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今度の連休(平成12年5月)で久し振りに美術館へ行った。長かったゴールデンウィークも過ぎてみれば、あっという間だった。今年のゴールデンウィークには福岡で発生した西鉄高速バス乗っ取り事件が起き、そのまま山口県内の高速自動車道のサービスエリアを緊迫させ、バスハイジャックは広島県内に入って犠牲者を出しながらも、SATなる特殊部隊が翌日未明にバスに突入して一応犯人を取り押さえ、残りの人質全員を無事に救助したが、何とも物騒な事件をこの山口県に持ち込んでいた。高速自動車道の上りが全面通行止めとなったために、いろんな所で道路が渋滞してしまった。下りは帰省客の車で大渋滞だった。
そんな連休の締めくくりに、山口県立美術館で「MOA美術館名品展」を楽しんで来た。会場には利休あり秀吉あり、一休、長次郎、織部、仁清、尾形光琳、乾山、雪舟、探幽、松平不昧、といった滅多に見られない日本文化を代表する逸品の数々が披露されていた。わたしには何だかとても懐かしい再会のようであった。復元されていた秀吉の「黄金の茶室」を見たときは、わたしはすぐに井上靖の小説
『本覚坊遺文』 を思い起こしていた。想像でしか思い描いていなかった茶室が、このようにいざ目の前に現われると、やはり秀吉は相当に利休の侘び茶に嫉妬し頑なに対抗していた様子が伺えて面白かった。
いつだったか、鬱蒼として低い樹林に覆われた滋賀県の安土城址を眺めていたら、織田信長に仕えていた頃の血気盛んな秀吉の風貌がみえてきたが、大坂城を築城した頃には、さぞや利休の簡素な茶の道がずいぶんうとましく思われていたに違いない。会場で黄金の茶杓や肩衝茶入を見ていると、その後の秀吉を偲ぶ豪華絢爛な茶の湯の趣向を楽しんだ嫌いがなくもないが、安土桃山時代の絢爛たる豪快さは、裏を返せば歴史人物像の明と暗が対峙していて、それぞれの個性をその時代の暮らしの様式に存分に輩出せしめるには全盛期であったともいえる。長次郎の黒楽を眺めていると、本当に楽茶碗の元祖といった趣きが漂っているが、萩市の熊谷美術館にも同じような長次郎の黒楽があり、これらを目の前にしているとつくづく底知れぬ感動に溢れて来る。
MOA美術館の顔といえば、何と言っても国宝の尾形光琳の
『紅白梅図屏風』 を蔵しているということであろう。今回での名品展には登場していなかったが、これこそは世界無比、日本文化の最高峰として君臨しているものだ。何より嬉しいのは、この屏風図が海外に流失せずに国内に現存し大事に保管されているということである。同じ光琳の
『八橋図』 などは、いまだにメトロポリタン美術館に保管され帰国することはない。だが、その
『八橋図』 を以ってしても、やはりこの 『紅白梅図屏風』
の右に出るものは、世界中を探してもその至宝の美に勝てるものはおそらく無い。
わたしが京都に住んでいた6年半の歳月の中で、国内・海外の世界的美術品を観て来た大部分は京都市美術館か国立近代美術館か国立博物館であったが、失業して暇さえあれば、国内のいろんな美術館や博物館に出かけていって貪欲な探求心で至高の芸術に触れていた。そんな中でこの
『紅白梅図屏風』 もどこかで観たような気がするが、今回のここ山口県立美術館における「名品展」では、その尾形光琳を初めとする、尾形乾山、野々村仁清などの作品がずらりと一堂に会して観られることは、地方にいて千載一遇のチャンスではあった。会期は平成12年4月7日から5月7日までの1ヶ月間であったが、とてもすばらしい「名品展」だったと思う。
作品としては、『洛中洛外図屏風』、仁清 『色絵金銀菱重茶碗』 『色絵結文香合』、光琳 『草紙洗小町図』 『立葵蒔絵螺鈿印籠』、乾山 『色絵吉野山文透鉢』 『銹絵山家文茶碗』 『銹絵染付薄文手付汁注』、長次郎 『黒楽菊押茶碗』、一休 『薫風自南来』(一行書)、『伊賀耳付花生』、藤四郎 『古瀬戸茶入 銘 臨月』、『井戸茶碗 銘 常盤』、『彫三島茶碗 銘 残雪』、『御所丸茶碗』、『黒織部沓形茶碗 美濃』、『練志野茶碗 銘 田子の浦 美濃』、などなど数えたらきりがない。細かく見れば見るほど、見応えがある「名品展」であった。
まだまだ書きたいことはいろいろあるが、雪舟の 『山水図』 にはわたしにもいろいろ疑問が無くもない。よほど初期のものか、あまりに小振りすぎて疑いたくもなるのは致し方あるまい。防府市の毛利邸(毛利博物館)が所有する国宝、雪舟の
『山水長巻』を何度も観て来ただけに、筆使いの違いが一目瞭然となる。真贋を追求する趣味は持ち合わせていないので、別にさしてこだわってもいない。それより、久し振りの日本文化の本物を目の前に味わって、実に楽しかった。機会があれば、このページを生かしてもっと日本文化を掘り下げてみたいものである。
(2000/05/08)
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