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                                   現 実 感
 
日本の国の借金が、国、地方を併せ一千兆円を超えると言われます。一千兆と言われましてもさっぱり現実感がありません。でもとってもべらぼうに大きな金額なのでしょうね。
 ここ何年間は毎年五十兆円ずつ借金が増えています。今さら「景気回復して借金を返す」と言われましても、だれもそんな言葉は真剣には信じがたくなってきているようです。構造回復なくして景気回復なしとかとも言われましたが、我々小市民には何のことだかということです。 格差や貧困は広がり、その間に耐えきれなくなり多くの方が苦しみを強いられ追い込まれたことでしょうか。今日新聞に、就職難で年間百五十人の若者が自死に至っている事が載っていましたが、そんな息苦しい時代が今なのかもしれません。総中流意識が懐かしく感じますね。 競争社会は私達のものの考え方を変えたのかもしれません。何をやっても現実感、手ざわり感が乏しくなってきています。テレビや携帯電話、ネット社会がこの事に輪をかけます。   どこにいても携帯電話は手放せなくなり振り込みから、本を読むことも、音楽を聴くことも、情報を手に入れることもすべてこの一台ですることが出来ます。
 逆に使った人なら一度持ったら手放せなくなります。テレビもネット社会も同じです。
 一日中そのようなものを握りしめている人には現実感がなくなってきます。顔を合わせて話もしませんし、怒られもしません。映像と文字のやりとりだけです。文句も言われませんのでお気楽なのかもしれませんね。そんなお気楽感が子供たちにも影響が出ています。テレビやネット社会では現実であっても見ている自分には何ら関係がないのです。テレビの中で殺人が起きようが交通事故が起ころうが自分は危険でないのです。テレビの中から出てきて文句は言わないのです。そのような世界に長く浸かっていますと現実の世界さえもテレビを見ているようになってくるといわれます。 何が起きようが「自分には関係がない」のです。団塊世代の後は「シラケ世代」といわれました。シラケ世代は何が起きようが無関心と言うことでしょう。 感情の起伏がなく無感動とも言えます。現実に見たり聞いたりしたことさえも、テレビを見るごとくということでしょうか。テレビは見ている自分が寝転がったりしていても文句は言いません。今の大学生は教室で私語が多かったり授業中でも平気で歩いたり教室を出て行きます。 授業をテレビと考えたら納得できます。先生がいてもテレビの中の人と同じで出てきて文句も言わないと思っています。
 テレビは自分にとって安全で安心な世界なのです。今若者がよく使う「いいんじゃないですか〜」と言う耳障りな言葉があります。誰が何をしたって自分には何ら関係ないということでしょう。そんなことに同意を求められても困るのですが・・・今私達に必要なのは五感を働かせ感じることなのかもしれません。仮想ばかりで安全安心を煽っても現実の本当を見て触れる事が大切だと思います。この二十年の間に日本は急激に変わってきました。悲しみや喜びを心から表現しずらくなってきています。時代の閉塞感もあるのかもしれませんが人間が人間らしく生きていく道を忘れてほしくないのです。人と人との関係が大切に思える世の中、それが縁起と呼ばれる仏教の生き方そのものなのですから。