活動報告

2006年8月28日〜30日

友好都市韓国坡州市親善訪問レポート

 

 2006年8月28日午前8時秦野市役所を坡州市親善訪問団27名の一行、天候は曇りであったが元気よく出発、羽田までの交通事情は渋滞も無く予定より早めに羽田空港に到着。12時10分アシアナ航空にて金浦空港にむけ出発無事1430分着陸。

迎えの専用車にて坡州市に向かうが市庁舎訪問の時間調整もかねて途中臨津閣に立ち寄る、私は二度目ですが前回とは光景が全く違っていた(昨年観光客用として建物は一新し周辺の整備をしたようで、特に展望台は無かった)臨津閣は1971年の南北共同声明発展直後に開発された韓国の代表的な統一観光地であり、1950年に勃発した朝鮮戦争とその後の民族対立による、南北統一観光地のようです。

17時15分坡州市庁舎に到着、庁舎三階の特別室に案内されて市長は所要ができ、李 副市長歓迎してくれて、約15分坡州市の歴史をビデオで見せていただいた後、副市長より歓迎の挨拶をされ感激をしました、秦野訪問団代表で、岸団長は快く迎えられた坡州市役所の副市長ならびに市職員の方々に丁寧な謝辞を述べていただきました。私が初めて訪問したときは人口8万人と聞いていました、二度目の訪問の時は(二年前)14万人、現在は19万3千人とのこと、昨年20年計画発表では80万人にすると、あまりにも急激な発展にただ唖然とした。秦野市の6倍の土地を有するが、環境問題その他で難問は山積していると思うが、プルン坡州21実践協議会、68団体で各分科会を設置し協議をしていると聞く。

18時30分からLCPのゲストハウスにて、李副市長、坡州市議会議員、協議会メンバー、現地日本人女性、総勢80名参加と地元高校生による郷土踊り美人歌手の歌を披露され、20時30分で閉じる予定を21時30分まで豪華な晩餐会をしていただき恐縮の限りでした。   合掌 アンニョンハセヨ







 二日目、KORIANA HOTEL900分あとにして板門店に向かう、一行を乗せたバスは鉄柵と呼ばれる軍事分界線から2kmずつ離れている世界で唯一の冷戦時代の象徴を横目で見ながら(鉄柵線とは、非武装地帯と民統線地域は韓国戦争の当時、一番多くの血が流されたところで今も武装している南北の若い人々が鉄柵線沿いに向かい合って24時間体制で警備しているところである)軍のバスに乗り換えながら板門店に到着、板門店とは地名で韓国戦争当時UN軍共産軍との休戦会談で由来した当時この場所は居酒屋を含めた4件の茅葺屋根の店があり、1953年停戦協定が締結されてから公式的にUN軍と共産軍が共同管轄する共同警備区域と呼ばれながら韓国と北朝鮮の行政域と呼ばれながら韓国と北朝鮮の行政域に入らない独特な場所であると言われていた、私は二度目の見学であまり緊張感は感じられなかったが、初めての人は説明の中で指差しや後ろを振り向いてはいけない撮影は指示されたところだけとか言われ緊張していた、軍事分界線上の会談所の建物は、3洞はUN軍4洞が北朝鮮で管理していると説明され中央の会談所に入り記念写真を撮り軍部で用意したバスで移動し民間バスで再び坡州市が準備してくれた昼食会場に1320分着、李副市長の挨拶をいただきマッカリで乾杯乾杯乾杯で始まり坡州名産の豆で造った豆腐料理をいただき訪問団一同大喜びだった。1410分再びバスで移動N・F・C(ナショナル・フットボール・センター)韓国代表チームの強化専用施設、天然芝6面、人工芝1面を見学して今年4月にオープンした京畿道英語村を見学、この施設は韓国でありながら本格的な英語学習の拠点となる施設で講師は全て英語圏の外国人で村内は英語以外の言葉は禁止として2箇所目の施設で来年もう1箇所建設予定をしているとの事、次にヘイリへ韓国の壷展示場、キムチを漬ける壷や、青磁、白磁の器見学。次本日最後の視察場所図書館の見学をさせていただき、今日も一日坡州市の李副市長の取り計らいと市職員さんのおかげで充実した視察ができたこと又韓国の歴史文化を学ばせていただいたことに感謝し夕方から少し雨が降ってきたのでバスの中で岸団長の代理で私が随行していただいた市職員さんに対し謝辞を述べさせていただき9月に坡州の方々が来秦されるので私たち訪問団一行の全員が歓迎させていただくことを約束をして分かれた。

 アンニョン ハセヨ、

KOREANA HOTEL1745分着夕食は自由にと言うことで本日の業務は終了。ご親切に感謝します。 チンジョラゲ テヘ ジュショソ カムサハムニダ  合掌

 

 

 

 

三日目、KOUREANA HOTEL  9 チェックアウトし訪問団員一同元気におはようございます アンニョンハセヨ。

団員は何の疲れも見せずバスに乗車し最終の視察「景福宮」キョンボックンの見学1395年、李氏朝鮮の初代王によって創建された最初の王宮で42万uの広大な敷地に釘を一本も使わずに建てられた正殿の勤政殿や48本の石柱に支えられた慶会楼などの見学をして韓国最後の昼食には石焼ビビンバ・チジミ・キムチを満足するほどいただき金浦航空に向かう。

 最後に三日間のG&GPAJU 住み良い(GOOD)都市  偉大な(GREAT)坡州。天然の自然環境、歴史と伝統、先端産業が人間と交わり大韓民国の代表として新しく生まれた坡州市行って良かった、またの機会に行ってみたい坡州市益々の発展を心からお祈りいたします。

金浦航空を1320分フライト羽田空港1720分無事着陸秦野からの迎えのバスで秦野市役所2015分着岸団長の無事帰国の挨拶をいただき解散。

秦野市役所職員(谷屋課長様の羽田まで見送りまた向かえと)三川辰徳様小清水雅之様三日間、我々訪問団の献身的な随行に対して心から感謝を申し上げて閉じさせていただきます。           合掌

 

 

 

 いろいろお世話になりました、心からのご親切に感謝致します。

 ヨロガジロ シンセ マニ チョッマニムニダ  

 チョンジョラゲ テヘ ジュシショソ カムサハムニダ

 

 

                    2006831日 記

            坡州市親善訪問団 監事 福森 登

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