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     愛   憎

 「愛憎の果てに」等と言われますが、人間の胸中は複雑怪奇でわからない部分が多くあるようです。自分自身の心さえもわからないものです。おかしな犯罪が起こりますと、心理分析などを分析いたしますが以外と的外れな事が結果的にはよくあります。犯罪件数は統計的に年々減少しているとは申しますが、理解の出来ない事件が多いようです。最近は、他人と言うよりも親族間の痛ましい事件が多いように思われます。浄土真宗の三部経の一つ「仏説観無量寿経」があります。お釈迦様在世当時の親と子の確執の話です。
【お釈迦様が住んでおられた近くにマガダ国がありました。大変栄えておりましたが、国王ビンバシャーラと后イダイケには一つの大きな悩みがありました。それは後継の王となる子供がいないということでした。そのことを占い師に相談しますと「近くの山に仙人が住んでいますが、この仙人はあと三年で亡くなります。その後この仙人が、お二人の子供としてお生まれになりますのでその間お待ちください」と、告げられました。このことを聞きますと二人は三年も待てなくなり、家来を仙人の住む山に送り込み、殺してしまいました。仙人は恨みを持って死んでいきました。その後イダイケは、すぐに身ごもりました。王様は又占い師を呼びました。 占い師は「男の子が生まれましょう。しかし仙人の恨みがありますので、やがて両親に対して災いを起こします」と告げました。思い悩んだ王様夫妻は高い場所から産み落とし殺そうとしましたが、奇跡的にいのちが助かり、泣きき声を聞きますと、不憫に思い育てる決心をいたしました。後継ぎとして、育てられた王子をアジャセと申します。年月が過ぎ青年となったアジャセは、お釈迦様の従兄弟のダイバダッタに唆されて、自身の出生の秘密を聞かされます。
 アジャセは激昂しク−デターを起こし父の王を幽閉し牢獄へ閉じ込め、食物や水を一切与えないようにします。后のイダイケは、密や食物を体に塗り込め面会に行き、夫に与えます。それを知ったアジャセは、激怒し母親も牢獄へ閉じ込めてしまいます。イダイケは嘆き悲しみ、お釈迦様に助けを求められその時に説かれたのが「観無量寿経」です。イダイケは最初に「どうして私はこんな悲しみや苦しみを与えられなければならないのか」というような愚痴ばかりを言います。お釈迦様は何も言わずに黙って聞いているばかりでした。イダイケはやがて話せば話すほど自らの愚かさに気づいていくのです。】
 自分の欲望や願い事が叶っていくのが宗教の役割と思っている方がたくさんおられますが、自己中心的な考え方が多くの悲劇を生み出していく原点と言うことを説かれています。 
 この話は関わった全ての人が、自分勝手な心を推し進めたために起こった事件です。
 季節は3月、受験、就職、転勤、異動、変わり目の季節でもあります。
 合格祈願、昇進祈願、あちこちで欲望をかなえてもらう場が大流行です。しかし【自分だけが良ければ】と言うことが【合格あれば不合格あり】【昇進あれば降格あり】【勝ちあれば負けあり】ということに少しの思いを馳せられたらと思います。
 この話は遠い昔のインドの話だけでなく今を生きている【私】の問題として受け止めたいものですね。