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第1話

●電流はホラー映画?

電流なんて見えるわけがない。しかし、電流のないところに電気は動かない。この当たり前の電流に、いったいどれほど痛い目に遭わされたことか。特に強電の世界では、感電を何回かしてしまい、命を奪われそうになった。高い脚立のてっぺんで感電してしまい、プライヤーを落とすかい、空中で逃げ場もなく、脚立から落ちそうになり、スチールワイヤーを製造している川のような溶鉱炉の中に落ちそうだった。スチールワイヤー製造工場での出来事である。感電した際、つい飛び上がって、脚立がグラリと揺れてしまい、一人での作業だったために、脚立を下で支える者がおらず、本当にあの一瞬は「マズイ」と思った。川のような溶鉱炉という表現は、正確ではないかもしれないが、赤く熱したスチールワイヤーを水で単に冷やしているのではなくて、湯気と蒸気とは別に何か酸のような液体がブクブクと湧いていて、金属を鞣して固くする液体が入った長い炉のようだった。そこに落ちたらぞっとするような身の危険を感じた。スチールワイヤーに身体を巻かれて、人間ウィンナーになるところだった。長い炉の側で水銀灯の交換をしていたのか、灯りの修理作業だったのかよく憶えていないが、36年前の恐怖が今も消えないのはなぜだろう。工場内の空気が悪く靄のように澱んでいたが、そこで働く社員たちはみんな防毒マスクをして作業にあたっていたのに、私は普通のマスクさえしていなかったので、なるだけ早く作業をして外の空気を吸いたくて焦っていたのかもしれない。そのちょっとした焦りが、もしかしたらその危険を呼び込んだのかもしれなかった。焦りは禁物、とはよく言ったものだ。

さて、そんなオドロオドロしい話はともかく、電流がどのくらい走っているのかが見えないから感電もするわけで、感電って奴は本当に身体に不気味な痙攣を起こしてゆくから、実に心臓に悪い。AC100Vの感電も気持ち悪いが、AC200Vの感電だけはただではすまない。身体が吹き飛ばされるか、即刻病院送りの火傷を負う。私の先輩はAC200Vの感電で左腕の皮膚が全部焼けて、1ヶ月間も入院していた。電流は見えない分だけ恐ろしい。だから修理よりも新設工事の方が最も安全な気がしている。AC600Vのキュービクルから埋設してゆく太いケーブルは直径が大体10cmくらいあったと思うが、それを大きなドラムから引っ張り出して、地中に配管埋設してゆく作業は結構な体力勝負だったように覚えている。電流が銅線の導体を流れてゆく姿は決して見ることは出来ないが、ここでオーディオのケーブルに話を転換すれば、ある意味、電流の持つ意味が理解できそうだ。オーディオの世界では、電源ケーブルは別としても、スピーカーケーブルやオーディオケーブルのランクによってずいぶん音が変わってくるから面白い。電流の流れ方によって音質がずいぶん変わるのは紛れもなく事実だ。光ケーブルと比較したこともあるが、光ケーブルは話しにならなかった。電流は電子の流れでもあるので、無抵抗の電子の流れは、音が蓮っ葉になり、情報伝達向きにはなっても、音楽向きにはならない気がしている。ヴァイオリンの演奏は弦を弾きながら出す音であるから、再生する電子の流れもアナログに近い物性構造を流れてゆくほうが馴染みやすい音になるのではないかと憶測している。音楽は超音波を聴いても仕方がない気がしている。電流は見えないがゆえに、電子の流れはそよ風のように感じられるほうがいいなんて、むしろこれでは本末転倒でホラー映画のような理屈なのか。

(2016/12/14)
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●押しボタンスイッチ

押しボタンスイッチといえば、わたしはつい映画『運命のボタン』(2009)や非常停止ボタンなんかを思い出してしまう。キャメロン・ディアス主演の映画『運命のボタン』は痛烈に人生を皮肉ったミステリー映画だったように思うが、人生の運命を決める、そんな押しボタンスッチが本当にあるわけない。映画は映画として楽しく堪能できるが、やはり、わたしには非常停止ボタンのほうがリアルに甦って来てしまう。赤い大きな茸形の丸い非常停止ボタンだ。工場内で食品のグラビア印刷機が10メートル以上の長さで動いているが、もし、どこかの輪転機に不具合が生じて不良印刷が発生してしまったら、すぐに非常停止ボタンを押して、機械の流れを止めなければならないのだ。印刷ミスは経済的損失を蒙るので、なるたけ早く見つけなければならない。ある時は、京友禅の染物印刷機で、同じように10メートル以上の長さで動いているが、こちらの機械も印刷の不具合が見つかれば、後で大変な損失を蒙ってしまう。そんな非常停止ボタンや、また、ある時はエスカレーターの非常停止ボタンである。子供の脚が挟まれば、それこそ大変な大騒ぎになってしまうからだ。非常停止ボタンがちゃんと働くかどうかの点検メンテナンスだ。機械の怖さを知っているので、つい、そういったものをわたしは思い出してしまう。あるいは、工場内の大型クレーンの操作ボタンなんかも思い出す。アップ・ダウン・停止ボタンだ。大きな鉄の鎖が上下しながら大きな鉄のフックが降りて来ると、太いワイヤーで括った重い金属の板なんかを吊り上げて移動させてゆく、あの移動式クレーンを思い起こす。なぜかそんなことばかりが思い出されてしまう。

それに比べて、電子部品の小さいこと。押しボタンスイッチにもモーメンタリーやオルタネイトなどがあり、はねかえりやロック式など種類がたくさんあって、おまけにA接点B接点何回路もとれる端子もあり、種類は豊富だ。あらゆるスイッチにはNO(ノーマルオープン)とNC(ノーマルクローズ)があり、いろんな制御盤回路に利用されている。押せば、何かが変わる機能を身に付けた電気回路・電子回路はどこまでも楽しい。家電のリモコンも、押せば電器が反応する。今では押さなくてもタッチセンサで認識してくれるから、便利な世の中ではある。触れなくても、喋れば反応する電子回路もある。だが、便利ばかりを追求していると、時には人間は失敗するから、あえて指で押してみることもいつの時代も必要であろう。「運命の押しボタン」は身近なところで至るところにひそんでいる。知らぬ間に道から逸れて、想定外の運命を歩いているやも知れぬから、いちど立ち止まって、身のまわりを見渡すのも時にはいいかもしれない。(続く)

文・古川卓也
(2016/11/21)

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