「西国巡礼めぐり」がいつから始まったかについては定説がないが、
かなり信じられてきた伝説はある。
養老年間(718年頃)、長谷寺の徳道上人が自分が病気であった時、
夢の中で閻魔大王に会い「人々の悩みを救うために33ヶ所の観音
霊場を広めよ」と言われたとして、畿内に33ヶ所を設けた。だが、その
案は日のを目を見ず、忘れさられていた。
それから270年後、花山法皇が熊野に詣でた時、熊野権現が現れて
「徳道上人の勧めた観音霊場を再興するように」と伝えたとか。喜んだ
法皇が、熊野那智山を一番にして33の霊場を巡られた。
その後、西国巡礼が盛んになったので、花山法皇が西国札所再興の
祖とされている。
この伝説により、徳道上人の「法起院」、花山法皇のゆかりが深い
「元慶寺」と「花山院」の3寺が観世音菩薩を本尊としないにもかかわ
らず、番外札所になっている。
左写真の掛け軸は、97年〜99年の間に西国33ヶ所を訪れ、掛け
軸に朱印をいただき、満願後に表装して仕上げたものである。
(左写真をクリックすると拡大表示されます。)
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【参考資料】
「西国三十三ヶ所巡り」 (昭文社)
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