本物・偽物

 
最近のテレビ番組で、本物と偽物をゲストの芸能人、政治家。スポーツ選手など、著名

人に選ばせるものがあります。選ぶものは、有名画家が描いた絵であったり、高価な宝

石であったり、ワインであったり色々です。著名人と申しましても、これが以外なほど

間違えるのです。

千円と、十万円のワインの違い、本物と贋作の絵の違い、正解を出すのにゲストも四苦

八苦です。一流と言われ、目も、口も肥えた、これらの人達さえも本物・偽物の区別が

なかなかつかないのです。その面白さを狙った番組なのでしょう。

そういえば『何でも鑑定団』と言う番組もありますね。これも本物・偽物を見分け値段

をつける番組です。品物の持ち主の鑑定と、プロの鑑定士の値段の付け方の違いが面白

いのです。

最近では専門家でも見間違える偽物がありますから、鑑定するのもたいへんだろうなァ

と思ったりいたします。ところで私たちも本物と偽物をどのように峻別すれば良いので

しょうか。

こんな話を聞きました。大阪のある骨董屋さんでは、新しく店に入った店員に、最初の

二年は本物ばかりを見せ、そして扱わせるというのです。二年間、本物ばかりを扱う仕

事をしていますと、偽物を見たときに見事なまでに一瞬にして峻別できるようになると

いうのです。ところが最初から本物・偽物を交互に扱わせますと、いつまでも区別がつ

かないのです。どうやら本物・偽物を見分けるコツはこの辺りにあるようです。どうで

しょう宗教の世界も同様のことが言えないでしょうか。本物の宗教に出遇わなければ、

偽物の宗教がわからないと言うことです。体育教師でありましたが、事故で手足の自由

を失った星野富弘さんの言葉『いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦し

かった。いのちより大切なものがあるとしった日、生きていることが嬉しかった』。

健康な時には気づかなかった生の有り難さを不自由になって気づかされる、これが本物

に出遇うということだろうなァと思うのです。

私たちが本物・偽物に気づかないのは、何かにつけて自分の傲慢さでないかと思うの

です。すべてを『我が、我が』と我中心の世界で生きいるからこそ、見えるものも見え

てこないのです。

商売繁盛、無病息災、家内安全と、欲望をむき出しにしながら、宗教にないものねだ

りをしてはいないでしょうか。願いが叶わなければ、『こんな宗教』と投げ出し、

又新たな宗教にのめり込む!迷いにまよう愚かしさ、いや滑稽にさえ感じられること

さえもありますよね。バカバカしいと感じてくだされれば良いのですが、そうはなか

なかいかないようです。このような方を『心の病気』と言うのです。どうも私たちは

肉体の病には敏感ですが、心の病には鈍感なようですね。

これではいつまでたっても、本物・偽物の区別はつきません。

『煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのこと、みなもてそらごとたわごとまこと

あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします』親鸞聖人の真実の声が響いて

まいります。