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い つ わ り
  
昨年の一年を表現する漢字は「偽」でした。昨年の春から、不二家、白い恋人、赤福餅、船場吉兆、いつわりのオンパレードでした。信頼すべき食の安全が、すっかりおかしくなってきています。そして今年は年明け早々、中国からの冷凍食品の農薬混入です。グルメブーム、三つ星レストラン等、何でも食に関することでしたら大騒ぎをする日本人に冷水を浴びせられたようです。しかもそれが老舗、名門と呼ばれるところからでしたので、「どこも、かしこも」という不信感が一気に広がったように思えます。賞味期限、消費期限の切れた品物を使い、いつわり、しかもご丁寧にも再生までしていたのですから・・・・
 夢を売る「お菓子屋さん」、日本有数の「高級割烹」から、このようなことが起きるのは「あるまじき」ことでしょう。最近、幾度、そろって頭を下げる責任者の謝罪会見を見せられたことでしょう。中には親子同席のお笑いのような会見もありましたが・・・・・
 しかし、あってはならないことではありますが、企業、会社はどんなにきれい事を並べても、所詮、目的は営利がほとんどを占めます。営利目的でない会社がどこにありましょうか。
 つまり利益を得ることが目的ですのでその手段の是非については、あまり考えないのです。
 まずは、儲けなければならないのが会社の論理です。「いや、我々は社会的正義を守る会社である」と、言われるかもしれませんが、それはただ「法律を守っている」と言うことなのです。
 傷みかけた材料を使わないのは法律で罰せられるからで、消費者の健康に配慮してのことではないのです。法律に触れなければ、又罰せられなければ何でもアリなのです。品物ばかりでなく、法律を守っているように偽装すればいいのです。製品を偽装するというより、世間の目を欺くのです。それはスピード違反で捕まるのと同じで、そこには「悪いことをした」というより「バレてしまった」「ウンが悪かった」となってしまうのです。こうなりますと、「何が善で、何が悪か」もわからなくなってしまいますね。会社ばかりでなく、私達も普段から何を基準にして善悪の判断をしているでしょうか。道徳観であったり、法律であったり、又、宗教的な戒律なのかもしれませんね。本来は善悪の判断は自分が自覚しての判断であるはずです。善悪は自分に問うていくことなのです。しかしその「自分に問う」ことは難しく、厳しいことでありましょう。自分への甘えから自分の悪は包み隠し、しかも言い訳の巧みさは言うまでもありません。その結果「法律さえ守っていれば」になり、自分の判断よりも法律に善悪の基準を委ねてしまうのです。仏教は「自分にされていやなことは他人にしてはならない」ということです。こんな簡単なことも利益主義、利己主義によって守られないのです。農薬まみれの野菜を出荷し、自分たちは無農薬の野菜を食する農家、耐震偽装の家を造り、自分たちは安全な家に住(す)む建築家、口ばかりの宗教家{私かな}、恥ずべきことであります。せめてそのようなことを「生きていくために仕方がない」と、すませるのだけは、止めませんか。その事を正直に告白できる人間になりませんか。そんな自分を見つめ続ける人間になりませんか。
 「自分で自分を偽らず」は、仏教徒の基本姿勢であります