風景が見える音の世界ホーム

  先日、福山雅治の『ひまわり』を聴いた。本当にほのぼのとして、やさしい恋の歌だった。難しいメロディーで、何度か真似して歌おうとしたが、やっぱり難しくて歌えなかった。作詞・作曲の彼の歌は、やっぱり福山雅治自身が歌い流すことで、この歌の包む切なさや喜びが自然にあふれて来るものなのだろう。モノクロで写真を撮り続けながら、俳優稼業に専念もして、歌い続けもする広い視野の持主であることがよくわかる。何より福山自身の声がいい。独特の少し低めの、ハリのある、さわやかな男らしい良い声の持主でもある。福山雅治の世界は、誰もがファンになりそうなほど、貴重で大切な大衆文化の薫りが漂っている。

  福山を初めて知ったのは、確かTVドラマの『ひとつ屋根の下』で江口洋介が長男のあんちゃん役、福山は次男役で大学の医学生だったような、酒井法子が長女役、他に妹が一人、車椅子の末っ子こと今NHKの『新選組!』で活躍している山本耕史、まだ子供だった山本もずいぶん立派になってイイ男の子になっているわけだけれども、あの連ドラ『ひとつ屋根の下』からずいぶん歳月が経っていると思うが、わたしもいろんなTVの連ドラを観るのが楽しみで、当時の楽しみの1本として『ひとつ屋根の下』は毎回欠かさず観ていたものだ。当時福山を見て、この好青年はきっと将来二枚目俳優として活躍するのだろうなあ、と注目はしていた。日本にはすばらしい俳優がたくさんいるが、今回の福山雅治のマキシシングル『虹/ひまわり/それがすべてさ』(ユニバーサル ミュージック UUCH-5070 2003年)は、歌手としての側面において、特に『ひまわり』は最高の作品ではなかろうか。けっして飾らず、さりげなく、実に素朴にして素敵な歌詞でもあるのは注目したい。

  この福山の『ひまわり』を聴いていて、アコースティックなムードを忠実に再生してくれるのも、スピーカー次第であるけれども、やっぱりスーパー・ウーファーがあると無いとでは、かなり音域が違うのも確かなようだ。フルレンジとウーファーの組み合わせよりも、フルレンジとスーパー・ウーファーとの組み合わせによって、確かにマーティン・ローガンの真骨頂が発揮されるわけで、見事な設計としか言いようがない。驚異のスーパー・ウーファーに対して、それなりの見事なコンデンサ型のフルレンジがパーフェクトに対等してこそ初めて、ナチュラルな感動も呼び起こすようだ。『ひまわり』はそのことも気付かせてくれた、いい曲だった。

(2004/05/13)


  心地よい透明音場をいかに仕立てるか、それまでの道のりには、いかにしてその機器を使い切るかに課題はあった。試行錯誤に3、4年かかり、設定後10年のエージングを経て、音域はまろやかに安定した。豊潤な自然の空気を感じるように、目を閉じれば、まるで高原に立っているかのように、音のひびきには常に鮮度が光っている。音のマニアはおそらくこう言うだろう。寿命は知らず知らずのうちにやって来て、音の艶に劣化が生じているものだ。そんな劣化した老いぼれてゆく音を、自らが信じようとせず、自らの耳の老化にさえ決して自分で認めようとはしなくなって来ている、と。音のヌケの悪さだけを見つけようとするマニア、音楽は耳で聴くものと思っているかもしれないが、それを受け止める感受性は脳の能力に実は隷属されている。周波数と旋律と脳との関係は、論理では割り切れないものだ。感性を計算できないのと一緒である。だからと言って、非科学的な論理はもっと危ない。目を閉じて、風景が見えて来るためには、機器を最大限に生かさなければならないし、機器の長所を充分に発揮させてやらなければならない。芸術的にして、論理的な秘密の理由こそが、この「シークエルU」に実は介在しているのだ。

  再生音はスピーカー本体の前後から出ることにより、音場領域がまず前後の奥行きに確立される。そしてスーパー・ウーファーとコンデンサ型フルレンジパネルとの組み合わせによって、高さ182cmという縦の垂直方向へも音場は確立される。さらにフルレンジ部分のわずかな曲面によって2つのスピーカー配置から左右に広がる臨場感は、通常の左右180°角度の音の並びが、あたかもサラウンドの如く左右240°角度まで音が飛び出て来ることさえあるのだ。まことに不思議な劇場空間のような錯覚を醸してくれる。目の前にステージがあるようだ。ボーカルの唇まで見えて来る潤った音まで高域は再現される。なまなましい自然音は、繊細というより、生演奏を目の前で聴いているようでさえある。しんしんとした夜の音を聴いたこともあるくらいだ。それは鬼太鼓座の超常の重低音のCDアルバムだった。信州の公会堂で生収録された曲である。普通はカッティングする周波数帯域なのだが、その初期アルバム作りがよかったのだと思う。可聴帯域から外れて20KHz以上の無駄な音域を収録することは、夜の音ともなるのだ。マニアはまた言うだろう。「夜の音などこの世に存在しない」と。だが、SEQUELUはそれを再現してしまうのである。一度聴けば、いやでも認めざるを得ないであろう。本当に自然の風景が見えて来るのだ。

【注記】  低音スピーカーユニットは普通ウーハーと書くが、アメリカ生まれのマーティン・ローガン製スピーカー「SEQUELU」の日本語版カタログではウーファーと書かれているので、この読みを尊重することにした。英語でもWooferと書くので、本当はウーハーよりもウーファーが正しいと言えよう。

(2001/01/19)

文・ 古川卓也



TOP
(2010/05/17)


「風景が見える音の世界」に戻る





制作・著作 フルカワエレクトロン
Copyright (C) 1999-2010 FURUKAWAELECTRON All Rights Reserved