入試も終わり、学校内は次年度の準備を始めている中、私は以前から行ってみたいと思っていた「飛騨高山」へ行ってきました。異動をしてからこの一年はかなり忙しい年となりました。学校内にある分掌の中で一番忙しい分掌に所属したので仕方ないのですが、他の学校に比べて人数が半分くらいしかいないため一人が抱える仕事が2倍以上になってしまうのは何とかしてほしいです(今年度から6名体制が8名に増員。良かったと言いたいのですが仕事量は減った気がしない…)。

 3月28日(月)、春休みに入って最初の平日。8:30頃自宅を出発し、八王子I..C.から中央高速に乗って一路「飛騨高山」へ。平日なので渋滞もなくスムーズに車を走らせて、9:30頃、双葉SAで最初の休憩。サービスエリアはスポーツクラブの子供達が来ているくらいで、夏休みのような混雑はありませんでした。まだまだ先は長いので、少し休憩をして再び本線へと戻り、分岐点である岡谷JCTから長野自動車道へ入り、松本I.C.で一般道へ。飛騨高山へ行く方法は、今回使った中央道〜長野道を使い松本を抜けて目指すルートと、東名道(中央道)〜名神道〜東海北陸道を使い飛騨清見から高山市内を目指すルートがあります。松本を抜けて行くルートは山道なので冬期はスタッドレスタイヤなどの装備がないと行くことができません。松本市内を抜けると、周りはだんだんと民家もなく閑散とした雰囲気になってきます。この道は夏の時期、上高地へ行く人で混雑していますが、冬は上高地への道が通行止めとなっているため静かなものです。標識や掲示板を見ると、通行できないのではないかと思ってしまうのですが、安房(あぼう)トンネルが開通したおかげで冬も高山へと抜けることができるようになったのです。トンネルができるまでは安房峠を越えないと行けなかったので、冬は通ることができなかったのです。安房トンネル有料道路を通り長野県から岐阜県へと入ると、周りは雪が多くなり雪国に来たような感じになります。
 12:00頃、平湯大滝公園に到着。安房トンネルの出口からすぐの所に入口があります(ちょっとわかりにくいかも)。駐車場に車を止めて「平湯大滝」を見学に。滝までは歩いて10分くらいなのですが、シャトルバスも出ているとのこと。この時期は雪が多く、滞在している間にバスが通った形跡はありませんでした。駐車場の入口にいた人は、バスが出ているようなことを言っていたのですが…。かなり雪が積もっていたのですが、滝までの道は雪かきされていたので問題なし。と言っても、足下は水たまりが多く歩きやすいとは言えませんでしたが。滝は少し凍っていて何ともきれいだったです。雪が積もり近くまでは行けなかったので、真下からの迫力のある景色を見ることはできませんでしたが、道が整備されているようなので夏には近付いて見ることはできそうです。

3月も終わりなのに、一面雪景色!
平湯大滝
雪が多く近くまでは行けません。

 公園内には食堂や売店があるので、ひと休みもできます。お腹が空いたので昼飯に、名物の飛騨豚のかつとじ定食を食べました。かつは柔らかくて美味しかったです。他にも飛騨豚のヒレカツ定食もあり、こちらもおいしそうでした。ちなみに観光地定番のカレーやラーメンもあったので、定食はちょっと…という人も心配いりません。
足湯もあるので滝を見てマイナスイオンをいっぱい浴びた後にリラックスすることもできます。(この時期は営業していないのですが…)

足湯
冬期はやっていません。
昼食は、飛騨豚を使ったかつとじ。角
煮も付いてお得でおいしかったです。


 見学と腹ごしらえをしたので、高山市内へ向かうことにしました。平湯から高山市内までは1時間ほどで着きます。今回泊まった宿は、高山市内の東側にある城山公園の高台にある「宝生閣」です。高山駅からはちょっと離れているのですが、高山陣屋や古い町並みに歩いて5分くらいで行けるので、散策するには好立地の宿だと思います。ちなみに私が選んだ理由は好立地の他、一人で泊まれる宿にしてはちょっとリッチそうだったからです。JTBのパンフレットには一人で泊まれる宿がここ以外にも何カ所かありました。
チェックインは15:00だったのですが、14:30前に着いてしまいました。そこで、早めにチェックインして、市内散策をする事に。高山市内へ着いた頃から、空から雪が降ってきました。この日は午前中からあいにくの天気のようで、旅行日和とは言えませんでした(日頃の行いは良いと思うのですが…)。でも折角来たのですから楽しまないと。まずは高山陣屋へ行ってみました。宿を予約した時に冊子になったクーポンをもらったので早速使ってみることに。このクーポンを使うと団体料金で入れるのです。少しでも安くなるのは嬉しいですよね。


『郡代・代官が仕事をした役所』を言い、高山陣屋は幕府直轄領としては全国でただ一つ現存する建物です。ここは役所だけでなく、郡代役宅・御蔵も併せ持っており、その全てを総称して「高山陣屋」と呼んでいます。郡代は陣屋を中心とした地域を取り仕切るために、江戸から派遣された今で言う『知事』のような役職でしょうか(もし間違っていたら教えて下さい。私の中でのイメージはこのような感じです)。

  一歩足を踏み入れるとまず目にするのが、葵の御紋です。入口は当時郡代などが出入りした玄関です。見学コースの最初は役所部分で、実際に仕事をしていた『御役所(おんやくしょ)』や寺院・町年寄・町組頭がいた『詰所』、会議等に使われた『大広間』を見ることができます。私と同様に見学に来ていた人が『たくさんの人が働く場所にしてはトイレの数が少ないよなぁ』と言っていました。確かに見学していると何カ所かトイレはあったのですが、今の役所の数からするとかなり少ない感じがしました(見るところが違うなと少し感心)。役所部分が終わると郡代の生活していた役宅部分の見学になります。建物は分かれているわけではなく、あまりプライベートは守られていたような感じではないようです。座敷や茶の間の他、台所が2カ所あり、郡代など偉い人と使用人の食事を作る台所は分かれていたようです。その後コースは一度役所に戻り、刑事関係の取り調べを行った吟味所・御白洲など時代劇で見たことのある場所を見学します。大岡越前に出てくる南町奉行所のように広くはないですが、拷問などが行われていたことを示す責台(せめだい)や抱石(だきいし)も置かれており、当時の取り調べの様子を見ることができます。抱石は1枚約40kgもあります。見ているだけで辛そう…。次は渡り廊下を進み、御蔵の見学です。元々は高山城三之丸にあったものを元禄8年(1695年)に移建し、年貢米の蔵として使われていたそうです。建物は内部で8つに分かれており、それぞれの蔵で高山の歴史や文化を示すような史料が置かれ、当時の様子などを知ることができます。

高山陣屋 入口
御役所(おんやくしょ)
郡代・手付が仕事をする場所。
大広間
写真では分かりませんが、かなり広いです。

御白州(おしらす)
責台(せめだい)と抱き石
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古い街並み
雨降りの夕方なので人もいませんでした。
高山祭で使われる屋台はこのような建
物の中にしまわれています。
 陣屋の見学を終え、今度は古い町並へ行ってみることに。ここは一之町から三之町までの三筋を総称して言われており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。周囲の町並みもひっそりした雰囲気を出しているのですが、やはりこの一角に足を踏み入れると、他とは空気が違うような感じがします。おみやげ屋さんの他、食事処、酒造所があり、それぞれの店構えは江戸時代の造りをしています。夕方であったので幾つかのお店をのぞき、宿へ戻ることにしました。


今回お世話になった宿「宝生閣」
 宿に戻り、夕食前に温泉へ。大浴場の他に露天風呂が2つあり、その一つは檜造りの寝湯風呂になっています。目が悪い上に辺りは薄暗いこともあり、寝湯風呂であることに気づかずそのまま入り、びっくりしました。ここには貸し切りの露天風呂もあり、高山の町を一望しながらのんびりと温泉につかることもできます。
 食事は、食事処にて夕・朝食共に出されます。一日目の夕食は、高山牛の焼き物やとろろ蕎麦などかなり豪華でした。また、地ビールもおいしく、食事と共にかなり進んでしまいました(笑)。

 二日目は早めに出かけようかと思っていたのですが、起きたらなんと8:00。朝食は確か…急いで用意をして食事場所へ。鮭の切り身、焼き海苔とごく普通のもの以外に、高山名物の朴葉味噌、味噌汁代わりに豚汁(餅入り)があり、朝からたくさん食べてしまいました。9時を過ぎ、いよいよ出発。この日は「白川郷」にカーナビをセットして、示すルート通りに行ったのですが、なんと通行止め。そういえば途中の掲示板に通行止めの文字が出ていたような…。さすがに通行止めであることはカーナビにはわからないですよね。周辺を調べても通行止めが多く、仕方なく大回りをすることに。そのため1時間半で行くところが4時間もかかってしまったのです。もう少し調べていれば無駄な時間を使うこともなかったのに…。

 白川郷に着く頃は雪が舞い、かなり良い雰囲気になっていました。合掌造りは初めて見るのですが、写真などで見るよりもかなり大きかったです。和田家は庄屋や番所役人を務めた村の名家で、この白川郷では最大規模の家屋となっており、国の重要文化財に指定されています。現在でも、実際に住居として使用しているのですが、一部を観光客のために開放しています。遠くから見ても大きな印象があったのですが、建物の真下まで行ってみるとその印象以上に大きく、屋根が高い(傾斜が急)ことがわかります。中に入ってみると、昔の雰囲気が残るなか、現代の生活に必要な物品もありちょっとおかしな感じもしました。1階には、名家と言うこともあり仏間には大きな仏壇がおいてありました。ひっきりなしに出入りする観光客に、ご先祖様もびっくりなさっているのではないでしょうか?仏間など一部は畳敷きの部屋に作り替えられていたのですが、入口付近は当時から使っていた囲炉裏や、漆塗りの食器が展示されており、当時の生活の一部を見ることができます。
2階へは急な階段を上っていくのですが、手すりがないと転げ落ちそうなくらい勾配が急(60度以上はあったのかな?)で、お年寄りの方や小さな子供は上るのにかなり苦戦していました。でも、昔の人はこの急な階段が普通だったのですよね。そう考えると現代人は足腰がかなり弱ってしまったのでしょうか。便利な世の中になりましたから、そうなるのが当たり前ですよね。2階には、当時使われていた養蚕の道具や農耕具が展示されていました。当時の産業は、養蚕だったことがよくわかります。見学に来ていた方の中でも年配の方は、数々の道具を見て懐かしそうに話をしたりしている姿が印象的でした。養蚕は全国各地で行われ、製糸工場も産業の中心としてフル活動していましたから、携わっていた方も多かったと思います。

天生(あも)峠を引き返してきて一枚。
左にある道路情報には全面通行止の文字が…
駐車場より荻町集落を望む。
和田家(国重要文化財)

1階にある囲炉裏
今でもしっかり使われています。
2階の様子
実際に使われていた養蚕の道具が展示されて
います。
養蚕道具(繭を入れた箱や繭棚)
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釘などの金物類をいっさい使わずに、木や竹、和紙など身近な自然材料を使っている。約40年ごとに行われる
屋根の葺き替え作業は、結(ゆい)と呼ばれる村の相互扶助によって行われ、その作業は数日間にも及ぶ大仕
事です。1軒の葺き替えは総勢100名で1日がかりで行われます。現在、荻町集落には116軒の合掌造りが
残り、平成7年、富山県五箇山の相倉集落や菅沼集落とともに、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。


 荻町集落には、和田家の他にも内部を見学させてもらえる家が何カ所かあり、そのうちの1つ「長瀬家」を見てみることにしました。メインストリ−トから一歩入った奥にあるのですが、最近公開を始めた感じでした(私の持っているガイドブックには載っていませんでした)。和田家とはまた違った造りとなっており、入口を入ってすぐに囲炉裏があり、数人の観光客がお茶を飲んでいました。そういえば、看板にお茶をふるまってくれるようなことが書いてあったような気がします。こちらの家も代々続く旧家のようで、こちらの家で使っていた道具や食器、医者をしていた当主が使用していた医療器具がショーケースの中に展示されていました。合掌造りの建物は5階建てになっており、白川郷でも最大級の家屋です。1階は生活をするためのスペース、2階は使用人の寝所、3〜5階は養蚕や農作業をするためのスペースになっていたようです。現在の長瀬家は1階と3〜4階が展示スペースとなっており、養蚕に使った道具や縄を編む機械、筵(むしろ)を作る機械などが展示してあります。平成13年に、屋根の葺き替えが約80年ぶりに行われ、NHKでその様子が放映されたそうです(室内でビデオが流れていました)。

長瀬家(国重要文化財)
縄編み機と筵(むしろ)編み機
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ねそ
(この地方に群生する粘着質の灌木で弾力性があり、合掌建築を支える重要な用材)


野外博物館合掌造り民家園 入口
 午後から訪れたこともあり、時計を見ると3時近くになっていました。そろそろ宿の方へ戻らないと…。残念ながら、荻町集落全体をゆっくり見ることはできませんでした。駐車場の近くには、廃村になった白川村の集落の民家25棟を移築した「野外博物館合掌造り民家園」がありますが、今回は時間もないので見学しませんでした。ちなみにここは、民家の中で木工や機織りなどが体験できます。

 雪深い時に来てみると、もっと良い雰囲気が味わえるのかなぁなどと思いながら、来た道を戻ることにしました。帰りは国道156号線、東海北陸自動車道を通り、飛騨高山までは2時間かからずに到着しました。こんなに近いとは思わなかったです。最初から調べておけば…と悔やんでも仕方ないのですが。



 3日目、朝起きてみると外は雪景色。昨晩降ったようで、雪国に来たんだなと再び思いました。食事を済ませて早めに宿をチェックアウトして、「飛騨の里」へ行ってみることに。高山市内からは車でそんなに遠くはありませんでした。
飛騨の里は、昔の民家や生活用具など、時代の流れと共に失われたり壊されてしまったりする運命にあったものを集め、後世に伝えるために作られた場所だそうです。周辺の村から国指定重要文化財の4棟を含めて30棟の旧家が移築され、それぞれの家屋で昔の生活の様子や養蚕用具、山村生産用具を見ることができます。それぞれの家屋で、大きさや造りが違ったりと時代の移り変わりが見て取れる場所ですので、建物に興味がある方は一度見てはどうでしょうか。私が行ったときには、一部の家屋でお雛様の展示が行われていました。現在よく見る人形とは違い、いろいろな形・服装の雛様がいました。

飛騨の里 入口
旧若山家(国指定重文)
雛人形の展示をやっていました。

 その後市内に戻り、高山で有名な屋台が展示されている「高山屋台会館」を見学しました。桜山八幡宮の境内にあり、通常は高山祭の時にしか見ることのできない屋台を一年を通して見学することができます。高山祭で使用される屋台は現在23台あり、秋の「八幡祭」で使用される11の屋台が保管され、そのうちの4台が4ヶ月ごとに入れ替えられて展示されています。ちなみに他の12台は、市内のあちこちにある屋台蔵に収められ、春の「山王祭」のときに見ることができます。館内は、屋台の保存のために証明を少し落とし、ちょっと暗めになっています。屋台は7mの高さがあるのですが、屋台に合わせて館内を作ってあるので、屋台全体を見ることができ、初めは下段・中段を見学して、4台それぞれの装飾や台車の造りを見たあと、上段の装飾やからくりを上からのアングルで見ることができるようなコースになっています。秋の高山祭では、からくり屋台は1台(布袋台といいます)しかありませんので、10月の祭りの時期以外で見ることができるのはここだけです。ただし、入れ替えを行っているのでタイミング良く展示されていればの話なんですが(私が行ったときには見ることができました!)。また、時間制で館内を係の方が案内してくれますので、祭りの話や屋台やからくりの構造などを、1台1台丁寧に教えてもらえます。

高山屋台会館 正面入口から
正面にあるのが「屋台」です。
2階より、上部を見ることができます。

 八幡宮の境内には「桜山日光館」があり、屋台会館の入館券で見ることができます。館内には、大正時代に製作された日光東照宮の模型が展示されています。この模型は実物の10分の1で、陽明門や本殿、拝殿、五重塔など28の建物や鳥居などの付属物も全て忠実に再現されています。飛騨高山の地が、徳川家や日光東照宮と深いつながりがあることや、左甚五郎(東照宮にある眠り猫の作者)の出生の地であることから、この地に保存・展示されているそうです。大正時代に作られたとは思えないほど精巧に作られており、技術者の高度な技を見ることができます(33人の技術者が15年かけて製作したそうです)。東武ワールドスクエアの展示に匹敵する(それ以上かも…)ものだなと思いました。

桜山日光館 入口
なんとここにも「眠り猫」!
陽明門(とっても細かく再現されてます)
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お昼を食べた高山ラーメンの店
「やよいそば」さん
 桜山日光館の見学を終え、そろそろ昼時となったので宿を予約する際にもらった「ラーメンクーポン」を使って高山ラーメンを食べることにしました。クーポンの使える店を探すと、八幡宮の近くに「やよいそば」と言うお店があったのでそこへ行ってみることに。ガイドブックにも載っているだけあって、自家製のちぢれ麺にしょう油スープが絡み合ってとてもおいしかったです。市内には他にもあるので、食べ比べてみても良いのではないでしょうか。

 食事をして、いよいよ帰路につくことにしました。旅先を離れるときは、いつも後ろ髪を引かれるような気分になってしまいます。高山市内から平湯方面を目指し、一路東京の自宅へ。3日間の総走行距離は777.1km。今までで一番走った3日間でした。


今回行った場所のホームページアドレスは以下の通りです。
皆さんが訪れるときは、参考にして下さい。
・「宝生閣」  http://www.hoshokaku.co.jp/
・「奥飛騨 平湯大滝公園」  http://www.hirayuootaki-park.co.jp/
・「高山陣屋」  http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s27212/
・「白川郷 合掌造り」  http://www.shirakawa-go.gr.jp/
・「飛騨の里」  http://www.hidanosato.org/
・「高山屋台会館」  http://www.hida-hachiman.org/yatai_kaikan/index.html
・「桜山日光館」  http://www.hida-hachiman.org/yatai_kaikan/nikkoukan.html
その他の観光情報などはこちらへ。
・飛騨総合ポータルサイト  http://www.allhida.jp/
・高山市観光情報  http://www.hida.jp/