デジタル社会

 電話、CD、コンピューター、買い物の会計、現代はまさにデジタル真っ盛りです。
デジタルとはすべてのモノを数字化するということです。あらゆるモノが数字で計算
されます。音とか、色とか、言葉とか何でも数字にできないものがないのがデジタル
社会であります。デジタル社会は便利で、効率が良く、又目に見えるモノのみを
容易に信じ、業績を追求する社会でもあります。日本は今バブル時代の後遺症
からか、不景気、失業と暗い話題ばかりでありますが、実はデジタル社会の
進歩と共にバブル社会が生まれてきたように思えるのです。本来バラ色の時代
のはずのデジタル化がなぜに逆の現象を生み出していったのでしようか。続発
する凶暴な事件、少年犯罪などもこのデジタル社会とは無縁ではないでしょう。
ホーラービデオ、インターネット情報便利さの反面、情報の空洞化、ウソ、発信者
の無責任、怪情報と、しかもそれは直接的ではなくまさに数字的、デジタル的な
要素を持っています。情報操作は、ナチスドイツや、大本営発表ばかりではない
のです。いやあの時代以上にデジタル化によって情報操作は容易なのかもしれ
ません。湾岸戦争のイラクへの空爆またこの度のアフガンへの空爆でも、爆発は
していてもその下に人間が存在していることは目に見えてこないのです。多くの
難民が続出し飢えと寒さで苦しみ抜いていることはわかりずらくなっています。
都合のよい情報を垂れ流しにされ、いつのまにやら我々も操作されているのかも
しれませんね。ワイドショーでも同じ場面ばかりをいくたびも見せられます知らず
知らずに、おかしな先入観をもってしまうようです。冷静な判断能力が欠如し
情報に振り回されてしまいます。この《知らず知らずに》は恐ろしいものがあり
ます。情報の軽さ、情報の空洞化、意味の軽さは今の日本を覆っているように
思えてなりません。『戦争と悲惨と野蛮以外何もない国から来た一市民として
話したい。わたしたち代表団はアフガニスタンの現実を反映していない。けさ
素晴らしい朝食を食べた。だがアフガニスタンのほとんどの人々は子供を学校
にも送れないのだ』。切々とした四十四才のアフガン暫定政権の首相カルザイ氏
の訴えです。一千万個と推定される地雷、四百万人の難民、避難民、これだけ
情報化社会と言いながら何も見えて来ないのはなぜなのでしょうか。情報の
デジタル化は多くの情報を瞬時に送ることの出来る反面、あらゆるものを記号
化してしまい、生身の姿を送れなくなっているのではないでしょうか。デジタル
社会は軽やかです。あらゆる《イノチ》さえも手っ取り早く数字化してしまいます。
しかし他面では絵空事、仮想的なものであります。その軽やかさに押し流されず
に他人の痛みに敏感であり、開かれた感受性を持つ大切さを思います。
他を蹴落としてでも、金さえあれば・・・出世ができれば・・・我が家庭だけは・・・
欲望丸出しでは決して見えてはきません。何が人間として一番大切なものなの
かが今こそ真剣に問われるべきでありましょう。今後益々デジタル化は進んで
行くことでしょう。しかしその中でいかに真実を見据えて行くことが出来るかが
厳しく問われなければなりません。仏教を学ぶとは、己を学ぶことです。
あなたも仏教に己を問うてみませんか!