我欲と宗教

 
人間の我欲の深さは時代と共にますます増幅しているように思えます。あたかも

食べても食べても満足感のない餓鬼の姿そのものであります。モノ、金、名誉、

地位、そしてイノチさえも自由に操ろうとしています。臓器移植、遺伝子操作などは

まさしくイノチが厳しく問われているのにもかかわらず、平然と為されようとしています。

自分のイノチの延命のために、他の人の脳死を願う事や弱者を見捨てるような考えが

裏側にかくされています。宗教もそのような人間の欲を満たしてくれるものとして考え

られておられる方が結構おられるようであります。

次のような話を聞きました。

《昔、ある村で、開拓も進み村の経済状態も安定してきましたので、ここはひとつ感謝

をこめて神様を御安置しようということになりました。そこでどのような神様がよいか村

人たちは相談いたしました。二つの意見が出されました。一つは願い事は何でも聞い

てくれる神様、もう一つは因果の道理をわきまえた生活を教える神様でありました。

どちらの神様が良いか村人たちの投票で決定することとなりましたところ、圧倒的多

数で願い事を何でも聞いてくれる神様を安置することとなりました。その神様を安置

してからはとにかく何でも願い事は聞いて下さる神様ですので便利に村人たちは

使っておりました。毎日のように村人の願いは何でも叶えられたのです。ところが

ある日困ったことが起こりました。美しい一人の村娘に若者二人が恋をしてしまった

のです。二人とも嫁に欲しいと申し込んだり、恋争いをするのですが勝負がつきま

せん。そのような時に、一方の若者が『こんな時にこそ、あの神様にお願いしよう』と

思いました。とにかく何でも聞いて下さる神様ですのでその若者は村娘をすぐに結婚

出来ました。そうなりますと収まらないのはもう一方の若者であります。愛情は裏切

られますと大きな憎悪に変わります。神様のところにきまして『あの憎い二人を殺し

てくれ』と願います。聞き分けの良い神様は早速その夜、新婚の二人を殺してしまい

ました。驚いたのは村人たちです。『願い事を何でも叶えてくれる神様は有り難いが

やがては行き詰まってしまう、もし村人全部を殺してくれなどと願われたらかなわな

い』ということになり、もう一つの神様である因果の道理をわきまえた生活を教える

神様をまつることといたしました。》

我欲を満たす宗教は真実とは言い難いものです。しかし今、この日本にどれだけ

我欲を満たす宗教が充満していることでしょうか。またそれらの宗教にのめり込み、

そのようなものが宗教と考えられてはいないでしょうか。人間の我欲を利用して

不安を煽り、御利益を説き、思い通りにならないと『信心が足りない』『貢ぎ物が

少ない』となります。全く詐欺そのものですよね。親鸞聖人はこのような宗教を偽の

宗教と示されています。