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人 並 み
 
せめて人並みに、という思いは誰もが持っていると思います。特に日本人は横並びといいますか、他と比べて生きるのが好きなようで、隣を眺めながら生活しているようです。
 自分で自分の人生を生きるというよりも、他に影響され、流されながら生きているようにも見えます。ある地域では実際に寝る布団と、外に干す布団が違っていると言うことも聞きました。つまり外にはいい布団を干すのだそうです。笑うに笑えない話ですね。横並びだけに見栄を張るのも、無理をするのもよく見られますね。特に戦後は横並びで一億総中流とか、一億総白痴とか、有り難くないレッテルまで評論家によって張られました。しかし今、格差が進みこの横並び、又人並みということも怪しくなってきました。人並みの思いに縛られ、自分で自分を苦しくしているのかもしれませんね。その人並みということもほとんどがモノ、お金の人並みということでありました。ですから豊かさというのも他人と比較して、富、モノの量が多いか少ないかということであります。量は計算が可能です。これは外からもわかりやすく誰しもが納得できるということでしょう。しかしもう一つ計れない豊かさもあるのです。
 それは他に影響されず、自己の主体的な豊かさということです。これからの私たちは他と比較する豊かさはもう卒業してもいいと思うのです。テレビは毎日高価なグルメ番組が盛んに放映されます。皆様はこの世で一番美味しいモノは何でしょうか。私は一番美味しいモノは空腹の時に口に入るモノなら何でも美味しく思います。同じ食べ物でも満腹の時と空腹の時は味が全く違います。又気のあった友人と飲む酒と、堅苦しい雰囲気で飲む酒とは味が違うのです。幸福とか、豊かさもこのことと似ていないでしょうか。近くにアウトレット店ができました。連日車の洪水です。ブランドを求めて北海道中から人がきます。いや北海道というより全国からさえもやつてきます。ブランド衣料で体中を飾り、世界の三大珍味でも食すれば豊かになれるなんていうことはないのですが・・・・・。 
 中身が伴わないとかえって無様に見えるなんてことになりかねませんね。
 今の問題は豊かに見えるはずの中に充ちている貧しさが問題だろうと思うのです。
 豊かさのために父親と母親が夜遅くまで働き、子供はカップラーメンを食べて夕食をすませる、夜の十時過ぎに小さな子供を連れてファミリーレストランに外食する、こんなことが平然と行われているようです。モノがないという貧しさとは少し違っているようですね。貧しいのはモノが不足だからというのはもう止めませんか。「まだまだ、もっともっと」という思いを考え直しませんか。自分の廻りにモノが行列して取り囲んでいるのに・・・・・ いつまでも心が虚しいというのはこんなことなのかもしれませんよ。もう比べるのは止めませんか、人並みって何ですか、仏教は比べる必要のない世界です。別け隔てすることなく、誰しもが平等に救われていく教えです。比べることは、差別を生み出す大きな要因にもなっているのです。
なぜならこの世の中に無駄なモノ、必要のないモノは何一つないのです。どんなモノであっても意味があるのです。これが仏教の基本、縁起の理法であるのです。