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美   田

 西郷隆盛の家訓に次の言葉「子孫に美田を買わず」があります。この言葉はよく昔から言われておりました。子や孫に多くの財を残すと働かなくなったり、だらしない生活をするようになったりすることを戒める言葉でもあります。親の覚悟、子の覚悟を言い表していますね。
 今は格差が広がり経済力も、学力も、仕事も二極化が進んでいると言われます。一度落ち込んでしまえば子孫代々、下流社会で生きなければならないような状況です。孫に一千五百万円までの贈与は税が免除されます。この制度も上流社会の「いやらしさ」に思えるのは私の「ひがみ」なのでしょうか。「美田を残さねば」が親の義務のようになってしまっています。
 芥川龍之介の「杜子春」の物語のように金や地位がある間は世間や周りの人々がちやほやしてくれますが、一度没落すれば誰からも相手にされなくなり冷たくされるのが、現実社会でしょう。世間とはそういうものかもしれません。しかし美田を残されるのがそんなに良いことなのでしょうか。金持ちや資産家に生まれ、何不自由なく育った人は、贅沢に慣れ、他人の悲しみや苦しさに寄り添えず逆に貧しい人々を軽蔑するようになることがよくありますね。
 そのようになりますと尊敬されるどころか逆に世間から疎まれてしまいます。世間は表の顔はお世辞や丁寧に挨拶してくれるかもしれませんが腹の中では「フン、威張りやがって」が本音でしょう。そのような人が失敗でもしますと「気の毒に」と同情されるより「ざまあ見ろ」でしょう。怖いですね。それにしても今の世の中誰もが競争して美田の取り合いで、残そうと必死です。杜子春が大金持ちになり、有頂天になり威張っていた「物持ち趣味」「成金思考」の世の中になっています。先日、高級外車フェラーリが三百台限定で売り出されました。手付け金を五千万円払わなければならないのですが、すぐに五百人の申し込みがきたと言います。
 働き口もないようなこの日本で一部の大金持ちがいることに驚きます。隣の国との争いが問題になっていますが、外から見れば日本は「杜子春」のように見えているのかもしれませんね。 戦後、敗戦国でありながら驚異の復興、成長をとげ金持ちになった、外から見れば日本はそのように映ってもおかしくありません。日本が周りの国を見下ろしているような態度をとっているのではないかと思うこともあります。アメリカの作家オ・ヘンリーの短編に「賢者の贈り物」という話があります。【貧乏な若夫婦がおります。二人は貧しいのですが宝物にしているものがあります。夫は父から譲り受けた立派な金時計、妻は長く美しい髪です。しかし夫の持っている金時計には鎖がついていません。クリスマスが近づいた頃、妻はその長い髪を売り高価な鎖を買い求めます。夫は大切な金時計を売り妻のために櫛を買い求めるのでした。
 クリスマスの夜二人はそれぞれに買い求めたものを渡しますが、鎖をつける金時計はすでになく、美しい髪をとく櫛は必要なくなっていました】哀しい物語ですが自分の一番大切な宝を売り相手の宝物にふさわしいものを贈るという「賢者」の話です。
 美田ばかりを残し本当の贈り物をもっと考えていいと思います。贅沢を贅沢と感じられなくなり、不平不満の明け暮ればかりになるようなものを残そうとしているのかもしれませんね。 仏法はそんな傲慢な私に気づく教えです。これを「仏法聴聞」と言うのです