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第2話

●トランスミッション(Transmission)

眼には見えないところで、一つのコアと次なるコアへの連結が細部にわたって精密に連動してゆく。そのなめらかな手応えがたまらない。最初に所有したのが1970年代に製造されてた2ドア白のレビン。もちろん中古車。運転免許取立ての頃でマグネット式の若葉マークを前後にペタリと貼って、あちこちにドライブ。トランスミッションはもちろんマニュアル。このMT各車の時代が何年か続いたが、2200ccのクレスタあたりからオートマチックに。以後、車種は変われど、現在までATにて変わらず。排気量も少しずつ増えて、今は2500cc、セダンV6の車種で走行。排気量が増えると乗り心地もバッチリ。1500ccとは段違いの走行ゆったり感。スピード感よりもゆったりとしたサスペンションを優先。もちろん加速時にも満足。車の能力で命を助けられたことも過去に何度かあり、こちらがいくら真面目に走っていても、自分本位の我がもの顔で無茶苦茶な走行をして来る車もあり、避けるために車間距離があけれるような防衛対処もする。こちらの性能が優位だと相手を上手にかわすことができるので、自分の車は普段から大事にしているのだ。

去年の晩秋頃、大学病院に行く途中で、ひやりとした接近があったが、室内のバックミラーにいつの間にか白い壁がピッタリとくっ付いているではないか。フェンダーミラーとバックミラーでよく見ると、自分の車に1m以内に張り付いていたのだ。時速50キロくらいの走行中にだ。走行車線にも車がいっぱいで、わたしが走っていた追越車線も車がいっぱいの夕方の通勤時間帯での出来事だった。200m先の信号で病院側をいつも右折するので追越車線を走っていたわけだが、わたしの車がよほど邪魔だったのか、おそろしく急いでいたのかもしれない。白い壁は車両の姿が判らないくらいの超大型トラックだった。わたしはあえて少しずつスピードを抑え、前の車との車間距離をあけていった。「ぶつかって来やがれ」と後方トラックに話すや、もちろん相手に聞こえるわけないが、前との車間距離が充分あいたところで、わたしはアクセルを一気に踏んだ。一瞬でそのトラックから30mは離しただろうか。バックミラーに映っていた車両は真っ白い大型コンボイだった。こんな地方の車道になんでコンボイみたいなのがいるんだ?と思いつ、歩車分離信号機の大きな交差点にさしかかったところでわたしは前の車に追いついて、ゆっくりと停車した。すると、怪物のようなコンボイは大きな車体をくねらせて走行車線に移った。走行車線と追越車線を交互に移動させてはイライラしていたのであろう。


◇カーチェイス:1   東京−名古屋間の国道バイパスにて白昼

当時のわたしの愛車はカローラだったような。富士山の五合目まで行った後、帰途のため国道1号線に戻って南下。その日の夕方、国道バイパスらしき早道を走行中、チンピラのようなオジサンにからまれて話しかけられる。何を言っているのか身に覚えがないので、赤信号が青に変わったところで車を発進。やれやれ酔っ払い運転でもしていたのか、飲酒運転は即「免停」だろうに、と思いつつ再びドライブを楽しんでいた。が、さっきの車が後からわたしの車を追い駆けて来た。「な、なに。追越車線で追い抜いてゆけばいいだろうに」とわたしは走行車線を70キロから60キロに減速。何やら「止まれ」と言ってるような。「なんで止まらんとあかへんねん」と疑問符。高架バイパスの速度は60キロ制限なので、通常は10キロほど上げて時速70キロで走るのが慣例。でないと、車の流れに沿えないからだ。わるいことに前後に車は見えず、走行車線をゆっくりと60キロで走っているわたしの車に追越車線で並走して来るイヤな奴が、なんとどこまでもしつこいではないか。よほどわたしが気に入らないのか、へぼいカモにでも見えたのか、わたしはカローラをぶっ飛ばして前方遠くまで走り抜くつもりだったが、道路はすばらしいのに、当時の1500ccカローラはイヤな奴の車に負けて、どこまでもからんで来たのだった。

当時29歳のわたしは警察に助けてほしいと願い、公衆電話BOXを探すも見つからず、再び交差点の赤信号で停車。ドアを開けて後続や前方の車に「誰か何とかして」と声を発するも、誰一人かまってはくれず、信号が青になるや、道路の真ん中で停車して外に突っ立っていたわたしなど構わずに、わたしの車を避けながらみんな通り越して行くではないか。誰も面倒臭いトラブルには巻き込まれたくないようだった。当時は携帯電話など無い時代でもあった。やがてイヤなチンピラのオジサンの車が交差点の真ん中で私の車の前を塞ぐように斜めに停車して来た。わたしは自分の車に乗り込んで、オジサンの車を避けて発進。まだまだ追い駆けて来るイヤな奴は、次の赤信号停車でついにわたしを捕まえた。いったいわたしの何が気に障るのだろうかと、わたしもついに覚悟を決めたのである。もしも相手が手を出して来たら、相手はおそらく死ぬだろうなと思った。殺人罪というより正当防衛で反撃するのだから、間違いなく重症以上を負わせるだろうなと思いながらも、その前に少し会話でもしてみるかと、近付いて来たオジサンに話しかけてみた。どうやらわたしの車の山口ナンバーが気に入らなかったようなのだ。「山口から何しに来たんや」と恫喝。えっ、山口から東京まで車で来たらあかんのかい、と口には出さず「なんやわからへんけど、すんません」とオジサンに囁いた。「山口まで帰るところどす」と京都弁まじりのわたし。わたしは傘を使った一撃か、サッカーで鍛えた足蹴りかを想定しながら、男の挙措から目を離さなかった。わたしに躍りかからないでくれよと念じたのが相手に通じたのか、男は何やら気配を感じてか「今回はまあ見逃したるわい」と捨て台詞を放つや「山口なあ。帰らっしゃるわい」と言って自分の車に戻っていった。酒の匂いはしなかったが、人に絡むのが好きなようだった。いずれにしても山口まではまだまだやっぱり遠かった。だが、その日の深夜、本当の恐怖はここから始まっていた。

◇カーチェイス:2   東京−名古屋間の国道1号線にて深夜

愛車カローラが大型トラックの列にサンドイッチ状態で暴走する深夜の隊列に巻き込まれて、そこから逃げ出すことが至難の業であるのを知ったのは、昼間に走ったバイパスが国道1号線に繋がった時からだった。国道1号線の明るい昼間は普通に時速60キロで流れていたのに、深夜になると、そこは魔の物流貨物の裏の顔だった。大型トラックが高速道路を使わずに、あえて深夜の一般道の国道1号線を走っていたのには、運送費削減と経費を浮かすためだろうが、50キロ制限であるはずの一般道が真夜中になる一変し、時速100キロで暴走を許しているのには、夜中12時頃にもなると交差点の信号機に青の点灯はなく、黄の点滅と赤の点滅しかない交差点ばかりだからだろう。国道1号線が流れる方向には黄の点滅、それに交差して来る道路側は赤の点滅で、国道1号線の流れが最優先されていることがわかる。ところがだ。50キロ制限の一般道は高速道路のようには道路は出来ておらず、ひどいところではくねくねと道路が極端に曲がっているのだ。それを容赦もなく時速100キロで物流の暴走を許しているのには、国の経済発展に見て見ぬ振りをしている国家の魂胆が実に透けて見える。今から30年以上も前の国道1号線の深夜の姿なのだが、現在はどうなっているのであろうか。うっかりそんな状況にあろうとは知らずに真夜中の国道1号線を中古のカローラで巻き込まれてしまったわたしは、1時間くらい大型トラックの列に挟まれて地獄の恐怖を味わったのだ。深夜に普通車が国道1号線を走っているのが悪い、とでも言われそうだが、日本列島の物流貨物の裏の顔を見てしまったようだった。

暴走する車列から何とか逃れようと何度も試みるのだが、左側に大きな空き地でもなければ、とても時速100キロの勢いでそこに入り込むことは出来そうになかった。必死になって左側の前方を見ていたが、どのスペースもクラッシュしそうで、車が横転しそうだった。前後の車間距離は10mもなかっただろう。時速100キロの急流のなかをいつ激突されてもおかしくはなかった。相手はすべて大型トラックの物流貨物だ。1時間は続いたところで、あそこなら何とか急ブレーキで止まれるんじゃないかと、一回きりのチャンスにかけて、わたしは思い切りハンドルを左側に寄せて急ブレーキをかけ、クラッシュしないように空き地に滑り込んだ。何とか命だけは救われたと思った。そして、そこでそのまま夜が明けるのを待った。しらじらと朝になると、そこは小さなタバコ屋の大きな空き地だった。車から降りて、後ろを振り返ると、大型トラックの暴走隊列はどこにも姿はなかった。あたりの静寂さがウソのようだった。「命拾いをしたね」と、どこからともなく声がしてきた。愛車のカローラも無事だった。この体験以来、わたしは二度と深夜の国道1号線2号線は走らないと誓った。夜中にどうしても走るなら、高速道路が一番安全だとも思った。50キロ制限の一般道を時速100キロで走るなんて正気の沙汰ではない。しかし、トラック側にすれば命懸けの生活の支えでもあり、日本の物流経済の発展に間違いなく貢献しているのは確かだ。国家のGDPに利用されようが、国民に物資が遍く届き渡るように表裏一体で頑張っているのには間違いない。

文・古川卓也
(2017/02/24)
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