☆ バーバーイリノ ☆ 和歌山市松江にある散髪屋です。

赤青白の看板

散髪屋さんで見かける赤.青.白の三色がクルクル回る看板の名前はサインポールと 私たちは呼んでいます。じゃなぜ三色なのでしょう?

動脈.静脈.包帯という説は?

ちまたで広まっているサインポールの配色は、動脈(赤)、静脈(青)、包帯(白)、を表しているという説があります。

参照図書「日本の理髪風俗」著者.坂口茂樹によると、イギリスで学識医、理容外科医、湯屋外科医のそれぞれの標識(サインポール)を区別する規定が、1299年に行われていたらしい。

そして、イギリスの医家ウイリアム・ハーヴェーが著した「心臓を中心とする血液循環の原理」の中で、赤を動脈、青を静脈にたとえたのは、1628年の事である。

従って、これより329年も前にサインポールは存在していたのである。

この説は、否定しても良いようです。

瀉血(しゃけつ)?

サインポールの発祥はイギリスです。

16世紀に理髪外科医の看板に由来しています。

髪をきる理髪師は、身体を切るのと等しい作業をするということから、外科医と同職になったと考えられます。

しかも、その目印として血の入った皿を店頭に出すか、その皿を細長いポールにつるしていた。

そして、1606年に血を見せるのを禁止し、ポールだけが残った。

その棒が瀉血(しゃけつ)する際、患者が手に握るバーバーズポールとなる。

     

この瀉血とは医学が発達していない当時、静脈をカミソリで切り、血を流すとともに病を静めるという治療法です

その血が腕を伝いバーバーズポールへ流れることがあり、目立たないようにポールを赤く塗るようになった。

治療を終えた患者は傷口を包帯で縛る。

当時、貴重品だった包帯は洗って再利用された。

それを干す際に、包帯をバーバーズポールに巻き付けて、軒下に45度の角度で掲げていた。

これがサインポールの始まりだそうだ。

     

1745年には理髪師と外科医が分裂。

理容のサインポールには青が加えられ現在の三色になったという。

日本ではどうでしょう?

糸切りバサミ

今、私たちが使用しているハサミは外国のもので、日本には「舌切りスズメ」に出てくる「糸切りバサミ」の類しかなかったらしい。

それを裏付けるものとして、江戸時代の髪結いの看板にはクシや毛抜き、そして糸切りバサミのような絵を描いたものが、軒下に掲げられていた。

     

当然、そこにはサインポールなど見あたらない。

明治時代

サインポールが登場したのは、文明開化により西洋理髪が入ってきた明治以降で、日本独自のものではなかった。

アメン棒

当初は赤と白の2色だったらしい。

木の棒を白く塗って、そこに螺旋状に赤い線を描いた

そして、棒の上に金の球を乗せていた。

昭和2年頃は、「アメン棒」と呼ばれていました。

     

現在のサインポールはデザインが豊富ですが、ベースは理髪外科医の頃から受け継がれていて、1番上につけられた球状のライトは血を入れていたものをモチーフにしているとも言われている。