構内、当然のことながら建物内部は立入禁止ですので)。
建物内部の簡単な図面(建築施工図みたいなやつ)のコピーはもっているのですが、それによると2階建てではありません(一部に中二階的なスペースはあるかも知れませんが、概略図面なので判然としません)。窓が二層になっているので外からは二階建てに見えるのですが、内部は機械装置を移動可能にする分、天井が高くなっているようです。つまり、工場みたいな構造になっているものと思われます。
もちろん、粘着運転開始以後に改築されている可能性はありますが、変電所に設置される機械装置の寸法から考えて、内部をわざわざ二階に改造することはなかったものと思います。
要するに工場みたいな構造の建物ですから、飲食するイメージではないかも知れませんよ(笑)。空調や採光も大変でしょうし。飲食店とするために不可欠な上下水の手当ても、あの場所だと大変です。(上下水道の整備は不可能かと思いますので、自動車による水道・下水輸送が現実的)
また、昭和初期の建築物(築70年)で、アプト式旧線時代から廃線時まで使われた歴史ある建物(明治時代の煉瓦遺構があまりにも立派なので陰に隠れた形になっていますが)ですから、下手に改装するよりは、保存的観点をメインに考えるべきかとも思うのですが。
ちなみに、玉屋の力餅は弁当ではありません。字のごとく、餡で包んだ餅です。旧中山道時代から続く由緒あるもので、アプト式旧線時代には熊ノ平駅前(といっても小さな小さな広場ですぐに崖っぷちですが)に玉屋さんがあって、駅ホームで売っていました。それで、熊ノ平駅が復活するのであれば、玉屋さんの力餅を売ればいいなと。横川駅ホームでの釜飯販売と同じノリですね。
土産物各種はいろいろあっても良いと思いますが、余所と似たようなイカニモ土産はね(笑)。そこでしか買えないようなものを考えてみましょうよ。
ただ一番の土産は、トロッコに乗って熊ノ平「駅」で降りて峠の山々に囲まれた時の思い出だということはおさえておきましょう。
快速川越逝き
2006年 03月 06日 16時 07分 19秒 |
う〜ん
カッチコピーについては訂正いたします
訂正いたします
となると、変電所は建物強度もふくめ調査が必要なことはわかりました
写真で見る限りは、2階建てに見えたと思うのですが
もし2階建てでしたら
1階は、カフェにして2階は、お土産屋にするのはどうでしょうか?
例えば
オリジナルの熊ノ平駅の切符200円や
秩父鉄道でもありましたがゴールド版900円とか
熊の置物で背中に「碓氷峠熊ノ平駅」と彫ってある置物とか
う〜んさんがおっしゃったお弁当など
う〜ん
2006年 03月 06日 14時 37分 51秒 |
>快速川越逝きさん
ゴミ持ち帰りですが、ゴミを出さない、もしくはゴミとなるものを碓氷峠以外から持ち込ませないということが肝心でしょうね。自然保護、環境美観維持だけでなく、地域経済・財団収入に寄与するという視点も必要かなと思います。
変電所の再生ですが、送電施設の再建が前提となるので現時点では課題とはならないと思います。いずれにせよ、変電所としての機能復活には多大な費用がかかるでしょう。
休憩所としての活用については検討の価値があるかも知れません。ただし、変電所が建てられたのは昭和12年ですから、カフェへの改装については建物強度確認も含め慎重な検討が必要でしょうね。
それと、熊ノ平構内から碓氷湖は見えないはずです。周囲の山の稜線まで登れば別ですけれども。
観光キャッチコピーとしては、童謡・紅葉がキーワードかなと真っ先に思い浮かびます。
快速川越逝き
2006年 03月 06日 12時 19分 59秒 |
う〜んさん
ゴミ持ち帰り運動ですか
参考になりました
確かに、自然との調和を考えるといいですね
変電所内の内部機器は撤去されているとないと
変電所としての再生か?
又は、別の施設としての再生かんかどうでしょうか?(カフェとか?)
仮に宣伝文句とするなら
「碓氷湖をながめならの一杯のコーヒー」とか
いかかがでしょうか?
う〜ん
2006年 03月 06日 10時 36分 08秒 |
昨日4日、トロッコ列車「シェルパくん」の運行が再開されました。午後の便は結構盛況だったようです。
#私、22日に運転再開と先に書いてしまいましたが、間違いです(今、気がつきました。なんで22日なんて書いたのか・・・)。謝罪して訂正いたします。
う〜ん
2006年 03月 04日 19時 44分 32秒 |
>快速川越逝きさん
既設のトロッコホームのようにバリアフリー重視となると、嵩上げ工事が必要になると思います。熊ノ平信号場のホーム跡は、アプト式旧線時代の地方幹線規格の低いもので、しかも新線の路盤が嵩上げされているのでさらに低くなっていますから。
現行トロッコ列車の編成長さにとりあえず対応するとすれば、それほど大変な工事ではないと思いますよ。
ホームといってもあくまでも跡であって、撤去された駅舎跡とか駅前の小広場との区別が判然としなくなっているので、広さ云々という点は慎重に評価したほうがいいかも知れません。アプト式旧線時代の駅を再現するとなれば、それほど広いホームにはなりませんから。
変電所については、内部機器はほとんど撤去されています。これについてはJR東が工事告知を行っています。送電線も撤去されています。
従って、熊ノ平を復活させる際の電力確保をどうするかが課題となります。旧道沿いに電線があれば自動販売機など多少の電力は容易に確保できるんですがね。
一方、自動販売機とか売店という発想ではないものを考えてみるのも面白いかも知れません。飲食物は全て持ち込み&ゴミは全部持ち帰りという考え方とかです。あるいは、文化むらもしくはトロッコ車内でのみ販売する形とか。
熊ノ平の規模とか雰囲気もありますしね。玉屋さんの力餅のホーム売りならばマッチしているように思いますが、売店はともかく自動販売機はあまり似合わないかも知れません(維持管理の問題もありますしね。ご存知かと思いますが、現地は野生猿とたまに熊が出る場所なので、笑)。
快速川越逝き
2006年 03月 04日 15時 34分 21秒 |
ホームの件はありがとうございました
このホームはとロッコにそのまま転用することができればいいのですが
ホーム上に売店・自動販売機等の設置により、サービス向上が図ることができるのですが
写真で見る限りは信号設備等はそのまま架線もそのままで
ホームは・・・・高崎駅のホームにアルキオスクのような感じで設置できそうな広さはあるように感じられます
問題は、変電所の設備についてはノーコメントします(よくわからないのですみません)
う〜ん
2006年 03月 04日 06時 57分 15秒 |
熊ノ平構内の線路配置の図面は、アプト式旧線時代、新線時代ともに書籍・雑誌などで公表されていますので、そちらもご参照ください。
しつこいようですが、現地は立入禁止ですのでご理解ください。
写真公開しているホームページが依然として散見されますが、廃線後に現地取材ならびに画像公開を許可されているホームページは極めて限られています(私が知る範囲では、JR東関連以外では2つだけだったかと。それ以外は全て不法侵入の結果であり、画像公開について関係部署から注意を受けているところが複数あるはずです)。
う〜ん
2006年 03月 04日 06時 50分 26秒 |
>快速川越逝きさん
確かに熊ノ平信号場構内の軽井沢寄りに片渡り線が一箇所ありますが、あのポイントは列車交換用ではなく、保線車両用もしくは非常用に使用されていたものです(後者での使用例は未確認です)。ポイント位置ならびに開通方向から、あの渡り線を使用するためには、軽井沢方向へ列車後退(急勾配区間・トンネル内まで)させる必要があります(アプト式旧線時代の突っ込み線みたいな形ですね)。上り線の横川寄りには保線用車両の引き込み線がありますが、そのポイントは乗り越え式になっています。
またホーム状に見える場所は、アプト式旧線時代の駅の名残です。ですから相対式ホーム云々というよりは、信号場構内が複線であり軽井沢寄りに片渡り線が一箇所設けられていると表現するほうがよろしいかと思います。
熊ノ平駅が復活した場合、各種音を使っての演出は是非やって欲しいものですね。
匿名
2006年 03月 03日 02時 58分 37秒 |
埼玉(最寄り駅は大宮駅)の碓氷峠大好きなドライブ男です。
電車も大好きで・・・碓氷越えは電車でも大事なアイテムと信じています。
暖かくなったら、また碓氷周辺にお邪魔していることでしょう。
板汚し失礼しました。
快速川越逝き (追伸)
2006年 03月 02日 18時 14分 13秒 |
トロッコが熊ノ平駅まで運行されたらの話しですが
発車ベルを同駅にも導入しリアクションとして確認のホイッスルを吹くのはいかがでしょうか?
私としては、いいと思うのですが
快速川越逝き
2006年 03月 02日 18時 11分 50秒 |
う〜んさん
ありがとうございます
それと、熊ノ平駅の件ですが過去に立ち入り禁止になる以前の写真を見ると
相対式ホーム2面2線で交換設備等があったようです。
それと私からもウザイかもしれませんがくれぐれも熊ノ平駅には行かないでください
いつか、公開される日まで待っていてください
う〜ん
2006年 03月 02日 13時 54分 32秒 |
>TKさん
新線については除草だけでなく維持管理も行われているそうです。
アプト式旧線10号トンネルの熊ノ平側出口は仰る通り、入り口の下半分近くが埋められています。これは新線複線化完了後、アプト式旧線施設を撤去し付近を整地した際に埋めたものだそうです。このトンネルの出口付近は急勾配区間にあり、熊ノ平構内と高低差があるのでその分を埋めたわけです。ただ、出口付近のごく一部が埋められているだけです。(昨年、あるTVドラマで熊ノ平構内と同トンネルが使われた・・・もちろん松井田町・財団公認、監修の元で・・・のですが、俳優たちが容易に出入りしてました)ですから、出口の発掘そのものは容易でしょう。ただ、めがね橋−熊ノ平間には長大トンネル(遊歩道開通区間と比較しての話ですが)が複数あって、崩落危険箇所の補修は結構大変かと思われます。
#ちなみに、遊歩道開通区間のトンネルも、相当区間で補修が行われています。中には鉄骨とコンクリで内壁を補強している箇所もありますしね。
#煉瓦を抜き取って持ち去る人がいるので、その対策も必要です。
この掲示板は、松井田町関係者・文化むらの方たちもご覧になっているはずです。この掲示板そのものも現地の方が主催管理されておられますし。
ですから、現実性がある良い案であれば、参考にしていただける可能性はあると思います。
>快速川越逝きさん
DD51のトロッコ充当の件ですが、TKさんが書かれたとおりだと思います。
単機での実験走行的な方法でもDD51の粘着性能からみると厳しいでしょう。
>みなさん
話題が出たので念のため(現地を見に行こうと勘違いしてしまう人が出ないように)。めがね橋から熊ノ平構内までのアプト式旧線跡、新線で遊歩道「アプトの道」として公開されている上り線一部を除く上下線全区間、熊ノ平構内は立入禁止です。鉄道文化財保護、危険防止の観点がまずありますが、将来の活用(鉄路復活も含め)のための現状保存の意味合いもあります。
私が書くのもなんですが、碓氷ファンの一人として、立入禁止の意味をご理解いただきたく思います。
快速川越逝き (訂正箇所)
2006年 03月 02日 12時 12分 32秒 |
券ー件
快速川越逝き
2006年 03月 02日 12時 11分 32秒 |
TKさん
DD51の券はありがとうございました
もしかしたらと思い質問しました
売店の件ですが私は、資金が無いのでアイディアを出すことくらいしかできませんが
売るとしたらどんなものがいいでしょうか?
私の私案は
・オリジナルの熊野平駅の記念切符(秩父鉄道等で販売している金の切符)
・クマの置物(背中等に碓氷峠と書いてあるもの)
・たこ焼き・お好み焼き屋などの屋台
・オープン喫茶店
・EF63の置物(Nゲージサイズで)
・自動販売機
・NゲージEF63やあさまの模型
など考えてみましたが何か他にいい案は無いでしょうか?
TK
2006年 03月 01日 23時 00分 09秒 |
>快速川越逝きさん
熊ノ平の売店案もよいと思います。ここの掲示板で話されていることが実際行動に移されたら結構いい売り上げになると思うのですが・・・。
DD51の件ですが、まず熊ノ平までいくとしたら急勾配を登ることができないでしょう。普通の機関車・列車で登板が不可能だから、EF63という超重量級のELが作られたのです。多分単機でも登るのは厳しいのではないでしょうか。
快速川越逝き
2006年 03月 01日 22時 15分 41秒 |
う〜んさん
詳しいご説明ありがとうございます
熊野平まで行くのに結構ハードルがありますね
他のサイトで見た情報では名前の通り熊が出るとか
熊野平駅の休憩や売店ができれば活気が出るでしょう
質問ですがJR貨物等で使用されているDD51等をトロッコに使用することは可能でしょうか?
TK
2006年 03月 01日 21時 27分 16秒 |
う〜んさん
勘違いしていました。すみません。川を越えてから下り線と交差(アンダーパス)ですね。訂正ありがとうございました。
トロッコ運行ですが、現時点ではDL・DC運転が適当だと思います。電化費用が出せるかの問題が大きいと思いますので・・・。遊歩道がない区間は複線の使用がいいと思います。除草用トロッコが普通に運行できるということは、アプト区間のようにトンネル崩落の恐れもないでしょう。たかが9年前に廃止になった路線ですから、その心配はないと思います。維持などしていないのでもしかしたら危険区間があるのかもしれませんが・・・。
熊ノ平はアプト線区間もつながりますから(確かそうでしたよね・・・)、よい駅になると思います。横川から熊ノ平まで歩いて、帰りはトロッコで帰るということもできますので。ただ熊ノ平のアプト区間の横川方トンネル、確か半分くらい埋まっていた記憶があります。ここの掘り出し費用やトンネル崩落の恐れのある区間の補修などがやはり大変なのでしょう。
う〜んさんは各方面の人とのつながりが多いようですね。う〜んさんの意見というのは関係者に伝えているようで、ここの掲示板の案も関係者や、文化村ボランティアのときなどに話をしたら、現実へ向けて動いてくれそうな感じもします。う〜んさんの情報網などに驚きます・・・。
う〜ん
2006年 03月 01日 20時 59分 07秒 |
「アプトの道」の現在ルート説明わかりにくかったかも。もう一度書きます。
横川駅−旧中山道踏切跡付近=EF63運転線(旧上り線)の北側沿い
旧中山道踏切跡−峠の湯=旧上り線・・・丸山変電所前から霧積川橋梁を経て急勾配区間に入る区間ずっと。
峠の湯横=旧上り線から下りる小道→下り線の下をくぐる→峠の湯駅裏へ登る
峠の湯駅裏−めがね橋=アプト式旧線跡
となっています。
めがね橋から熊ノ平構内までアプト式旧線跡は全区間残っているのですが、この区間には長大トンネルが複数存在していてトンネル内崩落の可能性もあるとかで、現時点では遊歩道化実現のめどがたっていないそうです。
う〜ん
2006年 03月 01日 20時 48分 12秒 |
>TKさん
遊歩道「アプトの道」ですが、霧積川の先も開通済です(横川−峠の湯付近は一気に開通しています)。文化むら西端から「峠の湯」まで上り線を使っています。当然、丸山から先も同様で、霧積川は上り線を使って超え、そのまま峠の湯裏手まで急勾配区間を登り、下り線の下をくぐって(小規模なアンダーパス)「峠の湯」駅横へ出て旧線アプト跡区間に接続する形です。
EF63運転体験とシェルパくんダイヤは、実際バッティングぎみだそうです。EF63運転体験の時間的余裕が少なくなっているとか。
>快速川越逝きさん
熊ノ平構内は立入禁止ですので部外者が実際に確認することはできません。関係者から聞いた話では、線路などは他区間と同じく廃線時のまま残っていますし、モーターカーを使っての除草&点検は年何回か実施されていますので、鉄道車両が通行可能な状態であることは間違いありません。
熊ノ平変電所については、変電装置がJRにより撤去済だそうです。これについてはJRが工事告知を出してましたし、関係者の話からも間違いなおところでしょう。ですから建物は残っているけれども変電所としての機能は完全に失われているということです。
線路、変電所建物以外に目に見える施設というものはもともとないので、そんなところでしょうか。
さて、シェルパくん式のDLないしDC運転であれば電力関係施設の再建が不要なので、電気関係の大規模工事は不要でしょう。
必要だとすればポイントの増設、ホームの整備でしょうか。ホームはアプト時代の土台が残ってはいますが高さが低いので、なんらかの対処が必要ですね。車両側にステップをつける手もありますが、バリアフリーの観点からは他駅と同様、シャルパくんに合わせたホーム建設が必要でしょう。
従って、非電化でシェルパくん規模の列車交換を行うということであれば、大規模工事は不要なのではないかと思います。(大規模の定義にもよりますが、とりあえず億単位の費用がかかるか否かぐらいの大雑把なイメージで)
熊ノ平構内に限らず、列車交換するとなれば、閉塞管理ならびに信号関係をどうするかという問題はありますが、これについては各種方法が考えられますので、必ずしも信号関係設備の再建などが必要となるわけではありません。
熊ノ平の件で検討したらいいなと思われるのは、
・駅構内の整備・・・アプト時代駅舎を復元して休憩施設兼用とするとか、玉屋さんの力餅の販売を可能とするとか(駅前には昔の玉屋さんの遺構があるはずです)
・駅周辺の整備・・・旧中山道へつながる山道の再整備、18号旧道とのアクセス(整備用トンネルを経由するとしても、駐車場などの整備が必要でしょう。あるいはC80付近から登る本来?の駅前通り・・・スイッチバックの山道ですが・・・を整備するとか)
・「アプトの道」との接続・・・「めがね橋」から熊ノ平までアプト式旧線跡の遊歩道整備ですね。費用面ではこれが一番大変でしょう。金額の点で上記に述べた大規模になるのは間違いないところ。
快速川越逝き
2006年 03月 01日 19時 44分 03秒 |
う〜んさん
現在も熊野平駅の施設は、使用可能なのでしょうか?
それとも、簡単な工事または大規模な工事が必要なのでしょうか?
TK
2006年 03月 01日 17時 54分 06秒 |
う〜んさん、遊歩道は現在霧積川橋梁までで、そこから峠の湯へ向かい、アプト路線でめがね橋までではないですか?
またまた説明不足ですが、遊歩道は最低限の移設でこれ以上本線を使用して延長するつもりではないです。頭の中では・・・ですが。
丸山で列車交換はよいアイデアだと思います。EF63の体験運転に支障が出ないように工夫して、シェルパくんが増発できるといいと思います。
なんにせよ、確かに交換場所は作らないといけないと思います。私も熊の平で交換がいいと思います。
う〜ん
2006年 03月 01日 15時 06分 03秒 |
シェルパくん2号は、今後増備されることが予想される新編成(DL牽引か、DCかいずれかになるのかも?)です。
安全性優先で考えれば、中途半端な列車交換施設を何箇所か新設するよりも、アプト時代のように熊ノ平で交換することにしたほうがいいのかも知れません。問題は、輸送力ですね。現在のシェルパくんは定員108名ですから。
いずれにしても、次ステップ以降の話ではありますが。
とりあえず22日から運転再開されるシェルパくんをより盛況にする方法を考えてみたいものです。(昨年実績でも大人気でしたが、列車増発が常態化するほど盛り上げていきたいもの。そうすれば車両増備や軽井沢までの運転延長、さらにEF63運転体験区間延長などの後押しになるでしょうから)
う〜ん
2006年 03月 01日 14時 54分 52秒 |
>TKさん
なるほど。丸山から先の話ですか。確かに上下線との間にスペースはできますが、霧積川(遊歩道用の橋を建設する前提で)を超えた先は上下線の間隔が狭まる上に、上下線の高低差が大きくなり斜面上に道を作ることになりますよね。そのあたりが悩ましい問題かと思います。
私も少し説明が足りなかったかも。
私が横川(文化むら)−丸山間の上下線利用を考える時のイメージは以下です。
当面のスパンで上下線利用・複線運転ということを考えた場合、EF63運転体験の丸山までの延長(600V)まで視野に入れたとして
まずは横川(文化むらないし旧中山道踏切跡付近)−丸山間を利用区間とし、
・シェルパくんとEF63運転体験を完全分離する(運転体験の出発地点の変更も含め)。シェルパくんは旧下り線、EF63は旧上り線。
・丸山付近にポイントを2箇所新設し、上下線で交換可能とする。
・繁忙期は、シェルパくん2号?を上記運転体験線(旧上り線)を経由するか、丸山の退避でへ入れてシェルパくんと交換可能とする。
これにより、シェルパくんの増発を可能とするとともに、EF63運転体験ダイヤとの調整を軽減し、安全性を確保しながら双方の需要に応える。
以上のようなことです。
丸山から軽井沢寄りは電力確保は安全性の問題があるので、EF63の乗り入れは想定していません。「シェルパくん」については、軽井沢まで開通した段階でもとりあえずは下り線1本使っての運行が現実的かなとは思っています。ただ、熊ノ平は当然として、途中何箇所か列車交換可能な場所があればいいとは思います。といっても、連続片勾配区間ですから、熊ノ平以外で列車交換可能な場所を選定するのは困難かと・・・と考えていけば、上下線使うのがいいということになるわけですが。
TK
2006年 03月 01日 13時 21分 38秒 |
う〜んさん
「文化むら−丸山間の上下線利用の件ですが。上り線を利用している遊歩道「アプトの道」の問題は確かにあります。あの区間の上下線の間に歩道を作るのはさすがに・・・。」
とのことですが、私の説明不足で、私は丸山より先の急勾配区間のことを指しています。あの急勾配区間なら上下線内にスペースがあるので遊歩道の移設は可能ではないかということです。説明不足で申し訳ありません・・・。
横川〜丸山間はう〜んさんのおっしゃるとおり、もし上下線を使用するのであれば、遊歩道は作業用道路の方へ移設ということでもよいと思います。
う〜ん
2006年 03月 01日 11時 56分 09秒 |
丸山に至る作業用通路を「アプトの道」に転用する案で、一番大事なことを書き忘れました。
それは、現在も農業地へ向かう農作業車が利用していることです。つまり、完全遊歩道化ができないということ。他に迂回地がありませんので、そうなると歩行者・農作業車兼用ということになります。こういう利用法が果たして可能なのか、安全性をどう確保するのかが最大の課題かも知れません。
なお、この作業用通路への車乗り入れは制限されています。進入可能なのは原則として、JRと町の作業車ならびに許可をうけた農作業車だけだったかと。(廃線前は丸山変電所前ないし途中の退避スペースまで車を乗り入れていたファンやマスコミ・撮影隊もいましたが)
う〜ん
2006年 03月 01日 11時 45分 36秒 |
>快速川越逝きさん
>TKさん
横川駅旧4番からの発車、実現すれば文字通りの復活となるわけで・・・。
というのは、文化むら前の道路(国道18号から町内県道に入る)横断で踏切設置が必要となるのですが、そうなると鉄道としての認可が必要となるからです。
つまり、 最大の障害は駐車場ではなく、道路横断ということでしょうか。
ただ列車本数が限られるので、道路側ではなく線路側に踏切もしくは信号を設置する方法も可能かとは思います。
駐車場の方は柵を設けて線路と分離することは可能かと思いますが。JRバスの停留所の移動が必要となるかも知れませんね。
分離してしまえば舗装は不要で、誰がみても線路になりますよね。
もう一つの問題は、文化むら入園との兼ね合いでしょうか。現状だと入園しないと乗車できない仕組になっていますから。入園せず乗車だけという形の客が万が一増えたとすれば(団体観光客の場合は文化むら入園セットが多いでしょうから杞憂かも知れませんが)、運行を支える財団の収入減に直結してしまうわけで。4番発車実現時、横川駅で販売するであろうトロッコ乗車券が文化むら入園券とセット(つまり現行と同じ料金総額)ということになれば問題ないのですが。
>TKさん
軽井沢駅舎記念館の入場料は大人200円小人100円です。展示規模・内容からすれば高くもなく安くもなくという感じでしょうかね。一般には小さな資料展示室+機関車展示という印象でしょうから。(・・・残念ながら人気スポットには遠い現状かとは思いますが)
日頃のメンテナンスとかはボランティア組織をうまく作ってやるのが現実的なのかも。幸い?にして展示車両が2両(とりあえずモーターカーとマルタイは先送りにして?)ですから、少人数でもなんとかなりそうです。
(財政状態良好な軽井沢町ですから、町でもっとちゃんとやってよなんてことは言いませんがね。さすがの軽井沢町の最近衰退傾向が表面化してきているようですし)
文化むら−丸山間の上下線利用の件ですが。上り線を利用している遊歩道「アプトの道」の問題は確かにあります。あの区間の上下線の間に歩道を作るのはさすがに・・・。
実はあの区間、下り線の渓谷側に作業用通路があります。JRの保線作業員や保線用小型自動車、丸山付近にある農業地へむかう農作業車が使用していたもの。道幅は「アプトの道」ぐらいはありますし、線路とは完全分離されていますから安全性も大丈夫でしょう。今設置されている柵をまるごと移設してしまえば安全対策上は完璧ですね。
丸山手前の踏切は遮断機設置の上で動作させる必要が出てきますが、踏切を渡って旧丸山変電所前に至る作業通路に入り、トロッコ「まるやま駅」へ行くか、そのまま「アプトの道」へ入り坂本方面へ歩くかの選択が可能です。
丸山から先(軽井沢寄り)は急勾配区間に入るので、EF63運転をするという意味での複線化の場合、電力確保や安全性の点でより課題が大きくなります。また、霧積川を渡らなければなりませんから、丸山まできた「アプトの道」の先をどうするか(橋も含め、新たに造成しなければならない)ということもでてくるでしょう。
>さくらこさん
どうもです。お騒がせしてすいませんでした。今後ともよろしくです。
私はさすがに月一で現地に行くことができませんので、最新状況ルポよろしくです。ブログのほうは毎回興味をもってROMさせていただいております。
11号機と12号機、外見はそうとう残念な状態になっていましたが、幸いにして雨漏りがほとんどなかったそうですよね。さすがは国鉄時代設計の最重量級機関車、頑丈という点では素晴らしいものがあったということでしょうか。いずれにせよ、思ったよりも早く走行可能となったのは嬉しい限りです。再塗装された美しい姿で動態運転・体験運転に充当される日が楽しみですね。
さくらこ
2006年 03月 01日 02時 32分 04秒 |
ご無沙汰しております(^^ゞ
しばらくはだいぶ荒れていたようですが、ようやく正常運転に戻られたようで、嬉しく思っています(^^)
新しく加わっていらっしゃる方も増えているようですので。またCMを…(^◇^;)
わたしは月1ペースでロクサンの体験運転をしに行っています。
その模様を(ホントに月1ですが)ルポしてブログに載せております。
運転中のやりとり以外にも、新しく横川駅から引っ越してきた車両達の動向もできるだけ書いて行きたいと思っています。
お時間がございましたら、どうぞお立ち寄りください(^-^)/
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurako11031103
TK
2006年 03月 01日 00時 09分 33秒 |
う〜んさん、軽井沢のEF63移動は確かに厳しいですね。記念館の入館料が確か¥100とかだった記憶があります。この価格で維持ができるのか不安もあります・・・。
丸山付近まで遊歩道になっていますが、もし上下線を使うのであればここはどうなるのか、ということも疑問になります。せっかく柵まで作ったのだから、せめてトロッコの丸山駅まで残してそこから遊歩道の舗装ははがして、ポイントなどで線路をつなげ、複線にするのもありかと思います。遊歩道は上下線の間に新規製作とか・・・。
なんにせよ課題はたくさんありますね。まずは集客で資金を集めねばというところでしょうか。
快速川越逝きさん、現状では4番線が寂しいですよね。あさま編成も保存のはずが結局解体ですから・・・。トロッコ4番線発もいいかと思います。
ただそうすると、駐車場を横切るので少々危険かと思います。その点では以前からもしものときのために駐車場は作らないほうがいい、と思っていました。いざというとき、横川駅を使用する場合は不都合ですからね・・・。踏み切り同様立体化するのは無謀かと思います。
個人的には駐車場は線路を完全に塞ぐ現在の形でなく、線路を線路のまま残して、踏み切り(遮断機などはいりませんが)で駐車場同士をとつなぐという形のほうがよかったと思っています。線路は緊急時使用するものでなく、線路として舗装しないまま残しておいたほうが・・・ということです。わかりにくい説明ですみません。
快速川越逝き
2006年 02月 28日 23時 33分 16秒 |
う〜んさん
ありがとうございました
それと、演出で思ったのですが
トロッコを横川駅の4番線から発車なんてどうでしょうか?
もちろん発車には横川駅のブザーで発車とか
う〜ん
2006年 02月 28日 17時 15分 14秒 |
>快速川越逝きさん
「あさま」はTc+Mが2両残っただけです。文化むら内には500番台Tcが1両ありますが、残念ながらMユニットが組めないので文化むら内の189だけでは動態復元ができないわけです。「あさま」Tc+Mについては静態保存されると聞いています。
>TKさん
軽井沢の2号機、確かに残念な状態になってきていますね。軽井沢の気候を考えると屋根付でないと維持が難しいということですね。
横川まで回送するのは難しいでしょうし、せっかく軽井沢駅舎記念館を作りそこのメイン展示物としたわけですから、常に美しい状態での保存を目指して欲しいものです。
ちなみに10000型のほうも埃が目立っていて、せっかく屋根付展示になっているのにとは思います。清掃程度ならばボランティアを組織してやればいいのになとも・・・。
#実は、文化むらファンクラブの清掃ボランティア的な話を記念館職員の方に話したことはあります。その後、どうなっているのかはわかりませんが。
保存という点では、長野の15号機19号機、EF62−3も気になります。実際問題、保存というよりは留置なんだと思うのですが(レストランでの展示構想など、所有関係がどうなっているのかもわかりませんし・・・)。
トロッコ「シェルパくん」の延伸については計画が進められているようですよ。一気に軽井沢まで延伸できるのか、車両はどうするのかなど検討すべき課題もあると思いますが。
EF63の丸山までの運転体験延長については文化むらに要望が上がっているようです。ただ現時点では電力確保の問題がネックで、具体化はしていないそうです。
1500V昇圧についても同様。送変電施設の件もありますし、何よりもどこから電力供給をうけるか(実際問題として東京電力になるそうですが)、その際の電力使用料金負担などハードルが高いそうです。
ただ、丸山まで上下線を使うなどして、運転体験とトロッコを分離する方法は、ダイヤ緩和・安全性確保の点から有利かと思いますし、途中でトロッコとEF63がすれ違うもしくは並行して走るような演出があれば人気が出ると思います。
EF63が丸山まで(600V運転前提として)走るとして、トロッコ牽引すれば人気が出るというのは同感です。(もちろん運転体験ではありません)
トロッコの活性化。何度か乗って感じたのですが、もう少し演出を徹底してもよいのかなとは感じています。例えば発車合図、車掌・運転士・職員の方の動き。制服が園内職員と同じというのは仕方ないにしても、実際の鉄道に準じたような指差点呼とか大袈裟にやると面白いと思うのですね。車掌と運転士が前方安全確認を無線でやりとりするなんていうのも、実際は不要なんでしょうけれども、演出としてやるのはいかがでしょう。
文化むら駅では、往年の横川駅の音(ホームアナウンスとか、EF63のホイッスルとか)を流してもいいかなと。(BGM音の活用という点では、車両展示場も同様かと思います)
また、これも今の運転方法ならば不要でしょうが、出発信号ぐらいはあってもいいかなと。これがあれば、車掌の点呼&無線連絡演出の臨場感も出ますしね。
TK
2006年 02月 28日 15時 49分 03秒 |
桐生市民さん、この話の流れ的に、私が嫌いだというのではなく、見るからにおかしな行動をしているわけです。そこが前から気になっていたわけで・・・。
こう書いても返事もらえないと思いますが。揚げ足取れるところだけ話に賛成しないようにしていただきたいもので・・・。
まあこの話はう〜んさんのおっしゃるとおり、ここで終わりにしましょう。
う〜んさまが情報提供してくださった話をしていきます。
EF63の動態保存ですが、部品の調達がまだできることにうれしさを感じます。これで近いうちにEF63の4機がそろいますね。後は軽井沢のEF63-2をどうにかしてやりたいです。レールのあるうちに、横川まで持ってきて、体験運転なり、保存なりしてほしいです。
現在資料館の保有になっているのかもしれませんが、あれは保存とはいいがたいです・・・。
体験運転にEF63-11・12が復活なら、24・25号機は茶色のままでもよかったのかもしれませんね。2色見れてなお楽しいです。
トロッコの活性化はまず線路を延ばすといいと思います。峠の湯以外にもめがね橋や、熊の平(設備の老朽化が問題ですが・・・。変電所なんか大変なことになっているのでは?)まで延長すれば少しは集客が期待できると思います。
本線を使用するなら、一度はやってもらいたいEF63の運転ですね。1500Vまで電圧を上げなくてはいけないので、難しいかもしれませんが、下り線はトロッコ、上り線は体験運転、みたいな使用方法もあるかと思います。丸山までは上り線の使用ができませんが・・・。
EF63が走れる環境になったら、トロッコをEF63で牽引するとかいうのもいいかと思います。
個人的な頭の中の妄想ですみません・・・。でもできないこともないと思いますが、どうでしょうか。
湘南準急(解体済み)
2006年 02月 28日 14時 15分 12秒 |
本当にこれで最後。
追記です。
「 私もまた誤解したことがあり、その点もまた申し訳ないと思います。」
を、4行目あたりに挿入しておいてください。
湘南準急(解体済み)
2006年 02月 28日 14時 04分 51秒 |
↓時間がかかったため、変な位置にきてしまいました。すみません。
快速川越逝き (訂正箇所)
2006年 02月 28日 14時 03分 26秒 |
胴体ー動態でした
すみません
湘南準急(解体済み)
2006年 02月 28日 14時 02分 58秒 |
どこかに誤解があったのかもしれません。
それは言葉でやりとりする限り、仕方ないことかもしれません。
そして、誤解を招く表現をした私にも非があり、その点は申し訳ないと思います。
しかし、↓これは「誤解」では済まされません。
>「#あなたが陰で何をやっているかというのもそろそろばれているんですが、まぁそれはよしとしましょう。」
475系「くずりゅう」の件は「単なる間違い」でしょう。
間違いは誰にでもあることだから、それはいいでしょう。
その後の議論はボタンの掛け違いだと思います。
しかし、これはガセネタ、いやそれどころか悪質な誹謗中傷以外の何物でもない。
私はここ以外で、ここのいかなる方に対する批判もしたことはありません。
「2ちゃん○る」は閲覧こそしますが書き込みはしたことはありません。
(閲覧していることはここで公言済みだから「陰で」ではないですよね)
私の言葉の誤解で導かれうる批判(「つまり私がデマを流したと批判したいわけです。」とか)は、ある意味仕方ない(誤解される書き方をした私にも非がある)とは思いますが、「何かやっている」ということは誤解とかなんとかの問題じゃないでしょう。
まぁ、もうどうでもいいですけど。
>Esslingen3900さん
お気遣いありがとうございます。
私の退去は個人的事情によるものですので、ご心配なさらぬよう。
快速川越逝き
2006年 02月 28日 14時 02分 38秒 |
う〜んさん
しかし、すごいですね静態保存されていた電気機関車を胴体にできるなんて
あさまは・・・もう・・・復元はできないんですかね?
う〜ん
2006年 02月 28日 13時 27分 07秒 |
>みなさん
とにかく、もうやめましょう。「去る気になる理由」とかあるいは「書かない理由」を詮索していても仕方ありません。
#私に対するご批判を否定するわけではありません。ご批判を封じるつもりも逃げるつもりも全くありませんが、出口の見えない方向へ自ら追い込むよりももっと前向きに考えてくださいということ。誰が悪いとかあげつらうよりも、この掲示板のテーマに沿って書くべきことをどんどん書いて欲しいということです。
ということで、本線復帰の提案を再度コピペします。
*
文化むら入りしたEF63の11号機と12号機、動態復元のめどがついたようです。走行可能が確認され、あとは細かい部分の点検修理が残っているとか。
こうなると車体の再塗装が一番大変ということなんでしょうか。これについては24号機25号機で実績がありますので、恐らく大丈夫でしょう。
動態復元完了、運転体験充当がいつになるのかは公表されていませんが、それほど遠い日の話ではないように思います。
トロッコ列車「シェルパくん」の運転再開は予定通り3月22日だそうです。試運転も行われました。
「シェルパくん」がさらに盛況になるためのアイデアありませんか?
う〜ん
2006年 02月 28日 13時 10分 22秒 |
もう一つ。
「熱心に書き込んでいた常連さんが、何人も「ここを去る気」になってしまう」
ですが、本当にそうなんですか?確かにこの掲示板の長い歴史の中で多くの人が出入りしました。その中で、プライベートな理由ではなくこの掲示板あるいは特定人物への不満を理由にして去った方ってどれぐらいいましたか。そのように宣言した人という意味ですが。
何も言わずに自然にいなくなった人の理由なんて推測しようもないですよね?
あるいは、常連さんの一人であるEsslingen3900さん自身が「去る気」になっているということなんでしょうか。
(繰り返しますが、湘南準急さんの引退理由は全くのプライベート事情でネット接続できなくなるとかいうことだったわけで)
議論の当事者が直後にいなくなったケース(ただそれは常連同士の議論ではなく、突然登場した新顔さんの「問題提起?」をめぐってのそれでしたよね)はありましたが、当時のログを確認されればおわかりでしょうけれども、去った理由を「考えさせられる」かどうかは疑問が残るところです。
私の見るところ、去った常連さんよりも、今も残る常連さんのほうが多いように思います。確かに年を経るにつけ、例えば廃線から文化むらオープン前後までの活気は薄れてきてはいますが、その理由が掲示板の雰囲気とか特定人物(要するに私ですよね?あなたの仰りたいのは?)の言動にあるのかどうかです。
碓氷峠に詳しくない人が(例えば廃線後にファンになった人とか)書きにくいというのはあるかも知れません。ただ、ここみたいにテーマがはっきりした掲示板の場合、とくに意見交換・議論系の場合に、それはある程度やむを得ないことでしょう。
常連の一人として、気をつけるべき点は気をつけますし、最近の一連の騒動(今回の件も、それによって発生した私への個人的怨恨がベースにあると判断しています)で反省すべき点はあったと思っています。
ですが、何かあると私が悪いみたいな魔女狩り的風潮があるとすれば良くありません。私の言動が、「ここを去る気にさせる」というご批判であれば、そのようにはっきり書いて欲しいですが、事実の検証抜きのムード的批判の傾向があるとすれば危険です。
#そういうので私を追い出したとしても、後の雰囲気が改善されることはないでしょうから。
こういう問題でいつまでも出口の見えない消耗戦を続けていても良くないと思い、話題の本線復帰を試みたのですが・・・。
はてどうしたものか。
う〜ん
2006年 02月 28日 12時 47分 16秒 |
>Esslingen3900さん
もうやめませんか。何度目かの正直で当事者の片方は去られるわけですし。
それに、今回のご引退は管理人さんの言葉の引用とは全く無関係でしょう。ご本人は全くのプライベートの事情で引退なさるとずっと前(半年前?)から表明されていたわけです。
にもかかわらず「どうして熱心に書き込んでいた常連さんが、何人も「ここを去る気」になってしまうのか考えさせられます。」と書かれてしまうと、話が全然違う方向にいってしまうなと思いますよ。
というか、今回のケース私が悪いと仰りたいわけ?
#申し訳ないですが、私のほうが去りたいですよ。謝罪しているのに延々と追及され、悪者扱い。挙句がデマとばしたといわんばかりの非難ですからね。まったく冗談じゃない!だいたい今回の件は私がはじめたわけではありません。