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 ほどほどに・・・
 
二十一世紀も、もう五年過ぎようとしています。今年も区切りの一年が終わろうとしていますが、年々、日本が、いや地球が終末期に向かって加速しているように思えるのは、私だけでしょうか。北海道でブリが大漁であったり、永久凍土が溶けかけたり、極地の氷が少なくなったり、鳥インフルエンザ、BSEの問題、そればかりか少年少女の異常な事件、ネット犯罪、自殺の多さ等、自然ばかりか、人間の心までもが終末のようであります。事件を起こした少年少女は、誰もが「普通の子供だった」と言います。今は普通と異常の区別がつかない時代なのでしょう。日本ではバブル崩壊、携帯電話、パソコンの普及これらが同時期に始まっています。このあたりがこれらの問題の出発点になっていないでしょうか。勝ち組、負け組の二極化、汗をかかずに大金が入る仕組み、ヒルズ族、セレブ、ベンチャー起業、労働と呼ばれる価値の低下、息がつまるような、社会現象が続発しています。私が通っているある病院では、身体の状態を見てもらいたく行くのですが、診察医はチラッとこちらを見て後はコンピューターに情報を打ち込むのに懸命です。もう少しこちらを見てくれたらなぁと思います。そんな事を思っていますと、次のような話を聞きました。【ある病院での話です。おばあちゃんが診察を受けておりましたが、先生は体をほとんど見てくれず、パソコンの画面を見ながら、おばあちゃんの話を聞いておりました。おばあちゃんは「先生、私の方をたまには見て聴診器でも当てて下さい」とたまらずにお願いしました。先生はあわてて「そうですね」と言いながら渋々聴診器を当てようとしましたが、当てたのは聴診器ではなく、パソコンのマウスだったという笑うに笑えない話があります】先端産業ほどこのような現象がみられています。看取りの問題でも、臨終間近になりますと、病室にはいくつもの点滴袋と共に、自動血圧計や、自動脈拍計などが運び込まれます。あの騒々しい電子音に振り回され、看取る人も、看取られる人もその計器の数値に振り回され、昔のような静かに看取る雰囲気は失われています。病人を診るよりも、計器を見ているのですから・・便利さは、私たちに楽を与えてくれたのかもしれませんが、逆にその便利さに振り回され続け、忙しく振る舞い続けなければならないようです。便利な道具は、道具とすれば良いのですがいつのまにやら道具に使われ始めているようです。テレビ依存症、携帯電話依存症、これらの現象があちこちで見られます。仏教の諸行無常、諸法無我、親鸞聖人の「よろずのこと みなもてそらごとたわごと まことあることなきに」は、人間の不確実性をあらわす言葉です。どんな便利なモノが出来たとしても、のめり込むことなく、ほどほどのつきあいをと言うことです。十数年前飛行機墜落事故の原因が、次のようなことがありました。計器のあるランプが点滅しました。何か飛行機に異常が起きたのか調べようとして、パイロットがそのランプを調べようとした時、立った拍子に膝で操縦桿を押してしまいました。高度が知らないうちにどんどん下がり、気づいたときには地面と衝突であります。原因は単なる三十円の電球の球切れでありました。便利な時代に棹さすような言い方なのかもしれませんが仏教はいつも人間に「本当にそうか」と疑問を投げ続けであります。何事も、ほどほどにね・・・・・