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 小さな夏物語 '99 カブトムシ   カブトムシ物語

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文・ 古川卓也

  今年の夏は思いがけない珍客に振りまわされて、妙な夏になってしまった。予期しなかった小さな出来事のために、お盆になっても、その生き物の世話は懐かしい好奇心と妙な責任感に包まれて、あたふたと楽しくもあるが、寝苦しくもある日々が淡々と続いている。平成11年(1999)の小さな夏物語は、これからもきっと忘れることはないだろう。


        (1)

  出会いはそう7月30日(金)のことであったから、この日から珍騒動は始まったことになる。オスのカブトムシを我が家に持って来たのは、私の両親であった。共に70歳を過ぎた両親が、40代後半の息子夫婦のもとへカブトムシを預けに来たのも何やら滑稽ではあるけれども、孫でもいれば絵にもなるが、晩婚型の私達夫婦には子供もいないので、結局のところ、角の折れたカブトムシの面倒は、私がみることになってしまったのである。カブトムシを飼うなんて、いったい何十年ぶりのことだろうか。子供の頃にはいろんな生き物を飼っていたが、この齢になってまさか自分が飼うはめになろうとは思ってもみなかった。
  その角の先が折れたオスのカブトムシは、小野田市の江汐公園で両親が散歩中に見つけたものだった。正確に言うなら、大きい頭の角ではなくて、小さい前胸の角である。それが半分だけ折れていた。樹林の中でオス同士の戦いに敗れて、道に落ちて来たのだろう。
  その日、1匹だけではさびしいだろうと思い、寿屋サンパークで320円のメス一匹と、昆虫用のプラスチックケース、腐葉土の昆虫マット、餌のゼリー、朽ち木、とまり木、木のエサ皿と、いろいろ買って帰ったのだった。
  カブトムシをいざ飼ってみると、知らないことがいろいろ分かってきたので、カブトムシの本や形の違ったエサ皿とか、またつい何かといろいろ買ってしまったのだった。と言って、何も勉強していない私には、角のないメスを同居させてやったその晩の日、つまり初夜ってことなんだけど、これがまたとんでもない真夜中になろうとは、まったく予期せぬ非常事態であったのだ。
  深夜けたたましく羽をばたつかせて暴れているのは、メスの方であった。腐葉土を蹴散らし、ケースの外まで土を撒き散らしていたのである。オスが無理矢理メスに襲いかかったのかと思うと、オスは木切れの蔭に隠れてじっと身をひそめているじゃありませんか。しばらく観察していると、どうもケースの居心地が悪いのか、メスは勝手に自ら身悶えていたのである。やかましいったらありゃしない。
  これは後で本を読んで知ったのだが、傷を負っているカブトムシは、一匹だけにしてやって世話をし、他は同居させないようにするのがいいということらしい。また、カブトムシの成虫は夏のあいだに2ヶ月ぐらいしか寿命がないというのも知って、私は何とも不憫な思いがしたのだった。

  オスは買ってきたメスに、まるで関心が無い様子だった。自然のクヌギ林でどんな格闘をして生きていたのか、人間には適当な想像しかできないが、我が家へやって来たオスのカブトムシは、我が家で日が経つにつれて、やっとどうやらメスの存在を少しは意識しているようにも思えた。昼間はゆっくりと時間が過ぎてゆき、ただエサのゼリーを孤独に食べているだけだった。メスは昼間は腐葉土の中にもぐったままで、夜にならないと、しかも私の部屋の電気を消さないかぎり、姿を見せることはなかった。
  楽しそうな夜は3日くらい経ってからだったろうか。オスはゼリーよりもメスの姿を捜し求めているふうに見えた。私はてっきり交尾したがってるなと思っていたが、昼夜ともそれを確認することはついにできなかった。オスは腐葉土の中をもぐったり、木切れに身をひそめたりして、どうもメスが現れるのを待ち遠しく恋焦がれているようにしか見えなかったのである。
  そして、ついに2匹が一緒にゼリーを食べ始めた姿を見て、これなら近々きっと交尾するだろうなと私は思ったのだった。クヌギの細長いエサ皿には、2ヶ所にエサ用の丸い刳り貫きがしてあって、そこへ私はゼリーを一杯に盛ってやていたのだが、どうしたはずみか細長いエサ皿がひっくり返ってしまい、妻が笑いながら説明するには、2匹がその丸くて細長いエサ皿に乗った瞬間、2匹ともゼリーと一緒に向こう側へこけてしまったらしいのだ。その直後に私も様子をうかがうと、2匹は向こうとこっちで押し合い引き合いして、その細長くて丸っこいエサ皿を何とか元に戻そうとしているではありませんか。必死になってゼリーを食べやすくしようとしているのだ。でも、腐葉土が傾斜のために、なかなか元に戻らないのである。もどかしくて、私は見ていられなかったので、すぐさま平たいエサ皿に新しくゼリーを盛ってやって、それとやり変えてやったのだった。仲良く食べ始めた姿を見て、こりゃあ人間の世界と同じだなと思った。何やら昆虫同士の会話が聞こえて来そうだった。

  5日目の朝を迎えると、オスは腐葉土の上で体をひっくり返していた。「まさか」と思って、オスのカブトムシを手に取ると、すでに硬直が始まっており、あまりにも不意で、あっけない命の幕切れだった。我が家へ来て、たった5日間の存命であったとは、まったく信じられないような、言葉も出ない悲しさに包まれてしまった。虫の息とはよく言ったもので、実際にこんなにもはかないものかと、ショックだった。
  前の日、オスはエサ皿に勇士のごとくシルエットに映っていた。そばではメスが残りのゼリーに頭を突っ込み、オスはなぜか一緒に食べてはいなかった。しかし、大変元気がよかったのである。ケースはエアコンの涼しい微風が常にかかるように、また部屋の照明でまぶしくならないようにと机の下に置いていたのだが、なぜ死んだのか原因はわからなかった。昆虫を飼う以上、けっして長く目を離せないなと、そのとき悔いが残ってしまった。8月4日(水)のことだった。今度はメス一匹だけになってしまい、メスがまたさびしいだろうなと思って、翌日寿屋サンパークにオス一匹を買いに行ったのだった。

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        (2)

  オス一匹は税込 525円だった。そのオスだけが、なぜか安かった。他のオスは一匹税別でどれも680円なのに、なぜその一匹だけが安いのか理由がよくわからなかったが、私はその525円のみすぼらしい姿で陳列されていたオスのカブトムシを買って帰ったのだった。また妙に弱々しそうに見えたのである。同情もあったのかもしれない。
  その弱々しく見えたオスは、オスにとっての初夜ということだけど、夜になってメスがこそこそと現れるや、前の角の折れたオスとはまるっきり違って、初夜当日のいきなりはげしい交尾であった。昆虫世界の交尾をまともに見せつけられて、わたしは思わずゲッとなった。弱々しく見えた印象は吹っ飛んでしまった。それはもう昼夜を問わずはげしかった。夏の短い寿命のもとでオスは子孫繁栄に必死なのであろう。カブトムシの長い幼虫時期に比べて、成虫はあまりにも短命すぎて哀れとしか言いようがない。それもメスよりもオスの方がさらに短いようである。メスは受精後、排卵の仕事が待っているからかもしれない。 

  買って来たオスが意外にも元気でたくましかったのはいいにしても、日を追うごとにその交尾が一日中連続で、ちょっとあまりにも残酷に思えて来たのだった。メスを押さえつける音が、ガリガリとまるでメスの体が割れそうな音なのである。心配になって本をよく読むと、理想的な同居は、オス一匹に対してメス二匹とあった。私は「しまった」と思いながらも、しばらく躊躇してしまった。それも2、3日迷ったのだ。メスの体のことが気になりながらも、どこかで1対2という不貞の関係にこだわってしまったのである。やはり1対1ではないのかとか、人道的にみてしまったのである。
  だが、カブトムシは人間ではないのだから、昆虫世界には不倫関係は当てはまらないのではないかと納得し、本に書いてあるように、またメス一匹を寿屋サンパークで買ってしまったのだった。「このオス、恵まれた奴だな」と思いつつ、新たにメス一匹を昆虫ケースに入れてやると、その新入りのやや大きめのメスは、やはり案の定うるさく一晩中羽音をたてたりして騒がしかった。

  それからというもの、何日か観察しているうちに、その恵まれたオスはどうも片方の小さめのメスとだけ交尾しているように思われた。大きめの新参のメスは嫌いなのだろうかと、いろいろ憶測してみたが、オスに聞いてみるしかないようだった。
  それにしても、オスは元気だった。秋になっても生きているような気がした。3匹ともこのまま仲良く生きていってほしいとも思った。そんなある日、オスはついに新入りの大きめのメスとも交尾をし始めたのである。相変わらずガリガリと音を立てながら交尾をするが、おかげで小さめのメスはやっとオスに半分は狙われなくなった。ホッと一休みである。あれでも産卵期になっていたら、メスが傷つくのではないかとも心配していたのである。小さいメスとの交尾から1週間ぐらい経ったある日、朽ち木や腐葉土の掃除をしていたら、直径3ミリ程度の白い卵が1個ほど、やっぱり出て来て見つかったのだった。やはり交尾のはげしいオス一匹には、メス二匹が必要だと納得させられた。昆虫の世界はやはり「わからん」し、自然に任せればよいのであろう。
  そんなハーレム状態が我が家の昆虫ケース内で巻き起ころうとは、まったく予測できなかった。そして、お盆になって来た8月13日(金)、私たち夫婦が阿知須の寿屋サンパークへカブトムシの幼虫のための昆虫マットの腐葉土を買い占めに行って、夕方遅く自宅に戻ったら、なんと、またオスがひっくり返って手足をバタバタしているじゃありませんか。「こいつ、精力を使い果たしたな」と思って、オスをうつ伏せにしてやると、どうも様子がおかしいのである。いつからひっくり返っていたのか判らないが、ずいぶん弱っていた。起きあがっても、よたよたして、ひとりでよう歩けないのだ。私たちが出掛けてから、自分の力で起きれずに1、2時間もひっくり返っていたとしたら、それは危険状態である。
  私は人工マッサージをするように手足を伸ばしたり、揺すったり、「これ、オイ、しっかりしろ」と手の平にのせて応急処置をしてみたが、みるみる力が萎えていってしまった。昆虫ゼリーを口に持っていってやっても、風を送り込んでやっても、何もしゃべれないだけにその苦痛のほどがこちらに伝わらなかった。まさに虫の息だった。最後の力を振り絞って腐葉土を少しだけ這ったので、このまま静かに体力が戻って来るのを私たちはしばらく待ってみることにした。

  それでも私は気になって、30分後また昆虫ケースを覗いてみた。妻も覗き込んだ。オスは木切れに前足をかけたまま、まるで彫像のようにすでに固まっていた。私は言葉に詰まった。つめたいものが私の胸を通り抜けていった。オスは死んでも角を天に向けて、雄々しく勇壮な姿を保ったままだった。
  一方、メスたちは私たちが帰宅したとき、それぞれのエサ皿のゼリーに頭を突っ込んだまま、食べるのに夢中であったが、真ん中にオスの姿が見えていたので、何ら変化は見えなかった。オスが死んでいようと関係のない冷淡な世界のようであった。私は2匹のメスの間で死んでいったオスをそのまま翌朝まで置いておくことにした。オスがまだ実は死んでいなくて、翌朝になったらまた動いているんじゃないかと、そんな期待もあった。

  翌朝、小さい方のメスだけはまだゼリーを食べ続けていたが、よく見ると、そのメスは木のエサ皿を傾けて、腐葉土に体をのばし、死んでいるオスの方へお尻をすり寄せていた。オスが前足をかけている木切れには、前の晩何もなかったのに、ふしぎにゼリーの一滴が丸く朝御飯のように置いてあった。オスが動いてくれないのを、そのメスはふしぎに感じているような様子だった。メスの姿がいじらしかった。オスの命がこの小さなメスにすべて捧げられたような、妙な光景がひろがっていたのである。2匹のメスたちが、オスのお通夜にかぎってその日まったく騒いでいなかったのも、そこにオスの厳粛な姿が、彫像とはいえ、まだ存在して見えていたからであろうか。正直に言って、死体をそのままにして置いたら、2匹のメスたちがグチャグチャにするんじゃないかと私は心配していたのだが、まったく前の晩のままだったことには、びっくりしたのである。オスにまったく触れていなかったメスたちに、私は申訳なく謝りたい気持ちになったほどである。昆虫の世界にも自然の摂理と尊厳があり、人間と同じように威厳もあるかもしれないのである。ある意味では、命に最も誠実に生きていると言っていいのだろう。

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        (3)

  8月29日(日)現在、残された2匹のメスは今も生き続けている。入れ替わり立ち替わり死んでいった2匹のオスに比べて、妙なめぐり合わせでメス同士になってしまった2匹は、何ものかの忘れ形見のようにピンピンと食欲旺盛で元気である。昆虫ケースを掃除するたびに、白っぽい卵がいくつか腐葉土の上に出て来てしまう。今日は直径5mmぐらいの卵が転がり出て来た。この一ヶ月というもの、観察すればするほど、カブトムシの可愛らしさがよくわかってきた。
  腐葉土の下から頭を出して来たときは、本当に可愛らしい姿でひょっこり現れる。オスはほとんど腐葉土にもぐることはしなかったが、メスは実によくもぐる生き物だということが判った。腐葉土から現れて来るメスは、頭にいっぱい土をのせて、ねむけまなこで動きが鈍い。「やっと夜だ」という顔つきである。よほど夜の暗闇が待ち遠しいようである。部屋の電気が直接当らないようにはしているが、昆虫には昆虫の本能的時刻を持っているようだ。けれども最近は、パソコンに向かっている私のせいで、どうも昼やら夜やら時刻が少し狂って来たようでもある。昼だと動きも鈍く、夜だと、それも部屋の電気を消して私が寝床に就くや、ものの10分もすれば、途端に昆虫ケースは賑やかになる。待ってましたと言わんばかりである。翌朝のケース内は、もうまるで台風が通り過ぎていったかのような、シッチャカメッチャカである。エサ皿は腐葉土の中に沈んでいるし、朽ち木はガリガリボリボリ噛み切って、小さな木屑があたり一面飛び散っているのだ。毎日が難破船のようである。

  カブトムシの鳴く声は、今回飼ってみて初めて聴いたが、交尾中は雌雄のどっちが鳴いているのかよくわからなかったが、キュッキュキュッキュと鳴いて聞こえたが、8月中旬からメス2匹になって、メスの鳴く声を確認できたのは珍しいかもしれない。細い声でクンクン、ク〜ンと聞こえたり、キュンキュンとさびしそうに鳴くのである。昆虫ケースに体を摺り寄せて、脚や胸をケースにこする音は、鳴く声とは違い、プラスチックケースをこする音はまさにこすっている音なのである。メスのはかない鳴き方が澄んで響いてくるのだ。ただ、なかなか聴けるチャンスは少ない。
  メス2匹が共存して同居し続けるにも、やはり闘いはあるようだ。エサをめぐって格闘することもあるが、プロレスごっこして共存をはかるのか、時に目はよく見えているのだろうかと思えることもある。特にエサには闘争心が強いようだ。それでも時に、仲良く一緒に食べるようになったのは、最近のことである。私はケンカをしないように、エサ皿は必ず2個離して置くようにしている。ただ、一つのエサ皿には2ケのゼリー用穴があいているので、一つのエサ皿になぜか2匹が一緒になって食べることがある。観察していると、どうもこの頃一緒に食べるのが好きなようだ。オスが2匹とも死んでしまってから、やっぱりさみしいのだろうか。肩を寄せ合って生きている風に見える。 

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        (4)

  昨日は大変であった。今日は9月5日(日)であるが、昨日の午前中にその物凄い烈しい死闘を私は余儀なく見せつけられてしまった。2匹のメスカブトムシはエサ皿の上で、お互いに頭を突き付けて激しく格闘していた。私はいつもの姉妹喧嘩だろうと、そのままケースの中を覗かずに自分のことをしていたのだが、ガタガタ、グシャグシャと、いつもの物音とはどうも様子が違うし、もう1時間ばかりも続くし一向に止みそうもないので、仕方なくパソコン机の下から昆虫ケースを取り出してみると、もうそれは修羅場と化していた。「これは……」と言葉も出ずに、私はすぐにケースの蓋をあけ、何とか2匹を離そうとするのだが、2匹ともお互いに譲らず死闘を演じていたのである。相手が死ぬまでやる気らしいのだ。異常な興奮状態で頭を突き合わせ、まさに激突していた。

  よく見ると、2つのエサ皿にはゼリーが一滴も残っておらず、片方のエサ皿のわずかばかりの残飯をめぐって、格闘していたのである。ほとんどゼリーはないのだが、哀れなほどに微かな残飯をめぐって、こうも昆虫は死闘をするのかと思うと、私は嘆かわしかった。エサは毎日欠かさず豊富に与えているつもりなのに、ゆうべは少なかったのだろうかと思いつつも、目の前の死闘に手をこまねいていたが、まるで一体の生き物を半分に分けるような作業には、まいった。どうしようもないのである。2匹を分けても分けても、くっ付いて激闘しようとするのである。よほど怨んでいるのか、お互いの執念深さには恐れ入った。

  はっと我に返った私は、ひょっとしてこの手ならうまく離れてくれるかなと思い、そのエサ皿の上で格闘しているカブトムシたちの間に、上から昆虫ゼリーをスプーンで少しずつ落としてやった。空っぽになっている2つの小さな窪みに徐々にゼリーが溜まると、現金なもので1匹はハタと気がついたのか、足元の窪みのゼリーに自分の頭を思いっきり突っ込み、ゼリーに食いかかった。それまで敵側に頭を向けていたのに、ころりと豹変して、ゼリーにまっしぐらだった。「何て奴だ」と思いながら、私はおかしかった。片方のカブトムシも興奮したまま何やら足元の窪みのゼリーが気になり始めたのか、敵を睨みつけたまま、ゼリーにも目をやりはじめた。2匹は1個のエサ皿の上で、もぐもぐと怨恨を残しながらも仲良く食べ始めたではないか。昆虫の世界は人間が想像するよりも、よほど単純なのか正直な世界である。

  さて、メス2匹だけの単調な日々が続くなかで、私はふっとあんな場面もあったなと回想することがよくある。それはある日の昼間であったが、朽ち木の皮が彼女たちの齧り過ぎで、すっかり剥がれて丸く薄い掛け布団のようにも見えるのだが、小さい方のカブトムシは横たわった朽ち木に乗って、丸いエサ皿に左手をのせ、頭だけをそのクヌギの皮の掛け布団からひょっこり出し、右手はだらりとお昼寝状態であったのだ。「なんだこりゃ」と私は妻に言った。「まったく赤ん坊だね」と言いながら、「しッ! 静かにこのまま寝かせとこ」とも言った。「かわいいね。こんな姿って、初めて見た」と妻はケースをじっと見つめながら笑っていた。私は昆虫を標本にしてしまう人間の残酷さを、信じられない。飼ってて死んでしまったのを標本にするのなら少しは納得もできるが、採集という知識や欲望のもとに生きているものをあえて殺すのは、やや理解に窮する。いくら科学の力を以ってしても、昆虫の生命を作ることはできないゆえに、命の殺生はやはり罪である。人間のやむを得ない罪というものには、できれば最小限にとどめたいものだ。

  学校の夏休みも終わり、我が家の2匹のメスカブトムシは排卵後もせっせとゼリーを食べ続けている。昆虫ゼリーにはカブトムシの好きな天然樹液入りの糖分や必須アミノ酸動植物性蛋白質、各種ビタミンなどが入っているようだ。9月になってからは、腐葉土の中にあまりもぐらなくなっている。湿気を保つために霧吹きを適度にしてやるのだが、夏の昆虫とはいえ、部屋で飼っている以上、私達が不在でもエアコンは毎日24時間電源を切ることはない。土の表面はすぐに乾いてしまうし、やはり部屋は暑いのだ。インバーターエアコンはコンピューター運転にせず、できるだけ手動で26℃になるように保っている。光に弱いのか強いのかよく判らないが、自然界に近い環境を想定してやれば、湿気のある日陰と夜行性を考慮してやった方がきっといいのだろう。
  この夏物語は2匹のカブトムシの往生の来る日まで続けます。

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        (5)

  カブトムシ用のクヌギの枯れ葉が、ホームセンターで一袋税別¥158だった。9月11日(土)現在、依然2匹のメスカブトムシたちは元気よく暮らし続けている。まあまあ、よく食べよくお昼寝をする。この頃少し食欲が落ちているようだ。前のようにガツガツ、ペロリと平らげるほどではなくなった。けれども、前より肉付きがよくなったような、妙にデカく見える。それから、昆虫ケースをのぞくたびに、「えっ!」と思わず、ひっくり返りそうなほど笑える場面によく出会うことがある。
  エサ皿の残り少ないゼリーに頭を突っ込んでいる1匹のメスは、下半身を宙に上げて、つまり逆立ち寸前の格好なのだが、その派手な食べ方をしている1匹の体を、そばでもう1匹のメスが両手で支えてやっているのだ。とても先日大ゲンカをした2匹とは見えなかった。この生態は、いったい何なんだろう、と信じられない反面、思わずその滑稽な姿につい私は吹き出してしまった。笑った次の瞬間、支えていた方のメスの手がズルリとすべってしまい、ゼリーを食べていた1匹がエサ皿の窪みの底まで、これまたズルリと落ちて顔が埋まってしまったのだった。支えていた1匹は私に気がつくと、すっかり両手を放してしまったので、もう1匹は窪みに頭が埋まったまま逆立ち状態で、両足をバタバタさせていた。そしてそのメスがやっとエサ皿にお行儀よくのると、顔はゼリーだらけだった。自分でも目の前がよく見えないのか、両手で顔やちっこい目ン玉をこすり始めた。おかしくなって、私はまた笑い転げてしまった。

  ツクツクボウシがしきりに鳴き始めると、いよいよ夏も終わりだなという気になる。カブトムシはオスがいなくなってからも、こんなにメス同士だけで長く生きてくれて、本当に楽しい夏だった。このままずっと生き続けてほしいのだが、せめてあと一日だけという思いで、私達はいつからか毎日を過ごすようになってしまっていた。かわいいカブトムシたちのおかげで、この夏は家を留守にして旅行に出掛けることもなかった。ちょっと外出しても、ひっくり返っていやしないかとか、エサはちゃんと食べているだろうかとか、腐葉土はすっかり乾いて暑いんじゃないだろうかとか、昆虫ケースの中はどうなっているんだろうかとか、エアコンは大丈夫だろうかとか、いつも頭から2匹のカブトムシのことが離れずに気になっていた。
  ところで、カブトムシはなぜエサ皿の窪みの端をいつもガリガリと齧るのであろうか。ゼリーを食べながら、木の端を齧るのは、ひょっとして甲殻類の栄養分を摂取するためなのだろうか。本には腐葉土に含まれている木屑を食べて甲殻を形成してゆくと書かれていたと思うが、エサ皿は当然ながら堅い生木である。ひょっとして市販のエサ皿も朽ち木を加工したものかもしれない。あるいは、齧る習性はもっと別の意味をなしているのかもしれない。2匹のメスはよく一緒に仲良く食べているが、ゼリーは一つのエサ皿に2ヶ所の窪みがあってそこに入れてあるのだが、もう一つ同じタイプのエサ皿にもゼリーがとなりに用意してあるのに、なぜか2匹はこの頃、同じエサ皿の同じ穴のゼリーを、どうも一緒に食べたがっているようなのだ。「どういうこと?」とカブトムシに一度聞いてみたい気がする。

  はたして本当に仲が良いのか。しかし、ずっと見続けていると、大きい方のメスはエサに対して独占欲がよほど強いらしい。縄張りのようなものが1個のエサ皿にあるようだ。小さい方のメスは、大きいメスの背中に手をかけて「わたしにも食べさせて」と言ってるようにも見える。大きいメスが食べ終わるのを、背中に手をあてたままずっと待っているのだ。そのうち、しびれを切らした小さいメスは、いきなり大きいメスの背中にのってしがみついたのだった。と、5秒と乗ってられなくて、大きいメスは小さいメスを力一杯振り払ってしまった。小さいメスは真っ逆さまに転がり落ちていった。
  小さいメスは別のエサ皿にゼリーを見つけてちょっとだけ舐めたきり、そっぽを向いてケースの片隅に引っ込んでしまった。ひょっとして「あっちにはたくさんあるよ」とでも言いたかったのだろうか。自分の方はけっしてお腹が空いているわけではないらしい。そうか、ちびのメスはかまってもらいたいのか、とも私には思えた。生きてゆくのは、どうもひとりでは淋しいらしい。大きいメスが食べ終わるのを待つしかない様子だった。私が代わりに遊んでやろうとすると、逃げまわすか腐葉土にもぐってしまうので、ここはやはり昆虫同士でうまくやってくれ、ということになるのだ。いい夏の終わりである。カブトムシたちのあどけない生態が、私達の気分を朗らかにしてくれる。

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        (6)

 9月19日(日)、2匹のメスカブトムシたちは、毎日モコモコと腐葉土にもぐって、気がついたらケースの中は、いつもやっぱり難破船である。2個のエサ皿は傾き、半分埋まっているし、土は蟻地獄のようにすり鉢状態で、モコモコモコモコ動きまわっているようだ。
  いつかこんなこともあった。木切れに背中をもたれて死んだような格好をしていたことがある。「あっ」と私は一瞬ドキッとして、木切れをそおっと取ると、カブトムシはそのまま後ろへ仰向けになってしまったのだった。全然動こうとしないのだ。「またか」と思い、手足をやさしく引っ張り、人工呼吸を試みた。「おーい、しっかりしろ」と言うと、少しだけ手足を動かした。そしたら今度は「なによ、お昼寝の邪魔しないでよ」と言わんばかりに、私が心配して握っている私の指を蹴飛ばしているじゃありませんか。「この野郎」と私が手足を放すと、ぶつぶつ言いたそうに迷惑顔で腐葉土の中にもぐってしまったのである。
  昼間はやはりお昼寝をするようだ。土の中でも外でも、いろんな格好でお昼寝をする。空っぽになったエサ皿を持ち上げたら、そのすぐ真下で、逆さに仰向け状態のまま、腐葉土に埋まった格好で寝てることもあった。

  また、ある時、1匹だけが土中から出て、エサ皿のゼリーをやけにさびしそうに食べていたことがある。私が昆虫ケースのフタをあけると、そのメスは食べるのをやめ、じっと私の方を警戒していたが、私が新しいゼリーをのせたスプーンを口元に近づけてやると、ジュルジュルとそれを飲み込むように食べ始めたのだった。そして、少し食べては、やっぱりスプーンをゴリゴリ齧ろうとしていた。とても強い齧り方だった。「ほんとによく食うなあ」と昆虫の食欲にも感心したものだ。後から妻に「それって、餌付けじゃないの? カブトムシを餌付けしたんだ、すごい!」と言われて、私はあらためて「そうお?」と訝りながらも嬉しかった。「カブちゃんとずいぶん仲良しになったもんだ」と今更ながら気がついた。

  最近ようやく分かったことがある。エサ皿を傾けるのは、実は理由があった。小さな窪みに残ったゼリーを、傾けることによって、手前に出して食べやすくするためだったのである。カブトムシは本当はお利口さんだった。チビ助のカブがエサ皿の下にモコモコモコモコもぐっては、それを押し上げ、傾斜になるように働いているのだ。よく見ると、エサ皿の窪みの底に溜まったゼリーを、わざわざ2匹が仲良く一緒に食べれるようにしているのである。よほどきつい作業なのか、チビ助は「フー」「フー」と体に似合わない大きな息を吐いては、懸命に動きまわっていた。昆虫ケースにはその一皿しかゼリーが残っていなかったのである。
  そして、しばらくすると、案の定2匹はそれを仲良く一緒に食べていたのである。大きいカブ助の方は、ただ食べるだけが仕事のようであった。チビ助は本当にいつも相手側のことを気にかけているようだった。7月30日にチビ助がやって来て、今日は9月19日だから、ずいぶん居候したことになるのだが、これぞほんとの古カブである。

  今朝もケースのエサ皿交換と掃除と霧吹きをしていると、腐葉土の下からまたモッコリと現れた。顔と頭と背中に土を山ほどのせて、触覚と目だけが機能しているようで、私を見つけると、またもぐってしまったが、昼間は大人しく、夜になればケースのまわりを暗くしてやり、部屋の明かりを消して私たちも床に就くと、カブたちは「待ってました」と言わんばかりに運動会である。狭い昆虫ケースのなかで、腐葉土の上の朽ち木や木切れやエサ皿などの障害物を這いずりまわって、毎夜の大運動会なのである。うるさいのが何より元気な証拠なのに、昨夜来はなぜかやけに静かだった。1匹の姿しかまだ見ていない。
  夕方、エサ皿が多少傾いてはいるが大丈夫だろうと思い、ケースのフタを開けてみると、何と、エサ皿が逆さまになって、エサ皿の底が腐葉土から見えていたのには、びっくり、呆れ果てた。陥没地帯は日々私の予想に反して、いつの間にやらボコボコなのである。丸いエサ皿を置くためには、どうしても平らな箇所がいるのだが、カブたちは分かってくれないらしい。でも、ボコボコにしてくれるから、それがまた楽しいのである。やっぱり変な生き物ではある。一日でも古くなったエサには、敏感なのか、それ以上は食べようとはしない。ある時は、まるで、臭いものにはフタをしろと言わんばかりに、半日古いゼリーに枯れ葉までしっかり置いていたこともある。過保護かもしれないが、数ヶ月の余命であるだけに、元気でいてくれるためなら何だってかまわないということにもなる。次回のレポートまで2匹とも生きていてほしいと願うのみである。

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        (7)

  9月23日(木)秋分の日、2匹のメスカブトムシたちはそろって元気である。台風18号が接近中である。今週の9月20日(月)は我が家で大パニックであった。もちろんカブたちのせいである。いや、やっぱり私のせいかもしれない。
  その日の午後いちばんにパニックが生じた。いつものように朝のうちにエサ皿を洗い、霧吹きをする。換えの乾いたエサ皿に昆虫ゼリーを入れる。もう一つのエサ皿も午後には洗浄する。朝洗ったエサ皿はすっかり乾いてはいた。が、その日にかぎって、その洗ったばかりのエサ皿が、妙にゼリーの匂いが強く鼻について気になり、それを手に取ったら、やはりひどく臭かった。おかしいなあと思い、よくよくエサ皿の底をじっと見ていると、何だか白っぽいので、さらに目を近付けてじっと凝視すると、「ぎゃあ!」とエサ皿を思わず落としそうになった。白いダニが何百疋と涌いているじゃありませんか。それも洗ったばかりで干していたものに、いったいなぜ涌いたのだろうかと私は目を疑うばかりであった。
  そうか、エサ皿の木の中に大量のダニが涌いて、いくら表面を洗ってもだめであることが、その時わかったのだった。木のエサ皿はよく見ると、ダニの大きさくらいの穴が無数にあいているのだ。そこからジワジワといくらでもダニが涌いて出て来ていたのである。さあ大変、泡を食った私は真っ先にエサ皿の全部を処分することにした。その日のうちに、もう一つ大きな昆虫ケースと、新しいエサ皿を3個、のぼり木も1個買い出しに行ったのだった。ついでに腐葉土も大きめの1袋を買って帰った。

  その後がもっと大変であった。それらを買って帰ったのはいいのだが、2匹のカブを真新しい大きな昆虫ケースに引っ越しさせるための準備が、なかなかはかどらなかったのである。腐葉土は以前も大量に買っていたので余裕があったのだが、問題は、今までの昆虫ケースには卵がたくさん見つかっているので、ひょっとしたら腐葉土の底で幼虫がふ化している可能性があった。ダニのついた昆虫ケースから、腐葉土をそろりそろり掻き出して、幼虫がもしいたら、新しい腐葉土に移し返さねばならなかった。この作業だけで1、2時間はかかってしまっただろうか。
  2匹のメスカブを新居に迎えてやるのも大変であった。ダニが付いているだろうから、本に書かれていたように、私達夫婦の今まで使っていた歯ブラシを犠牲にすることにした。それでカブの体の隅々をゴシゴシこすってやるのだ。体の水洗いはしないことにした。危険な気がしたのである。で、背中を押さえてゴシゴシとこすってやった。問題は腹部や顔のまわりである。2匹のカブは精一杯の抵抗をして恐怖におののいていた。特にデカカブは体のわりに臆病であった。チビカブは案外度胸がよかった。私達はその日に新しい自分たちの歯ブラシも買っていたのだが、カブたちの体は歯ブラシでこすればこするほど、木屑やら土やらいくらでもこぼれ落ちてきた。垢まみれで、やはりダニも棲みついていた。「ゲッ!」と私はなったが、この際、カブたちの腹部や首のまわりを意地悪く歯ブラシでくすぐるように、ゴリゴリこすってやった。チビカブはあれでも気持ち良さそうにも見えた。デカカブは体をきれいにしてやってから新居に入れてやると、血相を変えて逃げ回した。しばらくの間、のぼり木の蔭に身を寄せたまま、体をぶるぶる震わせて、かわいそうだった。

  やっと2匹とも大きい新居に移し変えたのはいいにしても、気になるのは古巣の幼虫のことである。卵は全部で20個くらいあったろうか。産卵しても、これらは日数的に幼虫にふ化していなかったので、たぶん全滅と思われるが、5個くらい残してみることにした。大方半分くらい腐葉土を始末したところで、妻がいきなり「ちょっと待って」と言った。「これ、これ。これって幼虫じゃない」と言うと、何やらそこにとても小さい生き物が丸くなって、うごめいていた。鈍く濡れたように灰色をして光っていた。1cmくらいのちっちゃな幼虫が、しきりに体を動かしていた。妻が見つけなければ、私にはゴミとしか映らなかったほど、とても小さいものだった。一緒に厚紙でかき分けかき分け注意しながら捜していたのだが、妻が言わなかったらそのまま古い腐葉土として処分しているところであった。
  古巣の腐葉土を全部隈なく捜して、結局生きていた幼虫はその1匹しか見つからなかったのである。貴重な幼虫となってしまった。死んでいったあのオスと今も生きているメスとのあいだに出来た二世が、ここに見事に誕生していたのだった。「よくぞやった!」と私は、自然と嬉しくて妙な感激を新たにした。と同時に、しかし、ちゃんと育つだろうかと、また心配の種も増えたのだった。けれども、おもしろい命のめぐり合わせに、私はカブトムシたちからまた大きな幸福を与えてもらったような気がした。いま、幼虫用のケースと2匹のメスカブ用ケースの二つが、パソコン机の下で、そろそろ初秋を迎えようとしている。

  9月24日(金)未明、風速40mの大型台風18号は大分県通過後、周防灘を抜けて、ここ山口県宇部市に再上陸して宇部を直撃した。台風は山口県を縦断すると猛スピードで日本海を東寄りに北上していった。山口宇部空港は水没、市内12万世帯が停電となった。九州、山口の被害は平成3年(1991年)の台風19号並みかそれ以上に甚大である。下関の唐戸市場も水没、広島の厳島神社でもまた被害が出た。我が家のTVアンテナも折れ、雨漏りがひどかった。排水溝に飛んで来た葉っぱやゴミが目詰まりして屋上がプール状態になってしまったのだ。私はアルミの窓ガラスが、あまりの強風でこんなにもしなるのかと驚いた。アルミ窓が湾曲するので、私は部屋の中から必死で押さえていた。外は猛烈な風雨で、瀑布のように真っ白だった。瞬間風速50m以上はあったように思える。エアコンが止まり、電気が消え、建物が揺れていた。2匹のカブたちは異様に大人しかった。

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  10月3日(日)、台風18号も去って、気がつくと初秋のつめたい風も吹いている。10月2日(土)の昨日は、朝からチビカブの容態が危篤状態に陥っていた。あんなに元気だったチビカブが、ここ2、3日いくらか物静かだったのが気にはなっていたが、まさかと思えるほどその事態は突然だった。ほんの3日前は2匹とものぼり木に登って、実にピンピンしていたのである。ひょっとして10月いっぱいまでは生きるのではないかとさえ思えていた。デカカブよりもよほど元気だったのに、昨日は危篤のチビカブをケースから出してやった。体の土くずやダニを歯ブラシで取ってやり、口元にゼリーのひとかけらも置いて一日見守っていた。小皿に湿った枯れ葉2枚を添えて、ただ見守るだけで、何ら具体的な看病もしてやれなかった。ぐったりとして、頭や手足をときどき動かしていたが、とても苦しそうだった。昆虫の先生はいないかと、インターネットで捜してもみたが、生態や育て方のマニュアルばかりで、病気対応時のサイトを見つけ出すことができなかった。だが、もともとカブトムシの寿命はもっと短命なのだろうから、10月初めまで生きていただけでも上出来だったのかもしれない。ただ、死因が何だったのか、元気だったものがなぜ突然こうなってしまったのか、その一点だけがどうしても腑に落ちなかった。

  昨夜はけっけょくチビカブのお通夜になってしまい、私は介抱をついにあきらめて、ダニが付かないように小皿に入れたまま、広い昆虫ケースの腐葉土の上に戻してやった。まだ何とか動いていた昨日の午後、私が自分の手のひらにチビカブをいつまでも乗せていたら、チビスケは私に向かって来て、じっと悲しそうな目で苦しみを訴えていた。右の手のひらに乗せ、左手の親指をチビの顔に近付けてやると、チビスケはのっそりと両手で私の左親指をつかまえ、また私に何かを語りかけていた。愛らしい小さな複眼が私をじっと見つめるので、思わず涙があふれてしまった。チビスケの姿がぼやけてしまったのだった。

  そして今日、10月3日(日)の昼前、私はいつものように昆虫ケースの中を手入れしていて、ふっと埋もれている細長いエサ皿を手に取ると、思わず「ああっ!」と声をあげてしまった。ただ寝かせていた不要の細長いエサ皿に、何と青カビが出ていたのた゛。これにはまったくの私の迂闊であった。もちろん初めはきれいに洗って乾かせていたものである。しばらく使わず放置していたのだが、カブたちの引越しの時に、腐葉土の上がだだっ広かったので、それをただ転がしていただけなのである。カブたちもその上を歩いてゆくだけだと思っていたのだ。できるだけ腐葉土の上はあまり空地をつくらずに、いろんなものを置いて変化させてやった方がいいと思っていただけである。朽ち木やのぼり木やクヌギの枯れ葉、それに木のエサ皿だけである。まさか転がしていた使わないエサ皿に青黴が発生していたとは、ただ上から見ていただけではまったく判らなかった。しかも半分埋もれていたために、単なる廊下くらいにしか映らなかったのだ。
  私は死因がこれであることを今になって確信した。またも悔いが残ってしまった。そして、3、4日前に、私はあの場面をすぐに思い起こしたのである。その横たわっている細長い二つ穴付きのエサ皿を、何かの拍子に手で持ち上げたら、チビカブがそのすぐ下にいたのだ。二つ穴側を下に向け、それを土に伏せていたのだが、それが半分埋もれて、その空洞にチビスケは頭を入れ、下半身を土に沈めていたから、その細長いエサ皿を持ち上げたとき、ひょっこりチビと目が合ったから、私はその格好がおかしくてつい吹き出して笑ってしまったのである。その時は、まさかこんな事態になろうとは、全然予期できなかった。チビスケはおそらくその時、青黴が出ているその木をかじり、知らずにきっと体内に含んでしまったのだろう。ひどく大人しいなあ、と思われた2、3日前の静けさは、やはり異常事態の始まりだったのである。

  今朝、チビカブの遺体は、陶器の小皿のなかで、ひっかきまわされて、ひっくり返っていた。メスのお通夜に、生きているメスがもう一匹同居していると、昆虫の世界ではたぶんこのようになるのであろう。オスのお通夜の時のようには、威厳がないようだ。まったく厳粛のかぎりではなかった。オスがいた頃とずいぶん日数がかけ離れてしまって、初秋の候、残されたもう一匹のカブトムシが、また妙に哀れである。10月になって、よくぞここまで忍んで生きて来たことを、私は褒めてやりたい気持ちで一杯だ。本当にカブトムシたちに感謝したい。もう1匹が生きているかぎり、この小さな夏物語はまだ終わらない。

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  10月8日(金)、富士山にうっすらと初冠雪。我が家の貴重な1匹のメスカブトムシは、初秋の陽だまりを遠くに眺めて、うつらうつらとよくお昼寝をする。夜になれば、のぼり木にのぼって、ホイサカホイサカ盆踊りみたいに木のてっぺんであばれている。踊りすぎて、またコロンと腐葉土の上に落ちて来る。秋になっても元気みたい。昆虫ケースの端っこを、よたよたよたよた歩いてゆく。脚が6本もあるのに、どうも歩くのが下手みたいである。あっちにコン、こっちにコンと頭をぶつけている。頭はカブトだから石みたいに堅そうで、頑丈なのだろう。
  這いつくばって前進するのもいいが、こんなことも起きる。丸まった枯れ葉にちょうど頭がすっぽり入ってしまい、その丸まった枯れ葉が頭から取れずに前方が見えなくなってしまったのか、朽ち木に体が当って、すってんころりん、仰向けになってしまったのだった。手足をバタバタさせて、顔にまつわり付いた枯れ葉を取ろうとするのだけれども、一向に取れず、自ら藻掻き暴れていた。私は初めからその一部始終を観察していたものだから、笑いが止まらず、妻にも「これ見てくれよ」と言って、デカカブの姿を見せていた。妻も泣くように笑い転げてしまったものだから、カブはいつまでも誰からも助けられずにいたのである。

  しばらくして、やっと枯れ葉が取れ、自分で起き上がると、片隅まで歩み寄って「ふ〜ウッ!」と疲れを癒していた。しばらく動けなかった様子だった。2、3分は足掻いていたろうか。危険だと思った時はすぐに助けてやるが、今回はあまりにも滑稽すぎて、つい観察を楽しんでしまった。
  角の無いメスカブトムシがこれほど面白いとは知らなかった。オスは格好はいいが、あまりにも短命すぎて、今度また夏に飼うかどうかは躊躇してしまう。どうしても情が湧いてしまうので、初めから判っている短命の昆虫を飼うのは、ちょっと抵抗がある。まだクワガタムシの方がいいかもしれない。しかし、クワガタやオスカブトムシの研究はずいぶんあるのに、メスカブトムシの研究や情報が少ないのはどうしてなのだろうか。この「小さな夏物語 '99」がメスカブトムシの生態を知る上で、素人の書いたものとはいえ、少しは役に立つといいのだけれど。

  生態の研究に役立つかどうか判らないが、これだけは書いて置こう。市販の昆虫ゼリーでも、果汁臭い着色料入りのゼリーは、どうもカブトムシにとっては嫌いなようである。人工的なフルーツの匂いに対して、かなりカブトムシは敏感に何やら疑うようだ。好きなのは、天然樹液入りの、ごくシンプルな昆虫ゼリーをよく食べる。果汁入りのゼリーを食べるより、霧吹きした後のケースに付着した水滴をむしろ舐めているほどだから、よほどそれは苦手なのである。今年、昆虫にも力を入れているペットショップが、たまたまこの夏に市街に出店して来たものだから、私は現在そこで昆虫ゼリーを入手しているが、寿屋サンパークではとっくにこの時期そんなものは置いてはいない。注文すれば手に入るのかもしれない。ホームセンターには鈴虫のエサ関係と一緒に、この時期まだクワガタ・カブトムシ用の昆虫ゼリーを置いていた。ホームセンター側では、クワガタが1年中生きていることを知っているのかもしれない。昆虫ゼリーにも「お子様がかりに食べたとしてもこの商品は無害です」という表示と、「けっしてお子様には食べさせないようにして下さい」という二通りの表示があるから、いったいどれが本当に良い昆虫ゼリーなのか、今も迷うところである。

  木のエサ皿は必ず陶器の小皿に置いて、ダニがエサ皿の底に発生しても、腐葉土と混ざらないようにして防ぐのは、成功だったかもしれない。少なくとも12時間に1回はエサもエサ皿も小皿もすべて水洗いしている。エサは常時欠かさず真新しい状態にしてやると、カブも安心している風に動いて見えるから不思議である。私はすっかりエサのオジサンになってしまった。カブもエサを交換する時は、もう逃げ出すこともなく、土にもぐって隠れようともしなくなってしまった。最初の頃に比べれば、ずいぶん仲良しになってしまったものである。残された1匹のデカカブは、今日もこれをパソコンで書いている机の下で、すっかりお昼寝して気持ちよさそうである。時折、モコモコと移動しては、またうたた寝である。

(2014/09/16 Renewal )

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