不 良 少 年


 『ホームレスを中学生、高校生が、殴り蹴り暴行して殺害する』
このような痛ましい事件がよく発生しています。少年たちの閉塞感、何やら不気味な時代がこのよ
うなものを生み出すのでしょうか。フランスの思想家ルソーは、『子供達をいちばん確実に不幸に
する方法は、彼らが望むとおりに、いつでも何でも与えてやることだ』と言いました。
いつまでも何でも思いどおりになればよいのですが、思いどおりにならなければ、もう『面白くな
い』『腹が立つ』『きれた』であります。『我慢が足りない』は、大人がよく言う言葉ではありま
すが、そのようにしてしまった大人の姿勢が問われているのかもしれません。豊かさが大人、子供
をこのように育ててしまったのかもしれませんね。
次のような話が宗門より出されています月刊誌『大乗』に掲載されておりました。
《数年前のある高校での出来事です。一年生のあるクラスの英語の授業中、一人の男子生徒が急に
立ち上がって、教室を出ていったかと思うと、まもなくバケツを持って戻り、前の席の女の子の頭
の上から水をかけて、全身びしょ濡れにしてしまいました。驚いた先生は、すぐに女の子に着替え
させ、男の子に理由を問いただしました。しかし男の子は一言も返事をしません。職員室で他の先
生たちからも追求されましたが、頑として黙秘し続けました。それから二年の月日が流れ、男の子
は家庭の都合で転校することになりました。そこでその時の英語の先生が『君ともこれでお別れだ
ね。君の級友たちもまもなくこの学校を巣立っていく。ところであの授業のとき、なぜあんなこと
をしたのか、よかったら教えてくれないか』と尋ねました。そこではじめて男の子は『先生、実は
彼のとき、彼女は落ち着きがなく、身体をかすかに震わせていました。よく見ると椅子の下に水が
濡れているのが見えたのです。それで水をぶっかけたのです』女の子は体調が悪かったのか授業中
にトイレに行きたいということが言えず、失禁していたのです。それにいち早く気づいた彼は、こ
れが皆に知れたら彼女はどうなるのか、おそらく翌日からは学校には出て来れなくなるだろう。恥
ずかしさのあまりもっと思い詰めたことをするかもしれない、それでは皆にしれないようにするに
は、どうすればよいか、ということをとっさに判断して行動したのでした》
どうでしょうか、卒業寸前まで、『乱暴者』、そして『不良少年』という汚名を背負ってなお、級
友を思う心根はどこから生まれてくるのでしょうか。まさに先生が生徒に教えられるエピソードで
あります。乱暴はいけない、不良少年は悪、という大前提が私たちに大きくのしかかってはいない
でしょうか。その大前提が真実を見る目を曇らせているのかもしれません。それ以上のことを想像
するのは非常に難しいのでしょうね。他者を想像する難しさをこの話は痛感いたします。
この高校生のように想像力の豊かな感受性を持ち合わせればとは思いますが、私にはそれさえも、
持ち合わせてはいないようです。せめてそのように『他者の痛みに寄り添えない私』という悲しみ
だけは持ち続けたいみのですね。