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日記 プリズム

2005年8月8日〜2005年4月18日

文・古川卓也


8月 8日(月)
夢について。何かになりたい、何かをつくりたい、何かをしたい、いろいろ願望を持つのが10代。そして、その夢を叶えるためにそれぞれが自分のために頑張るのが20代。さらに、夢と天職を分け始めようとするのが30代。夢がたとえ消えたとしても、生きがいを抱けるようになるのが40代。夢が実現できている人と、夢をすっかり忘れてしまうほどに夢などない人とがはっきりして来るのが50代。これが50代までの大方の人の生き方だろうか。あくまで日本という国で生まれ育った平均的な見方なのだが。中には、生まれて来て、夢など全然持てずに生きている人達もきっといるに違いない。生まれつき病弱であったり、障害を持って生きねばならない人たちだって多くいることだろう。

さて、わたしはいま52歳なので、60代や70代以上の時の夢の捉え方については、体験がないので語れる資格はないから、いま現在の夢の捉え方について少しだけ触れてみる。わたしにとって今の夢とは、何かになることではなく、この世に生かされていること自体が夢心地なので、目の前の風景がすべて大事にみえる。人の命、自然の風景、日常の光景、美しいドラマを展開してくれるスポーツ競技、ありとあらゆる生き物の姿や行動、人々の暮らしや何かに向かってチャレンジし続ける人達など、言語で表現できるものすべてがいつまでも新鮮と映るのだ。一方、戦争や殺戮はあまりに悲しい。人間はどうせ死ぬものを、なにゆえ、あえて早く死ぬ必要があるというのか。早く死ななければならないような思想や信仰は、単に馬鹿げている。この世に崇拝しなければならぬ神など、所詮は人間が作った造語にすぎぬ。神秘的であることが、神体ではない。神秘的に見えるほど、この世の生態系はそれほど美しいということだ。その自然の生態系の均衡を崩すのは、いつも人間側であって、その罪悪の観念を神に求める人間は、ある意味ではずるがしこい。神を造って、神に謝罪を乞い、罪をあがなう姿は、動物にはない。叡智と悪知恵を共有する人間の本性は、神秘をも超える。そんな厄介な人間社会が夢心地と映る。わたしの夢は、いつしか気が付くことが夢となっているようなのだ。
7月15日(金)
なぜプロレスはつまらなくなってしまったのか、なぜ今K-1なのか、原因は何なのか、プロレスファンの一人として私はこう考える。ルールや反則を無視して強者になるヒーローは、汚い手を使ってでも勝ちたいのだろうけれども、あまり人からは好かれないものである。つまりファンは少なくなるに決まっている。ファンが去ってしまうということは、プロレス離れにもつながる。人気が悪くなるにしたがって、夜のTV放送番組もゴールデンタイムから外されてしまうし、朝日放送系列では今は毎週夜中2時頃にしか録画放送をしていない。よほど視聴率が悪いのか、しかも30分しかない。昔は毎週金曜日の夜8時からはプロレス番組の時間帯と決まっていた。アントニオ猪木が全盛期の頃、当たり前のように高視聴率だったのだろう。確かに今のプロレスとは違う輝くようなヒーローの姿が厳然とあったのだ。汚い手を使わずに堂々と新しいワザで相手を倒していたのである。もちろん負けることもある。それほど巨きくもなく、太くもない猪木が、自分より大きい相手をいろんな新しいワザで倒していたのである。そこにまた新鮮な驚きと感動もあったのだ。大衆を納得させるだけのものが、殺気立つかのように毅然とあったのだ。

試合はルールのもとにフェアーでケリをつけると、勝っても負けても、選手たちはクリーンで潔く見える。アンフェアーな試合をすると、勝っても負けても、見る側にとっては不愉快だけが残る。今のK-1は厳格なルールのもとに、正々堂々と試合が行われるので、勝敗にかかわらず観ていて実にすっきりとする。また決着がつかない場合は、審査の判定があるので、そこが潔くなれる良い点でもある。ある意味では格闘の世界にも清潔感が漲っているので、多くの女性ファンにも魅了する世界となる。何でもいいから勝てばいいんだ、というのでは、金と腕力で相手をねじ伏せる唐変木と一緒で、実にデリカシーに欠ける。そんなものが権力だと思ったら大間違いで、いくら権力を持っていようと、いつか訪れる己れの死に対しては何を振りかざそうと無力である。いつ死を迎えてもいいように生きてゆける心の強靭さの方が、人生においては遥かに大事である。かつては新日本プロレスの正統派として王者であった橋本真也が、ついに最後まで格闘家としての小川直也を倒すことが出来なかったにせよ、ZERO-ONEで苦難の道を歩いていたにせよ、妻子を捨て私生活がどんな思いで多難であったにせよ、プロレスラーとして復活の格闘家として彼が残した功績と轍には、本当に急逝で短命ではあったが、多くのプロレスファンたちに夢を与えてくれたことだけは確かである。人生はけっして勝敗ではなく、生きてゆく姿勢にこそ意味がある。多くのファンの前から忽然と天国に旅立ってしまった橋本真也選手のご冥福を心よりお祈りしたい。今週月曜日の7月11に亡くなってから、ようやく今やっとこの日記に書き込める気力が湧いた。さようなら、橋本真也。
7月 8日(金)
この世に生を受けて、しみじみと現世を受け容れるならば、人間というものは良くも悪くも原始の時代より闘い合っている霊長類の一種ということであろう。生き物すべて同じで、共存し続けながらも自然淘汰され続けていることに何ら変わりはない。生あるものは、いつか必ず死を迎えるのが、地球生命体の原理原則である。植物も動物も昆虫も、鳥や魚や人間も含めて、いつかは命が果てるようになっている。現象論を語るのさえ、命の尊さを考えるとき、むなしさとさみしさを切に憂い思う。人間社会には永遠に果てない憎悪と復讐の連鎖があり、動物社会ならさしずめ弱肉強食の世界で、人間社会とて闘争と勝敗の世界で孤軍奮闘を余儀なく強いられる。地球上には明日の糧も得られぬ飢えた弱者と、何もせずとも裕福に平和に安穏と暮らせる者もいれば、さまざまにそれらを羨んだり嘆いたり吠えたりする者もいて実に千差万別である。どの国に生まれて来るかは、自らの意志で選択が出来ないのもまた運命であろう。

生まれて来なければよかった、と思う人間も数多くいるだろう。人間界は実に複雑でややこしい社会ではある。悲しみと喜びを分かち合えるのもまた人間界の特徴でもあろう。この世に生まれたからには、命を慈しむのも、人間が長く生きてゆける秘訣ではある。相手の命を慈しみ、己れの命も大切にする、そのごく当たり前の思いやりが極端に薄れてしまい始めたのは、たぶん人間の長い歴史のなかで、核という最強の殺戮兵器を持ってからであろう。この人間の驕りがすべての破滅へ導いているようにおもわれる。今回の悲惨なロンドン同時多発テロも、歪んだ人間社会の異常な出来事であるが、先進国はテロと呼び、途上国はレジスタンスと呼ぶ、双方の捉え方の慣習の違いにも、相互理解はなく、互いに敬意というものを知らない永遠に続くであろう人間同士の悪意に、ほとほと再びがっくりするのは、わたしが日本人の一人として平和ボケの暮らしをしているからなのだろうか。どうにもならないむなしさが、ふつふつと込み上げて来る。

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6月29日(水)
ヘイケボタルにゲンジボタル、いったい誰が名付けたのだろう。わが家のホタルはよくよく観察してみると、体長8mmのヘイケボタルが2ひきと体長12〜13mmのゲンジボタルが4ひきだった。淡赤の背の黒いスジが全然違っていた。全部がゲンジボタルに見えたのだが、6月17日(金)の夜から飼い始めて1週間後に先に死んでしまったのがヘイケボタルだと判った。あらためて手のひらにのせた亡骸の背の紋様を観て、後からそれがヘイケボタルだと判ったのだ。弱々しく手のひらに横たわって、最後にポッと黄色く発光しながら、息を引き取っていった。2本の触角も萎えていた。次の日もヘイケボタルが突然死んでいた。2ひきの平家は文字通り滅亡してしまった。残りの大きい源氏側のゲンジボタル4ひきは、その後も夜中には元気よく、ファンタスティックに、発光しながら飛んではうごめいていたのだった。

初めて飼うホタルの状況は日に日にいろんな発見をした。梅雨の季節でありながら、こちら西日本の山口県は今年は空梅雨で、ほとんど雨が降らない。外はむっとした暑さで、湿気らしい湿気がまるでないのだ。晴れても曇っても、渇いた6月の日々となっている。外は空気も薄いような異常な乾燥と灼熱に見舞われている。昆虫容器内への天然水霧吹きは、ここ毎日3、4時間ごとに吹きかけてやっている。また、エアコンの空調なくして部屋のホタルは人間の暮らしと共存は出来ない。そうわかっていながら、わたしは数日前に大失敗をしてしまった。夜中がやけに冷えるなと思い、エアコンの温度を1℃だけ上げたのだ。朝方、目が覚めると、妙にムシムシした体感にハッとなった。この頃のフェーン現象のせいで外気との室内コントロールが若干狂い始めているのか、わずか1℃の室内温度の上昇が、ホタルの命を縮めてしまったようなのだ。

ホタルは笹の葉の匂いが好きみたいで、近所の草薮から若葉を付けた笹の葉を二枝ほど手折っては、天然水の霧吹きで浸して、それを昆虫容器に入れては常に新しいのと交換してやっていたのだが、その異様な空気に満ちていた朝方当日、2ひきのゲンジボタルが寄り添うようにして、ぐったりとなってひっくり返っていたのだ。昆虫容器内には温度計を付けていて、見ると28℃になっているではないか。これぞまさしくムシブロ状態で、シャレにもならない蒸し風呂になっていた。トンボやバッタ用の虫篭は目が粗いために、それでは小さなホタルは逃げ出してしまうので、ホタルを飼うには初めから大きめのカブトムシ用の容器がいいだろうと思い、それに網戸用の網を内側に張ってあるだけなのだが、あとは空調管理で万全かと思いきや、つい人間本位のエアコン調整が大失敗となってしまったのである。2ひきのゲンジボタルはまるで曾根崎心中の徳兵衛とお初のように、寄り添って往生していた。片方の1ぴきは発光したままだった。翌日までずっと発光し続けていたので、何かを訴えているようにも思え、2ひきは今もそのままにしてやっている。夫婦になれぬ悲恋の2ひきであったがごとく、人間界に掴まって捕われの身のまま、あの世で2ひきはやっと自由を得て恋路を成就したのか、そんな風にもみえて、わたしは悪い気もしている。

もう1ぴきのゲンジボタルは暗闇の状態から、ついうっかり部屋の蛍光燈をいきなり点けたものだから、目潰しに遭ったかのように、失神してしまい、そのまま動かなくなってしまった。あるいは初めから蒸し風呂状態で気絶していたのかもしれない。通常は朝になると、部屋の光がじかに射さないように衝立てで容器を遮断してやっている。今も何とか生き続けているのは、ゲンジボタル1ぴきだけである。わが家に連れて来て、今日で12日目となる。昨夜もひとり寂しく、人間が寝静まった頃を見計らって、光りを点滅させながら動きまわっていた。午前4時頃から夜明け前に目が覚めて、昆虫容器のほうを眺めたら、元気に発光を繰り返していた。仲間が誰も発光してくれないので、自分の存在をアピールしているかのように思えて、不憫な気がした。孤独で、恍惚な、ひとりさみしく光る、ひとりぼっちになってしまったホタルの命の証しが哀れだった。自然界の美を捕獲してしまったことに、ふと、しのびなさと幾ばくの良心が咎める。美の追求のあまり、情をつい見失ってしまう己れの芸術家肌に不甲斐なさと申訳なさがよぎる。すまないことをした。芥川龍之介の『地獄変』を思い出してしまった。今夜も、光ってくれるだろうか。あと、もう一日だけ。あと、もう一日だけでも。
6月21日(火)
ホタルはゲンジボタルだった。平家蛍なのか源氏蛍なのか、淡赤の背に十字架状の黒い斑紋が特徴のようである。淡赤の背に太くて黒いすじならば、平家蛍らしい。源氏蛍は日本最大とある。わが家のゲンジボタルは体長12mmほどが2ひき、18mmほどが4ひきいる。合わせて6匹だ。人間の就寝に反して、彼らは闇夜にファンタスティックとなる。夜行性の昆虫にして、最も優雅な光りの舞いを演ずる。あでやかな光りの舞いと、点滅発光しているその姿は、さながら宇宙空間のUFOでも見ているような錯覚にとらわれる。命のかがやきが、間近にかくも美しく観られることの感動を覚えると同時に、はかなさの不安も去来して、今夜も彼らは無事に光りの舞いを演じてくれるだろうかと、心配にもなる。

天然水の霧吹きを朝と夕刻に分けて、しっとりとなるまで昆虫容器の中へ撒いてやる。一晩中動き回っている彼らは、きっと朝方には喉もカラカラになるだろうし、昼間はぐっすりと眠り込んで身動き一つしないので、夜になる頃の夕刻時間を見計らって、目覚めの朝のコーヒー一杯ではないが、夜の目覚めの天然水一杯をほどこしてやる。何とも旨そうに水を呑んでいる。呑むというより、霧吹きの水滴を舐め干しているようだ。口をあけ、吸い付いて、上に上がろうとする。成虫ホタルにはエサは必要がなく、水だけでいいようだから、せめて水だけは上質の市販の水をやっている。それを霧吹き容器で霧吹きしてやっている。昆虫容器は以前6年前にカブトムシを飼っていた時の市販の40cm容器を使用している。家内がきれいに掃除をしてピカピカにしてダンボールに蔵っておいたので、無色無臭で清潔だった。果たして今夜もファンタスティックに乱舞してくれるのだろうか。(追記)このゲンジボタルは、某田園風景のひろがる知人私有地の、清らかな水流がある自然山林入口で、本人から網まで借りて、私が捕獲させてもらった。生息場所はあくまで非公開である。

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6月16日(木)
先週の6月8日にジーコジャパンが来年のドイツW杯出場を決めてくれたので、記念としてここの日記『プリズム』のトップにジーコ公式サイトをリンクしておくことにした。ジーコが日本代表の監督に就任した時からジーコジャパンを特別な思いでずっと応援していたので、来年の2006年6月のドイツW杯までが最新情報と合わせてとても楽しみとなった。ジーコジャパンについては昨年の私の記事「今週のキーワード」(2004年8月)にも本音をずばり書かせてもらったので、興味のある方はそちらをあらためて再読してみてください。
6月 8日(水)
15年前に買った井上靖の長編小説『孔子』を、今あらためて書棚から引っ張り出してみた。これを抜くと、他の本が崩れかかって倒れそうになるので今まで遠慮していたが、思い切って、パソコン机の上に乗り、書棚の高い所に手をかけて、他の本が崩れないようにして何とか取り出した。どうして15年前にこれを買ったのか、よく思い出せないが、『本覚坊遺文』や『敦煌』などがとても面白かったので、その次に読むつもりだったのかもしれない。当時、20ページのところまで読んで、そのまま読まないで放っておいたようだ。15年前の頃といえば、どちらかと言えば、当時は儒教よりも中国仏教史に興味が深かったので、ついそのままほったらかしにしてしまったのだろう。立原正秋が生前、神社や神道には思想や哲学は何にもない、と言って貶していたが、確かにワケの解らぬ儀式はあるが、それに比べて仏教には素晴らしい思想体系と哲学があると、立原は褒めちぎっていて、立原文学には確かに色恋の他に仏教も毅然とあった。立原が世阿弥を大好きだったのは、能の核心部分に仏教がひそんでいるからだが、色恋と謡曲の世界を結ぶことで人気作家であったのは、小説家として上手い生き方をしたものである。小説の内容としては、三文官能小説と紙一重ではあるけれども、仏教も戒律の厳しい大乗仏教から、人間としても生きやすい小乗仏教に変遷しているわけだから、そう矛盾もない色恋の美文体小説ではあった。

情けないのは、現代の色恋作家が実に下等な原始環形動物(ミミズやヒルなどの無脊椎動物)にまで、成り下がっていることだろう。物書き屋は男女を問わず、昨今の三文エロ作家の文章は偏平足のきわみ、超下品で下劣で最悪な稼業ではある。そのようにしか書かないと、食べてゆけないのだから、哀れな物書き屋たちではある。週刊誌といい月刊誌といい、ペンで生計を立てることは実に難しい世の中ではあるが、もともとこんな三文エロ連中に文学魂などはないが、文学魂を必要とする時代でもないので、文学魂を売物にして標榜する輩がいれば、むしろ此奴らの方が危ないだろう。新興宗教の餌食にでもなりかねないから、ふだんからある程度の学問は積む必要がある。何が真実で何が虚偽なのか、何に躍らされているのか、そこそこの慧眼も必要だ。昨今のインターネットを悪用した悪意と作為に満ちるエロ餌食のゴミ・メールの山は、現代の子供たちにとても危険な環境をもたらしているわけだが、それを操る悪意ある大人たちがいるとしたら、彼らは絶対に姿を見せようとはしない卑怯者なので、子供たちには判断力や鋭敏な感性、勇気と英知がとても必要となる。黒い霧に包まれた汚い大人の世界を描いた社会派小説が一時期はやったものだが、その黒くて澱んだ社会状況は、今も昔も形態を変えて、常に存在するのだから、せめて現在生きている作家たる者は、二束三文の色恋に惑わず、大きな人間テーマを題材にしてスケール感豊かに描いた作品の一つくらいは、死ぬまでに是非書いて欲しいものである。井上靖の『孔子』はそんなお手本となる作品の一つであろう。いかなる環境にあっても、日本文学が今も不滅であることには変わりはない。

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6月 2日(木)
二子山親方の急逝により若貴兄弟の亀裂、確執がメディアで騒がれている。故人を偲ぶ一方で、何かスキャンダルを目論んでいるかにみえる報道のあり方には、常にネタ探しに翻弄され続ける記者陣の背後にも何やら胡散臭い計算も匂うが、視聴率アップや購読者増加も公共的な仕事の一つなので、まあ、大目に見るしかあるまい。ただ、若貴兄弟の亀裂、確執の、いったいそれが何だというのか、社会に対して別段迷惑をかけているでもなし、兄弟がそれぞれ人の道に外れて悪行を働いているわけでもなし、逆に、二人とも一生懸命に角界において横綱地位という業績を残し、親の成し得られなかった偉業を果たして、それぞれに引退していったわけである。親子が揃って日本の国技である相撲文化に貢献して来たことには違いない。何かを犠牲にしなければ、果たせない世界もあるのだ。特にスポーツにおいて、その道の頂点に立つということは、並大抵のことでは成し遂げられないものである。親子揃って、いい人生を歩まれたことには敬意を表わしたいと思う。兄弟の確執など問題ではなく、戦場で息子を戦死させてしまったわけでもなし、二人の息子たちや息子たちの家族みんなが元気で生きていてくれさえすれば、それだけで二子山親方は生前きっと幸せに思っていたに違いないのである。口腔底癌という悪性末期癌に冒されながら、過去のプライバシーにいろんな事情の背景があったにせよ、相撲ひとすじの人生は立派であったと思う。それにしても享年55歳の人生は、あまりにも早すぎるといえる。

私にとって相撲との出会いは、小学生にまで溯ることになるが、その頃もちろん自宅にテレビがあったわけではない。父親がいなかったので母親が夜仕事から帰って来るまで、近所の大きな家に預かってもらっていた時期があり、その家では相撲が始まると必ず相撲の番組をかけていたのだった。小学生だった私は相撲をそれほど面白いとは思っていなかったが、夜暗くなると友達は一斉にそれぞれの自宅の家に帰ってしまうものだから、仕方なく、退屈紛れにその白黒テレビで中継している相撲番組を観ていたのが、そもそものはじまりである。当時、プロレスは力道山、相撲は小兵ながら強い横綱若乃花を応援していた。そのうち柏戸と大鵬の時代となって、弱い柏戸よりも強い大鵬をいつも応援していた。大鵬の時代が終ると、また次の強い横綱をいつも応援していたが、そんななか、大関貴ノ花(故二子山親方)が活躍するようになってからは、特に相撲観戦も見方が徐々に変わり始めていた。小兵や貴ノ花のように痩せた細い力士たちが、強い大きい力士たちを薙ぎ倒すようになってからは、相撲がだんだん好きになっていったのである。細い者や小さい者が強くて大きい体の横綱を倒してゆくのが、実に爽快だったのだ。そのうち個性の強い力士もずいぶん増えて来て、特長ある力士は強い弱いに関係なく、みんな好きになってしまったのだった。今でいえば高見盛などは本当に滑稽で大好きではある。とことん変で純粋というか、こういう力士がいると再び相撲番組でもみるか、という気になる。楽しみになる。いつも同じように強い者が勝つと、なぜかつまらなく感じてしまうようになっしまったのも事実だ。いわゆる相撲離れ、というやつで、松井秀喜が巨人を去ってから、野球離れになってしまったが、私の場合はそんな現象に見舞われている。小さい頃は自然と野球少年だったし、正確にはソフトボールや軟式ボールが主体だったけれども、相撲も近所の友達やら先輩やらとよくしていて、おかげさまで今も腰はしっかりしている。二子山親方の御冥福をお祈り致します。

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5月25日(水)
隔靴掻痒という言葉があるが、まさにニッポンの世相はそんな状況下にあるようだ。いったい、いつから日本のリーダーが首相になってしまったのだろうか。どうやら日本国民の一人にしてもらっているこんな私のリーダーは、小泉首相らしい。リーダーとは指導者の意味を指すのだが、えーと、いったい私は小泉首相から何を教えてもらったっけかな。そうそう、この頃リーダーはよくこんなことを言って国民を諭しているそうな。「罪を憎んで、人を憎まず」と、悟りをひらかれているそうな。孔子の言葉だそうで、それを中国側にも教えてあげていらっしゃるとのこと。こんど『論語』のどのあたりに書かれているのか、よく調べてみよう。

「罪を憎んで、人を憎まず」かあ、う〜ん、なるほどねえ、偉い人は言うことが違うね。今から2500年前の紀元前500年頃の真理なんだけど、儒教も仏教も東洋が発祥地だから、東洋の哲学は大したもんだ。ハムラビ法典はもっと溯って、紀元前1700年頃らしいから、紀元前100年頃の聖書よりももっと大先輩なのだから、イラクのメソポタミア文明もとても敬服しちゃうね。楔型文字のハムラビ法典を解読すると、これがまた素晴らしいんだよね。古代オリエント最初の世界帝国アッシリア帝国文明を別段研究したいわけじゃないんだけど、古代人の素朴な勧善懲悪というか、けっして現代文明ほどには政治支配力や権力闘争が思いのほかドロドロはしていないんだよね。復讐の権利もハムラビ法典では認められているから、人間の感情に対して誠実というか。現代文明ではそんなことは野蛮と批判されて、許されてもいないけれども、古代メソポタミアでは人間同士の殺戮に対して法典を設ける、という知恵が生まれたことで、最低限の人間浄化はされたんだね。今のイラク国民同士が対立したり反米であったりするのも、根強い文明の神々が土着しているからなんだろうねえ。それほど永い歴史の重みを抱えているというか。[参考資料: 『ハンムラビ「法典」』(中田一郎訳 リトン社 1999年)]

まあ、それにしても、「罪を憎んで、人を憎まず」って、殺された側の家族にしてみれば、それは机上の空論だよね。日本の侵略戦争によって莫大な数の中国の人間が惨殺されたのだもの、罪を憎んで、領土拡大のために大虐殺してしまった日本人を憎まないでね、って小泉首相がいくら頑張って言っても、戦後まだ60年ぽっちしか経っていないんだもの。侵略戦争に巻き込まれて、戦争の悲劇を知っている者が現に今もたくさん生きておられるのだもの。家族や身内を失って、たくさんの犠牲者が戦争で双方に出た史実は、そんな孔子の言葉でいくら説明したって、言葉で補えるもんじゃないよね。中国からいつまでも犯罪者扱いに見られている日本の若者をはじめ戦後生まれの世代の人たちが、私にはとても不憫に思えて可哀相なんだけど、だから逆に両国が戦争をしていないあいだに、仲良く生きてゆく努力が必要だのに、うちの国のリーダーさんは、変に頑固さんなんだから、もうまったく子供みたいに依怙地に靖国神社を参拝したがるんだから、まいっちゃうよね。小泉首相がずうーっと靖国参拝しなけりゃ、中国側は御機嫌よろしくしてくれるって言うんだから、簡単なことなのに、営業外交が下手だよね。そんなことですべてが丸くなるんだったら、日中間の憎悪も減少するし、自分を捨てて、日本国民のためだけに政治の道を捧げられたら、小泉ファンは今よりもっと増えるかも。「捨身飢虎」が出来ないようでは、立派なリーダーとは言えませんわな。人間として修業が足りんというか、まっ、私のような貧乏臭い卑しい頭の悪い平民から言われたくもないやろけど、この頃、忙しうて、近所の神社にも行かれへんワ。大体、生まれつきアホやさかいに、アホにならんとこ思うて、毎日ちょこっとちょこっと日本語を読み書きしてまんねんや。でけへんことは仕方ないやろけど、小泉はん、もうちょっとだけ、わしら下層の国民も大事にしてくれたら、うれしいねんけど、どないやろな。

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5月23日(月)
詩『空のかたみに』(JR福知山線 尼崎列車脱線事故レクイエム)の縦書きを公開。
5月16日(月)
わたしが個人的に今好きなTV連ドラの第1位はキムタクの『エンジン』。第2位はクサナギの『恋におちたら・僕の成功の秘密』。第3位は篠原涼子の『anego・アネゴ』。第4位は矢田亜希子の『夢で逢いましょう』。それら4つのドラマが毎週楽しみなわけだが、その中でも最もお気に入りの主題歌は、『夢で逢いましょう』の主題歌『ついてゆくわ』。これはユーミン(松任谷由実)作詞・作曲の歌で、来月の6月1日にシングルでリリースされる予定となっている。なんとも心温かいメロディーと歌詞で、聴けば聴くほど、たまらなく好きになってしまった。ほのぼのとして、癒された、やさしい時の流れに包み込まれる、すてきな名曲となることだろう。

20年余りばかり前、国鉄がまだJRになるちょっと前の頃になるが、わたしは鉄道の保全作業の仕事を1年間くらいだったか、したことがあるが、恐怖を背中に感じることが何度となくあった。その恐怖は鉄道に限らず、いろんな高所作業や危険な肉体労働での、絶対絶命のピンチから次第に体力を奪われてゆく瞬間瞬間だった。人間の吐く言葉など屁とも思わないが、自分の肉体が己れの体力不足から次第に死へ落ちてゆくのが肌に感じ始めた瞬間、何とも言い知れない恐怖が背中にひたひたと伝わって、冷汗に襲われていたのをよく憶えている。おそらく、わたしは運がよかっただけで、そういった仕事の同僚仲間の何人かは、死んだり重傷を負ったりしていた。その頃、足が地に着いた仕事なら何でも天国に思えたものだった。粉塵や猛毒や汚染物質や危険な液体もない環境であれば、もっと天国に思えたものである。

JRの「日勤教育」も、人間の強要・恐喝も、人間の吐き出す醜い言葉も、己れの死の代償に比べれば、言葉ほど無力でむなしいものはない。脅しの気炎を吐く者ほど、死の恐怖を味わったことがないようだ。己れの肉体の死の淵を身を以って味わい知れば知るほど、初めて人は目が覚めるのか、一度死にかけたら、どんな人間も人にやさしくなるようだ。危険な肉体労働をしている人ほど、実に思い遣り深くて本当は優しい。現場で生きる人たちと、机上の脳味噌で生きる人たちとは、決定的に人間が異なるようだ。現JR経営者さえ恐れる旧国鉄のドンと囁かれているらしい日本高度経済成長時代の亡霊が、日本の経済界に眼に見えない形で徘徊しているとかで、週刊誌が追求し始めているようだが、その眼に見えない亡霊がJRの「日勤教育」を作ったとして問題視している。だが、わたしにはその亡霊が人間の亡霊なのか、日本の風土で培養され続けている、もっと根深いところで受け継がれて来た歴史上の亡霊にもみえる。地位や勲章が大好きな、人間差別が大好きな、社会の秩序よりも社会を支配しようとする、島国日本風土固有の閉鎖的な歴史の亡霊と映る。『日本書紀』と『古事記』を読むと、その妖怪にも似たバカバカしいほどの平凡な亡霊の姿が判って来る。さて、これ以上Webに書き残してしまうと、傷ついてしまう人たちもいるので、今日はここらでやめておくことにする。

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5月 2日(月)
詩『空のかたみに』(JR福知山線 尼崎列車脱線事故レクイエム)を追記。この脱線事故による犠牲者はさらに増えて、死者107人、負傷者460人に(朝日新聞Web版)。
4月27日(水)
この頃田舎の本屋で思うことは、時代から取り残されてゆくような自分の感覚である。成功の秘訣だとか、成功への儲け方だとか、起業家への道だとか、大衆に媚びた売り上げ本位の、テレビによく出る有名人や評論家や芸能人の著書や雑誌がやたら目に付く一方で、コミックやマンガ本の頗る多いこと、マニアックな世界がありそうで、掘り下げた専門書は実に少なく、幅広くて浅いジャンルは誠にバラエティーに富んでいるわけだが、どこの本屋へ行っても特徴がなく、まるでコンビニと変わらない。東京や大阪の大都会の大きな本屋や古書街がなつかしくて仕方がない。生前、詩人の金子光晴が、ボクは姫萩が花のなかでは最も好きだ、と言ったが、武蔵野で晩年を過ごした詩人の風情もまた、なつかしくて仕方がない。生前に武蔵野の詩人のお宅をお邪魔した日のことが、今も忘れられない。

金子光晴は、怒れる時には怒れよ、と晩年に何度も言っていたが、それを文人の使命として頑と譲らなかった。誰も言えないようなことをズバリ言いのけて、自らの信念で己れの考え方を決して曲げることはなかった。政治家であろうが大企業の社長であろうが、正しくないことは堂々と相手に向かって述べていた。利害関係に弱い大衆の代表としても、よく代弁していた。人間は誰でも過失をする。だが、罪悪は決して許すことはなかった。悪意に満ちた罪業を見つけた時、詩人は大声をあらげて阻止しようとしていた。人間の本性は弱い。人間の弱さを知るがゆえに、詩人は神のような声を求めて詩歌に託すのである。過ちと悪業とは違うがゆえに、詩人の眼光はいつも鋭かったのだ。捏造、策略、詭弁、口実、そして権益、保身、権力、あげくは恐喝、それらすべてを喝破して立ち向かった一人の放浪詩人、それが晩年の金子光晴という詩人だった。

安全より経営効率に目が眩んでいったと非難指摘されるJR西日本の、今回の尼崎脱線事故は、あまりにもひどい大惨事でJR側に弁解の余地はまったくないようだ。過失が悪業に転化するのは、今後の鉄道運営のあり方次第となる。経営者が社員に冷たくて、社員がお客を守れるわけがない。仕事がきびしいということと、社員を冷たくあしらうということとは次元が全く違う。その経営体質も複合となって、今回の未曾有の脱線事故につながり、同時に鉄道の根幹であるべき保全設備に綻びが出てしまった要因の一つであったことは否めない。科学的物理的検証のもとに再発を防ぐことは当然であるけれども、人の一度きりの人生を無惨に突然絶ってしまった事実は、人災である限りは罪がのしかかる。その犯した罪をどう償ってゆけばよいのか、人命の尊厳をいかに最優先すべきか、この当たり前のことがいまだに出来ない鉄道の改善は、もっと深刻に、もっと早急に、これから大きく重く求められることになる。現在、死者80名、負傷者456名(朝日新聞Web版)。4月25日(月)午前9時過ぎ事故発生以来、今も一縷の希望を持って生体反応の無いなか昼夜を徹し必死の救出作業が続く。

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4月22日(金)
大阪マルビル2Fの吉美画廊というところから和気史郎展の案内ハガキが届いていた。今こちらの画廊では4月16(土)〜4月29日(金)まで和気史郎展を開催とのこと(毎週水曜日は休日)。お近くの方は是非足を運んでください。和気画伯は生前晩年まで確か大阪に拠点を置かれて活躍されておられたかと思うが、1988年4月27日に享年63歳で他界されたようだから、この春でちょうど十七回忌にあたるわけで、それを機に展覧会が吉美画廊で開催されるのは、とても感無量の思いがする。和気画伯を偲んで私も画廊を訪ねたいところではある。和気史郎の雅な世界は、当方Web内の「美術散歩」〜「幽玄と美意識」にて紹介しています。

さて、吉美画廊からの案内ハガキによると、当方Webを拝見してお知らせされたようだ。活字案内文に添えて、手書きでも、是非お立ち寄り下さいませ、とある。細長い絵葉書で裏面には和気史郎の作品が4点ほど綺麗に印刷されている。画廊店主の和気画伯への熱い想いがあらわれていて、久しぶりに芸術の温かみを受けた気がする。私が持っている手元の和気史郎の画集1(序文・河北倫明)に、この絵葉書は記念に納めておくことにしよう。絵葉書にある作品『興福寺』は、私がかつてこの絵も欲しいと思い、『興福寺』シリーズの内の1枚を買おうとしたこともある。結局は当時、作品『苔寺』しか買えなかったわけだけれども、その時20代の青年には少々高額ではあったのだ。

作品『小町』シリーズには『二人静』と両方あって、『友禅』のタッチにもやはり月光がシンボルとなっている。実に幻想的な優美な能の世界が展開されるのだ。薪能の題材にもそれらは現れる。あの赤み帯びた情念の幽玄さや、色艶やかな緑苔と吸い込まれそうな鏡となった池の神秘さは、絵画が大きくなるにつれて、それはますます迫力が増すから、まさにこういった世界を人は絶品と言うのであろう。油絵でここまで日本美を探究した洋画家は、和気史郎の他に私は知らない。日本美の探求は、ほとんどが墨毛筆岩絵具の日本画家たちによるものである。日本画手法では物足りなかった和気史郎という謎めいた画家が、狂気と正気のはざまで、どう生きていったのか、作品を思い起こすたびに興味は今も尽きないでいる。
4月20日(水)
フジテレビがニッポン放送を傘下にしてライブドアと業務提携することになったそうで、メディアとインターネットが融合した新しい文化が生まれるとのこと。その一方でライブドアには1400億円ものキャッシュフローが転がり込むらしい。金を動かし金に操られる人間たちの買収劇が一旦は幕を閉じることに。ずいぶんお金のかかる新しい融合文化のようだ。お金をかけて出来上がった文化もあれば、お金のかからない詩歌や文学作品などの文化もあるが、お金に左右されるような物質文化に精神的なものや思慮深い人間叡智はあまり期待できそうにはない。美輪明宏が、ホリエモンには文明があっても文化は身に付けてはいない、とTV番組で非難しながら指摘していたが、その口調は三島由紀夫の『文化防衛論』をそのまま講義しているようだった。文明と文化の違いがわからない現代人を嘆いているところは、三島文学そのままである。メディアの弱点、言葉より映像を優先する。文学の弱点、言葉から映像を連想する。ネットの弱点、言葉の文化に欠けている。情報は人間の叡智ではない。

中国のネット社会も日本のネット社会も、情報の氾濫でしかない。情報に叡智はない。反日運動でデモを繰り返す中国人の多くは、テレビで観るかぎり戦争を知らない若者世代がほとんどのようである。共産圏の独裁政党の膝元で「愛国無罪」という言葉を巧みに利用しながら、日本人や日本料理店や日本企業を狙い暴徒化して来た中国人若者たちを見ていると、その姿から逆に日本政府の対局のあり方が鏡のように映って見えて来る。暴徒が激化すればするほど、日本政府の姿が見えて来るのはどういう現象なのだろうか。日本国内では年金問題や景気問題を最優先して欲しい国民感情を無視して、関心の薄い郵政民営化のお題目とお政り(お祭りごと?)騒ぎにうかれて東奔西走の演技にしか見えぬ政治家たちは、反日で悪影響が出始めた日本企業の景況悪化や国民の大半の苦しい家計のことなどは、まあ、どうでもいいのだろうけれど、それでもわれわれ庶民は強く生きてゆかねばならない。家庭や家族を守り、生きれるだけ生き抜いてゆけば、きっと人生には思いがけない、いいことだってたくさんあるだろう。人間の命は尊い。いかなる人の命に危害を与えてはならぬ。人が人を殺める時、憎悪は復讐となる。復讐が止められない時、人は悲劇の第一歩を歩くことになる。悲劇が悲劇の連鎖となる時、人は戦争しなければならなくなる。国民を戦争に巻き添えにするのは、常に身勝手な国家の元首たちである。この世は花ともなり、地獄ともなる。

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4月19日(火)
三日振りにサンマ定食にありつけた。吉祥寺駅ちかくの朝日食堂、ホウレンソウのおひたしも付けて。空腹のあまり、手が震える。箸もブルブルと震えている。三日振りのご飯だ。なに、お金がなかったわけではない。三度のメシより読書が好きになってしまっていたのだ。読書三昧の中毒にかかっていたようなもので、気がついたら、三日も経っていた、というわけ。朝昼晩の区別もなく、部屋でゴロゴロと本ばかりを読んでいた。節操のない大学生活で、時間の観念がまるで無い。好き放題の時間を過ごしていた。今から思えば、夢のような時が流れている。だが、大学生活を過ごしていた時の自分は、およそ人間とは思えないようなハリネズミだった。神経質そうで、顔も蒼白く、ありゃまるで青二才の幽霊だね。思考力だけが鋭敏になって、行動力は全然ないのだ。

行動力とは、動きまわることではない。何も出来ないから大声を張り上げたり、のたうちまわって大暴れしているなんぞは、成長しない子供と一緒だ。行動力のある大人は、出来ないことや出来ていないことを黙って成し遂げる力を持っている。一つの仕事を成し遂げてこそ行動力といえるし、一つの仕事が出来ない限りにおいては、出来ない理由を聞きたくもないし、とても行動力があるとはいえない。ところで、吉祥寺の朝日食堂は今でも繁盛しているだろうか。下宿先から歩いてわずか10分の道のりを、空腹のあまりまともに歩けず、途中何度も何度もしゃがみ込んで、フラフラとめまいを起こしながら、やっと辿り着いた、いつもの大衆食堂だが、ひどい時は1時間もかかっていたような気がする。井の頭公園の樹林に射す日光が、いつも美しく見えたものだった。もしあの公園がなかったら、オレはノイローゼになって、今こうして生きてはいなかったろう。武蔵野の面影を残す井の頭公園が、こんなオレを救ってくれたのだな。井の頭公園よ、ありがとう。
4月18日(月)
転落の日々は二十歳に始まった。吉祥寺駅から東小金井駅との往復、再び吉祥寺駅、きまって駅内の本屋に立ち寄り、ひとり絶句する。世間知らずで幼稚なオレ、思慮に乏しい軽率な、うすっぺらな己れの概念。大学のサークルでの仲間が、めずらしいことを言い寄って来る。「サルトルを知らないの?」とか、「ニーチェも知らないの?」とか、衒学的な表情をうすら浮かべて嘲笑っていた。「僕はねえ、アルチュール・ランボーの詩が好きでねえ、石炭を食べて生きているんだよ。キミも食べてみたら」とオレをそそのかしていた。「これをキミに預けるから、読んでみたまえ。すばらしいから」と彼はオレに本を置いていった。サルトルの『蝿』だった。オレはそれを手に取り、ついにページを一度も開くこともなく、読むことはなかった。

理由は簡単。本の題名が嫌いだった。なんて美しくない題名だろう。ヘドが出そうな題名だぜ。第一、なんて不潔な題名なんだ、『蝿』だと、品のないタイトルを、なんでこのオレがアイツに言われて読まんにゃならんのだ。生意気にも、オレにもっと哲学を勉強しろってか、イヤだね。誰が蝿の勉強などするもんか、バカにすんじゃねえ。サルトルだかサルマネだか知んねーが、第一、人に本を貸すんなら、もっと綺麗な本を持って来いってんだ。こんな雨に濡れて、シミだらけの、ひん曲がった、腐ったような本を持って来るかなあ。本は中身じゃなくて、外観とタイトルじゃねえの。こんなしみったれた本に、いい事なんか書いてあるわけないだろう。いったいアイツの神経はどうなってんだよ、と、当時を振り返れば、サルトルもえらい迷惑な話しではある。翻訳されて、いつ、いかなる国の、いかなる読者に、世界中でどんな風に思われてしまうのか、本との出会いもさまざまに運命づけられているのであろう。

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