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             ブータン王国
 
先日は選挙も終わり、各政党は結構な公約を並べてくれました。実現可能かどうかはこれからの事でありましょうが、政治は私達国民に幸福感を与えていただきたいものです。私達の思う幸福感は何なんでしょう?。お金、安心して暮らせること、家を持つこと、病気をしないこと、つきつめて言えば「いつも三月春の頃、お前十八ワシャ二十、生まれた我が子皆孝行、使うて減らぬ金百両、死んでもいのちがあるように」でしょうか。幸福感は人それぞれに異なります。 都会の人は人間関係に疲れ切り、自然と共に生きる田舎暮らしに憧れ、田舎の人は、刺激が多く便利な都会生活に憧れることがあります。どちらが幸福かは一概には言えません。幸福を計る物差しは無数にあります。しかし今の日本で共通項としてあるのは、やはり金銭的な豊かさではないでしょうか。どんな立派なことを言っても、最後に「それにつけても金の欲しさよ」と付け加えれば成り立つのが今の日本です。ヒマラヤの東に小さなブータン王国という仏教国があります。面積は九州ぐらいでしょうか。人口は七十万人ぐらいです。顔も日本人と同じようで親しみがあります。国民の所得は一人あたり年百ドル、一万円ぐらいでしょうか。隣のバングラデッシュよりも貧しい金銭的には最貧国と言ってもいいのです。経済指標を計るのに国民総生産の数字があてられますが、日本はおそらくブータンの数百倍の所得です。しかし数字と現実は異なります。ブータンではまだ、物々交換が盛んですし、家も先祖伝来の家に住み、土地のない農民はほとんどいません。貧富の差も少ないのです。家を建てる必要もなく、土地の売買もありません。そうなりますとお金は動かず国民総生産の数字は上がらないのです。
 所得の多さは決して豊かさを計るものではないのです。都会化が進みますと便利さの代わりに公害が増え、品物が豊かになりますと多くのゴミが出るようになります。それらのモノを処理するのに又お金がかかる、これらも国民総生産の数字に含まれてくるのです。今の日本の生活が本当に向上したのかブータンから学ぶべきことが数多くあるように思うのです。ブータンの政策の基本は国民総生産を上げるのではなく、国民総幸福の実現を中心にしています。
 国民総幸福はどうやって計るのか?と、言われそうですが数字では計れません。しかしそのような事を考える私達こそが数字に縛られている考えで思考停止しているかもしれませんね。医療、教育は無料、しかしタバコは一切禁止されています。自然保護ではプラスチックの袋などは全面禁止しています。安価で加工しやすく、腐敗しない便利なモノであってもゴミとなればかえって腐らないことが処分に困り、燃やしても有毒なガスが出ます。今は便利であっても次世代には有毒なモノを残すからです。以前にツルが飛来する地域に電気をひくために電線をつけることになりました。しかしツルの越冬に邪魔になるので止めてしまったと言います。
 日本をよく知るガイドが子ども達に電気の素晴らしさ、便利さを説明しました。子ども達は目を輝かして聞いていました。しかし最後に子ども達が答えたのは「電気のある生活もいいけど、やっぱりツルが大事」と答えました。親から子ども達に仏教の基本を学んでいるのでしょうか、他が幸福にならなければ自分の幸福はないことが徹底されています。子ども達の屈託のない明るい笑顔はなんなのでしょうか。日本で失われたモノを仏教国の幸福感から私達こそが学んでいきたいものですね。