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ビルマの竪琴

もう五十年も前になるでしょうか映画「ビルマの竪琴」を見たのは。昭和三十一年の作品ですからまだ戦後十年しか経ってはいませんでした。まだ戦後の世界が色濃く残り、出ている役者さんも戦争を抱えていたと思います。後に同じ市川崑監督でリメイクされましたが、役者さんには戦争の影のようなものが見受けられませんでした。清潔で潔癖的な安井昌二さんの水島上等兵、ラストシーンで水島上等兵の手紙を読む三国連太郎さんの井上隊長が今でも印象に残っています。戦争の悲惨さ悲しさを見るものに切実に訴えていたと思います。その三国さんの述懐です。【父は反権力と言いますかなかなか気骨のある人でした。電気工事の職人で、当時は川津川水力電機という会社に勤めていました。若い職人さんに召集令状が来て出征するとき、まわりはみんな「万歳、万歳」と叫ぶんですが、ただの一度も唱和したのを見たことがなかった。見送りにも絶対行きません。実は父は若いときシベリア出兵に参加しているんです。そのときの従軍記章というのがあって、普通なら大事にするものらしいんですが、それを犬の首につけていました。そういう人でした。私は戦争で多少なりとも美化できるようなことには一度もお目にかかったことがありません。出来事も。人間もです。不幸にして人間の死をたくさん見ましたが、勇敢な死というものに出合ったことはありません。前線で負傷しておくられてきたある兵は、病室に運ぶために担架を持ち上げようとしたらささやかに「おかあちゃん・・・」とつぶやきました。その記憶は今も脳裏から離れません。戦争での人間の死にざまっていうのは美しくもないし勇敢でもない。それがどんなにおおきな功績と称えられたとしても、惨めで悲しいものです】正直で素直な告白だと思います。今フランスではイスラム教徒、またアラブ系ユダヤ系への迫害がテロへの憎悪によって増しています。もちろん卑劣なテロは許すことは出来ません。しかし憎悪は憎悪で還ってきます。日本でもヘイトスピーチで「朝鮮人帰れ」「鮮人死ね、殺せ」というような罵声が浴びせられています。恐ろしくも、悲しいことです。日本は決して移民はなくとも、単一民族ではないということをもっと自覚したら良いと思います。民族差別、職業差別、障害差別、性差別、差別するのが人間なのか、人間だから差別するのか、どちらも仏教の世界では恥ずべき行為でありましょう。先の三国連太郎さんの自伝に【私の祖父は、両刃のウメガイを一本懐にして、死人の棺桶をつくることを生業とする漂白民でありれました。その祖父の職業を継いだ親父自身も小学校を出るとすぐ棺桶屋になりました。いまのようにまとめてボーッと人間を焼くようなわけにはいかない時代のことです。一日以上かかって人間を焼く商売も兼業していたのでございます。父は祖国のために戦ったのではなく、世間から差別される職業からぬけだすために戦場に行ったのですと】以前親鸞「白い道」を映画化し差別や貧困を描かれた三国さんらしい話です。いのちの平等は仏教の根本です。しかしその平等性に気づかないのも私達です。奪って良いいのち、粗末ないのち、死んでも良いいのちなどどこにもありません。テロも戦争も、どんなに正当化されようが正義、大義を気取っていても許されることではありません。慈悲心、寄り添うというのはそのような中で苦しみに呻き悲しむ声を聞き取っていく勇気なのです。