2014/08/22
 
 
 
 
 
あのときを嘆いてみても・・・
 ああすれば善かったこうすれば善かった、後になって気づかされたときには違った道を
探さねばならなくなっていると言うこと多々あることに気づかされていったのは、
2009年正月過ぎ伯父と伯母により天国から伯父の孫のことを伝えてきたときから色々
気づかされる事になった、まさか身内が亡くなった後生まれ変わりのための所を探すべく
地上に残された身内の心(魂)を観て居るとは思っても居ないことだった。
 人それぞれに違う才能のあることに気づかないことが自分だけ自分だけになって
自分にないモノを他の誰かに見つけたとき、無い物ねだりのようなことを考える。
 其れよりも、自分には何ができるのかを見つけるように考えた方が
人を恨み妬みそねむこともないのではと気づかされていった。
 死んでから気づいたのでは心残りが大きくなるばかりでいい結果には成らない。
 其れは伯母の伝える「天国にあそびにきても善いけれど心残りを無くしていらっしゃい」
に込められていた、この天国に遊びに行くの意味は「昇天と下天」のことでもある。
 亡くなった後生まれ変わりのための命の誕生を臨む、男女の別が解ってどんな子か
ある程度解って、自分のやり残したことを後世で叶えることができるように「リセット」
の仕方にあるのではと気づかされ、此所まで気づくのに五年の歳月がかかったと言うこと、
伯父の孫の行動にある種の疑問を感じさせられながらのことでもあった。
 それにしても長い事誰も知ることになかった「天国の真実」を孫を気にしながら伯父は
気づいていった、孫が関われそうな身内を観て居て気づいていったという。
 亡くなった身内の魂と交信のできることに気づいたのは伯父の孫の父親の病死が
きっかけだったようで、唐突に家出をして何の連絡もしなければ心配の成る・・・。
 伯母のお膳立てにより私は伯母の所に度々行くことになっていたことなのだ
(これも後になって気づかされた)どうやって知り得たのか息子が仕事先に選んだ
レストラン、名を偽り親戚と言うことも臭わさず変な近づきかた(間違いの始まり)
 津島・自転車屋・等のことを言わずに(頭)こうべと言うから神戸を考えた。
 頭を垂れろと祖父ちゃんである伯父の言葉の意味に気づかなかった?・・・。
 突然親などが事故などで亡くなった時の悲しみは如何ばかりか、同情とは違う
身につまされる、もしも自分のことだったらと考えるとやはり気になる。
 其れは誰しも同じ気持ちであろう、とはいえ其れを嫌ってもどうにも成らない。
 嫌って何故か「相当の天の邪鬼」を感じさせる・・・やることなすこと何故かあべこべ
逆をやって、ますます可笑しくして十数年私の前にはまともに姿は見せていない。
 どんなことがあっても素直でなければならぬ。