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あからさま
 
新しい年を迎え、いつもならもう少し心新たに弾む気持ちになっても良いと思いますが、何ともおかしな空気感のようなものが漂っているように思います。時代なのか、自分の年齢なのか、わかりませんが、世界中で紛争やらテロやら、一人勝ちとか、かっては見えずらかったものがあからさまになってきています。世界中がネット社会で結ばれたことはそのあからさまなことが「むき出し」になってしまいました。ネットへの書き込み、トランプ現象、イギリスのEU離脱など、かっては考えられないことが次から次へと起こってまいります。
以前でしたらそのようなことは「秘して」おくべき言葉などが当然のように出てきます。
 包み隠しておくべき事が品性であり矜恃といわれるものでした。「本音は秘しておくべき事」が理性ともいわれてきました。しかしそのようなものは「蹴散らして」いくことが今の時代になってきたのかもしれません。勝つか負けるか、損か得か、強いか弱いか、富か貧か、全てがこの二者択一の論理で動きます。「負け、損、弱、貧」は己の自己責任として疎外され置いとけぼりにされます。政治や社会全体でそれらの人々を助け合ってきた世の中はもう過去の時代になっているようです。結局は強いものの為の時代が到来しているようです。今までは隠されてきたもの、けっしてあからさまにしてはいけないものが表面に出てきたようです。
 決して言ってはいけないこと、してはいけないルールのようなものが暗黙のうちに存在していたと思いますが、今ではおかしな自由と言うことで平然と為されるようになってしまいました。今から百年以上も前に作家徳冨蘆花が「自然と人生」という小冊子を刊行しました。この本には現在の時代を暗示するような問題が指摘されています。都市の濁りが農村にも及ぶと懸念しつつ「賭博、淫風、遊惰、争利」の風潮が「戸毎に侵入せんとす」と嘆きます。
 藁葺きの農村の夕暮れの風景を愛し幸福を感じその純朴な生活が「悪習」に染まっていくのを嘆いています。当時明治の時代は西洋列国と並ぼうと日清、日露の戦争に勝利し日本人の間には大国意識が盛り上がっていました。実際には小国にもかかわらず日本の国民を{いい気}にさせたはずです。蘆花のこの本には自然や人々と共生して暮らす人々の「豊かな人生」か描かれています。「あまり多くの果実をつくる枝は折れる」の言葉があります。
 文明は多くの果実を与えてくれます。しかしあまりに多くの果実をつければたわわに実ったその重みで枝が折れてしまう、それと同じであまりに多くの富の追求は国をも滅ぼしてしまうと警告しているのです。一世紀の時代を超えてこの言葉は今の日本に当てはまっています。
 文明はマネーゲーム、子供にまで及んだ淫風、グルメ、ブランド、カジノなどが今の日本を覆っています。
 政界も経済界も富の追求が最優先課題です。仏教の心は「小欲知足」「我唯足知」です。今この国のどこを見渡しても富を目的とした欲望が渦巻いています。富を造ることのみに夢中になり、何のための富なのか、何のための豊かさなのかそのための倫理性宗教性をも見失っているようですが・・・「富めるのみなるその国は亡ぶなり、国民をして仰がしめる」と説いています。今の私たちへの警鐘に聞こえますね。