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文・ 古川卓也

    中原中也

【詩情】  詩情とは何だろうか。いったい何処へ行けば、詩情にめぐり合うことが出来るのだろうか。おそらく、いまの日本が最も失ってしまったものかもしれない。観光目的であったり、観光産業であったり、たぶんそういった場所には見つからない風情である。日本の詩歌は、敗戦とともにおそらく消えてしまったように思える。まだ日本語が美しいと感じられていた時代、日本の四季がまだ限りなく美しい風景を湛えていた時代、日本の風俗と日本人の衣食住が限りなく清廉で日本文化を象徴するに値していた時代、風流がまだ風流として清らかに残っていた時代、そんな日本の風雅が自然のままに活きていた頃までであったように思える。

  小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平の3人が生前に山口の地で中原中也の詩碑を建てたのには、観光化しようとして建てたわけではもちろんないが、そこに記念碑として残しておきたかった理由には、中也への共通の恩義であったかもしれない。生前の中也の私生活のことに関しては、大岡昇平と河上徹太郎がかなり書いているが、小林秀雄は逆に最も書きたくなかったのだろう。小林秀雄の晩年の大作『本居宣長』でいったい何を言いたかったのか、当時のわたしにはよく理解できなかったが、なぜ本居宣長なのか、儒教でも仏教でも神道でもない国粋主義論者でもない国学者の探求せんとする学問への道など、当時も今もわたしにはよく理解できないでいるが、おそらく日本の特有なる風雅を追求せんとして宣長は『古事記伝』や『玉勝間』に耽ったのであろうが、その探求せんとする宣長の姿に自ら鑑みんとする小林秀雄の拘泥する精神状態にも、わたしには従いてゆけなかったが、今思うと従いてゆかず仏教史へ脇道に逸れたことで、遠まわりしながらもお蔭様で、この日本の歴史と文化の側面もよく見えるようになったが、日本の美学にも固執していった小林秀雄の風雅と、中原中也の大衆に溶けていった高踏主義的な詩歌は、見事に日本の詩情として合致してもいた。鋭い大岡昇平の論評と、わかりやすい河上徹太郎の紳士的な批評とで、中原中也の詩歌も今でこそ花開いたといえるだろう。

  もはや日本の詩情は、人のこころのなかにしか展開しないものとなっている。うつくしかった環境が削がれ、さらに、うつくしかった日本語が削がれ、日本人が持っていた風雅もことごとく削がれ、国が敗戦して半世紀後一皮向けた顛末が、すぐれた欧米風の先進国となり、いまや経済大国に日本の詩情などはまったく必要のないものになってしまった。すっかり失ってしまったのか、忘れてしまったのか、箱物のレトロブームの根底にも観光産業の目論見がしっかりと働いているけれども、肝心な本当の詩情のゆくえは、もうどこにもないのだろうか。古い建物の保存と歴史資料館に遺品や資料を収めることしかできない発想には、文化というものが過去形でしか伝わらず、本来は現在進行形に生きてこそ生活文化とすべきなのだが、それぞれが文化を感じる生活の仕方に風情があれば、この国の風雅はやはり活きているということになるのだが、はたしてどうであろうか。便利に生きているということは、必ずしも風情があるということではない。風雅や詩情を必要としなくなったこの国の今の時代とは、百年後の未来からみて一体どのような時代に映っているだろうか。

(2003/07/28)


【風貌】  詩人としてしか生きられなかった中原中也は、昭和12年10月22日深夜、わずか30歳の短い生涯で、鎌倉の病院で病没している。寿福寺で葬儀が行われ、後に郷里の山口市吉敷の経塚に埋葬された。水無川のほとりの竹薮の一角にある中原家の墓で、中也は今も故里の山口で永眠している。

  中原中也歿後、62年の歳月が経ち、これまで大変多くの研究資料や評論が書かれている。いまさら私が中原中也論を書いたところで、世間に何の役にも立たないことは百も承知である。けれども、若い頃から詩人・中原中也の詩が好きで、自らの文学生活初期に多大なる影響を受けてきた無名作家の一人が、中也に関する評論の一つぐらいを世間に増やしたところで、大して迷惑がかかるものでもあるまい。

  さて、見渡せば、詩人というものがかくもいつの世もなかなか理解されない存在であるかを、しみじみと感じる今日この頃ではある。というのも、生前の詩人は世間が思っているほど、けっしてロマンチストではないからだ。ある時は、残酷なほど経済力のなさに軽蔑され、自活できないことに世間は白い目で見るのである。まして、中也が存命中はほとんど無名にちかい詩人で、誰も本気で振り返ってくれる者などいなかった。

  詩は確かに美しい。しかし、詩人にとって詩は、世間が思っているほど、きれいごとではないのだ。まるで喀血するかのように苦しく、現世の非情に酷烈なほど非難を浴びては、命を削っているのである。純真では詩というものは書けない。かといって、不純ではもっと書けない代物だ。世間知らずのお坊ちゃんやお嬢さんが詩を書いたところで、そんな詩で、世間で苦労している大衆の気持ちを感動させることなどできやしないのだ。まして学問的な詩など、中也に言わせれば「クソ食らえ」になってしまうのだ。中也がめざした本当の詩は、学問でもなければ、美しい言葉の羅列でもなかった。彼にとってそれは、単純に人生の歌なのである。呑んだくれのヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)が歌ったような詩こそが、中也にとっては本当の詩であった。あの屋根の向こうにある、平凡な幸福こそが、また最も手にしたくて手にすることができなかった呻吟こそが、せつない詩歌となって、詩を書くことの他にまったく手段がなかったのだ。そこをたいていの人は誤解しやすいのである。

  当時、中原中也全集(角川書店)を繙いて、いちばん面白かったのは、やはり日記である。詩もいいが、日記を読むと、実に勉強になるはずだ。中也の本当の個性や姿は、詩では絶対にわからない。詩以外のものを読めば、彼の本当の姿や内面の強靭な博学ぶりが見えて来るだろう。中也は哲学者でもあり、大衆をこよなく愛した象徴派のような詩人であったのだ。

【参考資料】 『中原中也アルバム』(中原思郎 吉田熈生編 角川書店 1972年)

(1999/11/07)

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