こりんび
参照図書 「松江の今昔」 著者.川崎正夫
「こりんび」とも「おせんび」とも言う。
遠くから見ると人魂のように地上すれすれの所を、ゆらゆらと行ったり来たりする。
神秘的な光を発する訳でもなく、人魂のような尾もひかない。
たまたま「こりんび」に出会うと、足元へまとわりつきに来る。
俗に「やはぎ」という大変美味な小魚がある。またの名を「おせんごろし」という。
グロテスクな格好をしていて、骨はすこぶる鋭い。
おせんという女が、その骨を喉にたてて悶絶したことから、その名があるのだそうだがこれに似た話が松江にもあった。
「松江へ用事に来たどこかの女が、とれたばかりの新鮮な「おせんごろし」をご馳走になり、うっかり喉に骨をたててしまった。
手の施しようもないままに、苦痛をこらえて帰路についた。
八桶(やつぴ)の辺りまで来て苦しみにたえかね、おせんのように悶え死んでしまった。
その人の魂が浮かばれずに、夜な夜な出て来てるのだ。」と、古老がいう。
昔の八桶(やつぴ)は、あたり一帯は田圃で、堤防には丈なす竹や雑草が生い茂り、近く東北の方に土入の火葬場のこんもりと茂った森があり、こりんびの出るのに格好の地であった。
新堀川の水が、八桶(やつぴ)によって灌漑されていた頃は、深いふちになっていた。
新婚間もない女性が、病弱を苦にして世をはかなみ、八桶(やつぴ)に身を投じた。
それから誰言うともなく、「こりんびに誘いこまれたのだ。」と噂されるようになって一層こりんびを恐れるようになった。
しかし付近に家が建ち並び、道路も発達して人や車の往来が多くなり、こりんびの出る場所もなくなり、いつの間にか噂されなくなった。
ほうき松の鬼火
参照図書 「松江の今昔」 著者.川崎正夫
昔、中松江と西松江の境に近く、浜に面してほうき松というほうきを 逆さに立てたような、一風変わった枝ぶりの老松が、人目をひいていた。
この松の天辺に提灯の火のような大きな薄赤い鬼火が出たという。
この鬼火は、朝早く出てじっとして動かない。
そしてこれが出ると、決まって日和が変わると言われている。
春吉さんという人の良い漁師がいた。「ほうき松に鬼火が出た。」といって、浜の漁師の家へ息せききって駆け込んできた。
みんなが、おそるおそるほうき松の見えるところまで行ってみたが、既に消えていたという。
また、朝の早い農夫が、水汲みに行って鬼火を見て、青くなって逃げ帰ったとも言われている。
海の亡霊と海坊主
参照図書 「松江の今昔」 著者.川崎正夫
漁師たちは、大晦日に舟の夜乗りをしない。
この夜、舟を出すと、海で死んだ人の亡霊が舟に乗り込んで来て、柄長「えなが」を貸せと奪いにくる。
柄長「えなが」とういのは、柄の長い杓「しゃく」のことで、舟に溜まった水をかい出すためにどの舟にも備えている。
貸すまいとしても、しつように迫られる。奪いとられたが最後、その柄長「えなが」で どんどん水をかい入れられ、舟を沈められてしまう。
亡霊が出たら何よりも先に、柄長「えなが」の底を抜くことだと信じ込んでいる。
また、海坊主が、舟の軸先にぬうっと立つことがあるという。
あまりの恐ろしさに無我夢中でその頭を、櫂「かい」で殴りつけたら、その時刻に家で寝ていた女房が、飛び起きたと語った漁師がいたという。
海のしきたり
参照図書 「松江の今昔」 著者.川崎正夫
松江の浜は、紀伊水道を北上してきた潮流が、二子島あたりから海岸沿いに田倉崎へ向かう潮筋に当たるもので、水死体が、浜に打ち上げられたり、沿岸を漂うことが、しばしばある。
漁師たちは、ひそかにこの水死体に出会わないことを念じている。
海上生活者が海の犠牲者を見るに忍びないのであろう。 また、若し発見して知らぬ顔の半兵衛を決め込むと、必ず不吉なことが起こるとされている。
舟に拾い上げて岸まで運ぶのであるが、ロープに結えて運んだりすると、不祥事が
起こるとされ、鄭重「ていちょう」に扱い、大漁旗を立てて引き返す習慣になっている。
そのため、その日の漁は駄目になるが、後日その舟には、大漁が約束されているとのことである。