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 犯  罪
 
犯罪、特に少年犯罪が近年、異常な増加傾向にあるような報じられかたがされております。
 私達も、「近頃の子ども達は!」と言うように思っています。しかし数字的には、この五十年の間に殺人の被害者は四分の一になっています。凶悪犯罪の低年齢化に伴い、少年法の厳罰化が進み、又犯罪被害者家族への配慮されたような裁判判決もでているようであります。
 しかしながら少年犯罪の殺人も四分の一に減少しているのです。しかし今の社会状況全体が以前よりも安全が確保されていないというのが実感ですね。この感じ方は何なのでしょうか。 犯罪や殺人や又、他人の死について私達の感情は一様ではありません。イラクで何万人殺されようが、中国で地震で何万人亡くなろうと遠い国の一つの出来事で「かわいそうに」と思う程度です。逆に数が多ければ多いほど死に寄せる思いは鈍感になっているようです。それが例えば遠い国の出来事でなくとも、自動車事故で二万人亡くなろうとも、自死で三万人いのちを絶とうとも、当事者でない限り無関心です。矢ガモ、アザラシのタマちゃんに涙する人が多くの人々の死には鈍感です。自死、交通事故、ガンとの戦い等、どれもが注目されるのは有名人ばかりです。美しく虚飾に覆い隠されたような扱いばかりです。三島由紀夫、川端康成、ダイアナ妃、尾崎豊、これらの死はそのことの代表でしょうか。死には一人一人誰しもが大きな意味を持っているのだと思いますが・・・・
 美談でまとめ上げ、強者の論理を振りかざすような報道のありようです。同じような犯罪は過去にも幾度となくあったはずです、それが今、私達が不安にさせているものは、何なのでしょう。先行きの見えない不安感、明日が見えない社会、希望が持てない若者達、何か目に見えないものが沈殿して、おどろおどろしいものが覆っているような思いではないでしょうか。
 日本は、世界最大の児童ポルノビデオの輸出国として、世界中から指弾を受けています。
 少なくともそれだけ子ども達が虐待をうけていることでしょう。「大人の利益のため、子ども達が『ケータイ無法地区』に放置されている。日本の子ども達の状況は世界で最悪です。もうけるために子ども達を食い物にする、そんな国でいいのですか?」(北海道新聞、時代の肖像)。
 今のアメリカの犯罪の多さは児童虐待、無視、家庭崩壊、貧困が作ったと言われています。
 これからの日本が同じようになっていくという不安は、誰もが感じられるのではないでしょうか。問題は子供ではなく、私達大人一人一人に差し戻されるのです。
 目的なき富の追求には「何でもする」のです。今の日本には相も変わらぬ金銭だけを目的とした欲望が渦巻いています。「バクチ」を思わせるマネーゲーム、少年少女を目的とする性の氾濫、グルメ、ブランド志向、犯罪への不安はこれらのことと結びついているように思えるます。 私達の開祖親鸞聖人は一生をかけて、自己の罪業を見つめられた方です。そして私が出来ることは「良い行いが出来うると思う傲慢さが打ち砕かれる世界と向き合う」ということでありました。自己に対する悲しみ、痛みを生涯嘆かれ、しかしながらその事がもっとも安心を得る世界である事を見いだされたのです。私を考えよう、私を知ろう、私の根っこを見ませんか。
 仏法の光に照らされて・・・・・