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ブルーレイな世界

文・ 古川卓也

一つのよろこびが、また一つかなしみを消してくれる。昨年の夏から始まった我が家のかなしみ。半年後の2011年冬1月半ば頃にも再び次なるかなしみが訪れようとは、まったく予期しないことだった。やがて老いて、いずれ亡くなることはわかっていても、その迫り来る時が現実に起きてしまったら、そのあまりのせつなさは何とも深くて、谷底に落とされてゆくかのような胸の傷みだった。逃れられない喪失感に襲われ、沈痛な表情だけをうかべたロダンの彫刻みたいに考え込んでしまった。肉親との永久の別離はいつか誰にでも起きることとはいえ、たしかにこの世に生まれて来た者のさだめではある。

2011年の冬を私は忘れない。まるでCMのようなフレーズとなってしまった上の文は、私なりの詩として受け止めて頂ければ幸いだ。映画と音楽を抜きにしては生きられそうにない私は、今この瞬間にも映画鑑賞に耽りたい思いでいっぱいだ。人生は短い。若いときには気がつかないことだが、であるがゆえに、若いときにこそ貴重な美しい時間が与えられていると言ってもよいだろう。この度のニュージーランド地震で亡くなってしまった多くの人たちのなかには、若い命がずいぶん被害に遭ってしまい、親よりも早く子供が亡くなってしまった事実は到底受け容れられそうにないだろうし、とても耐えられそうにもない。捜索作業も3月3日を以って打ち切られてしまった。クライストチャーチまで足を運んで来た日本人被害者家族たちは、わずかに救出された者以外は遺体なき無念の帰国となってしまった。各国の被害者たちも絶望と悲嘆に明け暮れていることだろう。九死に一生を得た人たちは、今後の残された人生を人並以上に大切に生きてゆくに違いない。

いま世界は自然環境だけではなく人間社会も混沌として急変しつつある。Facebookを主に利用した中東の民主化運動による騒乱は、多くの犠牲者を伴って瞬く間に拡がっている。原油に頼る国際的な経済社会への影響も大きい。一方で日本国内はどうか。政治の混乱で国民は翻弄され、格差社会の構造は諸外国と同様に広がりつつあるようだ。中東やアフリカの現実に較べれば、日本は遥かに先進国ではある。また、経済大国でもある。だが、近年の社会環境はデフレ経済からの脱却がなかなか困難な状況下にあって、四苦八苦している様相はとても長い。不景気が長く続くと、犯罪も多く横行してくる。あの手この手で犯罪も多様化してくる。大きな要因は、今の日本政府が公約を実行せず、甘い言葉で出来もしないことに平気でウソをつき、社会に不安と不信を招いてしまったことだ。そして、責任転嫁を軽々に釈明しては、国民をなおざりにして己れの政権保持だけに固執するから、また余計にタチが悪い。

泣き寝入りしている国民がどれだけ多いことか。日本の政治に月光仮面はいないのだろうか。正義がないところに犯罪の温床が巣食っていて当たり前かもしれない。犯罪件数は治安国家のバロメーターであるが、そんな元気のない日本であっても、北島康介が最近また日本新記録を出したことで、一人のスポーツマンが日本国民に元気を与えてくれることだってある。この国にはすばらしい若者たちがずいぶん育っているのも実感する。わるい面もあれば、いい面もある日本だ。若者たちの就職氷河期が報道される毎日において最たるものは、大手企業に内定が決まらないから嘆いている様子も、傍から見ると贅沢のきわみにも映る。同じ若者でも、記録を目指して死に物狂いの練習をし続けている北島康介選手や高橋大輔選手もいれば、生活の安定と高い給料だけをひたすら求める若者たちもいる。若い時の夢や志は、若い時でしか報われないことが多い、ということを知らない若者がいるとすれば、不幸なことだ。結果が報われようと報われまいと、若い時分のそれは問題ではないのだ。若い時にこそチャレンジすることが最も大事なのだ。失敗もいつかは成功の元になる。初めから失敗を恐れるような臆病な若者は、大手企業も中小企業も零細企業の社長だって絶対に採用しない。これからの企業経営者がすぐれた人材を採るのは、勇気と実践力のある、正直で素直な若者たちだ。時間が無いのは企業側だからだ。

さて、混迷するリビア情勢も気になるところだが、私の仕事がらエレクトロニクスの分野に携わっていると、どうしてもブルーレイの世界に嵌ってしまうのは致し方がないことで、昨秋、わが家のオーディオ・システムにブルーレイレコーダーが加わり、接続にずいぶん手間取ってしまった。ブルーレイの機種はいろいろと他社メーカーのものと比較した挙句、結局は、使用中のTVがもともとソニーなので、何かと相性がいいのではと思い、ソニーに決めた。それも当初からBDZ-AX1000とほぼ決め込んでいた。番組録画に2TBの容量までは要らないのではないか、1TBで充分だと判断もしていた。もちろん篠原涼子が言う通り「パッと録画」「パッと再生」であるのは確かに実感。実に簡単操作であるのは大きな魅力の一つ。2番組同時録画もうれしい。この頃は他社製品に4番組同時録画も出始めたようだが、まあ、どこかで妥協しないと、いつまでたっても楽しめないので、今は2番組同時録画で充分だ。そこで、ハイエンドオーディオの愛好者の一人として、特別にBDZ-AX1000ならではの重要な決め手となった要素をここに紹介しておこう。

ソニー BDZ-AX1000の魅力について

  • 高画質回路  CREAS Pro
  • 高音質設計  「ジッタノイズ低減システム」 「音質パルス電源」 「アルミ天板4mm厚」 「HDMI AV独立ピュア出力」
  • 背面端子の入力・出力端子が金メッキ。すなわちオーディオアンプに充分対応。
  • 3D対応16ビット高画質化信号処理回路がソニーTVとも融合調和して繊細キレイ。
  • VHSをブルーレイにダビング可能。
*ジッタノイズの参考資料: マキシム社(Maxim) 「タイミングジッタの要因となるランダムノイズ―理論と実践」  

理論上たしかにすばらしい要素ではあるが、技術専門家でもない私はどうしても自分の耳で確認するしか方法がないわけだけれども、はたして20年以上も前のオーディオアンプに適応してくれるだろうかと疑心暗鬼の気持ちもあった。TVの解像度は現在の新しいものとは少し落ちるが、2003年製のWEGAで一応ハイビジョンテレビだ。画素数は(1280×768)で、将来はいずれ買い換えるつもりだ。オーディオアンプを通して興味がそそられるのは、ホームシアターとしての迫力や臨場感がどのくらいのものなのかを体感することだった。AVアンプでの物足りなさを、はたしてサンスイのアンプがどこまで応えられるのか、今回、接続方法をいろいろと大幅にやり変えたので、むしろ接続ケーブル側とアンプ機器側のメンテナンスが必要だった。

20年間も永くエージングしていたために、ジャック側にもスプレー式の接点復活剤を投与しなければならないハメになってしまった。アクロテックのピンプラグもKR-19(日本アルミット社)のハンダを使用して4つともオーバーホールするハメになってしまった。悪戦苦闘しながら、テンコ盛りのケーブル接続に右往左往のありさまだった。テスター無しでは出来ない作業だ。結局、これまで使用していたVHS(パナソニック)もDVDプレイヤー(ソニー製)も一応無事に接続完了はしているが、今のところブルーレイ1台で何もかも満足はしている。ただ、ブルーレイディスク(BD)の最初の読み取りの起ちあがり時間が多少長いのには、やや閉口している。HDの録画番組は早いが、BDとなると、どうしてこうも長く時間がかかるのだろうとは感じている。新しいCG映画は読み込みに特に時間がかかるようだ。古い映画のBDは意外と読み込みが早い。


音楽については結論を一つ述べておこう。ブルーレイで音楽CDをいろいろと聴いてみたが、どうやらパイオニアのCDプレイヤー(PD-T07)には追いつかないようだ。音質が別次元のもので、世界観がずいぶん違って聴き分けられた。ブルーレイは映像サウンド向きの緊密さで構成されている。だが、パイオニアの20年前のCDプレイヤーには豪華な世界観が漂っていて、映像を見ずして、眼を瞑れば、美しいほどに風景が広がって見える不思議な陶酔の領域にまで達するのだ。原音に忠実なエンジニアたちの志向がそのまま究極的なまでに、ロマンチックなまでに夢が実現していた。たぶん、20年前のその頃が頂点となって、そのまま音源の夢物語は静かにどこかへ消えてしまったのだろう。日本のバブル全盛期には、悪いことばかりが残ったのではないのだ。新たな次世代モデルの採掘もいいだろうが、あれ以上に、あれ以下でもない、見事で、豪奢で、華麗でもあった時代の置き忘れた宝物を、今も聴きながら味わえる時間を、私なりの言葉でいえば、ささやかな贅沢ともいえようか。物事の価値の根源とは、夢をみるそういうものではなかろうか。

(2011/03/04)

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