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言    語

      
どうも最近、言葉がわからなくなってしまいました。テレビなどを見ていましても、話はしているのですが、理解できない、聞き取れないことが多いのです。
 いや、言葉はわかっていても、何のことなのか、わからないのです。新語、流行語に乗り遅れているこちらの問題なのかもしれませんが、あまり年齢のせいにもしたくないのです。
「じゃないですか!」という、かってに同意を求められたり「て、言うか」「私てきには」「ビミョ-」とか。「不可能です」「出来ません」も「キビしい」「むずかしい」というように何気なく変えられているようです。まあ、戦争最中から「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」とかに変換してきたのですから。いや今でも「戦闘」ではなく「衝突」にかえられるのですから・・ いったい何のことなのかもボヤケてしまいますね。年をとったのではなくて、年齢を重ねたなどと上品な言い方にもなりますがそんなに上品に年齢を重ねたのでしょうか?
高齢者に気配りをして言った言葉なのかもしれませんが、言い回しが過ぎますと「いやらしさ」が見え隠れします。この狭い日本では、人と人との関係性でこの言い廻しが使われてきたのかもしれません。過ぎますと言葉がやせ細っています。
新語・流行語が次から次へと造られあっと言う間に消費されていきます。もう今や先々まで残る流行語は皆無に等しいと思います。まともな文字が絵文字に変わり、その絵文字を読まなければ「わかってヨ」です。テレビを見てもジャニーズ、吉本興業、それにおふざけ政治家でしょうか。誰もが芸能人ばかりです。政治家が芸能人にこびを売り悪ふざけです。
それが出来ないと「のりが悪い」「空気が読めない」です。「キモイ」「ウザイ」「シネ」「消えろ」のような文字が氾濫しています。自分は何一つ傷つかず他は痛めつけようと必死です。
大人も子供もむき出しの陰険さが目立っています。我が国の総理大臣も「まさに」「絶対に」「必ず」「決して」が口癖です。強調語を付け加え覚悟を述べますがあまり強調しすぎて何を言っているのか周りは解らなくなってしまいます。「正直者がバカを見る」とは言われますが、実際にそんな世の中が実感となっています。個性を大事にとか「自分探し」とか言われますが結局は「自分勝手」と紙一重です。その中で生きた言葉が求められています。
年末に歌手長渕剛さんが自信のヒット曲「乾杯」のメロディに乗せて歌った《日本から言葉が消えていく、若者達の貧困、地域の過疎化どうする、騙されねえゼ、マスコミ、だまされネエゼヒット-チャ-トランキング、だまされネエゼ、ワイドショー》と。難しい言葉とか美辞麗句を並べるのではなく言葉は伝わらなくては意味はないのです。仏教は言葉が難しいと言いますが、難しくしたのは後世の人間が、手垢をつけてこねくり回したような気がいたします。
本来お釈迦様が説かれたのは「対機説法」「応病与薬」《時、場所、人、又悩みに応じて》の説法でありました。そこには誰でも、いつでも、どこでもという普遍性があり、仏教の持っている慈悲の心、どこまでも慈しみ優しいまなざしがあるのです。質問がなくなって「ハンニヤーハラミーター」と国会で「般若心経」を長々と唱えだした議員さんには驚きましたね。国会の劣化も極まっています。あらゆる言葉を尽くして心を砕かれたのがお釈迦様でありました。