j
              印刷はこちらからどうぞ

 
                                     
                       
 大震災から
 
東日本震災から一年になります。まだ一年なのか、もう一年なのか複雑な思いでいます。
 三月十一日の思いは日々あらためて考えますと、傷口は時間の経過と共に薄らぐどころか、深くなっているように思います。同じ揺れ、津波でも家を失った人、家族を亡くした人、残った人、たまたま助かった人、老人と若者、無傷の人、感じ方はそれぞれでもあり、百人いれば百通りの震災があります。月日と共に世間の人々の関心は復興へ復興へと向かっていきます。震災から立ち直っていく人々の明るい表情が伝えられ、震災では救った人々の美談が繰り返し伝えられます。米軍のトモダチ作戦、自衛隊の昼夜を分かたぬ救援、ボランティアの活躍、確かに誰もが命がけで行動されました。その必要性は痛感しています。しかしもう一つ考えなければならないことは、亡くなった方々、犠牲者のことです。そしてこれからのことです。
 防災訓練、食料の備蓄、防災グッズ、毛布の整備は当然必要なものです。無駄にもなりませんし緊急時の態勢は必要です。しかしこれらのものは無事に生き残った人のためのものであって、犠牲者を出さないためのものではありません。人間は天変地異を防ぐことは残念ながら出来ません。それならば出来うる限り死者が出ないような街作りをしなければなりません。
 幾度も震災に遭いながらそれらの事を怠ってきたのかもしれません。震災が起こるたびに思われるのは結局、犠牲者が弱者に集中していくことです。都市部では特にそのように思います。 下町が壊滅し、山の手が比較的被害が少ないのです。関東大震災も、阪神淡路大震災も、東日本の震災も構造的にはほぼ同じでした。建物の崩壊や、瓦礫の処理などは時間と共に復興のかけ声と共に進んでいくことでしょう。しかし一瞬にして、二万人近くの人々を失い、肉親を亡くした人々を見ますと絶望的な思いになります。生き残った人々の中にも「なぜ自分が生き残っているのか?」そんな思いになり、虚無的になってしまうことでしょう。
 そんな方がどれだけおられることか。神戸の震災からはもう十八年になりますが、一見元通りになったように見えますが、以前と比較しますと高層ビルは建っても誰も入っていない空きビルは多く、当時被災された方々が、現在、次々と孤独死をされているといいます。
 その後出来上がった神戸空港は多くの赤字を抱え、未だ再建されていない空き地も多く表向きの復興した感覚とは、ずれているのです。東日本の復興にはこれ以上のエネルギーが必要でしょう。神戸の震災の当時は不景気と言っても今よりはまだましだったようです。復興も大事な事ですが、先ずは人が犠牲にならない街作りを進めていかなければなりません。今大都市に震災が来ますと、人間が自分たちで作ったモノで自分自身が犠牲になっていきます。
 高層ビル、ガラスばかりの建物、網の目のような地下街、これらが便利なものから凶器に変わる可能性があります。大都市での震災ばかりを想定しているのは、人口が多いので犠牲者が多くなるのではなく、人が死ぬような構造の街作りをしていると思うのです。社会的な弱者が先に死んでいくような街作りはごめん被りたい、危ない建物は造らないで欲しいと言いたい。道路も建物も時間が経てば見かけは復興することでしょう。しかし本当の復興は、いのちが、生き生きと輝ける復興なのです。「ともにいのちかがやく世界へ」浄土真宗のスローガンです。