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いのちをいただく

関西での食肉加工場での話です。この工場では毎日多くの牛が殺され、食肉として市場に出荷されます。そこに長年勤めております坂本さんという方がおられます。坂本さんはいつも牛を殺すときに牛と目が合い「こんな仕事はいつかはやめよう」と思っておりました。
 その日もいつものように牛を積んだトラックが入ってきました。しかし牛がなかなかおりてまいりません。坂本さんは不思議に思いトラックの荷台をのぞき込みますと十歳ぐらいの女の子が「みいちゃん、ごめんよ、ごめんよ」、と牛のおなかをさすりながら泣いています。坂本さんは「見なけりゃよかった」と思いました。女の子と一緒に来たおじいさんが「この子はこの牛と一緒に生まれ一緒に育ちずーっとかわいがっておりました。しかしこの牛を売らなきゃ、ワシらは正月を迎えられませんのでな、かわいそうですがよろしくお願いします」と頭を下げるのです。坂本さんはいよいよ「こんな仕事はもういやだ、明日は工場には来んでおこう、とても私にはもうこんなことは出来ん」と考えました。坂本さんは家に帰ってから小学三年生の息子にこのことを話しました。明日は休むこと、女の子の泣いている姿のことなどを。
 子供は黙って聞いておりましたが一緒に風呂に入ったとき坂本さんに「やっぱりお父さんがしてあげてよ、心のない人がしたら牛が苦しむから・・・」と。坂本さんはそれでも明日は休むと決めておりました。翌朝学校に行く前に子供が「お父さん今日は必ず工場に行ってね。
 休まないでね約束だからね。」と言って学校へ行きました。坂本さんは心が揺れながら渋々工場に向かいました。牛舎に入りますと、牛のみいちゃんが角を下げて威嚇する姿勢をとります。
 坂本さんは「みいちゃんすまんなぁごめんよ、みいちゃんがお肉にならないとみんなが困るから、ごめんよ」と頭をなでますと、みいちゃんは頭をこすりつけてきました。殺すときに急所を外しますと牛は苦しみます。坂本さんがじーっとしとけよ、じーっとしとけよ」と言いますとみいちゃんはおとなしく動かなくなりました。次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちました。牛の涙を坂本さんは初めて見ました。【絵本「いのちをいただく」より】
 私たちは牛の肉にA3とかA4とか勝手に等級をつけたりヒレがおいしい、いやサーロインだとか焼き方はレアだとかミディアムだと肉を無機質なモノ扱いに見ていますが、人間の勝手さ以外のなにものでもないのかもしれませんね。この本は絵本です。この絵本の後書きに「私たちは奪われたいのちの意味も考えず、毎日肉を食べています。自分で直接手を汚す事もせず坂本さんのような悲しみも苦しみも知らず肉を食べています。いただきます、ごちそうさまも言わずにご飯を食べることは私たちには許されないことです。食べ残すなんていうのはもってのほかです・・・」と。飛行機で一時間も飛べば今日のいのちを支える食べ物のない国もあるのです。今日わたしのいのちを支えいただいているのはこんな悲しみ、苦しみの世界があるのです。そこのところを見えなくしたり、見えないようにするのが清潔と呼ばれる私たちの文明と言われているモノかもしれませんね。仏法の世界はこの見えないモノをみようとするものかもしれません。いのちあるものをいただきながら私のいのち、生活が成り立っていることにもっと目をむけたいものですね。