日本往来・東海道ウォーキング
池鯉鮒〜有松〜鳴海〜宮
(2001.3.3)

 JR東海の「日本往来・東海道ウォーキング」では,有松の東,名鉄の前後駅(愛知県豊明市)から鳴海を経て宮に至る約15kmを指定しているが,歩き始めは宿場から…,とのこだわりから,ひとつ東の池鯉鮒宿から宮までを歩くことにした.

■□ 池鯉鮒で馬市に想いをはせる □■

 新岐阜から名鉄特急に乗り,9時08分に知立駅に着く.知立は古くは池鯉鮒と書いたそうで,鯉や鮒が泳ぐ池があったのが由来らしい.広重の「東海道五十三次」の池鯉鮒には,馬市の様子が描かれており,市の中心部から東へ1.5kmほどの慈限寺のあたりで,旧暦の4月5月に馬市が行われていた.この期間は飯盛の相場が跳ね上がり,馬市で得た収入を入れ揚げてしまう者が多かったらしい.
 駅前から北へ向かい,「池鯉鮒銘菓」の看板のある和菓子屋の角を左に折れて東海道に入る.200mほどで突きあたると知立古城跡である.知立城は元来,知立神社の神官であった永見氏の居館で,1560年に今川義元が入城したが,桶狭間で織田信長の奇襲を受けて横死すると,あえなく落城した.江戸時代には将軍が上洛の際の休憩所にあてられが,1699年の地震で倒壊し,その後再建されず現在に至っている.今では御殿趾の碑が残るのみである.
 その先の地下道をくぐり,さらに歩くと,右手に知立神社が見える[9:45].知立神社は112年の創建で,多宝塔は国の重要文化財に指定されている.境内には鶏が放し飼いにされており,しゃがんでカメラを構えると,餌を貰えると勘違いしたのか,こちらへ寄って来た.神社の隣の知立公園は6月上旬に花菖蒲が咲き誇るらしいが,今の季節は,池に水も無く寒々としていた.
 逢妻川を渡るとしばらく国道1号線の歩道を歩く.現代の東海道(国道1号線)は大渋滞で,車は歩くのとさほど変わらないスピードであった.国道から斜め左に入ると,東海道中膝栗毛で蕎麦が有名と紹介されている今岡の立場である[10:13].今でも古い建物が一部残っていた.
 名鉄の富士松の駅前を通り過ぎると再び国道1号線に出る(今川町交差点,ここにローソンがある)[10:34].国道を(ちょっと判り難い)地下道で横切り,程なく三河と尾張の国境の境川を渡る.左手には名鉄豊明駅が見え,そのまま1kmほどで国道から左に別れ,阿野一里塚に着く[11:00].ここは左右一対のまま残っており,国の指定史跡になっている.道は少し登り坂になる.坂の途中の豊明小学校の裏手に,松並木の名残りの松が1本だけ残っている.坂のピーク付近にアピタがあり.この隣が名鉄前後駅である[11:12].

知立宿の和菓子店

知立神社

知立神社の鶏
(カメラを構えると寄って来る)

■□ 絞りの里 有松 □■

 アピタで休憩をして,再び西へ向かう[11:45].ここからがJR東海の「日本往来・東海道ウォーキング」の有松〜宮コースである.土曜日なので学校帰りの小学生の姿を見かける.名鉄の線路に添って1km程歩くと国道1号線に合流する[12:01].すぐに名鉄のガードをくぐり,左手に藤田保健衛生大学桶狭間病院が見える.病院の裏手が桶狭間古戦場跡である.今は公園として整備されており,ここで戦があったことは想像もできない.今川義元の墓がある高徳院に向かう.院内にある桶狭間古戦場史料館には,合戦の際,槍で穴が開いたと伝えられる鎧や兜などが展示されている[12:24].東海道に戻り,500m程先の大将ケ根の交差点を斜め右に入ると有松の立場である[12:35].
 有松は隣の鳴海とともに絞りの産地として有名である.東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも,ここで手拭い丈(二尺五寸=約75cm)の絞りを買っている.このあたりは蔵や,なまこ壁,卯建のついた建物が連なり,名古屋市の町並み保存地区に指定されている.名古屋という大都会の中に,このような空間がよく残ったものである.道路の鋪装も普通のアスファルトではなく,ちょっと茶色っぽい色をしている.ただ,車の乗り入れが多いのには,ちょっと閉口した.できれば電線の地中化もしてほしい.これらの点は名古屋市当局にぜひ考えてもらいたいものだ.古い町並みの中で,特に服部家住宅は絞り問屋の面影を深く残している.今は問屋として使用されていないのが残念である.服部家住宅の向いに有松・鳴海絞会館があり,絞りの実演を見ることができるが,訪れた時はちょうど昼休みであり,見ることができずじまいであった.しかし,私の父親の実家が鳴海で,実家に遊びに行くと,いつも祖母が絞りをやっていたので,なんとなく雰囲気は知っているつもりである.ただ当時は何をしているのか分かっていなかったと思うが,今から思うと,絞りという伝統産業を支えていたのである.

高徳院山門

服部家住宅:旧絞り問屋「井桁屋」

寿限無茶屋(有松)

■□ 名古屋路上観察 □■

 有松を後にして名鉄の踏切を渡り,東海道の40番目の宿場,鳴海に向かう.鳴海宿の東の入り口,平部町に1806年の設置の常夜灯が残っている[13:17].鳴海には瑞泉寺や誓願寺などの名刹が多いが,有松の町並みを見た後なので,かなり見劣りする感じがした.
 鳴海宿を出たあたりで,ウォーキングの2人連れに追いついた.私と同じように「日本往来・東海道ウォーキングマップ」を片手に持っている.鳴海宿の西の常夜灯を過ぎ,高台にある千句塚公園に登る[14:13].ここには松尾芭蕉自筆の碑が残っており,芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚だそうだ.公園のテラスから名古屋市街が一望できる.
 天白橋を渡ると500m程で,江戸から88番目の一里塚,笠寺の一里塚に着く[14:37].現存するのは京に向かって右側だけであるが,榎の大木が塚全体に根を張っており,一里塚本来の姿を見ることができる.一度は枯死しかけたが専門家による手当てで見事に蘇ったという.よく見るとあちこちに「手術」の跡がある.
 更に500m程歩くと笠寺観音に着く[14:43].境内にはウォーキングマップを持った人が,何人か休憩していた.地元の人が境内を通る際に,本堂に向かって手を合わせており,多くの人の信仰を集めているようであった.
 名鉄名古屋本線の踏切を渡り,更に山崎橋を渡ると,ビルが目立つようになる.名古屋高速の高架下の交差点を歩道橋で渡って,少し歩いた左側に寿司屋があり,入り口に「握れません」という木札が出ていた.おそらく準備中のことだと思うが,なんとなく面白い.JR東海道本線の踏切を渡る[15:32]と,左側に「東海道」という名の中華料理店がある.さらにその先,名鉄常滑線の高架をくぐり,姥堂の先には,門柱にそろばんの珠で電話番号を記した珠算塾を見つけた.このあたりは路上観察の宝庫?…かな.
 県道225号を渡り(横断歩道が無いので,右手の交差点まで迂回する),400mほどで道は突き当たりに出る.この角に1790年建立の道標が残っており,「南 京いせ七里の渡し」等と掘られている.
のT字路を左に曲がり,国道247号線を歩道橋で渡ると,ゴールの宮の渡し(宮の渡し公園)に着く[16:00].
 沿岸が埋め立てられ,海は遠くなってしまっているが,石垣を積んだ桟橋や常夜灯,そして鐘楼などに,かつてここが港であった名残りを見ることができる.ここから桑名へは7里の船旅であった.
 宮の渡し公園で休んでいると,同じようにウォーキングして来た女性の2人連れが到着した.さらに地下鉄の伝馬町駅に戻る途中でも,歩いている女性とすれ違った.まだ肌寒い3月始めにもかかわらず,結構多くの人が歩いていた.これから暖かくなれば,もっと多くの人が東海道を往来すること間違いなしである.ただ,歩いているのは圧倒的に女性の方が多いのはちょっと意外であった.

笠寺観音の山門

七里の渡し跡(宮)

 今回歩いた知立から神宮前までは,名鉄特急に乗れば,わずか約15分.この区間を約7時間かけて歩いたが,これだけの時間があれば,国内の大抵のところへ行くことができるし,外国にも行ける.だからといって,この7時間が決して無駄な時間ではなかったと思う.宮の宿場近くで見た看板などは,歩いていればこそ見つけられるものであるし,江戸時代,この街道を行き来した人たちと,同じ体験でき,何よりもゴールに着いた時の達成感は最高である.しかし,忘れてならないのは,私のように日帰りでいろいろな土地を歩くことができるのは,まぎれもなく現代の高速交通機関の恩恵であることも,また確かである.
 さあ,次はどこを歩こうか.


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